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【遠い背の残像】

- しあわせな、 -



 視界の斜め下でふこふこ揺れる白い帽子は、位置的に、わっしと掴んでしまいたくなるもののひとつだ。
 ちなみに、他にもあるのかと問われたら、出てくるのはソノラの帽子。
 実にどうでもいい手の衝動を抑えるカイルと、隣を歩く人物がそんなこと考えているとは知らないアティは、もうしばらくもしたらちらほら赤く染まりだすだろう森のなかを早足に進んでいた。
 ふたりの間には、特にこれといった会話はない。
 漂う沈黙も息苦しいものではないし、別にこのまま進んでもよかったのだろうけど――カイルは、アティに話しかけていた。
「なあ、先生」
「なんですか?」
 横目で見ればすむだろうに、アティは律儀に顔を向けて応じる。
 上目遣いになってしまう関係なのか、丸っこい瞳は、今なお見開かれているようだ。
 真っ直ぐに相手を見るのは、彼女ら姉弟の癖なのだろう。一般的には襟元を見るのが礼儀だとか云われてるらしいが、そんなのはカイルたちの知るところではない。
 むしろ、アティたちと同じに、後ろめたくなければ目を見て話せ、が信条だ。
 だが、
「なんか怒ってねえか?」
 そうカイルが問いかけた瞬間、一瞬――本当に、ほんの一瞬、
「……えっ?」
 蒼い瞳は、カイルを素通りして背後の森へと逃げていた。
 けれど、すぐに視線はカイルに戻ってくる。戸惑ったような笑みといっしょに、アティは首を傾げてみせた。
「えっと、そんなことはないんですけど。どうしてですか?」
「いや……なんとなく。ピリピリしてる感じがしたからよ」
 そう。
 アティは、とくに眉を吊り上げたり肩を怒らせたりしてるわけではない。歩くペースが少々速いが、それは時間を案じてのことだろう。
 何故と訊かれるとカイル自身返答に困るが、“なんとなく”アティが神経を尖らせているような感じがしたのだ。
 本当に、なんとなく以外の何ものでもないため、カイル自身、実は訊いてから後悔してしまっていたりする。ので、ちょっと茶化してみることにした。
「えーと、ほら。弟とられたような感じがしてるとか、どうだ」
 ぷ、とアティが吹きだした。
「どうだ、って何がですか、もう」
 くすくすくす。
 肩のあたりから聞こえる軽やかな笑い声に、カイルもつられて笑う。ちょっと苦笑い風味。
「あんたたち、仲がいいからな。そういうのもあるんじゃねえかって、思ったんだよ」
「うーん、仲がいいとは思いますけど、わたしはレックスに彼女が出来てくれるほうが嬉しいですよ?」
「なんだ、そうか?」
「そうですよ。レックスってどこか間が抜けてますから、早くいいひと捕まえないといき遅れちゃうに決まってるんです」
 ……嫁ぐのか、あんたの弟は。
 いや、そもそも、間の抜け具合では姉も弟もどっこいどっこいではなかろうか。
 心なし遠い目になったカイルの横では、アティが何やら弟の過去をほじくり返していた。
「だいたい、軍学校のときだって、これ以上ないってくらいのひとに好かれたのに、全然気づかないでいたくらいなんですよ。もう、わたし、傍で見てて申し訳なくって」
 どうやらアティの信条には、好き合ってる相手にちょっかいは出さないというものも入ってるようだ。
 とは思うものの、それを聞いたカイルも幾分思うところがあった。
 それは、
「……先生も、好いてくれてる相手に気づかねえで過ごしてたタイプだと思うけどな」
 というものだったりする。
「はい?」
「なんでもねえ」
 口の動きだけでつぶやいたそれは、幸いアティには聞こえなかったようだ。それをいいことに、カイルはさっさと話の矛先をこの場にいない弟へ向けることにした。
 正確には、弟+現在の同行者。
「じゃあよ、なんてどうだ? 結構横に並んでると似合いじゃねえか?」
 笑いながらそう云って――カイルは、冷や汗を流す羽目になる。
「え……」
 何故か、アティが目に見えてうろたえたせいだった。
 予想もしてないことを云われた驚きというより、それだけは選択肢に入れたくなかったということを提案された動揺。
「あっ……あの、えぇと……は、そういうのはダメです……!」
「は?」
 今度は、カイルが呆気にとられた。
 レックスはダメです、なら姉としてのそれと納得も出来るが、なんでが先に出るのか。
 が、カイルの頭に浮かんだ盛大な疑問符に、きっとアティは気づいていない。顔を真っ赤にして、大慌て。
「そんな、だって、それじゃキンシンソーカンに」
「おいおいおい。本当の姉妹じゃねえんだろ」
 たしかに色合いはそっくりだが、眼の色が違う。いや、それくらいならまだ、父親似母親似という程度の話だ。
 だけど、カイルたちは、レックス+アティとに血の繋がりがあるとは、どうしても思えない。島に流れ着いてからこっち、ともに暮らした時間が増えれば増えるだけ、その感覚は強くなる。
 自分たち以上に、本人である彼らは血縁者ではないことを熟知してるはずだが……アティの発言は、どう考えても、近親者に対するものだ。
「あ、わ、そうでしたっ!?」
 目をぐるぐる渦巻きにしたアティの肩を、カイルは、生ぬるい同情とともに数度叩いてやった。
「落ち着けって。最近、根詰めすぎて疲れてんじゃねえのか?」
「そ……そういうわけじゃないんですけどですね……」
 そういうわけじゃあるようにしか思えない台詞とともに、アティは数度深呼吸。
 うーん、と唸って、
「最近、よく、昔を見るんです」
「昔? 夢でか?」
「はい」
 いきなり方向転換した話題に、ついていくのが遅れた。
 今度は、カイルの目がぐるぐる渦巻き……未遂。
 夢を思い出してるんだろうか、なんともしあわせそうに笑うアティを見て、彼は目を見張っていた。

