当人曰く、最悪だったという夢の内容は、思い返すだけで気分が絶対零度を突き破っちゃうくらいのものらしい。
「ごめんねー、さ、今日すっごく機嫌悪いんだ」
スバルたちと一緒に遊ぼう、と、を誘いに来たイスラを(申し訳ないが)門前払いするために、ソノラは目の前で手を合わせた。
「てなわけで、また今度誘ってやって! 明後日、いや明日まで引きずるよーなら、アニキに云って叩きなおしておくからさ!」
「は……はい。それじゃあ、によろしく云っておいてください」
「任せて任せて。そんじゃ気をつけてねー!」
去り行くイスラに手を振って、ソノラは、顔面に張り付いちゃったこの引きつり笑顔をどうやって元に戻そうか、かなり真剣に悩み始める。
そんな彼女の耳に届いたのは、聞き慣れたご意見番の声。
「、彼行っちゃったわよ?」
「……今日は遊ぶ気分じゃないもん」
年上に対する敬語を忘れ去った仏頂面の少女が、今日の片付け当番であるスカーレルとともに樽やら木箱やらの陰に隠れて、今のやりとりを見守っていた。
しょうがないわねえ、と、改めて三人寄ったところでスカーレルが苦笑する。
「どんな夢だったか知らないけど、女の子がいつまでもしかめっ面してちゃダメよ。ほーら笑って笑って」
むにょーん。
男性にしては細いスカーレルの指が、の頬をつまんでひっぱった。
口元が奇妙に引き攣れ伸びて、むしろ吹き出したのはソノラのほう。
「ぷっ」
「…………」
されたはというと、スカーレルの手を払ったりはしないけど、やっぱり気難しげに目の前を睨んだまま。
目の前といってもスカーレルじゃなくて、たぶん、まだ瞼の裏にこびりついてる今朝の夢とやらだろう。
あんまりの機嫌が悪いものだから、いつも一緒にいるプニムなんか怯えちゃって、朝食が終わると同時にすたこらどこかへ行っちゃった。レックスやアティ、子供たちは気にしてたみたいだけど、今日は授業があるから、早々と出払ってる。そうそう、家庭教師姉弟は午後になったら風雷の郷に行くんだってさ。大事なお話らしい、詳しくは聞いてないけど。
シルターン大好きのは、今日に限って、そんなことを聞いても全然反応示さなかった。
……イッツ重症。
普段は結構のほほんとしてるくせに、いや違う。
機嫌が良いのも悪いのも、は全力投球だ。隠したりなんかしないで、がっつり表に出している。つまり、普段は機嫌がいいときばっかりで、というか、基本的に立ち直りとか切り替えとかが早いんだろうなあ。
こういうの、結局脳天気っていうんだっけ?
「……ひっほほはひはあっへほほっへふんへふへほ」
「あら、ゴメンゴメン。もう一度いい?」
頬を引っ張られたまま、謎の言語を話したから手を放し、スカーレル、苦笑いしつつそう云った。
うん、とひとつ頷いて、は謎言語の解説に入る。
「みっともないなあって思ってるんですけど」
スカーレルからソノラに視線を移し、肩を落としてため息ついて。
「未だに振り切れないのも情けないなあって思ってるんですけど……こればっかりはどうしようもなくって」
ばかねえ、と、スカーレルが笑った。
「誰にだって、そういうのの一つや二つ、あると思うわよ」
「そうそう、落ち込むときは落ち込んじゃえって」
落ちた肩を、ぽん、と叩く。
同い年くらいのの肩は、剣をぶんまわして戦場駆ける姿と裏腹に、自分とそう大差ない。ま、今さら改めて思わなくても、の裸見たときから判ってたことだけど。
あ。そういえば。
ぱっとの手を引っ張って、ソノラはスカーレルから距離をとった。内緒話とみた彼は、追いかけてこようとはしないで苦笑してる。
それをいいことに、耳元に口を寄せてこそこそ。
「ね、訊いちゃうけどさ」
「なに?」
「それって、おなかの傷に関係してること?」
「……」
あちゃ。地雷?
好奇心に負けた者は好奇心で身を滅ぼす、
「近いけど、違うなあ」
わけでもないようだ。
しかめてた眉を少しゆるめて、は小さく笑って云った。
それから、
「ありがとソノラ。元気出た」
何故か、さらに笑みを深めてそんなふうに続けた。
「は?」
当然こちらはクエスチョンマーク。
なんで傷の話で元気が出るのさ、と訊こうとしたのはたしかだが、の笑顔があんまりほっとしてたから……やめた。
でも、のほうから説明してくれる分には不可抗力。
身を放した金髪と赤髪の少女たちを見て、内緒話の終わりと見たスカーレルがやってくるのを待ってから、は、笑みを浮かべたまま話しだす。
「大事な家族がいなくなったときの夢見ちゃって、気が滅入ってたんだ。ふっきりたいのにふっきれなくて道を間違えたから、それでさらに自己嫌悪してた」
「……そうあっさり吹っ切れたら、誰も苦労しないって」
「でも、もう一年以上前なんだ」
体感時間で、とわけのわからない後半を、ソノラとスカーレルは聞かなかったことにした。
「ううん、普段はいいんだ。でも、たまに思い出すのが最期の瞬間ばっかりで……だからやりきれないっていうか。変わらないって判ってるのに、情けないなって……」
そんな気持ちを。
ソノラも、持ったことがあった。
助かったのが自分だけだったという罪悪感、失われてしまった優しい人たちの喪失。
ただ、自分は。カイルや一家のみんなが間をおかず近い位置に居座ってくれたから、そんなのも今は思わない。
でも。――うん、でもさ。
あたしら一家は、幸い、手下ども以外揃って流れてきたけどさ。
先生たちもあの子たちも、幸い、揃って同じ場所に着いたけどさ。
は、その前、事故で狭間に迷いこんだって聞いた。
そのときまで近くにいてくれた人たち、たとえばあたしにとっちゃアニキやスカーレルがいなくて、ひとりで帰る手段探さなくちゃいけなくなったら……塞がったって思ったはずの空白、意識しちゃうかも。
……そっか。は、ひとりぼっちなんだ。
仲がいいとか悪いとかいうんじゃなくて、もっと別の部分で、は、今、ひとりきりなのかもしれない。
そっか。
だから、とイスラって割と一緒にいるのが多いのかな。
イスラの名前をしか知らないソノラの思考は、そんなところにまで飛び跳ねる。なにしろ、彼もまた、ひとりぼっちでこの島に流れ着いてきたのだと思っているから。
「でも」、
ソノラがそんなこと考えてると知らないは、照れくさそうに舌を出して笑った。
「ソノラたちが心配してくれてるって思ったら、なんか嬉しくなって元気でた。現金だけど」
「本当にね」
クスクス、スカーレルが笑い出す。
「あははははっ、って単純!」
思考から戻る分ロスがあったけど、ソノラも続けて笑い出す。
うん。それくらい単純なほうが、わりと人生楽しいぞ。
そう云って背中を叩いたら、予想してなかったらしく、は大きく前のめり。それを見たふたり、ますますおかしくて笑いが倍増。
離れたところから、気がかりそうに女同士(?)の会話を眺めてたカイルとヤードが、安心したように顔を見合わせていた。