唐突なファルゼンの訪問に怪訝そうな顔をしながらも、アルディラは快く一行を受け入れてくれた。
それどころか、ラトリクスの中では自然がないから辛いでしょう、なんて云って、わざわざ集落の外にまで同行してくれたほどだ。……プニムを抱っこして。
「……あんたねぇ……」
「ぷっ」
そんなにアルディラがお気に入りなら、いっそ彼女と誓約を結べばよかったんじゃないかこんにゃろう。などとジト目で睨むの頭に、プニムはいそいそとよじ登ってきた。
そんなトーテムポールを見て、アルディラ、くすくすと苦笑い。
「ごめんなさいね、。相棒をとってしまって」
「いえ、所詮この子もきれいなおねえさんには弱いんでしょう」
「そうでもないのよ」
ちょっと不貞腐れたのことばを、きれいなおねえさんは、やんわりと否定した。
「この子に来て欲しいって頼んでいたのは、私なの」
「……は?」
まさかアルディラさん、そういう趣味なのか。
目を丸くしたとフレイズを、アルディラは、失礼ね、と軽くにらみつける。うむ、表情でばっちり思考を推察されてしまったらしい。
心地好さそうにの頭で船をこぎ始めたプニムを突っついて、
「何度か貴方たちと同行しているうちに、気づいたのだけど……この子がいると、その……ノイズが少なくなったから」
ノイズ。
名も無き世界風味で云うなら、ラジオを聞いてるときなんかに入ってくる、ざあざあという音だ。
余計な音、つまり雑音。
「……アルディラさんって、やっぱり融機人なんですね……」
帰ったら、ネスティもノイズが聞こえちゃったりするのかどうか、訊いてみよう。
いや、その前に、どうやったらプニムがそういうのを遮断できるんだろう。この青いぷにぷにボディには、余人の預り知らぬ強大な秘密が隠されているんだろうか。それこそ、魔剣レベルの。
「ぷ?」
「……って、単にこのぷにぷにがゴム材質で、近くを通る電波の波を曲げちゃうだけだったりして」
サイジェントの、たしかガウムだったっけ。あの子なんか、本当にゴムボールめいた形状で楽しそうに跳ねてたもんな。ゴムが電波を遮断するのかどうかについては、今度トウヤさんに無線入れてみよう。
頭の上に手を伸ばし、みょーんとプニムを引っ張るを笑って眺め、アルディラがひとつだけツッコミを入れる。
「別に、電波を受信したりはしないわよ?」
「遠隔送信の音声を受けるアンテナでしたら、私が常備しておりますが」
補足するように、それまで黙っていたクノンが、さらりと告げた。
アルディラが行くなら、と、ついてきたのである。フレイズ共々、付き人の鑑というかなんというか。
「ノイズ、というのは、そうも辛いものなのですか?」
フレイズが、いたましげにアルディラに問う。
「辛い……というより、ついつい気をとられてしまうの。思考が途切れさせられる。それで、人間でいうなら心ここに在らず、という感じになってしまうから。あまり望ましい状態ではないでしょう?」
この子にかまっていると、なんとなく軽減される気がするのよね。そう云って、アルディラは、の頭上にいるプニムを軽くつっついた。
「ノイズって云いますけど、耳鳴りみたいなものですか?」
「そうね。そういったものに近いかも……さ、私の話はこれくらいにして。ファルゼン、今日はどういった用事でこんなところまで来たの?」
そんなに大変なら、プニムくらいいつでもどうぞでいいか、と思うの斜め前、アルディラはファルゼンに向き直る。
真っ白い大きな鎧は、それを受けてひとつ頷いた。
「……喚起ノ門。ソレニ、れっくすトあてぃノ剣ノ、コト……ダ」
「――――」
とたん、アルディラの表情に険が混じる。いや、緊張?
