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【島とは】

- 出遅れた間の出来事 -



 病み上がりだとか大人しくしてろとか、散々自分で云ったのをきれいさっぱり忘れ去り、はイスラを引きずって、音の出所と思われる場所に辿り着いた。

「……」
「……」

 ひゅうぅぅぅ、と、北風がふたりの目の前を吹きぬけていく。
 たしかに、音の出所はここだったようだ。
 緑の草原のそこかしこが、巨人が殴りつけたかのように抉られ、赤茶けた地面を露出させている。その周辺に散らばる金属片、たぶんあれが大砲の弾の残骸だろう。

 だが。
 時すでに遅し、というかなんというか。
 そこには誰もいなかった。――――たった今たどり着いた、とイスラ以外、ラララむじんくん。
「……………………」
 しばし草原を見渡して、は、すとんとその場に腰から落ちた。比喩でなく、そのまま勢いのない尻餅といったところ。
 一拍遅れて落ちてきた髪が、視界を赤く遮った。
 髪を風になぶられるまま、は、のろのろと息を吸って吐いた。
「……イスラ」
「ごめん」
 おどろおどろした呼びかけに、イスラが遠い目になりつつ謝罪する。それを横目で見て、ちょっとだけ溜飲を下げてみた。
「ま……あたしが入ったとこで、何の役に立ったかってのもあるか……」
 見渡す限り、そこに死体やら重傷者やらいうものはない。
 踏み荒らされた草、抉られた地面が戦いの激しさを物語り、散乱した武具のいくつかが、ここで戦ったのは人間同士なのだと教えている。
 視界の端で陽光を反射した金属片を手にとって、はため息をついた。
 ――記憶に新しい、帝国海軍の軍章だ。
 空っぽになってたという船、そして今手にした軍章。
 事態は明らか、これで誰と誰が戦ったかは判明した。
 もっとも、結果としては痛み分けだか引き分けだかそんなところだろう。でなけりゃ、もっと惨々たる光景が広がっているはずだ。レックスたちはともかく、アズリアたちは生半可な決着など望むまい。
 そうなると、なんでそういう結果になったのか、という疑問が新たに出てくるわけなのだけど。
「……あーあ、心配されてるかな」
 つぶやいて、立ち上がる。
「心配?」
「ゲンジさんとこでお茶飲んでるはずなのに、行方不明だもん」
「ああ、そうか……」
 僕が出てこなきゃ良かったのかもね。
 苦笑して、イスラは再度、謝ろうとしたのだろう。が、は、それを手のひら突き出して留めた。
「?」
「帰ろ。ラトリクスまで送るよ」
 そう云うと、てっきり頷くと思ってたイスラは、予想に反して首を横に振って、
「いいよ」
 と、一言。
「なんで?」
 差し出した手は、行き場をなくして、ひらひら。
 所在なさげなそれを申し訳なさそうに見てから、イスラはゆっくり口元を持ち上げた。
「ここからなら、ラトリクスも近いし。は、早く帰ってみんなを安心させてあげなきゃ」
「……そうかな」
「そうだよ。それにさ」、イスラの笑みが苦笑に変わる。「、僕に気を遣いすぎ。もっとざっくらばんでいいんだよ?」
「病み上がりには気を遣いますー」
 とは云え、の全力疾走についてこれるくらいに回復してるんなら、病人だって意識は外してもいいかも――それを差し引いても、まだ、初対面の吐血と瀕死のダブルアタックは未だ印象に根強いのだが。
 いまいち胡散臭げなの表情を見て、イスラ、「信用されてないなあ」と苦笑をさらに深くする。
「最近じゃ、スバルやパナシェやマルルゥとも遊んでるんだよ? 蓮飛びとか、かくれんぼとか鬼ごっことか……」
「――へえ」
 あ、ちょっと見直した。っていうと変か、前印象ちょっぴり撤回?
 スバルたちの遊びって、わりかしハードらしい。蓮飛びなんて、船の一行のなかでクリア出来てるのってナップくらいだ。鬼ごっこも油断してるとすぐ捕まる、かくれんぼは対象がちっちゃいから、根性がないと見つけにくい……etc.
もたまに遊びにくればいいのに」
 くすくす笑って、イスラは身を翻した。
「でも、今日は疲れたからラトリクスに帰るよ。――またね、
「はいはい。またねー」
 危なげなく去っていく背中を見送って、も歩き出した。
 森に差しかかったとき、ちらりと。でこぼこの草原と、飛び散った鉄塊を振り返る。そして嘆息。
「……ったく。どこのバカたれだ、大砲なんて持ち出したの」
 アズリアがそんな指示を出すとは、どうしても思えない。
 和解してくれないいけずさんだけど、そういう筋は通す人だとは認識している。戦いだって、極力相手と条件を同じくして挑むことを望むだろう。
 兵器を持たない相手に兵器を持ち出すなんてこと、する人じゃないと思うのだ。
「…………」
 旧王国の剣筋ってだけで難癖つけてくる、刺青男の顔を思い出して。
 は、もう一度ため息をついたのだった。



