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【卑怯者】

- 戦場に閃るは碧 -



 チッ、と軽く舌打ちしたイスラが、かろうじて立っている兵士たちに号令を下す。
「奴らの抜剣はない! 怖れずに行くんだ!」
 応、と響き渡る、時の声。
 さんざ苦しめられた抜剣がない、ということが彼らの気勢を仰ぐのだろうか。それぞれの武器を手に、兵士たちは迷いなくこちらに突っ込んでくる。
 彼らを壁にするようにして、イスラとビジュは奥まった位置に佇んだまま。
 アズリアは――そう視線をめぐらせて、傍のギャレオ共々、呆然としている女傑を見、彼女たちがこの戦いに出てくることはないだろう、と、は気まずく判断した。
 兵士たちは有象無象、叩くべきはビジュ、そして――イスラ。
 あのふたりさえふんじばれば、アズリアに指揮権が戻る。たぶん。
 そうすれば、交渉の余地もあろう。たぶん。
「……ごめんなさい……」
「え?」
 不意に届いた声に振り返れば、アティが、震えながらに頭を下げていた。
「ごめん……なさ……っ、イスラさ……考え……って、云っ……くれた、のに……!」
「アティ、今は――」
 そういうことを云っている場合じゃないだろう、そんな意図のことばを紡ごうとしたんだろうレックスも、ちらりと、実に後ろめたさ炸裂の視線をに投げかけた。
 ……何なんだ。
 ちょっと首を傾げて、思いつく。
 たぶん、レックスとアティも、イスラの素性に関して何かの情報を得てたんだろう。でなければ、友達だったに対してこんな表情をする理由がない。
 切れ切れのアティのことばから推測できるのは、その件でイスラと話すことがあって、そのときはまだ交渉の余地があるような様子を、彼が見せていた――というところだろうか。真相の程は、やはり定かではないけれど。
 ……ていうか、推測ばっかりで動けないのは何よりバカらしいですよねルヴァイド様。
「まあ、それはそれとして。今はイスラとビジュをとっちめましょう」
 ぽむっ、と肩を叩いて、はふたりに笑いかけた。
 わりと距離を置いて交わしてたはずの会話は、だけど、いかなる不思議だろう。すでに巻き起こっていた戦いの喧騒にも負けず、陣営奥のイスラたちにしっかり届いたらしかった。
「出来るの?」
「出来るよ」
 からかうように投げられた声に、レックスとアティはことばを失い――は、バルレルをお手本に、にんまり笑って応じた。
 一度レックスたちに向いた視線を、再び前へと戻す。
 逆に、イスラが軽く瞠目しているのが見えて、してやったり的満足感。
「開き直りは得意だし」
 肩をすくめて云い切って、地を蹴った。
 白く輝く剣を抜いてはみたが、それで兵士たちを切り捨てるつもりはない。
「――――ッ!?」
「そ、それは……!?」
 あえかに灯った輝きを見て、兵士たちの間に、それと判るほどはっきりした動揺が走る。
 思ったとおり。
 色こそ違えど自力発光する剣を出せば、まずあの魔剣との関係が連想される。
 これまで数度、レックスとアティの抜剣とその後の強さを見てきた兵士たちには、それだけでも充分脅威に映るはずだった。
「おっ、来たか!」
 すでに陣営の半ばまで特攻していたカイルが、ざわめきに振り返って笑みを見せる。ふるわれる拳は、向かってくる兵士たちを次々に昏倒させていた。
 時折受ける攻撃を気にする素振りも見せず、カイルは攻撃にのみ専念する――それが出来るのは、ヤードとアリーゼが、共にピコリットを待機させ、ちょっとでも傷が入ればすぐさま癒しの光を飛ばしているからだ。
 そんな後衛を守るのが、ウィル。それにメイメイ。
 突出したカイルに攻撃が集中しているため、兵士たちの刃を向けられることはまずないが、たまに、思い出したように打ち込まれる飛び道具を残らず叩き落とし、薙ぎ払っていた。
 一方のメイメイは、余裕の千鳥足で兵士を翻弄中。酔っ払いに茶化されおちょくられ、挙句に攻撃をひらひら回避され、激昂した兵士たちの数名は彼女にかかりっきりだ。
 そうしては、
「来ました!」
 笑って応じ、つい、と親指で後ろを示す。
 一歩遅れて足を踏み出したレックスが、ぴたりと後ろについていた。アティはウィルたちの援護に入っている。煩い弓兵が、彼女の召喚術で数を減らし始めた。