うっすらと浮かべていた微笑は消え去って、最初に出逢ったときのような厳しさが、今の彼女にはあった。
「今ごろ、そんな話を持ち出してくるなんて……何を考えているの? しかも、部外者であるの前で」
なんだろう。は首を傾げる。
気のせいなのかもしれないが、アルディラの語調は必要以上に強い。
ちらりとこちらを見る眼差しも、初対面時レベルにまで巻き戻っているようだ。
「まだ、ご存知なかったのですね?」
「何を?」
長い話は無理がある、と宣言しているファルゼンの代わりにだろう、フレイズが前に出た。
「先日、喚起の門で起こった事件の真相――ジルコーダの喚び出された、暴走の経緯です」
「真相……?」
「アルディラ様は、様たちが訪れられた日以降は、島のスキャンを行っておられません。知り得る情報にも、限度というものがあります」
怪訝な表情でつぶやくアルディラの前に、クノンが出た。
そんな意図はないのだろうが、護人お付きのふたりが向かい合う構図が出来上がる。
むむ、と睨み合うフレイズとクノン。
雷が飛び散るほど険悪ではないが、互いの主に失礼は許さない、というところだろうか。
「クノン、もういいわ」
そう間を置かず、アルディラが動いた。やんわりとクノンを押しとどめ、ファルゼンとフレイズ、ついでにへと視線を一巡させる。
「ここ最近、ノイズに気をとられてスキャンを怠っていたことは本当だもの」
それに、と付け加えられた解説によると、クノンのいうスキャンというのは監視カメラのようなものではなくて、中央管理施設の向こうにそびえる電波塔というまんまな名前の場所から、無害のレーザーだかなんだかを島に走らせるというものだそうだ。主に島の生態や自然環境の異常を察知するために、定期的に行ってるんだとのこと。
なるほど、それなら喚起の門でどたばたやろーがなんだろーが、数十メートルのクレーターでも出来ない限り、ついでにその時点でスキャンしてない限り、ピンポイントに察せられるわけもないわな。
ふむふむ頷く一行に、今度はアルディラが質問する番だった。
「それで――喚起の門で何が起こったの?」
と。
喚起の門が暴走した当日の説明は、そう時間をかけずにすんだ。
キュウマがレックスとアティに抜剣を要請したこと、門と反応してふたりが苦しみだしたこと、そうしてキュウマとヤッファの私闘に話が及んだ時点で、
「もういいわ」
と、アルディラ自身がストップを出したのだ。
フレイズと、彼の説明に補足を入れていたは、それで同時に口を閉ざした。
「元々不安定だった門だから、以前にもジルコーダを喚んだのね。それが、先日の騒ぎで大群投入する形になったんだわ」
スキャンしていれば何か気づけたでしょうに、これは私の落ち度ね、と、アルディラが苦笑する。何事か云いかけたクノンを、軽く手で制しながら。
「オソラク……ソウダ」
緩慢な動作で頷くファルゼン。こうしてるほうが、霊力の消耗は少ないんだろうか。
「……話を聞くに、キュウマは、自分の行動に付随するリスクを理解しているようね。それでも、喚起の門を目覚めさせようというのだから、生半可な覚悟ではないということだわ」
「ええ。ですが、それほどの何を願っているのかが……」
「判らなくもないわよ」
判りません、と続けようとしたらしいフレイズのことばは、まったく逆の意味を持つアルディラの発言で遮られた。
全員の視線が、一斉に彼女へ集中する。
「あるでぃら……?」
代表するように、ファルゼンが、そのひとの名を呼んだ。
淡い色の髪をかきあげて、名を呼ばれた女性は、視線をゆっくりと持ち上げる。頭上の木々でもなく、空でもなく、どこか遠い何かを、見ようとするかのようだった。
「そうね。そういう意味では、私だって、レックスたちを利用しようとする要素は充分にある」
「……!?」
ざわ、と空気が騒ぐ。
出所は、ファルゼンとフレイズだ。
島の安寧を守る護人と、その付き人。志を同じくするはずのアルディラのことばに、動揺と――そして警戒を隠せないでいる。
「……するつもりは、ないわよ?」
「…………驚かさないでください」
ふう、と、フレイズがため息をついた。
けれど、ファルゼンの周囲の空気はまだ硬質さを保っている。
「あるでぃら」
「ねえ、ファルゼン。貴方はたしか、あの戦いで命を落とした亡霊だって話だったわね」
おや。
思わず首を傾げる。
アルディラさん、ファリエルさんのこと、やっぱり知らないのか。
ちらりとフレイズを見るが、特に違和感を感じてる様子もない。クノンは元々表情に乏しいし、当のファルゼンに至っては文字通りの鉄面皮。
律儀に付き合って首を傾げてくれてるプニムを、は、肩凝り対策のために腕のなかへ移動させた。
周囲の疑問符はどこ吹く風で、アルディラはファルゼンに話しかけている。
「亡霊だというのなら、この世に未練があるのでしょう? ……未練というのはね、死者だけの特権ではないのよ。いいえ、むしろ生きているからこそ、未練が募って肥大することがある」
「……」
ファルゼンは、特にリアクションらしいリアクションをしない。
