「ふざ 「あほかああぁぁぁぁぁぁッ!」
誰かがあげようとした罵声をかき消して、はめいっぱい叫んでいた。そりゃもう、力の限り。
それまで漂っていた緊迫感は、その時点できれいさっぱり吹き飛んだ。
急激に酸素を取り込んで排出した肺が悲鳴をあげたが、そんなのは一時のことである。あとでツケがきても、今は知ったことではない。
ぱちくりと目を見開いたイスラが妙にかわいらしい――よほど虚を突かれたのだろう、何しろ、呆気にとられた他のみんなの視線も一気にこちらに集まってるくらいだし――が、それも知ったことではない。
「云うに事欠いて殺しあえ!? 何考えてるのよあんたはッ!!」
だが、勢いはそこまで。
「何って。剣を一本に戻すこと」
判りきったことを訊かれたような顔のイスラの返答に、突きつけた指は力なく落っこちる。
「あ……あんたねえ……っ!」
たしかに、所有者候補がふたりいるから剣はふたつに分かれた、とかなんとか、以前聞いた気がする。現状で、相手がそう推測することも……虚空に出現する剣を見た今では、勘の良い者なら出来るだろう。
ならば、再び一本に戻すには、所有者のどちらかを。
そう考えられないこともないが、確証というものがない。まったくない。
あったとしても、実行など出来ようはずがあるか――!
「いいじゃない。こっちも手間が省けるし――でもそうだね、最初の要求と食い違っちゃったから……誠意を表して、先に人質は解放してあげるよ」
「え?」
項垂れかけた頭を途中で止めて、は再び境内を仰いだ。
その耳に、軽い足音が届く。ひとりぶん。
「ははうえっ!」
ビジュの手から解放されたスバルが、こちら目掛けてすっ飛んできていた。
「スバル!」
それを抱きとめるミスミ。
感激的な、親子再会のシーンである。……郷の他の者たちが、未だに解放されていないことを考えなければ、だが。
「解放するんじゃないの!?」
それを指摘して、ソノラが怒鳴る。
「うん。解放はしたよ。魔剣と引き替え予定だった、その子はね」
応じるイスラは、どこまでも余裕の姿勢を崩さない。
小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、視線を、ソノラからレックスたちに動かした。
「あっちの奴らの対価は――……云わなくても、判るだろう?」
「……アンタ、それじゃあ最初から」
「そういうこと」
スカーレルの台詞は、問いではなく確信だった。
応え、イスラは軽く頷く。
「誰かのために死ねるんだ、君たちにとっては本望だろう?」
「――――」
頭を殴られたような衝撃といっしょに、“それ”が脳裏に映し出された。耳の奥で、木霊した。
――――泣かないで。
――――――っていて。
遠く。
土煙の向こうに消えた、黒い背中。
紅く。
染まりながら、抱いて、告げた人。
……遠い遠い、時間の向こう。
誰かのために砕けた、機械兵士。
誰かを庇いつづけて息絶えた、夫婦。
「―――――――――っ」、
「わかった」
しばしの間をおいて。
上下したふたつの頭を、全員が信じられない思いで見つめる。
が硬直から脱するよりも、レックスとアティが動くほうが早かった。
ただ、それだけのことだった。
「あははははははっ!」
イスラの笑い声が響く。
「本気で殺し合うんだ? ――お人好しなのか、バカなのか……理解に苦しむね」
――まあ、こちらにとっては大助かりだけどさ。
普段ならやり返すだろうソノラやカイルは、それに反応することも出来ないようだった。
あっさりと自害を受け入れたレックスとアティに対する驚愕に、心を占められているのだろう。それは、その場の全員が同じことだ。
だって。
レックスと、アティ。
殺し合えといわれた向かい合ったふたりは、これから行うことを想像もさせないくらい、穏やかに微笑んでいたのだから。
……その笑みに。
どうしてか、強い、憤りを覚えた。
どうして。判らない。
だけど、彼らを怒らなければならないと――強く。理由も把握できぬまま、強く、思ったのだ。
だが、うまく形にならない衝動は、行き場なく心を駆け巡るばかり。
動かさなくちゃいけない身体は凍りついたまま、レックスとアティが、のろのろと――別に持っていた剣を抜き放つ光景を、網膜に映し出すばかり。
ちりり、と。
右腕が疼いて、
唯一、意志だけで動員できる力を、思い出した。
「イスラ、もうやめろ……ッ!!」
悲痛なアズリアの叫びが響いたのは、その瞬間。
レックス、アティ、――全員が。
ばね仕掛けのように、びくん、と震え、硬直から解き放たれる。
「アズリア……?」
どこかぼうっとした声で、アティがかつての友人を呼んだ。
叫んだアズリアは、彼女の声に応える余裕もないようで。大股で弟に詰め寄り、その肩をつかむ。
「やめてくれ、イスラ……! 私は、これ以上おまえにこんなことをさせたくない……っ!」
「……姉さん」
今にも泣き出してしまいそうに表情を歪めた姉を見て、イスラがわずかに動揺を見せた。
それが好機。
抱いていた我が子を地面におろし、ミスミが大きく腕を振り上げる。
優雅に、だが豪風にも勝る勢いで天を向いた腕にまとうは、視認出来るほどに荒れ狂う風の渦――!