「あははははっ、結局力で向かってくるんだね!」
 何がおかしいのか、哄笑とともにイスラが云い、手のひらから光を放つ。――って、おい。
 迸る紫の光を見て、は絶句。
 召喚術まで使えたんかイスラ! もとい、帝国兵士なら当然のたしなみか!
「させるか……ッ!?」
「おーっと、テメエは俺の獲物だぜ! ヒッヒッヒ……」
 イスラの前まで突っ込もうとしたの前に、喉を鳴らしながら、ビジュが割り込んだ。
「だああぁぁ、うっとーしー!」
 大振りの一撃を、ビジュは危なげなく躱す。
 油断やら動揺やら激昂やらしてない限り、この男も戦闘においてはそれなりに優秀ということなのか。
 対峙するのは、すでに数度。
 慣れとはまた違うのだろうが、今、と向かい合うビジュに、少なくとも初対面時の激昂は見られない。深い憎しみやら怒りやらはその目にあるが、確実に、それは相手を屠る力に変換されているようだ。
 前進しようとしていた足を止め、横に飛ぶ。途端、一瞬足をつけた石畳に、ビジュの放った投具が数個、硬い音をたてて石を抉り飛ばしていた。
「イスラ――――!」
 その横を、レックスが走り抜ける。ちょっかいを出そうとする兵士たちは、カイル、そしていつの間に前線に出てきてたんだろう、ミスミが蹴散らしていた。
 に集中しているビジュは、レックスにはノーマーク。それでもイスラは何も云わない。元々、割り振られた役目だったのか。
 けれど。
 振りかぶられた大剣が下ろされるより、召喚術の発動のほうが早い――
「刻まれし痛苦において、イスラ・レヴィノスが命じる! 闇より深き翼よ、来たれ!」
 早口に紡がれた呪に応え、イスラとレックスの間に黒い風が出現した。
「……ッ!?」
 一瞬たたらを踏んだレックスを、黒い風が取り囲む。遠目から見たならば、それが、実体を持たぬ無数の蝙蝠が集まっているものだと判ったろう。
 そうして。
 黒い風が飛び去った直後、レックスは、ふらりと身体を傾がせていた。――さながら、吸血鬼に精を吸い取られた生贄のように。
「レックス!?」
「……くっ」
 剣を握る手を力なく落とし、レックスは頭を抑えて――どうにか姿勢を保つことに成功する。
 本当に、どうにかとしか云いようがない。今、勢いよくイスラに向かっていったのが、嘘のようだ。
 背後から、ヤードの声が飛ぶ。
「――憑依召喚術です!」
「当たり」
 レックスから距離をとるように後退し、イスラが笑った。
「放っておくと、どんどん生命力を吸い取られるよ」
「甘い! こっちには呪い師が――って、ああ、いない!!」
 以前、まじないとやらでの沈黙を治癒してくれた、密林の呪い師。ヤッファは、キュウマとともに郷の者を逃がすため、この場を離れた。
 それを忘れて呼びかけようとした、途中でそれに気づいて頭を抱え、その隙をついて投げられた投具を、あわや回避成功。
 直後。
 騒然としかけた一行に、優しげな声が届く。
「動くでないぞ、レックス」
 軽やかに兵たちの間を縫ってきたミスミが、懐から取り出した扇で、レックスの肩から背をなでる。やわらかな光がそこに走り、蒼白かった彼の顔に、みるみる生気が戻ってきた。
「ミスミ様!」
「祓いは、メイトルパの民だけの特権ではないわ」
 ふん、とちょっぴり自慢げに笑んで、扇をしまうミスミ。
「ありがとうございます」
「礼は要らぬぞ。あやつを折檻するためじゃからな」
 軽く頭を下げたレックスに応じ、続いて振るわれた腕を基点として、再び風の刃がほとばしる。
 風は迫ろうとしていた兵士たちを弾き飛ばし、致命傷にはなり得ぬ程度の傷を彼らに負わせていた。痛みは人の動きを鈍らせる。
 恐怖、畏怖も、また然り。
 未だ白い剣に尻込みしている兵士たちを見て、イスラが声を張り上げた。
「彼女の剣は、あの魔剣じゃない! 切れ味はあるようだけど、当てられないように気をつければいいだけだ!」
「……うわ。ばれてる」
 そりゃ、色見ればばれるがな。――と、誰かがどこかでつっこんだ。
「ヒッヒッヒ、死ねェ!」
「死ぬかッ!」
 遠くを眺めた視界の端に、自身、そして退路をも塞ぐ形で迫る、複数の投具。
 それを、一拍一瞬でも早く迫るものから順に、叩き落す。
 一、二、三――――八、九――――
「最後ッ!」
 キン、と、眉間を狙った十一本目を石畳に転がして、はビジュに向かって踏み込む。

