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【休日予行演習】

- 自分は貴方で貴方は自分? -



 予想は十割真実だった。
「ああ、ヤッファか。一度からかったきりじゃな、反応がつまらんし足も向けんからそれっきりじゃが」
 出向いた先の双子水晶で、黒髪さんの姿をとったマネマネ師匠は、実にあっさりの疑問を砕いてくれたのである。
「そうですか……」
 同情と諦めが同居したため息を漏らして、傍らで船を漕ぎ出したプニムを、自分にもたせかけてやる。
 ショーをやってないと、このあたりも他と同じように静かだ。
 貴霊石の光がそこかしこを淡く照らし出し、生き物の気配のない空間をやわらかい波動で満たしている。
 こんなふうにしていると、マネマネ師匠の印象も随分変わるものだと思う。落ち着いたお兄さん、そんな感じだ。
 拳ひとつ分程度の距離を開けて座る彼をなんとなく見上げていると、「ん?」と心安げに笑いかけられる。
「どうした? 見惚れるほどにワシは魅力的かいの?」
「あははははは」
 冗談を、笑って流す。
「今日は変身しないんですね。いつも、誰か来るたびにやってるんじゃないんですか?」
「ええ? ……うーん、だって、おまえさん相手じゃ変身出来んのじゃからしょうがなかろ」
「……」
 顎をひねって云われたそれに、一瞬思考が停止した。
「なんで、です?」
 ぎこちない問いかけに対する師匠の返答は、あくまでも流暢だった。
「なんでって。ワシ、本人の真似しかせんと決めとるんじゃ」
「……あ、う?」
「フレイズもファルゼンも気づいとらんけど、それ、姿替えじゃろ? おまえさん本来の姿じゃない。じゃから、おまえさん相手に変身はせんよ」
「うあ……」
 冷や汗だらだら。
 実になんでもなく告げられた事実に、心境は、油を搾り出されるガマ状態。
 ゲンジといい、師匠といい。
 なんで、こう、予想外な場所で嘘がばれていくんだろう。そんな、八つ当たりにも似た感情が、胸に渦巻いた。
「無理すれば出来なくもないけどなあ、――見てみたいか?」
 だもので、お気楽な彼のことばも、右から左に華麗なスルー。しかけて、すり抜ける最後の一瞬で我に返った。
「は、はい!?」
 だが、ちょっと遅かった。
 答えたときにはすでに、翠色の髪と赤い眼をした“”が、を覗き込んでいたのである。
「……うっわ」
 なんだか背中がむずがゆい。
 鏡以外で同じ顔(色違いだけど)があるなんて、ついぞ体験できないことだ。
 そうして、鏡の向こうではない自分の顔が、にんまり笑う。自分のものでない声で。
「ドウジャ? ウマク出来トロ?」
「――双子ですね、ほんと」
「ジャロ」
 嬉しそうにそう云って、師匠は元の黒髪さんに戻ってくれた。
 同時に違和感も消滅してくれて、は胸をなでおろす。
「でも」、ふと浮かんだ問いを、安堵のまま口にした。「どうして、色を逆転させちゃうんですか? 真似っていうなら、色も、同じにしたほうがいいんじゃ?」
「だって、それじゃ、ほんとにどっちがどっちか判らんじゃないか」
 無理すれば、とのセリフどおり、肩が凝りでもしたのだろうか。こきこきと鳴らしながら……鳴らすジェスチャーをしながら、師匠は平然と云った。
「成り代わる気はないから、これでいいんじゃ。ワシは、単に楽しいから遊んどるだけじゃし」
「じゃ、やろうと思えば同じ色でも?」
「出来るよ? ――やらないけどな」
 くつくつと笑う師匠を見上げながら、もし、自分とまったく同じ人間がそこにいたら、と考える。
 双子、なんて、ものじゃなくて。
 ドッペルゲンガー、なんて、向こうの世界の都市伝説めいたものでもなくて。
 現実に、自分とまったく同じ外見の人間が唐突に目の前にいたら……うん、それは、たしかに、笑って済まされる問題じゃない。
 一歩間違うと、自分の存在さえあやふやになりそうな、そんな気がした。
 これは自分。
 あれも自分。
 自分はひとり、ふたりが自分。
 じゃあここにいる自分は、だあれ?
「……ぞっとしませんね」
「自分と他人との境界が、自分が自分であるためのひとつじゃ。それを崩したら、ま、結果は目に見えとる」
 僅かに身震いしたの背を撫でてやって、師匠は「そういうわけだから」と付け足した。
「よっぽどのことがない限り、まったく同じにはならんわな。――勿論、なってほしいというなら話は別じゃが」
 にんまり。
 笑いながら告げられたそれに、は、あわててかぶりを振った。
「い、いいです、遠慮します」
「そっか? 奥ゆかしいんじゃな」
「違う、それ」
 裏拳つきで突っ込んでから、ずり落ちかけたプニムをあわてて支えた。
 すぴー、すぴー、とふくらむ鼻ちょうちんは、それでもちっとも破裂する様子なし。つまるとこ、起きる気配皆無。
 叩き起こすのもしのびなく、は眠りこけたままのプニムを注意して抱えつつ立ち上がり、腰かけたままのマネマネ師匠に向き直った。
「それじゃ、あたしたちもそろそろ帰ります。またそのうち、遊びに来ますね」
「おー。今度はレックスかアティかつれてこい、あいつらは楽しいからの」
 ひらひら手を振る師匠に頭を下げて、方向転換。歩き出す。
 十数メートルほど進んだところで振り返ると、黒髪さんではなくて、反転“”が手を振っていた。なんとも悪戯っけのある笑みを浮かべて。
「……ははは」
 力なく苦笑して、手を振り返す。
 たしかに、いざ自分でアレをやられると、何か精神的にずれが生じるような感じ。レックスやアティ、イスラの最初の混乱が、今になってようやく判った気がした。
「……」
 それから、何の抵抗なく思い出したイスラの名に、顔をしかめる。
 だって、彼のやりようには腹を立てているのだ。
 嘘ついたのは、まあ、こっちにも後ろめたい部分があるから怒れないけど、――よりによって記憶喪失、だなんて。なりに一所懸命励ましてみたあれが、蓋を開けてみれば無意味だったのだ。この憤り、どうしてくれよう。
 港や船で見せた、あの危なっかしさはどこへ行ったのか。
 スバルたちを人質にとって笑ってた彼は、何様のつもりだったのか。
 ……あの空白の数日に、何があったというのだろう。それとも、もともと、今の彼が“地”だったりしたんだろうか。だとしたら、そのことも見事にだまくらかされてたことになるわけで……いや、それよりなによりだ。
 剣。
 銘もない、あの白い剣を、イスラは横取りしていった。
 挑発するつもりなのか、戦意を削ぐつもりなのか――もっと直截的に、戦力自体を減じさせる気だったのか。
 は、とは顔をしかめて息をついた。
「……寝ぼけるなってのよ」
 焔――その出所が剣なのだと、いったい誰が語ったか。
 剣は集中の対象として扱いやすかっただけで、本来の道は自身が持って……もとい頂いているのだから。
 かといって、それを実演してみせる気はないけれど。
 メイメイに云われるまでもなく、あんなもの、しょっちゅう使うつもりなんてさらさらないのだ。出来るなら、もう、帰るときだけに限定したいというのが本音。
 ……白い焔だけで帰り道が開けないのは、よくよく判っているけれど。
「――――」
 そこまで考えて。
 ふっと湧き出てきた思い付きに、は足を止めていた。

