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【放火魔は誰だ】

- 調査の後・嵐の前哨 -



 などという疑問は、御殿でミスミと面会した瞬間に氷解した。
 挨拶もそこそこに、メイメイがどこからともなく――本当にどこからともなく――見事な反物を取り出してミスミに差し出した。
「これこれ。これを鬼姫さまに届けに来たの♪」
「おお、持ってきてくれたのじゃな、メイメイ殿。――うむ、見事な斜子織じゃ。それに、こちらは京華織か」
 渡されたふたつの反物を手に、ミスミはご機嫌そうだ。
 とヤードは顔を見合わせて、しげしげと、彼女の手にあるそれを眺め見た。
 渡された順番とミスミの台詞から推察するに、細かい方形の織り目があるものが斜子織、畝のある平地に紋様が織り上げられているものが京華織だろう。……それ以上のことは、さすがに判らない。
 ご満悦の鬼姫から目を転じてキュウマを見るが、彼もそういったものには疎いのだろう。首を傾げ、苦笑してみせるばかり。
「スバルの着物を新しくしつらえてやろうと思ってな。良いものがあったら分けてくれるように、以前頼んでおったのじゃ」
 さすがに、専門の職人でもないものが織るには限度があるからのう――怪訝な表情のたちを見て、ミスミがそう説明してくれた。
 そう云われれば、なるほど判らなくもない。
 たちがメイメイの店で見るのは日用品や武具の類が殆どだが、たぶん発注すればこういったものも取り寄せてくれるのだろう。どこから、なんて訊いてもきっと意味はない。メイメイの店だから。
「……じゃ、スバルくんの着物って、ミスミ様の手作りなんですか?」
「勿論。成長期じゃからな、次から次に小さくなって困っておる」
 困った口調でそう云うミスミの目は、だけど楽しそうだった。母親の楽しみ、というのだろうか。
 自身は母親になった経験がないから判らないけど、大事な家族のために何かをつくるときの楽しい気持ちなら、知っている。
「そうじゃ」
 口元をほころばせて、ミスミが手を打った。
にも、一着こしらえてやろう。どうじゃ?」
「へ!?」
「この間、わらわの使った分が中途半端に余ってしまってな。スバルの好みそうな紋様ではないからどうしようかと思っておったが、そなたにならきっと似合うぞ」
 唐突に向けられた矛先に一瞬うろたえたとは対照的に、ミスミはすっかり乗り気のようだった。
 手にした反物を脇に置き、ずずい、と膝を詰めてくる。
「え。あ、いえ、その」
「……要らぬか?」
 まるで予想もしなかった提案に、の思考はさっきメイメイにおちょくられたときのキュウマ状態だ。どもった彼女をどう思ったか、ミスミがちょっぴりつまらなさそうに云うのが、それに拍車をかけている。
 救いを求めてヤードを見るが、彼は彼で、実に微笑ましげにこちらの様子を見守ってくれているばかり。
「ミスミ様」
 そ、と、そこにキュウマの腕が割って入った。
「お心遣いは貴いですが、そう結論を急がれませんように」
「――おや。すまぬ。思いつきが楽しくて、つい、の」
 ぱちくり。
 またたきして、ミスミは改めてを眺め――そう、苦笑して退いた。
 助かった、と息をついてから、はミスミに向き直る。
「ありがとうございます。でも、今はその……いろいろ、大変ですから、また落ち着いてからで結構です」
 ――落ち着いたら。船が直ったら。
 自分たちは、この島を後にするだろう。
 判ってはいても、ミスミの心遣いを受ける余裕くらいはあると思いたい。
「そうねぇ、ちゃんってわりと着物が似合いそうだわ〜。もうちょっと髪の色が大人しいと、柄選ばないと思うんだけど」
 それが惜しいっちゃ惜しいわね、と、髪をひと房引っ張って、メイメイが云った。
 ……そりゃあ、日本人ですし。
 自分で云うのもなんだけど、着物はそれなりに似合うんじゃないかなーなんて思っちゃったですよ。
 メイメイの指摘どおり、今は髪と目の色が派手派手なので、柄は選ばないととんでもなくミスマッチなものが出来上がりそうだが。
「うむ。楽しみにしておいておくれ」
 の返答に、ミスミは満足そうに頷いた。頷いて――“大変”という単語に、当座の問題を思い起こしたのだろう、笑みを消して憤慨した表情をつくる。
 腕を組んで、「それにしても、帝国軍め」と、うなるようにそう云った。
「こそこそと、泥棒猫のように動きおって……いっそ、わらわの手でひっつかまえてやりたいものじゃ」
 ――それが本気だろうから、こわい。
 としては、アズリアはそんなことしない、と弁護したい気持ちもあるが、やりそうな人間が彼女の率いる部隊にいることを考えると、大きな声で主張できない。
 “帝国軍”と十把一絡げにしちゃえば、一人の責任は全員の責任になってしまうんだから。
 というか、ミスミ。彼女とて伊達に“鬼姫”と呼ばれて郷をまとめているわけじゃないのだろう。ミスミの夫、リクトは豪雷の将と名を馳せた豪傑だったというし、隣に立つ彼女もきっと、ただ傍に控えるだけの女ではなかったはずだ。
 彼女も出てくれるというなら、それはそれで頼もしいだろうが――
「ミスミ様、お気持ちは判りますが、やめておいたほうがよろしいと思います」
 の思ったことを、ヤードが先んじてことばにした。
「む。久方ぶりに、わらわも戦に出たいのにのう」
「……ミスミ様って、わりと好戦的なんですね」
 眉をしかめてごちるミスミを見て、は素直に感想を口にしていた。
 キュウマあたりから張っ倒されるかと思ったが、彼はミスミの挙動が気になるらしい。心なし、ではなく思いっきりはらはらとした顔で己の主君を見やって、ヤードの台詞に続ける。
「あなたまで戦に出られては、スバル様や郷はどうなりますか。どうか、そればかりは我慢をしてくださいませ」
「……むむ」
 息子のことを出されては、さしものミスミも、ぐうの音も出ないといったところか。
 これみよがしに大きなため息をついて、こくりと頭を上下させ、
「そうじゃな……わらわが軽率じゃった」
 以後慎むとしよう――と、実に残念そうに応じたのであった。
 それからすぐ、気を取り直したように外を見て、
「では、やはりスバルの着物でも仕立てるとするかのう……もうしばらくもすれば、戻ってくる頃合いであろうし」
 身の丈も計りなおさねばな、そう云いながら郷の入り口方面を見やる。
「そうですね、そうなさいませ」
 こちらも、これみよがしに安堵した声でキュウマが云った。
 そんな主従の様子を見て、とヤードは顔を見合わせ、苦笑して立ち上がった。
 ふたりに一歩遅れて、メイメイも身を起こす。ちょっとふらついたのは、ご愛嬌。「にゃは」と照れ笑いを浮かべる彼女をなまぬるく見守って、辞去の挨拶をするためにミスミに向き直る。
 やりとりで予想外に時間をくってしまったから、急いで待ち合わせ場所に行かなくては。きっと、もう、みんな待っているだろうし――
「ミスミ様」
 代表して、ヤードが声をかけた。
「……」
 が、ミスミは振り返らない。
 それどころか、キュウマも振り返らない。
 風雷の郷を束ねる主従は、何故か、外を見たまま動かない。