 ――おいおい。
 初めて見るぞ、そんな笑顔。

 いつも浮かべてる微笑とはどこか違う、もっとはっきり、――なんというのだろう、誰かのためのそれじゃなく、自分のためのそれというのか。
 しあわせなのだな、と。
 カイル以外の誰が見ても、そう思わせるほどの笑顔。
「昔のことなんです」
 もう一度、アティは繰り返した。
「小さなわたしと、レックス。その傍に、がいるんです。わたしたち、ぎゅーって抱っこしてもらっちゃったりしてるんです」
 ふむ、とカイルは軽く頷いた。
 レックスとアティの幼少時には、は生まれてもないはずだ。生まれてたとしても、それこそ、はいはいが出来てたかどうかって頃だろう。
 だというに“ぎゅーっとする”ってことは、はおそらく今現在の年齢で出演してるらしい。知り合ったのは最近なんだし、いくら夢だといってもそれが普通だろう。
 そんな時系列の狂いを指摘しようかと思ったが、まあ、夢というのは不自然が自然に存在するものだ。
 彼らの昔のことに、現在の人間が混じってても、それが夢なら頷ける。
 だからというわけでもなしに、カイルは、それ以外の感想を口にした。
「じゃあ、なんだな。先生は、が家族だったらいい、とかどっかで思ってるわけか」
 そう思ってるんだとしたら、さっきの血縁混同にも納得出来る。
 髪の色も似ているし、親近感を覚えているのは、レックスとアティ、でお互い様のようなところもあるし。
「家族だったらいいな、ですか?」
「そうじゃねえのか?」
 きょとんと訊き返してきたアティに、だから、カイルは首を傾げて応じた。
 ふふ、と、彼女は小さく微笑む。
「家族じゃないですか、わたしたち」
 大きく手を広げて――さながら、この島すべてを示すかのように――笑いながら、アティはそう云った。
 その仕草と、屈託のない笑みに、カイルの表情も自然とほころぶ。
「そっか」
 一言そう云って、「お」と進行方向を振り返った。
「ラトリクス、もうすぐだな……って」
「あら、プニムですね」
 遥か木々の向こう、そびえ立つ金属の門の傍にて、彼らに存在を知らしめるかのように、そして“とっとと来い!”とでも云いたげに飛び跳ねる青い物体を見間違えるほど、ふたりの視力は悪くなかった。

 待ちかねていたプニムに引きずられ、スクラップ場に連れ込まれたふたりが、横倒しになったままの機械兵士にバッテリー調達の依頼をされるのは、もうちょっとあとのこと。
 クノンから借り出してきたバッテリーで、どうにか機能停止を逃れた機械兵士は、そのまま充電のためにおねむしたことを、念のため追記しておこう。

「……なんで自分で行かなかったんだよ?」
「ぷい、ぷぷー」

 帰り道々、問いに答えてプニムがカイルに示したのは、バットと何かの犬が描かれた紙だった。
 ラトリクスの方を振り返り、肩を落として遠い目になる。

「……」

 通じるわけないだろが。
 部品を積んだ荷車を引くカイルもまた、笑い出してしまったアティの声を聞きながら、プニムと同じくらいの遠い目になって空を仰いだのだった。


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