パナシェの報告を嘘だと切り捨てるのも、疑うのも簡単だ。
だが、何より簡単なのは、スバルを人質にとった人物が待っているというその場所に急行して、本人の顔を拝むこと。
集いの泉にいるだろうレックスたちへ、キュウマが鳥を放つや否や、たちは指定された場所へ駆け出した。パナシェもいっしょだ。
ただし、彼はその前にも全力疾走してて疲労困憊だったため、キュウマがおぶっていく形になった。それでも足が衰えないのだから、大したものである。
それから、ミスミ。さすがに今回は我が子の命がかかっているのだ、共に駆け出す彼女を、誰も止めはしなかった。
それは、当然のことだ。
だが、一時的に空になってしまった御殿を、その時点でなり誰かなりが振り返るべきではなかったろうか――などと思い至るのは、あとのこと。
わき目もふらずに走り出した一行の誰も、そうはせず。
結果として、御殿が空になるや否や動き出した、それまで気配を消していた複数の人影に気づく者はいなかった。
……そうして、走ること、しばらく。
たちは、そこへ辿り着いた。
距離的にそう遠くない場所だったため――なにしろ、指定された場所は郷の外れ、たちが最初に訪れた、赤い鳥居のある場所なのだから――まだ、誰も来ていない。
レックスたち、アティたち、カイルたち……
それに、
「いないじゃん人質も脅迫者もッ!」
があっ、と怒鳴ったの声が、空しく、無人の境内に響き渡った。
初日以来訪れていないこの場所だが、どこか薄ら寂しい雰囲気は変わっていない。ざわめきこそないものの、あの日見た物の怪たちが、いつそこらから出てきてもおかしくなかった。
だが、そんな予感に反して、境内は静まり返っている。
鳥居をくぐって少し歩いた場所には小さなお社が見えるが、そこまで行ったとしても、おそらく無人であるということは変わりなかろう。
「……パナシェ、寝ぼけたりはしてないよね?」
以上見て取って、は、おずおずとパナシェを振り返った。
ちょっぴり期待を込めた問いかけに、けれど、彼はぶんぶんと首を横に振る。
「ウソだったらボクだってうれしいよ! でも、イスラさん、ボクに剣を突きつけて云ったんだ……っ!」
「…………」
頭を抱えるしかない。正直。
他の何をしろと、どんなリアクションをしろというのだ。
「さん……」
気遣うような声とともに、ヤードがの肩に手を置いた。そこに含まれた慰めと、戸惑いを受けて、……それでも、顔が上げられない。
だって、イスラ記憶喪失なんだぞ。
たしかにアズリアさんと逢わせて姉弟の裏はとったけど、でも、そのアズリアさんが、イスラは戦いの場には出さないって云ったんだぞ。あのひとが、その決定を覆すとは思えない。
たとえこちら側とあちら側っていう対立構図が出来てたって、そこらへんの筋は通す人だと思うし。
でも、じゃあなんでイスラは魔剣目当てにスバルをかっ攫う?
それは――帝国軍人としての目的以外に、理由なんてないだろう。
それじゃ記憶が戻ったのか? だとしても、アズリアさん――――
「殿」
厳しいキュウマの声が、の思考を打ち切った。
さすがに応えないわけにもいかず、のろのろと顔を上げた先にあったのは、敵を待ち受ける戦士の表情。
「パナシェ殿の言が事実であれば―― 「判ってます」
彼の台詞を途中で打ち切って、は告げた。
頭を左右に振って、思考の残滓を振り払う。
今、この状況。パナシェの証言が事実であるなら、非があるのはあきらかにイスラの側だと、だって理解はする。
するけど……さすがに、ついさっきまで笑いあってた相手のことを、害する発言って、あんまり聞きたくない。
「……」
ことがことであるためか、メイメイの表情もさすがに険しい。
ミスミに至ってはいわずもがなだ。
「外道め……」
「…………」
もう、何を云えばいいのか――もう、何も云えない。
胸をしぼりあげる不安を吐き出す形を探して……出てきたのは、今回の主犯ともいえる相手への、恨みがましいことばだった。
「……バカイスラ……何考えてんのよ……」
「――バカなんてひどいなあ、」
語尾が空気に消えると同時、その声が、一同の耳を打った。
「!」
ばっ、と、全員が同じタイミングで声のした方を振り返る。振り仰ぐ。