「荒れ狂え、風刃!」
言霊と、腕が、それを発動する。
――轟ッ、と、大気が鳴動した。
ミスミを中心に発動した術は、周囲の空気を無理矢理に集め、その場に竜巻めいた風の渦を作り出した。
「ぐ……ッ!?」
「うあああぁぁ!」
あがる悲鳴。それは、主に帝国軍兵士たちのものだ。
操り手がミスミだからだろうか? 風は、人質を取り囲んでいた兵士を乱暴に攫い、なぎ倒し、傷を負わせながら、その一方で郷の者たちを守るように包み込む。
「キュウマ!」
「承知!」
主の声を受け、キュウマが人質たちのところへ向かう。一歩遅れて、ヤッファが追った。
少し驚いた表情でヤッファを見たキュウマは、だが、ひとつ頷いて、すぐに己のやるべきを行う。あわててこの場から逃げ出そうとした郷の者たちに声をかけ、ヤッファとともに道を確保する。
「ソノラ、スカーレル! 行って来い!」
「はいはい、ガチンコはカイルに任せるわ」
「露払いなら任せて!」
船長の指示が飛ぶ。
少し遅れて走り出したスカーレルとソノラは、避難する人質に追いすがろうとする兵士たちを抑えるため、少々大回りをして退路の殿に走りこんだ。
「さ、スバル、パナシェ。おまえたちもじゃ」
「でも、母上!」
「戦いになれば巻き込まれる、早う行け。皆の足手まといになりたいのか?」
「……スバル……っ」
「〜〜〜、ああもう判ったよ! パナシェ、おいらより兄ちゃんなんだから泣くなよぉっ!」
ミスミに諭されたスバルが、涙をこぼすパナシェを引っ張って走り出す。
選んだ道は、人質が逃げたのと逆方向。こちらはやレックスたちが盾になる形もあって、彼らを追う兵士はいない。よしんば伏兵が潜んでいたとしても数は少なかろうし、
「オレたちも行ってくる!」
ナップがそう云って、ベルフラウと共に走り出した。こちらも、任せておいてだいじょうぶだろう。
そうして、その場に残るは帝国軍。
それと相対する、レックスたち。
「……あーあ」
さして残念がってもない様子で、イスラがごちた。
「姉さんのせいで逃げられちゃったじゃないか、せっかくうまく行ってたのに」
「……っ」
それ以上責める素振りはないけれど、アズリアは身を硬くして弟のことばを聞いていた。
なんというか、見ているのほうが、よほどいたたまれない気分にさせられる。
が、今はアズリアに同情している場合ではない。
「……」
唇を一文字に引き結んで、ミスミが前に出た。着物の陰にでも隠し持っていたのだろうか、いつの間にか手にしていた槍で、ビッ、と帝国軍を指し示し。
傍目にも判る鮮やかな怒りに彩られた鬼姫が、戦いの始まりを宣言する――!
「覚悟しいや、外道ども!」