……本当を、置いて行くから。
……君に、本当を、置いて行くから。
……それが嘘になってしまっても、あの瞬間は、本当だから。
レックスたちが駆けつけてくるのは、予想外に早かった。キュウマが鳥を放った時間、ここにたちが到着するまでの時間を考えると、もう少しはかかりそうなものだったのだが――たった今駆けつけたなかのひとり、ベルフラウの帽子につかまっているマルルゥを見て、納得はいった。
「……ああ。生きてたんだ、その羽虫」
マルルゥを一瞥し、イスラが笑う。
そういえば、ユクレス村に送ると云って行ったのだ――マルルゥが迎えに出て、現場に遭遇したのだろうか。ちらりと後ろを振り返ると、ヤッファの姿も見えた。
「まさかと思ったけど……」
イスラを睨みつけて、レックスが前に出た。ベルフラウとマルルゥを、背中に庇うようにして。
「事情は、その羽虫から聞いたんだね? ……どうりで早いと思ったよ」
「マルルゥは虫じゃありません! マルルゥですっ!!」
どこか見当違いなところで怒っているマルルゥを、あわててベルフラウとヤッファが押さえ込んだ。
もうちょっと空気が穏やかだったら、彼女と一緒に怒ってあげられもするのだが――いかんせん、もっと切羽詰った問題が目の前にある。
そんな彼女たちを見て、イスラはクスクスと笑みこぼす。
「うん、でもちょうどよかったよ。こっちも到着したから」
「……到着?」
いぶかしげにつぶやいたのは、誰だろう。
それに応えたわけでもなかろうが、先ほど兵士たちが出てきた茂みが、再度揺れた。
新たに現れた人影は、十とちょっと。
そのなかに、あきらかに見覚えのある人物を見つけ、たちに動揺が走る。
「――アズリア――!」
「…………」
アティの声に、アズリアは気まずそうに視線を逸らす。真剣一直線が印象の彼女を知るには、それがやけに不安を誘った。
傍らに立つ、ギャレオの表情も似たりよったりだった。
よくよく見れば、その他大勢の兵士たちのなかにも、戸惑いを浮かべている者がいる。多くはないけれど、少なくもない。
今回のこれは、半ばイスラの独断なのだろうか……?
って、いやまて。
だから、イスラは、いつ記憶が戻ったのさ。
「何、間抜けな顔してるの?」
疑問符だらけのの表情から読み取ったのか、はたまた、戸惑いも露なレックスたちから読み取ったのか。
脳裏に描いた問いの答えは、投げかけようとした相手から先んじて得られた。
「嘘に決まってるだろ、記憶喪失なんて」
バカ正直に信じてくれるんだもんなあ、君たちって――笑いながらイスラが云って。
「……ほお」
糸一本残して、の理性が吹っ飛んだ。
発したおどろおどろした声に、イスラではなく傍らのヤードが身を震わせた。
境内のイスラまで走っていって、首根っこ引っ掴んで怒鳴りつけてやりたい衝動を、はどうにかこうにか抑えつける。かろうじて一本残すことに成功した理性がなかったら、スバルの存在さえ頭から消えていただろう。
――要するに。
それくらい、頭に来た。
「最初からだましてたのかよ!?」
ナップが叫ぶ。イスラが頷く。……笑ってる。
こういうときには真っ先にくってかかりそうなレックスたちは、だが、蒼ざめた顔で、何故かとイスラを見比べるだけだった。特に、アティにその兆候が大きい。
だが、イスラをはじめとする帝国軍には、こちらの事情などどうでもいいらしい。
「全員揃ったことだし――さっそく、取引といこうか」
悠然とイスラがつぶやいて、レックスとアティを均等に眺めた。
「魔剣を引き渡してくれたら、人質は返すよ。どう? 高い買い物じゃないでしょ?」
「テメエ、ふざけんな……ッ!」
「海賊は黙っててよ。僕が交渉してるのは、先生たちなんだから」
人質という枷がなければ今にも飛び掛っていきそうなカイルを軽くいなして、イスラはレックスたちへとことばを重ねる。
けれども、実は交渉する必要などないのだ。
スバルや、郷の皆の命を天秤にかけた時点で――レックスとアティの出す答えを、その場の誰もが知っていた。
知っているからこそイスラは優位を崩さないのだし、カイルの声にも本来の力がこもらない。
そんななか。
指名を受けたふたりが、前に出た。
歩み出るふたりを止める者はいない。――あちらは当然、そしてこちらも。
「先生……」
「……」
子供たちの呼びかけに、ふたりは振り返って微笑んだ。
数歩進み出て、レックスとアティは目を閉じる。
背中に感じる視線は、痛いほどに強かった。――こちらの身を案じてくれている、その気持ちは嬉しい。
……喚びかける。
深く、深く、己の裡に。
普段は沈み、たゆたっている、その存在に喚びかける。
自分ではない意志に、喚びかける。
ドクン
熱が生まれた。
最奥から、じわじわと広がり――爆発的に、それは加速する。
瞬間の空白さえもなく、熱は身体中を駆け巡る。
それが頂点に達したとき、ふたりは、同時に、その名を喚んだ。
おいで、と。
来てくれ、と。
「――シャルトス」
鮮烈な碧の光が。
ふたりの意識を、そして、その場を塗り変えて迸る――
……光がひいていく。
迸ったのが一瞬なら、世界が染まったのも一瞬。
眩しさに閉じた瞼を持ち上げれば、すでにふたりの変貌は終わっていた。
「――――」
声もなく見守る一同の前で、白く変わったレックスとアティは、それぞれ手にした剣を掲げてみせる。境内のイスラに、見せつけるように。
それから、同時にそれをイスラに向けて投げた。同時に、ふたりの姿は普段のものに戻る。剣を手放したからだろうか。
そうして。
乾いた金属音がして、二本の剣が、イスラの足元に転がる。
……そこで、初めて、イスラの表情が笑み以外の感情を浮かべた。投げられた剣を拾おうともせず凝視して、
「二本?」
戸惑い混じりのそれに、あ、と数名が得心した。
「魔剣が分かれたことを……彼は知らなかったのですね」
「そりゃあ、普通想像もしねえだろ」
ヤードの零したつぶやきに、ヤッファがぼそりと応じた。
「どちらかが偽物……ってわけでもなさそうだね。どちらも本物なのか」
じ、と剣を凝視していたイスラが、ヤードとヤッファのやりとりなど聞こえてない素振りでつぶやく。
なんで判るんだそんなの――と一瞬思うが、ふたりとも変貌してれば、それも無理ないか。
「困るなあ、勝手に剣を分けちゃうなんて……非常識だよ、君たち」
また一本に戻さないと、持って帰れないじゃないか、と。自分でもかなり非常識、もとい実現の難しいことを云いながら、イスラは一歩前に出た。
「とりあえず、返してもらおうか」
云って剣を拾い、少し離れた場所にいるアズリアに手渡した。
「はい、姉さん。今度は、こんなことにならないようにね」
「……イスラ、私は――」
「二本だと困る? だいじょうぶ、今から解決するよ」
何か云いたげなアズリアのことばをかき消して、こちらを振り返るイスラ。
彼の浮かべる表情は――笑みのまま。
だが、その口の端が、よりいっそうつり上がる。
不吉な笑みを作って、イスラは、
「……それじゃ、君たち、ちょっと殺しあって」
実に、軽やかに。
実に、物騒なことを。
レックスとアティに、告げた。