もうすぐどころか、もうしばらく。もうずいぶん。もうとっても時間が経っても、レックスとアティは船に戻ってこなかった。
結局待ちきれなくなって探しに行かなかったら、今日中に自発的に戻ってくることって難しかったんじゃないかな、と、はしみじみ思ったものだ。
なにしろ、レックス先生とアティ先生は、森のなかで帝国海戦隊隊長さんとお見合いしていらっしゃったのだから。
夢見が悪くて、よく眠れなかったんだ――――そう話すレックス、隣に佇むアティの表情は、あまりかんばしくない。
「へえ、それで森の中でお昼寝しちゃったわけ?」
口の端を持ち上げたスカーレルが、先を促す。
気分はさながら、裁判官と被告人。勿論、被告人がレックスたちだ。
さもありなん、と、は内心でつぶやいた。
身をちぢこませているレックスとアティを囲む一行、特にカイルとには、そこかしこに擦り傷が垣間見られる。
念のため明記しておくが、コケたわけではない。ケンカしたわけでもない。
「……で、目が覚めたら、あの女がいたってか……」
ため息混じりのカイルのことばが示すとおり、擦り傷の原因はこれなのだ。
あの女、とは、先日もお逢いした例の方。
帝国海戦隊第六部隊隊長、アズリア・レディノンさんである。
どこかで誰かがいい加減直せとか云ってるが、閑話であるので無効である。
「はい」
神妙に頷いて、アティは深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、わたしたちのせいでみんなが危険なことになってしまって」
「いや。探しに出たのはあたしらだし。それは別にいいんだよ」
ちょっと慌てて、ソノラがぱたぱた手を振った。
そうなのである。
いつまで経っても帰ってこないレックスとアティを待ちくたびれて、先に食べてしまえと始めた昼食が終わっても、まだふたりの姿は見えなかった。だもので、さしもの一行も“これはやばいんじゃないか”と思ったのが、小一時間ほど前のこと。
じゃあ行くか、と探しに出たら、
「驚きました。ふたりで、アズリア殿と対峙していたのですから」
場を和ませようというのか、いまいち微笑みになりきれぬ苦笑とともにヤードの告げたその光景が、木立ちの向こうに見えたのだ。
遠目にでも、三人の間に漂う剣呑な雰囲気はわかった。
それは主にアズリアから発されていて、レックスとアティはそんな彼女を説得してるようだったけど、あんた、そりゃ無茶ってもんでしょう。
あんまりにもあんまりな光景にフリーズしたのは、ほんの数秒。
硬直から真っ先に解けたカイルとが、ほとんど同時に地を蹴って、三人の間に割り込み、てんやわんやの末に、ふたりを引っ張ってその場を離脱、船に戻ってきたのだ。
そして、一行はここに至る。
別にふたりを責めようと思ってる者は一人もいないのだが、大勢に囲まれたアティとレックスは、必要以上に萎縮していた。
こりゃいかん、と、考えたのは誰だろう。
「まとめましょう」
そうウィルが云って、全員の注意を自分へひきつけた。
「夢見が悪くて寝ぼけた先生たちは、カイルさんに蹴り出された後そのへんをうろついていたものの、睡魔に負けて地面で爆睡。ふと目を覚ますと、あの人に剣を突きつけられていた、と」
「……完璧」
ぱちぱち、とソノラ、子供たち、子供たちの友達召喚獣が拍手。
さすがに気恥ずかしくなったのか、ウィルはちょっと頬を染めると、早口に自分たちの家庭教師へ告げた。
「それを確認したかっただけです。責任の所在を追及するつもりはないんですから、無駄に落ち込まれてもこちらが困ります」
「う……。ご、ごめん」
「ごめんなさい」
「だから謝るなっての!」
「まあまあまあ」
があっ、とがなるナップの頭を、ぽんぽん、とスカーレルが叩く。
そういや、スカーレルがあんなふうに笑うから、ふたりとも慄いたんじゃなかろうか。思っても口にはしない。したらきっと、籔をつついて毒蛇を出す。
しょんぼりしてしまったレックスたちを慰めるように、彼は、とってあった彼らの分の昼食を取り出した。
「ま、遅くなっちゃったけど、ご飯でも食べて元気出しなさいな。――それが終わったら、夕食の準備をお願いね」
優しい前半にほだされた直後、厳しい後半に直面し、はう、と、石を飲み込んだような顔になって、ふたりはぶんぶんと頭を上下させた。
立ちくらみ起こすぞ、と、カイルが口だけ動かしてつぶやく。
「……オニ?」
その隣、真顔でツッコミ入れたソノラには、スカーレル自身が謹んでデコピンを進呈してた。
オニだなんて失礼な、とひとしきりソノラをいぢって遊んでたスカーレルが、ようやくそれに飽きた頃はじまった夕食は、のんびりとした平和なものになった。
レックスとアティにやきもきさせられた朝食、同じふたりを待って落ち着かなかった昼食に比べれば、天と地ほどの差だ。
いつものとおりに食べ、いつものとおりに片付けて、水浴びをして就寝のしたくをして……やっと、普段のペースが戻ってきたかと、何人かは胸をなでおろしていたんじゃないかと思う。
ナップたちが、気晴らしのためにだろう、レックスとアティを甲板に誘って連れて行ってたのも微笑ましかった。話し込んでいるようで、まだ戻る気配はない。六人もの大人数がいる甲板は、夜風が吹いて気持ちよさそう。
……先生と生徒の語らいを、邪魔しに行くつもりは毛頭ない。
にはで、やらねばと心に決めたことがあった。
「剣のこと――ですか」
「はい」
それが、これ。
ヤードをひっ捕まえて、あの剣にまつわる彼の知り得る事実を、すべて教えてもらうことだった。
甲板にはナップたちがいる、ということで、こっそり船を出てやってきた森のなか、とヤードは向かい合う。
「……」
頷いたの動作も見えたろうし、それ以前にことばも聞こえてたろうに、ヤードは沈黙でもってそれに応じた。月明かりのした、ぼんやりと視える彼の表情は悩ましげだ。
「お願いします。どうしても気になるんです」
「何故ですか?」
貴女は無色の派閥に何をされたというわけでもない、まして剣を継承したというわけでもない。
いわば無関係の位置に近いのではないかと、言外に彼は語っていた。
好奇心で知ることではない、とも。
それは判ってる。
それでも――たぶん、無関係ではないのだ。
「……ヤードさん、不思議に思いませんでした?」
「え?」
「この剣」
もらい物ですけど、と前置きし、腰に下げていたそれを引き抜く。剣から生まれる白い光が、あえかにふたりの周囲を照らした。
「…………」
ヤードが息を飲む。
「あの魔剣とは関係ない、と思います。でも、レックスさんたちが剣を喚ぶたび、妙な反応してるんです」
一部嘘だ。
反応してるのは、剣ではなくての腕……身体。心。
「この剣は、碧の賢帝と違って身体のなかに消えたりしません。でも、おかしな剣って点ではいっしょ。でしょう?」
「――いいえ」
緊迫が多分に含まれた声で、ヤードはかぶりを振った。
「同じです。存在の質は違うようですが……」
おそらく、元になったものは、同じはずです。
「……は?」
今度はが驚く番だ。
目を丸くしたを見下ろして、ヤードはひとつ息をつく。それで、彼の煩悶は消えたらしい。いや、押し隠したのか。
「もう少し、離れましょう。――ここは船に近すぎる」
差し出された手に応じない理由は、どこにもない。
は大きく頷くと、剣を鞘におさめ、ヤードのあとについて歩き出した。