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【記憶喪失な君】

- それぞれに楽しそうな -



 ――嵐の去ったあとの静けさに残されたのは、アズリアとイスラ、ふたりだけだった。
「……」
 何を話しかけていいものか、アズリアは迷う。
 あの嵐の日以来、心配して心配して、半ば諦めかけていた弟が生きていた喜びは大きいけれど、それを告げるには、記憶喪失という大きな壁が目の前にある。
 ちら、と、彼女は、横目で弟を盗み見た。
 ひらひらと、イスラは楽しそうに手を振っている。赤い髪が森のなかに完全に溶けてしまうまで、そうしてるつもりなんだろう。
 仲がいいのだな、と、そんなことを考えた。
 そして、ほんの少しだけ、悔しい気持ちを自覚した。
 親しげだった。と話すときのイスラは、……楽しそうだった。
 友人なのだろう。もしくは、それに近い存在。
 彼がそんな相手を得たことは嬉しいと思うけれど、弟から他人のように接される寂寥感が、軽い嫉妬という感情にすりかわる。それを自覚して、アズリアはため息をついた。
 我ながら、女々しい――そう思ったときだ。
「どうしたの、姉さん? ため息なんかついて」
「……え?」
 変わらぬ声。
 変わらぬ呼称で。
 彼女の弟が――イスラが、悪戯っ子というには少々性質の悪い笑みを浮かべて、アズリアを見下ろしていた。
 姉の驚愕を見てとって、彼の笑みはますます深くなる。

「なんだ、本当に信じてたの? ――僕が記憶喪失なんだって、嘘を」

「イスラ……」

 このとき、アズリアの胸中に浮かんだのは。
 今度こそ知りえた弟の無事を喜ぶ気持ち、ではなくて。
 何も知らずに笑っていたに、自分こそが嘘をついていたような、後ろめたさだった。


 嘘をつこう。
 偽りを演じよう。
 道化の舞台はここにある。
 嘲りの笑みがそこにある。

 罪人よ、踊れ。
 舞うがいい、その時間が止まるまで。

 罪人は、踊りつづけよう。
 道化師は、笑いつづけよう。

 ――――――この命が、消えるまで。





 クノンが廃坑に向かったのは、がイスラを拉致したあとだったらしい。
 なんでも、融機人であるアルディラがこの世界で生きていくために必要な抗体の材料が、そこでしか手に入らないんだそうだ。しかも特殊な鉱物のために、クノンでないと発見できない。
 なるほど、あのとき持ってた小箱は、そのためのものだったのか。
 ……そう納得できたのは、入り口で合流したアティたちとともに、廃坑の奥に特攻かけて、まさにそのときジルコーダにたかられていたクノンを救出したあとのこと。

 礼はいいから、早くアルディラに持っていってあげて、と皆から背中を押されたクノンが、ラトリクスに向けて歩いていく。
 先んじて一人で特攻かけて迎えに行ったレックスをムチャクチャです、と諌めた彼女。だけど、そういうのは嫌いじゃないって云って……微笑んでた。
 その姿を見送る一行は、突然の強行軍と戦闘に疲れ果てていたけれど、表情はとても清々しい。
「……ジルコーダ、一匹出たら三十匹」
「“俳句”ですね?」
 思わずつぶやいたの声に、ヤードが反応する。
 よく知ってますね、と驚いたら、ゲンジ殿のお宅にお邪魔しているうちに向こうの風習をいろいろ教えてもらったんです、とのこと。
 なるほど、云われてみれば、ゲンジさんなら俳句とか嗜んでても不思議じゃないだろう。学校の授業の一環で、子供たちにそういったことをやらせてたかもしれないし。
「……」
 と、そこまで考えて。
「ん?」
 何かが、胸に引っかかった。
 なんだろう。すっごく重大なことを、すっぽり見逃してしまってるような、そんな違和感があったのだ。
「それにしても」、
 前方から聞こえてきたカイルの声で、それはあっさり霧散したけど。
「ジルコーダってのはしぶといな。この調子じゃ、まだ残ってるかもしれねえぞ」
「はは……もう場当たり的に行くしかないよな」
 気分を重くさせるカイルのことばに、レックスが笑って応じてる。
「でも、もう増えることはありませんわ。それだけは、気が楽だと思います」
「そうですね、ヤッファさんも仰ってましたし」
 一族郎党、というのが正しいのかどうかは判らないが、とにかく、その頂点にいた女王ジルコーダが送還されてしまったのだ。残されたジルコーダは、の感覚で云うところの働き蟻や兵隊蟻なんだとか。
 つまり、種を増やす役割を持ったジルコーダが、もうこの島にはいないのである。
 先日の掃討戦で数自体かなり減っているし、見つけ次第退治っていう後手の対応をとったとしても、島への被害はないだろうっていう話だった。
 そも、指令を出す頭がいなくなった今、ジルコーダは巣である廃坑から出ることさえ少なくなるだろう、とは、かの種をよく知るヤッファの弁。
 弓と杖、それぞれの武器を持って歩くアリーゼとベルフラウのことばに、ナップとウィルもうんうんと頷いている。
 戦う姿がだんだん様になってきた、そんな子供たちに、ふと、一行の視線が集中した。
「な、なんだよ」
「なんでもないわよ、気にしないで胸張ってらっしゃい」
 思わず身構えたナップを軽く小突いて、スカーレルが笑う。
 直後、彼の視線は別の方向へと歩き出したに向いた。
「あら。?」
「あっちに、イスラ待たせてるんです。回収して、ラトリクスに送ってきます」
「なんだ、朝突っ走っていったのって、それだったわけ?」
さんも、やっぱり女の人だったんですね!」
 問いに答えるに、なんか好き勝手な反応が返ってきた。
 いったい何かと思ったよ、と呆れたソノラのそれはまだいいとして、アリーゼ、なんでそんなに目を輝かせてるんだ。
「あのメモって、そういう意味だったわけ? やるじゃない」
 何がどうやるんですかスカーレルさん。
 なんだか、どんどん違う方向に発展しそうな彼らの想像を打ち消すべく、は、ビッ、と手のひらを前に突き出した。
 目の前に出てたのが拳なら、じゃんけんで勝てる手である。
「それじゃ! 送ったらすぐ帰りますから、またあとで!」
「判ってるわ、楽しんでらっしゃいな」
 もう聞く耳持たんと身を翻したは、スカーレルの一言で、トドメを食らってずりこけた。
 送っていくだけですってば!
 そう抗議しようと振り返ったら、実に暖かなみなさんの視線に気圧されて、は泣く泣く、そのままイスラのもとへと向かったのである。


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