目覚めたら。
「うわ」
何故か、目の前にアティがいた。
「…………」
上体を起こしかけた姿勢のまま、思わずのけぞったを、アティはなんともいえぬ表情で見つめている。
いつも浮かべてる微笑みは消え去っていて、真剣そのもの。
「ん〜……? どしたの……?」
の行動で起きた振動で、ソノラも、明け方の浅い眠りから引き上げられたらしい。枕元のプニムは、そんなささやかな騒動には気づかぬまま、鼻ちょうちんぷくー。
まあ、明け方といっても、ようやく空が白み始めたばかりだ。こんな時間に起きてるのは、カイルやといった早起き組くらい。食事当番の人だって、起きるのは太陽が姿を見せてから。
早起き組には、レックスやアティも含まれる。子供たちは除外だ。よく寝て育て。
だから、アティがこの時間に起きているのは、別に不自然なことでもなんでもないことのはずなんだけど……いかんせん、この部屋にいるってことと、なにより彼女の表情が不自然だ。
「なんでもないです、と約束してたから誘いに来たんですよ」
妙に強張った笑顔のまま云うそれも、不自然だ。
が、ねぼすけソノラにはそれで充分。
「にゃ……んじゃ、おやすみぃ〜」
なんてメイメイさんみたいな間延びした声で、ふたたび目を閉じ夢の中。
「約束なんて……」
「外に行きましょう。いいですか?」
「……はあ」
してなかったと思うんですけど、というの台詞を無理矢理遮って促すアティに、事情が飲み込めないままとりあえず従う。
寝間着に借りてるでっかいシャツと下履きのまま、サンダルをつっかけて部屋を出た。
まだ静かな船の中を足音たてないように突っ切って、砂浜へ。
そこで、ようやくアティがを振り返った。
「どうしたんです?」
「…………」
何かを云いよどんで、アティは、開きかけた口を閉じた。
蒼い双眸も落ち着きなく、虚空をふらふら彷徨っている。
なんだなんだ、何があった。昨日はたしかに心配かけちゃったけど、夕飯も就寝もわきあいあいって終わったぞ。ああいうのは好ましくないですって注意するには、ちょっと時期を逃してないか?
「あの……」
「はい」
「……あの、ですね」
こぼれそうになった欠伸を、ぐ、と飲み込んだ。ちょっと目じりに浮かんだ涙を、指先でこする。
先に顔洗いたいなあ、なんて思うの前で、アティは、何か覚悟を決めるように大きく頷いた。
「あの、はですね。イスラさんを好きですよね?」
「は?」
思いもしなかった個人名に、は目をまたたかせる。
それから、答えを待ってこちらを見つめるアティに気づいて、こくりと頭を上下させた。
「はあ……、わりと仲良しだと思いますけど」
向こうもそう思ってくれてるかどうかは、さておいて。
なんて笑ってみたけれど、やっぱりアティの表情ははかばかしくない。それどころか、泣き出しそうに歪んでしまった。
「あ、あの!?」
「ごめんなさい、……っ」
「あの、なにがなんですか?」
「イスラさんと、しばらく、逢っちゃわないでください……!」
「はい!?」
なんか、悪い友達をもった娘を目の前にした母親みたいですよ、アティさん!?
云ってしまいたかったそれをことばにしたことで、アティも吹っ切れたんだろう。目をまん丸にしたの手を両手で包み込み、目線を合わせて腰をかがめ、懇願するように見つめてきた。
「ちょっとの間だけでいいです、きっと、わかってくれると思いますから。だから……!」
「あの……わかってくれる、って何を?」
「お願いします……っ!」
問いには答えず、自分の都合だけで押し切ろうとする。そんなこと、普段のアティなら絶対やらないことだ。
ことばを尽くせば判りあえる、が信条の彼女が、明らかに説明が足りてないことを承知の上でこんなことするなんて、ありえない。が、ありえないからこそ、何か相当の事情があるんだろうと想像できた。
……っていうか。
もしや、イスラの身元がばれたのかしら。
一瞬そんな不安を覚えたが、イスラ本人が明かさない限り、知る方法はあるまい。彼も、その姉であるアズリアも、秘しようという方向で決定してるようだから……アティたちが心配してるのは、別のこと、なんだろうか?
でも、他に思い当たるようなことはないのが事実。
「……うーん」
問い質しても、アティは答えないだろう。レックス共々、そういう部分、わりと頑固だから。
なら、
「ちょっとの間ですか?」
「はい!」
うん。
「それがすんだら、説明要求していいですか?」
「はい!」
そういうことなら、妥協しよう。
「――判りました」
そう応じたら、目に見えてアティが安堵の表情を浮かべた。
切羽詰った感のあった蒼い双眸は和らいで、握りしめていた手のひらの力が、すとん、と抜ける。
あまつさえ、そのまま砂浜に座り込んでしまった。
「わ、アティさん……っ」
「よ……よかっ……っ、ごめんなさい……っ」
終わったら、ちゃんと、説明しますから。
そう云いながら、アティはを見上げて――微笑んだ。
「そしたら、怒ってください。お友達と引き裂いちゃったことと、秘密にしちゃったこと、まとめて」
「んな無茶な……年上の人を、そうめったに怒ったり出来ません」
「え?」
きょとん。
を見上げていた、アティの目が丸くなる。
「――――って、いけないことしたら、怒るものでしょう?」
かすれ声でつぶやかれた前半は、呼気に紛れて聞き取れなかった。が、後半で意図を推察し、は聞き返さずにしゃがみこむ。
さっき彼女がそうしたように、目線を合わせて笑ってみせた。
「理由が納得出来るものだったら怒りません。それに、アティさん、今だってそんなに泣きそうなんだから、怒ったりなんて出来ませんよ」
「……泣きそう、ですか」
そうつぶやいて、アティは手を持ち上げた。
「アティさん!?」
――ぺちっ。
軽い、少しだけ間の抜けた音が、砂浜に響く。
アティは、「えへへ」と笑って、少し赤くなった左右の頬から手を放した。
「うん。ぴしっとしました」
「……痛かったでしょーに……」
何もそんな、無理してひっこめんでも。
がっくりと肩を落としたを見て、アティはやっぱりにこにこしている。
「泣かないで、って。笑っていてね、って。約束したんです」
ああ、それは。
たしか、あの赤い日に流れ込んできた、誰かの願い。
……だから、アティとレックスは笑うのか。だから、戦いのない平穏を望むのか。自分の命をも顧みず。
でも。
でも、それは。
どこかが、――。
……違うんだ
だから、と。思わず口ごもったの様子には気づかず、アティはつづけた。
「わたしたち、笑いますから。だいじょうぶ。あきらめませんし、負けません。……だから、笑っていてください」
おかあさん。
そう、呼びかけられた気がした。
無論、そんなことはありえない。
いつかの夜の盗み聞きで、とおかあさんをイコールで結べない、と、ふたりは話してたんだから。
「?」
ほら。
黙ってしまったこちらに呼びかけるアティの呼称は、普段と同じ。
「……」
だいじょうぶ。
あきらめないし、負けないよ。
……そう云って突っ走った自分、あれは、いつだったっけ。もう随分と遠い昔のことのよう、だけど、まだ五年と過ぎないころのことだ。
途中まで、バルレルといっしょに辿った歩み。折々の、映像を。
思い出す。比較する。
……ねえ。
あたしも――同じようなこと云って、がむしゃらだった、あたしも。
こんなふうに、どこか危うい笑みで、そう、云っていたんだろうか――?