 船に帰りつくと、ヤードが砂浜でやきもきしたように待っていた。
「おかえりなさい……!」
 森から一歩踏み出したの姿を認めて、真っ黒いローブに包まれた長身が迫ってくる。インドア系の人なのだが、コンパスの幅は身長に比例して大きいし、何より今は感情が先立って勢いがあった。
「た、ただいまです」
「ゲンジ殿から聞きました、暁の丘に行ったそうですが、帝国軍には遭遇しませんでしたか? はぐれには? 怪我はしていませんか?」
 勢いに気圧されてどもるを、どう勘違いしたのやら。
 やけに切羽詰った表情で迫るヤードを、とりあえず両手を前に出して押しとどめた。
「いや。いやいやいや、あたしたちが行ったときにはもう誰もいなかったです。帝国軍は見てませんし、幸いはぐれも出てません」
 つまり怪我も一切なしです、と云い終えた時点で、ヤードが大きく息をつく。
「……そうですか。よかった」
「心配性」
 悠然と歩いてきたスカーレルが、幼馴染みの後頭部を引っぱたく。
「今日はどんな心配されてたんですか?」
 嵐の日も、水死体な想像されてたことを考えるに、今日も今日ですんげえヤな予想されてそうだ。
 聴きたい? にんまり笑ったスカーレルが、何やら抗議しようとしたヤードの口を塞いで曰く、
「ジイさまからが飛び出して行ったのを聞いて、丘に向かって帝国軍と遭遇してないかやられてないか、よしんば逢ってなくてもはぐれと遭遇してイスラを庇って一人で不利な戦いを強いられてないか――」
「ヤードさん、そんなにあたしを痛い目に遭わせたいですか……」
「ち、違います! その、私はさんが心配で」
「悲観的すぎるのよねえ、この子」
「スカーレル……!」
 半眼になってねめつける、クックッと喉を鳴らすスカーレル。
 そんなふたりに挟まれて、ヤードはひとりで大慌て。うーむ、遊び甲斐のある人である。
「それはともかく」、
 別に遊び飽きたというわけでもないが、は早々と話を切り替えた。
「その――暁の丘? そこで何があったんですか? いや、なんとなく予想はつくんですけど」
「……」
 ヤードとスカーレルは、実に微妙な表情になってお互いを見た。
 が、ヤードはともかくスカーレルは基本的に情報の出し惜しみをしない人だ。……自分のこと以外。
 ちょいちょい、と手招きして、彼は、ヤード共々を資材の影になってる部分に連行した。
「ちょっとセンセたちが沈んでるからね、あんまり大きいリアクションはナシよ?」