鳥居の向こう、たちのいる、竹やぶに囲まれた場所より開けたそこに、声の主はいた。
「……イスラ」
それは誰の声だったか。自身の声だったか。
かすかなそれを聞き取って、声の主――イスラは、にこりと微笑んだ。
「やあ。早かったね、もう少し時間がかかると思ってた……おかげで、こちらも助かったけど」
「何――?」
じり、と前に出ようとしたキュウマだったが、
「おっと。そこの犬から聞いただろ? こっちには人質がいるんだからね」
自身の優位を確信したイスラのことばを聞いて、電流でも流されたように動きを止めた。
イスラが、おもむろに背後を振り返る。
境内の茂みから、帝国軍と思しき――いや、ビジュが、じたばたと暴れる小さな子をつれて姿を現した。ヒッヒッヒ、という含み笑いが、こちらまで流れてくる。
「……っ、放せ、放せよっ!」
「スバル!!」
「母上……!!」
名を呼ぶ鬼姫に気づいて、スバルの表情が一瞬晴れる。が、ごく一瞬だ。
次の瞬間には、ビジュに腕をねじりあげられて、苦痛に顔を歪めた。
「黙ってろ、このガキ!」
「スバルっ!!」
友人の苦痛が伝わるのだろうか、パナシェが泣き出しそうに彼の名を呼んだ。
「スバル! ――イスラ、貴様……ッ!」
「常套文句だけど……動いたら、その子、死ぬよ」
淡々とした声でそう告げて、
「それに……彼らもね」
――それが、合図だった。
ざわ、と、周囲がざわめく。いや、ざわめいたのはイスラの周囲。
境内を囲むように存在している茂みから、いったいどこにこれほどの数が潜んでいたのかと疑いたくなるような数の兵士が、各々、“人質”を連れて姿を現した。
「郷の者を……っ!?」
人質の姿を見、キュウマが声をあげる。
「ヒヒッ、そういうことさ」
ビジュが勝ち誇った声をあげ、
「そいつらは、そのへんに固めておいてよ」
云ってイスラが手を振ると、兵士は、つれていた人質を一箇所に打ち集め、自分たちはその周囲へと展開した。防衛のためなんてわけがない、もしもこちらが刺激すれば、一網打尽に出来る陣営だ。
「ただでさえ火事騒ぎで浮き足立ってたし……護人さんも鬼姫さまもいなくなっちゃったからね、楽勝だったよ」
――それは、こちらの手落ちだ。
だが、今の台詞は引っかかる。
「それでは、火事は……」
ヤードの問いに、ビジュが刺青を歪めて笑う。
「まだ判らねえのか? 化け物どもを混乱させて気を散らすため、に決まってんだろうが」
「じゃあ――この郷で起こった小火騒ぎは!」
「当然。僕がやったんだよ」
敵意に囲まれ、震える住人たちには目もくれず、イスラは、鳥居のこちら側の面々を一巡してそう告げた。
視線が、ほんの一瞬、とぶつかった折に止まる。
「……」
きっ、と睨みつけると、イスラは笑った。挑発するように――嘲るように。
それで、戸惑いが別のものになる。
感情は感情のまま、ただ、別の名を冠する感情になる。
「……目的は」
名は、簡単だ。
肺に凝った空気の塊を押し出すようにして問うの声に、イスラは笑みを浮かべたまま応じる。
「先生たちの魔剣だよ。そう云ったでしょ」
「……そのために、こんなことを?」
簡単すぎて――いまさら、称すのもおこがましい。
さらに問いを重ねながら、は、身体の重心を右足に移した。
ガッ、と石畳を抉る鈍い音。
足元を狙って撃ち込まれた投具の位置は、もしも踏み出していれば爪先を削っていただろう。
「ヒヒヒ……、動くと死ぬって云われただろうが?」
いっそ動けとばかりに第二刃をちらつかせ、ビジュが云う。
それを手で制して、イスラは苦笑。
「危ないなあ……じっとしててよ、僕だって、好きでこんなことしてるんじゃないんだから」
「じゃあ今すぐやめなさい!!」
怒りも露に怒鳴りつけても、イスラにとってはそよ風ほどでしかないのだろうか。
「それは無理。だって、せっかく――――」
いらえの途中で視線を動かす。
たちを素通りして、その後ろ。
「……みんな……!」
駆けつけてきた、レックスたちを一瞥して。
「獲物が、かかってきてくれたのに……さ?」
好きでやってるんじゃない、そう云っておきながら、イスラの声はどこか楽しげだった――――