「?」

 今度は、とメイメイとヤード、三人で顔を見合わせた。
 何かしたっけ、自分たち。
「ミスミ様……?」
 疑問符をつけて呼びかけるが、やっぱり、ミスミもキュウマも動かない。
 だけど、その代わりに、ことばでもって応答があった。
「……なんでパナシェが戻ってくるのじゃ?」
「普通、逆であろうと存じますが」
 呆気にとられた鬼人ふたりのつぶやきに、
『は?』
 と、後方三名も合唱。
 わらわらと、ミスミたちの周囲に移動した彼らが見たものは。

 何故か。
 涙をぼたぼた流しながら、御殿に向かって疾走してくる、ユクレス村に帰ったはずのパナシェの姿。

 なんだなんだ、と、今度は総勢五名が顔を見合わせ、パナシェを出迎える。
 柵を越えれば早かろに、律儀に勝手口までまわってから庭に飛び込んできたパナシェは、一同の目の前に辿り着くと同時、力つきたようにへたりこんだ。
「何があったのじゃ?」
 ここまでくれば、事態がただならぬものだと、誰だって推測できよう。
 履物を履くのも惜しいとばかりにつっかけて庭におり、ミスミがパナシェに声をかけた。
 さすがに、これはキュウマも止めない。自らもまた庭におりて井戸から水を汲んでくると、ミスミと反対側に膝をつき、息をきらして喘ぐバウナスの子供を覗き込む。
 ふたりとも急かすようなことはしない。パナシェの息が整うまで、背をさすってやったり、水を渡してやったり。
 そうしている間に、たちも庭におりてパナシェを囲んだ。
 普段の彼なら、こうも大勢に囲まれたら緊張しておたおたするのだが、今日はそんな余裕もないらしい。キュウマから渡された水を両手で抱えていたが、やっと息が整ってきた頃にそれに気づき、あわててあおって盛大に咳き込んだ。
「お、落ち着いて落ち着いて」
 見てられず、も手を伸ばしてパナシェの背をさすってやる。
 咳を十数回ほど数えて、やっと、パナシェが顔をあげた。涙ぼろぼろ、鼻水も出てる。
「……何があったのじゃ?」
 再度、ミスミが問うた。
 表情は険しいが、パナシェの心情を慮ってだろう、声は優しい。
 それに促されるようにして、パナシェは、ここに来てやっと口を開いてことばを発した。
「ス、スバルが……っ」
「スバル様が!?」
 我を忘れて詰め寄ろうとしたキュウマを、すかさずは抑え込む。
 せっかくミスミが配慮してやっているのに、それを台無しにしてどーする気だ、シノビ。
 一瞬顔を引きつらせてのけぞったパナシェだが、もう一度ミスミが優しく促してやって、事なきを得た。が、息は整っても相変わらず涙は止まらないし鼻水はぐしゅぐしゅだし――実際、単語の合間にすすりあげる音が混じってたりするわけだが、それを除けば、パナシェが告げたことは実に単純明快だった。

「スバルが……っ、攫われて……! 命が惜しかったら、先生たちの魔剣を持ってこいって……!!」

 瞬間。
 空気が凍結した。

「……スバルが」

 直後。
 空気が沸騰した。

「攫われたじゃと!? 何者にじゃ!?」

 さきほどまでの落ち着いた様子をかなぐりすてて、ミスミがパナシェに詰め寄った。
 キュウマを抑えているには彼女を止めることは出来ず、あわてて手を出そうとしたヤードは、鬼姫の気迫に圧されて、逆に身をのけぞらせている。
 が、パナシェも、その一言を云ったおかげで堰が吹っ飛んだらしく、泣き叫びながらではあるけれど、鬼姫の問いにちゃんと答えた。

「イ……イスラさん……っ、が……!」

 瞬間。
 の思考が停止した。

 ――――なんだってか?

 頭に浮かんだのは、ただ、それだけ。


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