ともあれ、今日は久しぶりの青空学校だ。
先生たちが寝込んでいた間も、スバルたちの勉強は委員長たちことナップたちがみてやっていたらしい。習ってる勉強の程度の差もあって、特に難しいことではなかったようだ。
それを聞いてひたすら感謝するレックスとアティに、子供たちが何と云ったかというと、
「その分、休日明けには、家庭教師のペースを詰めてもらいますからね」
応えてレックス、
「じゃあ明日からでも」
「アール、飛べ」
「ビー!」
……オチは推して知るべし。
休みを取るって決めたんだから、明日になってそんなこと云ったら容赦しない、なんて旨のことを子供たちから説教されつつ、ふたりは学校に向かって行った。
見送る面々の笑みがそれこそ生ぬるかったのは、今さら云うまでもあるまい。
「さて」
と、見送りの一名がを振り返った。
「行きましょうか」
「はーい」
差し出してくれた手を握り返して、はヤードと一緒に歩き出す。
この間、なんだかんだと結局うやむやになっちゃった、ゲンジさんちでお茶しようの仕切りなおしにどうですか、と誘ってもらったのだ。
これはこれで、休日ということになりはしないのだろうか、と問うたら、別カウントです、と爽やかに答えられた。
明日は明日で、やっぱり何か別のネタを考えなければならないようだ。……まあ、なんとかなるだろ。
身体の左側に黒いローブを見ながら、は肩越しに、お見送りのカイル一家に手を振った。
そうして歩くことしばらく、今日は何の障害もなしに、とヤードは風雷の郷へ辿り着き。
「あ」
「おや」
「……」
キュウマと、遭遇したのであった。
軽く目礼して方向転換しようとした彼へ、は即座に笑いかける。
「こんにちは、キュウマさん。先日はお疲れ様でした。皆さんはご無事でしたか?」
「あ――は、はい。おかげ様で、郷の者は皆無事です」
ふ。先手必勝、立ち去り防止。
律儀なキュウマのことだから、これを出せばきっと足を止めると思ったのだ。
なんとなく勝ち誇ったの思惑通り、歩みを止めてこちらへ向き直った彼は、それと同時にもうひとつ別のことも思い出したらしい。
「その先日の件ですが……レックス殿たちの復調はスバル様から聞きましたが、殿は」
「見てのとおり、完全復活です」
意味もないのに、くるりとターンしてブイサインなどしてみせる。
ちらり、と彼はヤードに視線を移す。確認の意図をこめたそれにヤードが頷いてからやっと、どことなし硬かったキュウマの表情が、ほんの少し和らいだ。
「そうですか。それは何よりです」
「キュウマ殿は、これから訓練ですか?」
そこにヤードが声をかける。
ええ、と答えようとしたのだろう、口を開きかけたキュウマの動作は、だが途中停止させられた。息継ぐ間さえ省略して、一息でなされたヤードの発言に。
「よろしかったら、ゲンジ殿の庵でお茶を一緒にいかがですか。実は、明日の休日の予行演習をしているんです」
――なんですか予行演習って。
思わずそうツッコミかけたをちらりと見て、ヤードは小さく笑って見せた。
「予行演習、ですか?」
案の定、首を傾げてキュウマがそう復唱する。
彼にとっても、それこそなんのこっちゃだろう。休日は休日、予行演習もへったくれも……と、思いかけて。
はた、と、は目を見開いた。
――――ご同類、みーっけ。
一瞬にして脳裏をよぎったそれをことばにするなら、そんなところだろうか。
「そうですよ、キュウマさんも是非ご一緒に。ここで逢ったのも何かの縁」
ヤードと繋いでないほうの手を伸ばして、彼の服の裾を掴む。どうやら予想もしてなかったの行動に反応が遅れたらしく、キュウマはあっさりと掴まれることを許してしまっていた。
「……殿、ヤード殿」
ちょっぴり非難するような口調も、さりとて気になるものではない。
「行きましょう。ね」
「そうですよ。是非」
にっこり微笑む凸凹召喚師&召喚獣のダブルアタックに、さしものシノビも敗北宣言したのであった。
――なんて一幕を繰り広げたたちを、ゲンジは快く迎え入れてくれた。
