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【島とは】

- おいてかないで -



 そんなどこぞでのツッコミは、それこそどこ吹く風。
 ぽん、とゲンジが手を打った。
「そうか、この間どざえもんになったという坊主じゃったな」
「未遂です」
 すぱっと訂正するイスラ。ツッコミ速度が冴えてるね。
 以前レックスや子供たちと同じ様な流れになったときには途方に暮れてたことを考えると、格段の進歩である。
 こんな進歩、嬉しくないかもしれないが。
「でも、どうしたの? 何か急用?」
「ううん、用じゃないんだけど……散歩ついでに、近くまで来たから寄ってみたんだ」
「……エスパー?」
 なんであたしがここにいるって判ったんだ、こやつ。
 胡乱な眼差しは、だけじゃない。ゲンジもどことなく奇異なものを見る目でイスラを眺めていた。
 ふたりぶんのそれに気づいたイスラは、「あ」とつぶやいて首を横に振る。
「違う違う、そうじゃないよ。船に行ってみたら誰もいなかったから、出かけてるんだなって思ったんだ」
 それで、風雷の郷が真っ先に候補に上がったらしい。
 ……そりゃあ、あの畳好きっぷり和食ラブっぷりを見てりゃあ、ここが出るわな。
 などと納得しかけて、は「ん?」と首をひねった。
「ちょっと待って」
 半身だけ出して止まってた身体を動かして、身体を玄関へ運ぶ。揃えておいてた靴の傍に座って、足をそれに通した。
「“誰もいなかった”? それほんと?」
「え……うん。みんな出かけてるんじゃないの?」
 何回か声かけてみたけど、誰も出てこなかったよ。
「なんじゃ、無用心じゃぞ」
 顔をしかめてゲンジが云うが、はそれにかぶりを振った。
 彼の云うとおり、そんな無用心な真似をするような考えなしはあの一行のなかにはいない。最低でも、誰かひとりは残ってるはずだ。船の中でなくても、声の聞こえる位置にはいるはず。
 それがないってことは――
「何かあったのかも」
「え……?」
 立ち上がって見やったイスラの表情は、不安を前面に押し出していた。
 それに気づいて、は、軽く彼の肩を叩く。
「ちょっと様子見てくるね。イスラ、ここで待ってて。――ゲンジさんすみません、失礼します。もしヤードさんが来たら、待つように云ってください」
 そう依頼しながら、自身、ヤードがここへ来るとは思っていない。
「また何ぞあったか……騒ぎが絶えんな」
「トラブルホイホイが揃ってますから……」
 自分もそうだが、レックスもアティも負けず劣らずだと思う。
 森の中で寝てるだけで、仮想敵の大将を引っかけるなんて、だってやったことがない。……ピクニックに行って、黒の旅団の総指揮官と遭遇したことならあるが。
 ちょっぴり嘆き節の入ったの台詞に、ゲンジは苦笑して頷いた。
「まあいいわい。全部カタがつくまで、騒ぎは覚悟の上じゃ」
 そう云っていただけると助かります、と答えるためにが口を開くより先、イスラが一歩前に出た。
「僕も行くよ」
「病み上がりは却下」
「だって……この間も、僕だけ置いていったじゃないか」
「ジルコーダに食べられたかったのかあんたは」
 何故か必死に云いつのるイスラに、すぱすぱは切り返す。
 のんびりお茶飲んでて忘れかけてたが、謎の魔剣とか謎の遺跡とか出ようとすると起こる嵐とか呼んでもないのにやってきた帝国軍とか――なんだかんだで、この島、騒動のタネはてんこもりなのだ。
 こっちとしてはイスラの身を心配してるんだから、ちゃんと聞き分けてほしい。
 記憶喪失の人間の危うさを、だって理解はしてるつもりなのだから。
 そんな気持ちを込めて、は、イスラを凝視した。
 が、
「……嫌だ。と一緒に行く」
 断固として譲らない。
 返ってきたのは、そんな視線と仕草とことば。
「だあ! もー、あのねえ!」
 戸にかけていた手をはなし、身体ごと振り返って、とうとうはイスラを怒鳴りつけた。
「船が空っぽになったってことは、全員総出になるようなことがあったってこと! ジルコーダがまた出たか帝国軍とやりあってるか知らないけど、あたしはそこに突っ込んでいって、イスラを守る自信はないよ!?」
「……だけど、じっと待ってるだけだなんて嫌だ」
「病み上がりなんだからしょうがないでしょ!?」
「もう元気だよ!!」
 そうじゃなかったら、一人で外出なんて出来るわけないだろ、と。叫んだそれと打って変わって、ぽつりとイスラはつぶやいた。
「戦いがどんなものなのか、まだよく判らないけど……僕の知らないところで、君が怪我をするなんて嫌だ」
「…………」
 ああいえばこういう。
 完全にくされようとしただったが、イスラのそれは、自分にも覚えのある感情だ。そして、ちょっと前にも見た感情だ。