 魔力が要る。
 帰るためには、魔力が要る。
 そんじょそこらの寄せ集めじゃ足りない、サイジェントの儀式レベルの魔力が――狭間へ飛び込むためには必要だ。
 それも、一種類だけではなく、狭間に繋がる四界それぞれの魔力。

 それって。
 喚起の門でも代用出来てしまわないか――――?

「い、いやいやいやいやいや!!」

 ぶんぶんぶん、とかぶりを振って、それを全力で否定した。
「や。だってまだ、ほら、あたし、あそこ越えきれる自信ないし? ていうか、そんなことしたらこの島が危ないって」
 帰りたい。
 それは、切実な。
 本当に、切実な願いだけど。
「……却下」
 それで独り言をしめくくって、は、その場に凍りついていた足を、億劫に思いながら動かした。
 右、左、右、左。
 一定のペースで歩きながら、考える。

 こんなふうにあそこを越えていけるようになるための何かを、ここで見つけることが出来たなら。
 ――いや。見つけたい。
 ただ迷子になるためだけに、ここへ落ちてきたわけじゃないのだと思いたい。
 起こる事象すべてが無意味で、意味は後付けで生じるのだというのなら。
 この時代に在ることを、そのためだと思いたい。

 歩き出せなくて落ちた場所がここなのだから、這い上がるための何かを、ここで見つけられたら――――

「…………」

 また足を止めた。
 顔を上げて、太陽の位置をたしかめる。
 まだ日が沈むには早い。急げば、行って戻ってちょうど夕暮れどきになるだろう。
「ぷ?」
 さっきからの不自然な動きで、目が覚めたのだろう。
 こしこしとまぶたをこすりながら自分を見上げるプニムを抱く姿勢をなおして、は身体の向きを変えながら話しかける。

「ラトリクス、行こう。一緒に来る?」
「……ぷ!」

 一も二もなく頷いて、プニムはぷるっと頭を一振り。軽やかに地面に飛び下りて、と一緒に走り出した。


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