「チッ!?」
 懐に伸ばしかけていた手を、ビジュは、仕方なく剣の柄に移動させる。金属の擦れる音をたてて引き抜かれた剣は、軋みを上げて白い刃を受け止めた。
 女の細腕と侮るつもりは、今の彼にはなかった。
 数度交えた剣戟で、相手の技量はある程度把握している。小柄な身体を生かした踏み込みの速さ、翻弄の巧みさ。そのくせに、なりふり構っていないのではないかと思わせるほどに、実際の攻撃は重いのだ。
 手習いやたしなみに剣術を習った程度の者では、それはけっして繰り出せない。
 旧王国のスパイ、軍人。
 以前揶揄と挑発のために云ったことがあったが、今では、少なくともこの女が戦場――それも、けっして少なくない数――を駆けたことがあるのだと、確信している。

 ぎち、と、双方の剣が軋んだ。
 だがそれも一瞬。
 次には、耳障りな摩擦音をたてて剣は離れ、持ち主たちもまた距離をおいていた。
「……」
 ビジュの挙動に注意を払いながら、は、イスラに向かおうとするレックスたちを横目に見る。
 ほんのわずかとはいえ足止めをくらっていた間に、彼らの間には動ける兵士たちが割り込んできていた。陣の奥にはイスラ、そしてアズリアとギャレオがいる。守ろうと考えるのも自然のことだろう。
 苛立たしげに拳を繰り出すカイル、不殺を旨とするためか、相手がイスラだからか――いまいち、冴えなく振るわれるレックスの剣。ミスミは、至近距離で集団を相手にすることには少々無理があるようだ。
 兵士たちをすべて無力化するのは、時間的にも戦力的にも難しい。だいたい、気絶させる程度じゃ、誰かが蹴り起こせば同じ。
 ならば、一度にこの場すべての者をどうにかするしかないのだが……
「――え?」
 唐突に、殺気がの傍から失せた。
 あわてて振り返ると、間合いをはかっていたはずのビジュが、大きく後退したところ。後方、イスラたちの近くに。
 時を同じくして、前方からつめていた兵士たちを退けたらしいアティたちがこちらと合流しようと駆け寄る気配、複数の足音。
「行くぜえぇぇぇぇッ!」
 間をおかずに響く、カイルの咆哮。
 一斉に身を退いた兵士たちの分を埋めるかのように、レックスと並んで奥へと走る――!