 ――おいていかないで。

 祈るように、願うように。
 遠ざかっていく背中に向けて、つぶやけずにいたたった一言。
 帰ってくるからと云われても、他に拠り所を知らない子供にとっては、小さくなる目の前の光景への恐怖が大きかった。

 ……行かないで。

 港で見た、イスラの表情。耳にした、彼の声。
 遠ざかる誰かに向けられた、きっと云えずにいたんだろうことば。

 …………ああ、もう。
 あたし――だめだ。白旗だ。
 がっくり肩を落としたへ、ゲンジが、苦笑まじりに話しかける。
「つれていってやればよかろう」
「ゲンジさん?」
「こういう奴はな、一度痛い目に遭わんと判らんぞ」
「痛い目イコール即死の可能性もあるんですってば、このひと」
「だいじょうぶだよ?」
 いまだに病弱な印象を捨てきれないに、イスラが反論。壁に立てかけてある竹刀を一瞥して、ゲンジに目を向ける。
 軽い頷きは了解の証。
 持ち主の許可をとったイスラは、竹刀の柄に手をかけた。
「記憶がなくても身体は動く、って、は云ったよね」
「竹刀で真剣から身が守れるかッ!!」
「だいじょうぶだってば」
 この間と、立場が逆だ。
 食ってかかる、だいじょうぶ、と繰り返すイスラ。
 こうなったら力ずくでゲンジさんちに押し込めてやる、と、腕をまくりかけて――はそれに気がついた。
「……」
 イスラの手は、竹刀を握っている。
「ほう、武術を嗜んでおるのか」
 自身も何かの心得があるのだろうか、ゲンジがなにやら感心したように云ったとおり、そこには、不慣れな様子も無理をしている感じもない。
 彼がそうして佇む姿は、剣を、それもおそらく真剣を扱い慣れた人間の様だった。
 む、と。振り上げようとしていた腕を止める。
 かつてのと今のイスラが同じ程度の記憶障害だという保証はない。は真っ白だったが、イスラは僅かでも自分のことを覚えていた。
 だから、彼がいくら云っても、ことばのとおりに身体が動くのだという保証なんてないわけなのだ。なのだが。

 ――いい加減、ここで問答やるのも疲れてきた。

「判った。何かあったら、ちゃんとあたしの云うこときいてね。それが最低限の条件だよ」
「うん」
 竹刀を借りていこうとするイスラを制して、行き先を船から変更。
「メイメイさんとこに行って、自衛用に適当な剣貸してもらおう。近いし。あ、でもあたしが云うまで抜いちゃだめ。――ゲンジさん、じゃあそういうことでお邪魔しました!」
「うむ。気をつけていってこい」
「お邪魔しました」
 一度話が決まれば、の行動は早い。
 まだ島の地理には不案内だろうイスラの手をとると、接地一歩目から全力疾走で、風雷の郷を後にしたのである。

 ……が。
 このときもうちょっと、行き先を。もとい、行き先で待ち構えてるひとの性格を、考えておくべきだったと思っても。


「あっら〜、こんにちはちゃん! ねえねえねえ、この間酒盛りしたんですって!? メイメイさんをそっちのけで!!」

 よよよよよよよ、と泣き崩れるその人を目の前にした時点で、もう手遅れだったのである。


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