「私にも――未練があるわ。そう、あの門を修復できれば叶うかもしれない未練。今の状態は、充電切れ寸前の動力の目前に新品のバッテリーボックスを出されたようなものかしら」
つまり、ねこじゃらし出された遊び盛りの子猫みたいなものらしい。
なんというか、生活様式が違うとこんなところまでズレがあるんだなあ、と、場合も忘れて妙なことに感心してしまった。
「ただ、私の場合」、そう云って、アルディラは、の抱えていたプニムをそっと抱き取った。「この子のおかげで、その焦燥がずいぶんと和らいだ感があるの」
「……ぷ」
癒し効果抜群か、青いぷにぷにボディ。
でも、そんなに必要とされてるんなら――
穏やかなアルディラの表情と声音に、はちょっと考えて、口を挟んだ。
「あの。よろしかったら、プニムとの誓約解除しますからアルディラさんのほうで引き取られます?」
云うや否や、
「ぷー!!」
がああぁぁぁん! と石造りの大きな描き文字頭上に落として、プニムの目にみるみる涙が溜まっていく。
もしかして、短慮だっただろーか。
涙目で訴えるプニムを見て、云い出した当の本人ながら、はひしひしと罪悪感を感じてしまった。ごめんプニム。アルディラさんが好みだと思ってたけど、わりと懐いてくれてたんだね。
「そうしたいのはやまやまだけれどね、遠慮しておくわ」
苦笑して、アルディラは提案を辞退した。表情を見るに、きっと、以前プニムに話を持ちかけて同じような反応をされたことがあるんじゃなかろうか。
そうして、脱線した話の軌道修正。
「キュウマにもきっと、それほどにして叶えたい願いがあるんでしょうね。彼のことだから、リクトやミスミ、スバルに関係したことじゃないかしら」
というか、他に思い当たらないのが事実だけど。
「……タシカニ」
「ええ」
「キュウマさん、素ッ晴らしい忠誠っぷりですもんね……」
やはり緩慢に頷くファルゼンと、しみじみ同意するフレイズ、。クノンだけが「ふむ、そうなのですか」と首を傾げて何やら記憶してるようだ。
なんか、クノンが妙に偏った知識を得ていそうで、将来的にちょっと不安だ。
「で、ファルゼン。人にばかり訊いて、貴方はどうなの?」
「ドウ、トハ?」
ちょっと不自然に話を切り替え、アルディラが再びファルゼンを見る。
「貴方に未練はないの? あれだけの魔力、そうそう叶えられないものでもきっと叶うと思うわよ」
「――……アルディラ殿」
険を増したフレイズを、ファルゼンは沈黙と腕の一動作だけで留めた。構図としては、さっきクノンを留めたアルディラとほぼ同じ。
「未練ハアル」
亡霊は、未練があるから亡霊なのだ。
さっき聞いたアルディラのことばが、の頭をぐるっとまわった。
それなら、亡霊であるというファルゼン――ファリエルは、何を願ってこの世に留まることを選んだのだろう。
「ガ……イマノコノ島ノ在リ様ヲ、替エ難ク思ウノモ事実……」
「……そう。羨ましいわ。まだ迷っている私とは、大違い」
「え? アルディラさん、それって……」
「……」
アルディラのことばの後半は、意図して紡いだという様子ではなかった。は、と口を閉ざした彼女に、は思わず問いかける。
が、アルディラは、俯き加減に視線を逸らして追及を拒む。
でも。今のはちょっと聞き流せない。
自分ではやらないって明言してくれたのはうれしいけど、それじゃあ、もしキュウマの目論見が成功したら――
「誰です!!」
『!?』
唐突に、フレイズが背後を振り返って一喝した。
話に集中していた一行は、金縛りが解けたみたいに、びくんと身を震わせる。
それから、その分だけフレイズに遅れて、彼の視線を追いかけた。
「……へ?」
てっきり背後の森かと思ったら、フレイズが見上げてたのは頭上だった。一度地面と水平に流れた視線は、さらにその分遅れて上に向かう。
と、同時。
は脱力し、アルディラは瞠目し、クノンとファルゼンは無表情のまま、――そうして、フレイズは後ろを向いていた己が顔を、音速で正面に引き戻した。
「はっはっは。皆さんそろってごきげんよう」
ぷかぷか。
すでに見慣れた感のある黒髪天使さんが、にっこやかに笑って浮かんでた。
「ま……マネマネ師匠……」
「反応してはいけませんさん!!」
力の抜けた顔筋を駆使し、どうにかこうにか笑みを形作ったを、フレイズが切羽詰った表情で諭す。
が、それはさすがに出来ない相談である。
マネマネ師匠もまた、サプレスの住人なのだ、危険を冒して昼日中に出歩く(飛んでるが)ということは、何がしかあったということなのだろう。
を諭した直後にそれを悟ったらしく、フレイズは、苦い顔で“兄”を見上げた。
「……何事です?」
「うむ」
すぐさまフレイズをからかいに出ると思われたマネマネ師匠は、予想に反して笑みを消し、一行の傍に舞い降りる。
「ちと報告があったんでな。本来護人に持ち込まれる用件なんじゃが、ふたりともおらんかったから、ワシが聞く形になった。すまんな」
「いえ、こればかりは貴方でなければ勤まりません。本当に助かります」
「……礼ヲイウ」
頷くフレイズとファルゼンを見て、はひそかに驚愕した。
もしや、身代わりですか?