「……やっぱしなんかあったんですね……」

「まあね」
「ええ」

 そう前置きしてスカーレルとヤードが話すには、が出かけたあと、ヤードがレックスやアティと剣の話をしてるときに、ギャレオが宣戦布告のために船を訪れたそうなのだ。「ギャレオ?」「格闘術で戦う、アズリアの副官よ」「ああ、あのエドスさん二号」「誰ですかそれは」閑話休題。
 弱者だのなんだの云われて、カイルをはじめとする一家はすっかりブチ切れた。勝負をつけにいくと云う彼らを、レックスとアティは先にアズリアと話がしたいから、と説得。その場になったら止める、とも云ったらしい。なんともはや。
 んでもって向かった暁の丘。待ち受けてたアズリアたちに島のことを話すも、それならば帝国が手に入れるとか仰る海戦隊隊長。などと殺伐しながら、それでもレックスとアティは最後まで戦いを拒否したとか。「……なんて筋金入りな平和主義」「ま、そこがいいトコなんだけど……」
「でも、結局戦いになったんですよね?」
「そりゃあ、ね。相手は戦う気満々だもの……センセたちは、最後まで粘りきろうとしてたんだけど」
 先生たちにとって意味のない戦いは、だけどもアズリアたちの敗北という形で一度は終わろうとしたとか。
 でも、そこに割って入った奴がいた。「刺青男ですね?」「ええ。よく判りましたね」判らいでか。
 の予想どおり、大砲ぶちかましたのはやはりビジュ。かっ飛んでくる大砲の弾を凌ぐために、レックスとアティはまた抜剣しちゃったんだとか。
 ……カザミネが技で凌いだなら、あのふたりは力で凌いだんだろうな。
 そのどさくさで帝国軍は撤退、レックスとアティは、結果として戦いになってしまったことなんかがやりきれないらしくって、帰ってからずっと沈み込んでる、らしい。
 生徒たちが部屋に行ったそうだが、彼らも出てこない。きっと、話し込んでるんだろうってことで、しばらくそっとしておくことになってるんだとか。

