そこに至る事情は違えど、結果として殆ど同時に熱を出した三人――レックス、アティ、それには、今日も相変わらず一室で団子詰めだ。
疲労してる人間の横に風邪っぴき人間を置いていいのか、とが当初抗議していた。ところがどっこい、何故か医術分野の心得もあるスカーレルが診断した結果、の発熱も、どちらかというと雨に打たれた急激な体力低下で、蓄積した疲労が表に出ただけらしい。
……つまるとこ。
発熱組三人は、揃いも揃って過労で倒れたのである。
「……情けない……体力には自信があったはずなのに……」
ほかほかと湯気を立てるおかゆを目の前につぶやくの横、レックスとアティが似たり寄ったりな表情で苦笑しつつ、同じ料理を口に運んでいる。
「過信は禁物よ。どんな超人だって、限度というものがあるんだから」
おかゆが運ばれる直前まで使用していた医療箱をぱたんと閉じて、アルディラが、に釘を刺す。
「まして、あなたはまだ成人もしていないでしょう。成長期なのだから、身体に大きな負担をかけるのは、極力避けること。――それは、レックスにもアティにも云えることだけどね」
「……げほっ」
方向転換した矛先に、レックスがむせた。
ちょうど口に入れたばかりだったらしいおかゆが、気管を直撃したようだ。涙目になって咳を数度繰り返す彼の背を、アティがあわててさすってやる。
「あの。俺たち、成人してるんだけど」
「そういう問題ではないの」
一応訴えたそれは、まるっきり見当違い。それで、レックスはまたしても、何かを喉に詰まらせた表情になった。
「限度があるって云ったでしょう。――先日のスキャンの結果だけれどね、あなたたちの身体には自分が予想する以上の負担がかかっているの」
おそらく、あの魔剣のせいで。
声のトーンを落として付け加えられた一言に、ふたりはきょとんと顔を見合わせた。
「え、だって」
「抜剣したら……傷とか治って、便利ですよ」
……その瞬間のアルディラの微笑を、三人はきっと忘れまい。
「あなたたちが病人でなければ、クノンに頭蓋貫通注射をさせるところだったわね……?」
――ぴき。
音をたてて硬直したレックスたちに向けるの視線は、同情。かつ、呆れ。
不意に訪れた沈黙を破ったのは、壁際に控えていたクノンである。
「準備はすぐに整いますが」
「や、やめてくれ。たのむから」
とゆーか、普通、頭蓋骨貫通して脳に直接針なんて刺されでもしたら、間違いなく死ネルのではあるまいか。
誰かを守って命を落とすことには無頓着でも、そんなしょーもないことで絶命するのは、さしものレックスたちでも嫌らしい。
手を合わせて拝みこむ彼を一瞥して、アルディラが、クノンにひらひら手を振ってみせた。
「今はいいわ」
「「“今は”!?」」
悲鳴があがる。そりゃそうだ。
だが、重ねてあげられようとした抗議の声は、アルディラの一瞥で未遂に終わる。
「出た結果の過程がゼロなんてことはないわ。議論する気はないから云ってしまうけど、抜剣によってリセットされた傷や変調のリスクは、なんらかの形で貴方たちに出ているの。むしろ、過労で倒れるだなんて判り易い形だったことを幸いに思いなさい」
「……そうですねえ。うん、やっぱ変ですよね、剣抜いたら無傷って」
こくこく頷くを見るアルディラの目は、レックスたちに向けるのよりはいくらかやわらかい。
が、どことなし非難する色があること自体は、そう変わらない。
そうしてその視線の意味そのままに、アルディラはにもお説教。
「あなたもよ。あの光は何? それを発動させたのは、あの白い剣? レックスたちの魔剣とは明らかに違うといのは判るけれど、おおよそ、人の持ち得ぬ力であることは明らかでしょう」
「……あう」
言外に、自分の不調はそのせいではないのかと告げられて、今度はがことばを失った。
そうして、そんな彼女に、アティがおずおずと話しかける。
「そ……そうですよ? わたしたちのことばっかりじゃなくて、の剣だって不思議じゃないですか。あの光、すごかったです」
「うーん。あれも、もらいものですから」
よく判りません――と。昨夜カイルに告げたのと同じような説明に、レックスとアティは、
「……すごいもの、もらったんだね」
「そうですねえ。世の中って狭いです」
と、納得してくれたのだけど。
「…………どこからもらったの?」
実に冷ややかなアルディラの問いに、ともども動きを止めた。
「え。あ、その」
「貴方たちが流れ着いた前後、嵐が起こったわ。そのとき、海上に白い光の柱が出来るのを、私も含め護人全員が目にしてる」
「――――そ、れは、その」
しどもどへどもど。
腕を怪しげに動かし、上体を不自然に傾げながら、が何か云おうとするけれど、アルディラは言をゆるめない。
「……ファルゼンから話を聞いたらしいから、問うけれど。まさか、あなたが紅の暴君の継承者、というわけではないわよね?」
「あ、それは違いますよ」
問いに答えたのは、ではなくアティだった。
を庇ってのこと――も、たしかに少しあるのだろう。だが。アティは、彼女の知る真実を口にしたに過ぎない。
「私もちょっと気になって、シャルトスに訊いたんです。そしたら、違うって。の白い剣は、自分とは全然関係ないものなんだって」
……むしろ、相容れることのないモノだ
ひそかに、何かがささやいた。
だが、それは内側に木霊したのみで、外側に漏れることはない。
ちょっとだけ首を傾げたあと、アティがに笑いかけた。
「それに、、あの剣を使っても変身しなかったじゃないですか。二対の片割れが紅の暴君だっていうなら、それも、抜剣したら変身しちゃうんじゃないかって思うんですけど」
「……ちょっと待って」
何やらこめかみに指を押し当てて、アルディラがアティに向き直る。
「訊いた……って、アティ、貴女、碧の賢帝と会話できているの?」
「え? ええ」
それが何か、と。
逆に、首を傾げて疑問符浮かべるアティを見、アルディラは目を見開いた。
力なく、その唇が開かれる。うっすらと――零れるのは呼気だけであろう程度。だが、その瞬間は、たしかに声と呼べるものを彼女はつむいでいた。
「……第二フェイズに移行している……?」
何の外部干渉もなしに、ただ本人の中だけで進行しているというの――?