……たしかに、常に片言のファルゼンなら、マネマネ師匠のちょっと不具合な喉でもどーにか誤魔化せなくもないだろうけど……
それじゃあ、今までのうち何回か、それやられてた可能性もあったりするんでしょーか。
おーい、島のみんな。狭間の領域の意外な秘密が、ここにあるぞう。
心の中で呼びかけるには気づかず、マネマネ師匠は、報告とやらを伝えるべく口を開いた。
「なんでもな、小火騒ぎが起こったらしいんじゃ」
「小火……?」
「うむ。まあ、それだけなら事故かという話で済むんじゃがの。起こったのは同時に数ヶ所、しかもうち幾つかは自然に発火するようなものが見当たらん場所だったということなんじゃ」
「何者かが火を放った、ということですか」
「……じゃろうな」
このとき、全員が思い描いた固有名詞はおそらく同じものだったはずだ。
だが、はすぐさまそれを打ち消した。
だって、アズリアさん、人質とか放火とか裏でこそこそするの嫌いそうだし、部下にも許すはずなさそうだし。
たしかに、現時点で一番怪しいのは帝国軍であることは承知している。いるが、隊長の人柄を考えると、感じた不審が薄らいでしまうのも事実だった。
「と・いうわけでな。今日のところは消火もしてしまったというし、帰り道々怪しげな者を見かけたら用心してもらおうと思って、ひとっ飛びしてきたというわけじゃ」
やれやれ、昼に出歩くのは疲れるわ。と、そう疲労を感じさせない笑みを浮かべて、彼は再び宙に舞い上がる。
「あーそうそう、今飛んできた道は見てきたからの、よかったら他をまわって帰ってきてみてくれんかな」
最後にひとつ要請すると、黒髪天使さんは、手を振って飛んでいってしまわれた。
数秒ほどで、木々と空の向こうに消えてしまった師匠を追いかけていた視線を戻すと、フレイズが、何やらファルゼンに向き直っている。
「ファルゼン様、一度集落に戻りましょう。このようなときに、護人が留守にしていては住人の不安を煽ります」
「……ソウ……ダナ」
「アルディラ殿、お邪魔いたしました。今日の話については、ゆめ他言無用でお願いします」
さっくり退去を決めたフレイズとファルゼンに向かい合い、アルディラは「ええ」と頷いた。
「ごめんなさいね、大した力にもなれなくて」
「……イヤ……。イザトイウ、トキニハ……」
「――――そう、ね」
助力を、と続けようとしたのだろう。けれど、ファルゼンは途中でことばを止めてしまった。
少し間を置いて、アルディラは再度首を上下させる。少しだけ、緩慢に。
それから、ぱ、とを振り返った。
「貴女はどうするの? 船に戻る?」
「え? ――えっと……」
元々、アルディラに逢うというファルゼンとフレイズのお伴みたいな形で同行してきたのだ。そのふたりが辞するというのなら、もそうするのが当然だろう。
その旨伝えようと思ったのだが、とうのアルディラが、選択をさらにひとつ増やしてくれた。
さすがに、今日はもう追加で騒ぎが起きることはないでしょう、と前置きして、
「ラトリクスの外れに、スクラップ置場があるのよ。スクラップといってもまだ使えるものもあって……貴方たちの船に使えそうなものを先日寄せておいたから、少しずつ持っていってくれるかしら?」
ちらり。
力持ちさんプニムを見ながら、そんな提案をくれたのである。