 ちり。ちりり。
 右腕が、疼く。

「――――行け」

 イスラが、右腕を持ち上げた。それが合図。

 この場に出てきていた兵士はすべて、剣や弓といった武器を手にしていた。
 そして。
 たった今、合図とともに周囲の茂みから姿を見せたのは、ローブに身を包んだ召喚兵士。

「ッ!?」

 突如生まれた無数の敵意に反応したか、カイルたちの足が鈍る。気にせず前進していれば、イスラに一発くらい叩きこめたかもしれない――どちらにせよ、決定打にはならなかったろうが。
 そして、今はなお悪い。
 足を止めたカイルたち、後方から走ってきていたアティたち、そして、その中間でやりあっていたやミスミ。
 集められた彼らの視界のそこかしこで、光が無数に輝きだした。
 云うまでもない。
 召喚の門を開く光だ。
「……図りおったな!」
 ミスミが悔しげにうめく。
「――」
 何も答えず、イスラは勝ち誇った笑みを浮かべていた。
 これから展開されるのは、ゆうに十を越える召喚術の重ねがけだ。何が出るか予想のしようもないが、ヤードのような召喚師ならともかく、召喚術をかじった程度のやレックスたちが耐えられるかどうか、それがかなり分の悪い賭けになることは目に見えている。
 ――いや。
 賭けどころか、万が一以上の確率で、命も危ない。
 防がなければ。
 防ぐ手段を知っているなら、持っているなら。
 それを、行使しなければならない――

 だけど。
 ここで出すのか、あれを。
 一気に自分を追い詰めかねない、あの白い焔――メイメイもいるここで、まして世界に居場所を自白しかねないあれを、出すのか。
 でも、出せば止められる。かき消せる。

 ちり、と。
 右腕が疼いた。

 だけど。
 それをしたら、もう、――

 ……りぃん、と。
 懐かしい、銀の音がした。

 それに、背中を押されたように思う。――実際、押してくれたのだろうか。
 あの遠い明日、何度も励ましてくれた、銀の音。
 迷うな。
 動け。
 振り返るのは終わってからだ。

 ――りぃん、と。
 銀の音が、響いた。

 動け。
 行うは、そのとき自分が最善と信じることを。

 ――そうやって。走り抜けて。今も、そうして走っているのだから――

 それは長かったのか。短かったのか。
 実際の時間としては、一秒もなかったはずだ。
「やめろおおぉぉぉぉッ!!」
 響いたレックスの絶叫と、
「だめ――――――!!」
 喉をも潰さんとするアティの悲鳴。
 が我に返ったそのときにも、まだ、術はひとつたりとて発動していなかったのだから。

「――――」

 視界の端に、鮮やかな碧の光が見えた。

 その意味を深く考えることもなく、右腕を伝う鼓動に意識を重ねる。
 サイジェントで、バルレルや、あの人に手ほどきを受けたおかげだろうか。
 応えて、と。
 願ったそれに呼応して、するり、何かが流れ込む。

 応えて。
 あたしはここにいる。

 ここにいる“”の声が聞こえるなら、――――

「来い……!」

 ――――応え――

「来て――!」

 ……!

 その刹那、響いたふたりの声に。
 世界へと伸ばそうとしていた手を、意志を、は中断する。
 手の届かぬ位置にあったはずの、碧の刀身。それが視界の端にある。
 それは、つまり――
「……っ、待っ――!」
 流れ込む何かを、懸命に留める。
 だけど、もう止まらない。
 一方通行の入口をくぐった力は、一方通行の出口から出してやらねば、途中の通路で荒れ狂う。
 だけど、せめて。

 ……せめて……誤魔化せる程度にして……っ!

 切実な、願い。懇願。
 それに応えたかのように――その現象は起こっていた。

 碧。
 碧。
 ――ただ、碧。

 碧の光が、顕現する。


 目も眩め。
 意識も眩め。
 ありとあらゆるもの、ここに現じた光に呑まれよ。

 競い合うように。
 せめぎあうように。
 ……その場の主導権を、取り合うように。
 ふたつの位置から発された、碧の光が広がろうとする。

「――――――」

 誰もが。本当に、誰もが。
 そのときばかりはすべてを忘れ、すべてを置き去り、光に見入った。
 ただひとり、
「……どうして、君が」
 つぶやいた、その者だけを除いて。


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