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【島とは】

- 夜更かしな彼ら -



 今朝どこぞに出てって以来、暁の丘にも同行しなかったのはだけではなかった。彼女の相方として一行に認識されているプニムもまた、一日姿を消していたのだ。
 そのプニムが戻ってきたのは、子供たちに喝を入れられたらしいレックスとアティが、いつもどおりの笑みを浮かべ、他の面々が思ってたよりも随分早く部屋を出てきてから、なお後のこと。
 自分の信じる道を行くから、と微笑むふたりが、カイルたちを安心させてから、まだまだ後のこと。
 ……要するに、もう夜も深まろうとする頃合いだった。
「おかえりこんにゃろう」
 あとちょっと待っても帰ってこなかったら、閉め出してやろーかと思ってたところだよ。
 暗く静まり返る森から跳ねてきた青いボールを受け止めるために、は、腰かけていた樽から立ち上がった。どうせ昼間は走っただけだからあんまり疲れてないし待ってる、と、潮風に数時間吹かれていたのだ。そりゃ、目つきも据わろうってもんである。
 朗らかに笑いながら暗雲を背負った物の云いように、プニムは一瞬、の腕に飛び込むのをためらった。が、すでに働いていた慣性の法則とニュートンの法則が、彼にそれを許さない。
「ぷぅ」
 怒らないで、と、きらきら見つめる双眸も、今のにはたいした効果を発揮しない。
「どこに行ってたの?」
 容赦なくその額を指で弾いて、はプニムを抱く腕に力を入れた。
「ぷぃっぷぷ」
「逃げないね?」
「ぷ」
 腕から降りようとするプニムに一応確認してから、砂浜におろしてやる。慣れた動作で、プニムはそこらの木の枝を拾ってきた。
 より明るいところでと云いたいのか、船の影がない部分へ飛んでいく。
 そのあとに着いていったが到着する頃には、早々と、砂浜に前衛絵画が描かれていた。

 ……相変わらず読解の難しい絵だ。

 砂浜にしゃがみこみ、あーでもないこーでもないと推理することしばらく。
「えーと……このでっかいぐにゃぐにゃが島全体図として、この四つの点が集落……かつこの二重丸は、位置関係で云えばラトリクスか……?」
「ぷー!」
 正解のようだ。
 万歳するプニムに、改めて確認。
「ラトリクス行ってたの?」
「ぷ、ぷー」
「あんた、そんなにアルディラさんが好きか」
「……ぷっ」
 照れるなよ。
 身体をくねくね、もじもじさせてるプニムをジト目で睨みながら、ふと。
「おや?」
 横手から零れてきた、月光とはまた別の光に気づいて、は立ち上がる。
 視界にまず入ったのは、淡い蒼白い光だった。
 ひらひら、ふわふわ。
 微風でしかない潮風とは逆の方向にたなびく、やわらかでたおやかな印象のある肢体の線もくっきりとした服の裾。かわいらしくお団子にまとめた銀色の髪。
 ……にっこり微笑む、少女の姿。
「ファリエルさん!」
「えへへ、こんばんは。起きてるかなって思ったんだけど、調子が良かったから来てみちゃいました」
 照れたように告げるファリエルの眼前に、はすったかたったか駆け寄った。彼女の手をとろうとした両の手は、盛大に空をきる。すかっ。
「……さん?」
 怪訝な顔のファリエルにが向けるのは、照れ隠しの仏頂面でも笑いでもない。
 瞳はおそらく、さっきのプニム以上に輝いているはずだ。
「グッドタイミングです! ありがとう!」
「え? え?」
「さささ、こちらにどうぞ。夜更かしオッケーですか?」
「え……ええ。むしろ夜のほうが動きやすいですし」
 わりと流されやすい人なのだろうか、先導するのあとに、ファリエルは素直に着いてくる。
 人目を忍ぶように物陰に移動したは、「実は」と表情を引き締めて、霊界集落の護人を振り返った。
「護人の方に訊きたいことがあるんです」
「え……?」
 とたん、ファリエルの眉が寄せられる。
 ふわふわと漂っていた彼女の周囲の光が、何かを警戒するようにきらめきだす。
 一歩間違えれば突然ファルゼンが現れて、頭から一刀両断されるかもな、などと考えて……それでも、鴨がネギ背負って来てくれたのだ。ここで逃がしちゃ養い親の名がすたる!
 というわけで、はファリエルに問いかけた。
「森の向こうにあるレックスさんたちの剣と反応しまくってジルコーダ喚びくさってくれた狸寝入りの遺跡のことなんですけど」
 ――ひっさびさの、直球勝負であった。

 これならとぼけようもあるまい、とが睨んだとおり、いや、それ以上にファリエルの反応は顕著。
「……え……!?」
 最初驚愕次動揺、三四がなくて最後に驚愕。
「ど……どういうことなんですか!?」
 の肩を掴もうとして伸ばされた手は、見事にすり抜け空をきった。すかっ。
 だが、前のめりになった体勢までリセットされるわけではない。むしろ勢い余ってつんのめる形になった分、とファリエルの顔の距離は拳ひとつ入るかどうか。
 いくらかわいらしい造作だといっても、真剣になったひとの表情っていうのはどこか気圧される。今のファリエルも、それに漏れない。
「……知らなかったんですか?」
「ジルコーダが喚起の門から出たのは知っています、だけどその前! 剣が反応した……って、どういうことなんです!?」
 剣って、いつかレックスさんとアティさんが持っていた、変身する剣のことですよね!?
 もし彼女が生身だったら、怒鳴るついでに首しめられててもおかしくない形相だ。……幽霊でよかった。