 ……話を聞き終えて、は、何をするでもなしに手を動かし、落ちてきた髪をかきあげた。
「なんというか……レックスさんたちも頑固ですね」
 もともとは軍人だ。先日アズリアと話したこともあって、心情的にはなんとなく彼女に同情してしまう。
 全力で剣を向けた相手から、渡り合える力を確実に有していながら戦いたくないんだと云い募られては、そりゃ、苛々も増そうってものだ。レックスたちのしてることは、アズリアへの侮辱ととられても仕方がない。
「あそこまで一貫してると、いっそ立派だとは思うけどね」
 やはり、なんとなしに黒のもこもこをつまんで、スカーレル。
 聞き分けの悪い子のことを話してるようだった表情は、だけど、次の瞬間一変した。
「思うけど――アタシ、センセたちって、ただ逃げてるようにしか見えないのよね」
「……スカーレル」
 諌めるようなヤードのことばに、彼はかぶりを振る。
にはちょっと知られてるから、話しちゃうわ。アタシも昔、ヤードと似たり寄ったりな場所にいた」
「……?」
 唐突な昔話に、は首を傾げる。
 が、普段ならともかく、今みたいなときに無意味な話をするような人じゃない。黙って、続きを待った。
「召喚師じゃないわ。ぶっちゃけちゃうと、ヤードを追ってた刺客と同じ仕事をしてたのよ。……もっと性質が悪かったけどね」
 毒蛇――口の動きだけで、スカーレルは云った。
「アタシの二つ名。毒で相手をじわじわ落とすの」
「……え……えげつない……」
「正直ね。好きよ、アナタのそういうトコ」
 思わずぼやいたの頭を、スカーレルの手が、ぽん、と叩く。
 浮かんでる表情は、かなり昏くて苦いけど……でも、たしかに笑み。それに、見間違えてなければ、きっとことばどおりの感情。
 だが、自分でそうしておきながら、スカーレルは次の瞬間怪訝な表情になる。
「逃げないの?」
「なんでです」
 この手にも毒が仕込まれてるかもしれないわよ、と、茶化すように彼は告げる。
「――理由がないでしょ」
 呆れを隠そうともせず、はそう答えた。
 それに。つぶやくのは心のなか。
 そんなので怖がってたら、あたしは、パッフェルさんまで疑わなくちゃいけなくなる。いっつも楽しそうに笑ってアルバイトしてる、暗殺者出身な蒼の派閥の情報員のお姉さん。大好きな友達。
 ふふ、と笑って、スカーレルは手を引っ込めた。
「ともあれ、ね。そういう商売だったから、まっとうに相手と剣を交わしたことって少なかったわけ。どんな凄腕の騎士様でも、毒で弱ったところを叩いてしまえばはいそれまで、お陀仏でしょ」
「そりゃそうですが……」
 軍人の端くれとして非難するべきかどうか、悩みどころだ。
「アタシは暗殺者よ。人知れず殺すのが仕事。そのために、毒を仕込むの。アナタたちみたいな人からは逃げと思われても、それが必要だったから」
 センセたちも、隊長さんに話し合う気持ちになってもらうには力が必要だって判ってるはず。と、少々長い前置きのあと、話がようやくそこに触れた。
 同じなのだ。スカーレルが話すより先に、は察した。
 アズリアが話していたことと、スカーレルが話そうとしてることは、きっと同じ。
「……やらなきゃ進展しないって判ってるのに、絶対自分から戦わない……」
「ホント、やきもきさせられちゃうわよねえ?」
 の目を見て、スカーレルは得心したように数度頷き、それだけを口にして笑った。
「殺されてもその道を貫く、って覚悟は持ってるんでしょうね。でなくちゃ、あんなに無防備にはなれないでしょうし」
「……抵抗しない相手を倒してもヤな気分だと思うんですが」
 それ以前に、自分の命をなんだと思ってやがりますか。
「それを見るこちらも、負担が大きいですね」
「そ。そこが見えてないのよねえ、センセたち」
 相手の真剣をただ受け流してるだけじゃ、本音でのぶつかり合いなんて出来っこない。
 受け止めてはじめて、本音での話し合いも出来るのに。
「レックスさんたちって、結構ぬらりひょん気質なんだ……」
「ぬらりひょん?」
「あたしの世界に伝わる妖怪です。捕まえようとしても、ぬらり、ひょんって感じで逃げて捕まらないの」
「それはまた……云い得て妙ですね」
 身振り手振りで説明するを見て、ヤードが苦笑気味に応じた。
「ま、周りがどう云っても仕方ない所もあるわ。こうなっちゃうと、センセたちと隊長さんの意地の張り合いだわよ、どっちが先に根負けするか」
「うわあぁぁ、長引きそう」
「船もまだ直ってないし、他に迷惑がかからないなら付き合ってもいいかなとは思うけどね、アタシなんか」
「……たしかに、あの方は卑怯な手段などとらないでしょうから、そこは安心できますね」
 ヤードもスカーレルも、アズリアの性格はちゃんと見てとっているらしい。
 厄介なのは大砲を撃ちこんできたビジュだ、と、顔を見合わせてしみじみしてる。も同感。
 あの刺青男さえ変な風に暴走しなければ、(船が直って出て行けるようになるまで限定で)決着がつくまでは待ってみてもいいかな、と思わなくもない。妙な遺跡との関係も頭痛の種であることはあるが、それは近いうちに護人の誰かを問い詰めて白状させよう。
 レックスたちがアズリアとのことに悩んでるなら、せめてそれくらいはこちらに任せてもらいたいし。
 おそらくまだ、先生ふたりと生徒一同がこもってるんだろう部屋のあたりを見上げて、は、さて誰に尋問しに行こうかと首を傾ける。
 傾けて、
「……ところで、プニムは?」
 朝別れたきりのトーテムポールの行方を、今ごろになって問いかけた。


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