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【港街を走りぬけ】

- 再会は初対面 -



 街は、朝から賑やかだ。
 周囲の喧騒を楽しみながら、は、捕りたての魚を売る鮮魚市場や輸入雑貨などを見てまわる。
 人込みは元々苦手だったのだが、こういう、陽気な騒々しさはけっこう楽しい。
 行き交う人々の表情も、陽気なものが多い。
 晴天に影響されているのか、それとも、この街特有の熱気にほだされているのか。
 ともあれ、見ていて心の浮き立つ光景であることは確かだった。
 そうしてしばらく歩いたあと、が足を向けたのは一軒の店。
 旅人用の服や品物を扱っている、周囲の店舗に比べれば、小ぢんまりとした質素な店だ。
 だけど、ショーウィンドウの品揃えの豊富さにひかれて、はそこで買い物をしようと決めた。

 ――からんからん、

 ドアに取り付けられた木鈴が、来客を告げる。
 店の奥には店員がふたり。
 他の客の相手をしていたらしいが、うちひとりが場を離れてのほうへやってきた。
「いらっしゃいませ。何をお求めですか?」
「こんにちは。えっと、旅に必要なものを揃えたいんですけど」
 云って、当座必要なものを店員に告げる。
 一応船旅ではあるから、そう多くは必要ではない。
 それでも、一泊分の宿代が浮いたこともあるし、ちょっと奮発してみるか、と――そうが思ったのは、視界の端に映る、旅人用にしつらえれた服の展示を見てのこと。
 サイジェントからの服は、ヤードの手当てでぼろぼろになって。その後カイルたちに用立ててもらった服をそのまま持ってきたため、今の自分はこの一張羅しか服がない。
 荷物がかさばるのは避けたいが、一着くらいの服の替えは必須と思えた。
 店員に一言告げて、服の陳列されている場所へ近づく。
 目についた、白い上着を手にとろうとして――
「あ」
「あ」
 同時に横から伸びてきた手に気づき、は短い声をあげて動きを止めた。
 相手も同じように、硬直しているらしい。
 聞こえた声は女性のもの。
 見上げた先には、真っ白い大きな帽子。それと同色のマント。
 それから、今の自分よりも幾分明るい赤い髪があった。ただ、さすがに眼の色は違う。
 が翠なら、女性のそれは深い蒼。海のそれに似た、深くて澄んだ……きれいな蒼。その丸っこい印象のある目を見開いて、女性は、驚きも露にを凝視している。そんなに横から手が伸びるの、予想外だったんだろうか。
 ふと思い出したのは、まだ時間の流れであちこちさまよってたときのことだ。
 あの子たち……そう。まだ小さかったあの子たち。
 あの女の子が成長したら、ちょうど、こんな感じだったんじゃないかな、って思う。
「ごめんなさい、どうぞ」
「…………あ、いいえ。私こそ。どうぞ」
 とってください、と服を示せば、その女性も申し訳なさげにそう告げる。
「いえいえどうぞ。あたしはまだ、何を買うか決めてませんから」
 目が移ったもので、ちょっと手を伸ばしてみただけなんです。
「でも、興味を持ったってことですよね? だったら、やっぱりわたしが頂くわけにはいきません」
 あなたが気に入るかもしれないから、わたしは他の服を見ます。
「いやいいですから。そんなこと云ったら、あなただって興味持ったから服とろうとしたんですよね? あたしより先でしたから、どうぞ持ってってください」
「違います、わたしの方が少し遅かったんです。ですから――」
「――アティ?」
 ぽむ。
 ぎょ。
 最初の音は、横手から現れた第三者が、女性の肩に手をおいた音。
 次の音は、が目を見開いた擬音。

 片方だけなら他人の空似。
 でも。

 幸い、目の前の女性も声をかけてきた第三者――女性と同じ色の髪と眼を持つ男性である――は、の奇態に気づかなかったようだ。
「あ、レックス」
 そっちの買出しは終わったの?
 おっとりとした口調で、アティと呼ばれた女性は、男性にそう呼びかけた。

 両方揃えば、間違いなく本人たちだ。

 応えてレックスも、
「うん、俺のほうはだいたい揃ったよ。こんなのまで買っちゃった」
 帯に『5分で教師になれる』とか書かれた本を示し、にっこり微笑んでいる。
 さて、そんなふたりを前にして、はというと。
 じりじり。じりじり。
 気づかれないようにこっそり、こっそり、後ずさり。
 だけども。
「待ってください!」
 それを見咎めたアティが、がっしとの腕をつかんだ。
「わー! すいませんごめんなさい人違いです元気そうで何よりですー!!」
「! ――ちょ、ちょっと待って。人違いもなにも、……俺たち初対面ですよね!?」
 じたばた暴れるを、レックスまでもが押さえにかかる。
 一層抵抗を激しくしようとしただったが、そのことばに、はた、と動きを止めた。
 そうだ。
 落ち着け自分。
 アティとレックスがこんな年だってことは、あたしが落ちたあのころから、もう、十年以上経ってるってことだ。
 くわえて、あの頃このふたりは自失状態だった。
 ……落ち着け、自分。
 覚えられてるわけがない。そうあっさり呼び出せる場所に、あの頃の記憶があるわけない。
 ……深呼吸。
 ひとつして、は、レックスに向き直った。
「ごめんなさい。あたしこそ、人違いしてたみたいです」
「あ、ごめん。俺こそ急に、腕つかんだりして」
 どうやら、相当素直な育ち方をしたらしい。レックスは、自らがつかんだままのの腕に気づくと、あわてて手を放して謝罪してきた。
 うわ。
 なんか、こう、里帰りした子供と久しぶりに逢う親みたいな心境ですよこれは。
 小さなころのふたりの姿は、今も、の脳裏にくっきり焼きついている。
 あのあと。ピコリットに代替召喚を依頼されるまで、いくつかの放浪を経たとはいえ、の感覚で、それはたかだか数日前のことなのだから。
 それに……一番印象に残っている。
 あの赤い夕陽。ブチ切れた自分を思い返すと恥ずかしいし、そのなかにいたふたりを思い出すと、痛々しい気持ちになる。
 だけど。
 元気そうで良かった。
 こんな優しい笑顔を浮かべるようになっててくれて、よかった。
「……あの?」
「あ、いえいえ。なんでもないです」
 怪訝な顔で覗き込むアティに気づいて、はあわてて首を横に振る。
 それから、そもそもの発端になった服を示して、
「じゃあ、そういうことで服はそちらに」
「そういうわけにはいきません。あなたが持っていってください」
 なんというか、もう、ここまでくるとお互いムキになっているのがありありと判る。
 はいはい、と、レックスが間に割り込んだ。
 気づかなかったが、さっきアティに示していた荷物の他に、白い何かを手に……
 って。あ。
「それ」
「そ。一着しかないわけじゃないんだからさ、譲りあいしなくてもいいんだぞ?」
 の指差す先、レックスの手にあるそれは。
 さきほどから女性ふたりの論争のタネになっていた、白い上着の二着目、でありました。


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