そして。
俯いたアルディラの目を、レックスやアティ、の誰も覗き見ることはなかったけれど。もしも見ていたならば、そこに漂う複雑な感情の渦を読み取ることに大変労を要したのではなかろうか。
それは不安であり、期待であり、懸念であり、安堵であり。
「ふぇいず?」
なんですかそれ、とがつぶやいた。
「!」
途端、ば、とアルディラは顔を持ち上げる。その勢いに、三人のほうが驚いて身をのけぞらせた。
「あ……アルディラさん?」
「……脅かさないでちょうだい。まとまりかけた思考が、どこかに行ってしまったわ」
問いかけようとしたレックスの先を封じて、アルディラが、少しだけ非難がましげににそう云った。
云われたは、「う」とうめいて、ごめんなさい、と、もごもご返答。
ふと、その手に抱えられた椀を見て、アルディラは苦笑した。
「長話になってしまったわね。……そういうことだから、くどいようだけど、しばらく無理は禁物よ」
「あ……はい」
「云っておくけど、貴方たちレベルの無理でなくて、周囲から見たレベルの無理ですからね」
「…………はい…………」
なんというか。
実に、三人の性格というものを、よく把握した一言であった。
なんとも遣る瀬無い表情を浮かべた彼らを一瞥し、ふ、と口元をほころばせたアルディラは「それじゃ」とクノンを伴って部屋を後にする。
小さな音を立てて扉が閉められたあと、三人は、数秒だけ間を置いて、手元のおかゆを見下ろした。しばらくは、冷めだしたおかゆを食べる音だけが部屋に響く。
やがてその大きさが三分の二になり、三分の一になり、そして三分の零になってから――ぽつり、レックスがつぶやいた。
「人の持ち得ない力、か。たしかにそうだよな」
碧の賢帝。
紅の暴君。
――そして。
「普通に暮らしてたんじゃ、まず手の届かないものですよね」
白い陽炎。
「でも……このおかげで、ずっと助かってます」
胸に手を当てて、アティが云った。
が、そんな姉を見るレックスの目は、どこか哀しげだ。
「うん。でも、こんなふうに倒れてさ、みんなに心配かけるんじゃダメだよ、やっぱり。しばらく、抜剣は控えるようにしよう」
「あ――うん。それには賛成です」
いくら心強いっていっても、使いこなせずに倒れてるんじゃ意味ないですよね。そう云って、アティはこくりと頷く。
ふわふわと微笑む彼女は、倒れた力なさも相俟って、今にも風に吹かれて飛んでいきそうな夢見ごこちの表情だ。
過労のせい、そう考えて終わらせるのは簡単だけど――なんなのだろうか、この、もやもやとした不安感は。この、ゆらゆらとした、はかなさは。
――トントン、と、扉を叩く音がした。
「はあい?」
戸口側にいるが、ぱっと振り返って応える。
一拍の間を置いて扉が開き、ウィルとアリーゼが顔を覗かせた。
「お食事、終わりましたか?」
やわらかなツインテールを揺らして、アリーゼが、三人の持った食器を覗き込み、
「あ。全部食べられたんですね。よかった」
回収しながら、にっこり微笑んでそう云った。
その横をすり抜けたウィルが、なんとなし慣れた手つきで、それぞれのベッドの横に置かれているコップに水を注ぎ足していく。空にはならなかった容器は、そのまま、レックスとアティのベッドの間にある棚の上に。
かいがいしく世話を焼いてくれる生徒に、ふと、レックスが話しかけた。
「ごめんな、勉強みてやれなくて」
「そ、そんなことありませんっ! 先生たちは、そんなこと考えないでゆっくり休んでくださればいいんです……っ!」
「そうですよ。……云っておきますけど、勉強をみるために起きだしてきたりなんてしたら、アールが飛んでくると思ってくださいね」
「……あわわ」
いつかのレックスくじら事件を、その場のほぼ全員が、まだしっかり記憶に留めていた。
思わず固まるレックス、口元に手を当てて慄くアティ。
唯一、なんのこっちゃと首を傾げたのはだったけれど。ま、知らないほうがいいんだろうな、と、ふたりの先生を見て遠い目になっていたことに、誰も気づくことはなく。
ウィルとアリーゼが出て行ったあと、なんとなしに顔を見合わせた三人は、それぞれ「おやすみ」と声をかけあってベッドに倒れ込んだのである。
……アール投擲が怖いからだけじゃ、ないんだぞ。
休むときには開き直って目一杯休むのが、人の道。
――なんて思ったと同じようなことを、果たしてレックスもアティも考えたのか――それは、本人たちのみぞ知る。
否。
本人と、碧の賢帝のみぞ知る――
……終わりを与えていかなかったこと
……それだけが、唯一の、そして最大の過ちだ
遠くつぶやかれた声。
遺憾ではなく、むしろ喜悦を含んだ遠いささやきは。
やはり、外側に漏れることはなく、内側に小さく木霊したのみだった。