 ともあれ、ちょっと思い出そう。
 あの日、キュウマによってレックスたちが要らんことやらされそうになった後。ジルコーダ殲滅のため、当然のように助力を求めたとき、他一行にはたしてなんて事情説明したっけか?
 ――オーケイ、思い出した。
 喚起の門が暴走して喚びだしたジルコーダが島を荒らした犯人だ、としか説明してなかった気がするわ。はっはっは。

 とりあえず少し離れてください、と押し返す素振りをして、は呼吸を整えた。
 ファリエルの剣幕に驚いたんだろう、足元でおろおろしてたプニムが、慣れた様子でよじ登り、久々に頭の上に鎮座する。
 そんな恰好の間抜けさに気を抜かれたか、ファリエルの目も、普段の丸っこさを取り戻してた。笑顔は消えたままだけど。
「話せば長いことながら」
「はい」
 ……なんて話したものだろうか。
 情報をまとめるためにが口を閉ざしている間、ファリエルは辛抱強く待っていた。落ち着かない気分ではあるらしく、たまに視線が泳いでる。
「なんでもですね、とある方が仰るに――レックスさんとアティさんの魔剣で、あの、壊れた遺跡だか喚起の門だかが正常な機能を取り戻すことが出来るかもしれないんだとか……って、あの、ファリエルさん?」
 台詞の途中から俯いて、小刻みに震えだした幽霊少女を、はおそるおそる覗き込んだ。
「だ……」
「だ?」
「誰ですかそんなことしようとしたの――――!!」
「しー! しぃぃぃ―――っ!!」
 大慌てでファリエルの口を塞ごうとしただったが、相手は幽霊。押し付けようとした手のひらは、やっぱり見事に空をきる。すかすかっ。
 しかも、がたん、と頭上で音がした。
「わわ……ッ」
 見上げたの目に映ったのは、丸くくりぬかれた窓。外側からだと誰の部屋か判らないが、内側で人影がごそごそ動いてるのはよく見えた。
 しかも、なんかだんだん窓際に近づいてきてるぽいし……!?
「隠れ……!?」
 自分はともかく、ファリエルは見られちゃまずい、と。
 ひとまずそこらに隠れててもらおうと振り返ったは、ぴたりと動きを止めた。
 ……今の今までそこに漂っていたはずの、ファリエルの姿が消えていたのだ。
「ぷ」
 ちょいちょい、と、プニムがの頭をつつく。
 改めて見上げた窓辺には、眠気で身体が左右に揺れてるアティが立っていた。
「……」
 視線が合う。
 へら、と笑って、は手を持ち上げた。
「……」
 にぱ、と笑って、アティが手を振って応えた。
 そのまま、彼女はふらふらと窓辺から遠ざかり、部屋の内側に姿を消す。……寝ぼけただけだったらしい。
 ほうっ、と息をついたの傍に、いつの間にかファリエルが戻ってきていた。
「なんだ、アティさんだったら消えなくてもよかったですね」
 ……しー・いず・ごーすと。
 安心したような彼女の笑みに、なんとなーく、行き場のない憤りを覚えちゃっただったが、愛想笑いを浮かべるだけに留めておいたのであった。
 だがしかし。
 軽やかに船を駆け出てきた足音に、またしても凍りつく羽目になる。
「えへへっ」
 先刻のファリエルを思い起こさせる朗らかな声とともに、アティさん、レックスを引きずってご登場。……しかも寝間着で。
「やっぱりっ。ほらレックス、ファリエルさんですよっ」
「うー……?」
 襟首をひっつかまれたレックスは、手の甲で目を数度こすり、それからまたたきを数度繰り返した。
 それから、へにゃ、と寝ぼけまくった笑みを浮かべる。
「あ、ファリエルさん。こんばんは」
とどんな内緒話をしてたんですか?」
 語尾に重ねた姉の問いに、は、ちらりとファリエルを見た。
 どうしようかという問いを含ませたそれに、彼女は小さく頷く。……まあ、予想された返答ではある。よりも遥かに、レックスたちの方が当事者なのだから。
 しかしだ。そのためには、寝ぼけ眼のしやわせ(誤字にあらず)そーな姉弟の意識を覚醒させなければならない。かつ、夜更かしも覚悟してもらわなきゃなんない。
 は元気だしファリエルも云わずもがなだが、目の前の教師ふたりは昼間だって獅子奮迅の働きだったはずだ。アズリアとの問答で、精神的な疲労もあるだろうし。
 ……とはいえ。これから先、落ち着いて話をする暇があるかどうか考えると……やっぱり、今の好機を逃すのは勿体無いと思ってしまうわけで。
「んじゃまあ、しょうがないや」
 かくして、は行動に出た。
 無言で頭上のプニムを手にとって、身体を半分ずらす。足を大きく振りかぶり、身体を後ろにひねって――第一球!

「きゃっ!?」
「うわっ!?」

 ぼよよ〜ん。
 外角高めのカーブを描いたボール球こと暴投プニムは、見事、ふたりの目を覚まさせることに成功したのだった。


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