たぶん、三人が寝込んでいる間にヤードと話はしていたのだろう。用意されていたお茶や茶菓子を見て、そんなことを考えた。
さすがにキュウマの来訪は予定外だったらしく、今、ゲンジは彼の分の湯飲みを用意するために戸棚と向かい合っている。彼が追加された経緯を聞いて、取り出しながら大笑い。
「はっはっは。そうか、ふたりがかりで口説き落とされたか」
「……ええ、まあ」
一度決定したら諦めもついたのか、縁側に腰を落ち着けたキュウマが苦笑した。
「ま、たまにはよかろう。スバルが気にしておったぞ、おぬしはいつも自分たちのことばかり気にして、己のことを考えておらんとな」
「主君を第一に考えるは、シノビの心得ですよ」
「心得すぎじゃ」
即座に返すゲンジに、キュウマはことばを失った。
その隣の、もうひとつ隣のヤードは、顔を見合わせて肩をすくめる。浮かべる表情は、当然笑みだ。
やっぱり、ゲンジには誰も敵わない。
慣れた手つきで茶を入れる彼は、どこにでもいそうな好々爺。だが、重ねてきた経験の重みを、その背中から感じることが出来る。長い教師生活、いったい何人の生徒を学校から送り出したのか。レックスたちが未熟者に見えるのも、彼なら当然といったところだ。だからといって、驕るでも侮蔑するでもないゲンジの姿勢は、ある意味理想。
それぞれの前に茶を置いて、ゲンジもまた、キュウマの隣に腰を下ろした。
しばらくの間、全員が無言で茶をすする。
そよ風が庭先を吹き抜け、その拍子に揺らされた枝葉が擦れる音が、たまに耳を打つ程度。
――訊いてみるには、いい頃合いだろうか。
ちらりとキュウマを横目に見て、はそんなことを考えた。
……のんびりしているようでも、気がかりは消えていない。いつか、喚起の門にレックスたちを連れて行ったキュウマの意図は、まだ判明していないのだ。ファリエルの調査を待つつもりだったが、今も今で、わりと舞台が整っているような気が……しないな。
ゲンジの存在を思い出し、は問いを諦めた。
お昼をまわったら、狭間の領域に行ってみよう。そう予定を決めて、別のことを口にしようとしたときだ。
まるでの心を読んだかのように、キュウマがこちらを振り返る。
「予行演習、と仰っていましたが……明日、何かあるのですか?」
「予行演習? なんじゃそれは」
それに重ねたゲンジの問いに、とヤードは再び顔を見合わせた。
どっちが云いますか?
さん、どうぞ。
目と目でそんな会話をして、は、キュウマとゲンジを振り返る。
「レックスさんとアティさんに、明日休みをとってもらおうって、みんなで話したんです」
「ふむ?」
教師が休みなど何事じゃ、なんていうのをは想像したのだけれど、ゲンジは軽く顎に手を当てて頷いた。
「それもよかろう。無理をする姿など子供たちに見せて、いい影響はないからな」
「なるほど……それで予行演習なのですか。ですが、どうして殿とヤード殿も?」
「さんも対象なんです」
先日の戦いで、何気に無理をしたひとりですから。と、ヤードは気軽に問いに応じた。
あの折には幸い難を逃れていたゲンジと、郷人を逃がすために社から離れていたキュウマは、その場の様子を知らない。カイルたちからが漏れ聞いた話では、遠く、碧の光がほとばしったのを見た程度だとか。
ゲンジはいわずもがな、キュウマは僅かに口元を引き結ぶ素振りを見せただけで、「そうか」「そうですか」とあっさり納得する。
……それもそれで腹が立つなあ、と。
無茶する自覚はあるだけに、人様に云われると腹が立つ。そんな複雑なお年頃。
少しむくれたを見て、ゲンジが喉を震わせた。
「はっはっはっは。若いうちはな、遊びすぎて叱られるくらいが丁度いいのじゃぞ」
「ゲンジさんに叱られると、効きそうですね」
「ふん、伊達で教師をやっていたわけではないからな」
にやりと笑うゲンジを見て、彼に受け持たれた生徒はさぞかし立派な――良い意味で――人物になったのだろうと、三人は顔を見合わせる。
先日の騒ぎが嘘のような、それは、久々に訪れた穏やかなひとときだった。