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【記憶喪失な君】

- 誤解の大盤振る舞い -



 穏やかな陽光をかき消してブリザードが吹き荒れた時間は、時間にしてみれば数分程度だろうか。
 その間、アズリアが何を考えていたかには判らない。
 本人は、あーそういえば記憶ないんだからそういう反応になるよね、とか遠い目になってたし、イスラは、きょとんと首を傾げてるばかりだったし。
 実はちょっと期待してたのだが。知り合いと対面して、記憶取り戻す、ってやつ。自身、アヤと再会したことでそれがかなったから。
 ……あ。
 アズリアさんの頭や身体に、真っ白い雪が積もっていくのが見えますよルヴァイド様。もしかして、あたしの記憶喪失を知ったときのルヴァイド様も、こんな感じでしたか?
 などと養い親に語りかけるを、油の切れた自動人形めいた動きで、アズリアが振り返った。
 うわ。涙目。
「……、だったな。まさ、まさかとは思うが……イスラは……」
 ちょっとためらわれるが、ここで誤魔化しても意味はない。
 は、すぱっと云いきった。

「記憶喪失らしいです。自分の名前と、小さなころのことをおぼろげに覚えてる以外は、何もかも真っ白け。今ならきっとあなたが婚約者だとか云っても信じそうな勢い」

「イスラ!」
 後半の台詞をきれいに無視して、アズリアはイスラに向き直る。
「私のことを覚えていないのか!? おまえの姉のアズリアだぞ! ……そのっ、たしかに、私はよい姉とは云えなかったが……忘れてしまうなんて……!」
「あ、えっと、その。すみま、せ、揺さぶらな、いで」
「アズリアさん、イスラの脳みそバターにする気ですか」
 待て待て待て、と、はアズリアの腕をおさえた。
 がっしと掴んだイスラの肩を前後に揺さぶっていた腕の動きが、それで止まる。
 相当シェイクされちゃったらしく、イスラは、くたくたと地面に座り込んでしまった。
「あ――す、すまない。取り乱してしまったようだ……」
「……まあ、家族が記憶喪失なんてなったら、取り乱しますよね、うん」
 ごめんなさいルヴァイド様。あたし、あのころ、すっごい心労かけてたんですね。帰ったら、きっと親孝行します。
 親の心、今、子知る。
「ともあれ、ちょっと落ち着いてください。無理かもしれないけど」
「あ、ああ……」
 胸元に手を当て、アズリアは数回深呼吸。
 何度目かを数えて、は、他愛のないところから会話をはじめることにした。
「えーと、アズリアさん、こんなところで何してたんです? お付きの人は?」
 未だにちょっぴり動揺が残ってるらしいアズリアは、素直にの問いに答えてくれる。
「島の偵察だ。隊長たる私が動かねば、部下も動くまい? ああ、一人だ――有象無象のはぐれどもに、遅れをとるような訓練はしていない」
 うーん、かっこいい。
「アズリアさんは、イスラのお姉さんなんですか?」
「ああ」
「出身は帝国で?」
「そうだ」
「軍人の家系?」
「そのとおりだ。当家は帝国において、優秀な軍人を代々輩出してきた……いや、その前に。私の家名はレディノンではない」
「え? でもこのメモに」
「それは水に濡れてにじんでるだけだろう!」
 がー、と叫ぶアズリア。
 は、首をかしげてメモを凝視した。
「あれ?」
 そう云われれば、このにじみとかがなかったら、もうちょっと別の字?
「あれ、ではない。先日も名乗っただろうが、まったく……姉兄が姉兄なら、妹も妹だな」
 はあ、と大きなため息をついて、アズリアが云う。
「……ちょっとストップ。誰ですか姉と兄と妹て」
 そっちこそ、何を盛大な勘違いしてやがりますか。
「アティとレックスが、おまえの姉と兄だろう?」
「断じて大間違いです。それこそ、こないだ訂正したじゃないですか」
 つまり、喧嘩両成敗。
「…………」
「…………」
 なんとなく沈黙したアズリアとを、遅まきながら復活したイスラが、どうしていいものか判らない表情で見回した。
 あんなに大騒ぎして連れてこられたのに、今や完璧に蚊帳の外。ちょっと寂しそうである。
 だが、さっきまであった、妙に緊張してた空気は消え去っていた。
 なんともいえぬ微妙なものではあるが、先日感じた一触即発の雰囲気はない。もアズリアも剣を帯びてはいるが、互い、手をそこに伸ばそうとする気はとんとなかった。
「……ともあれ、だ。イスラを助けてくれたのは、おまえなのだな。礼を云う」
「いえ、第一発見者はレックスさんですよ」
 頭を下げて持ち上げたアズリアの表情は、の返答を聞いたせいだろう、苦虫を噛み潰したようなものになっていた。
「そうか……レックスが……」
「はい。というわけで、これに免じて、レックスさんたちと和解するつもり、ありません?」
 は、アズリアと面識を持ってまだ日が浅いが、それでもいくらかは看破出来る部分がある。
 たとえば、指揮官としての優秀さとか。
 たとえば、弟思いなんだろうなってこととか。
 たとえば、義理堅い人だろうなってこととか。
 たとえば、
「愚問だ。奴らが例の剣を所持していると判った以上、何をもっても打倒し、取り返す義務がある」
 ……頑固者なんだろうなってこととか、さ。
 和んだ空気はどこへやら、とたん表情を厳しくして答えるアズリアに、はがっくりとうなだれた。
「あの」、
 そこへ、イスラが口を挟む。
「例の剣……って、何のこと?」
「……あ、えーと、それは、その」
 果たしてばらしていいものか。
 知れば、なんとなく彼まで巻き込んでしまうような気がする。
 思わず云いよどむの前では、アズリアも同じように表情を翳らせていた。
 ふたりの顔を見て、イスラは、「あ」と首を振る。
「大事な話だったんですか? だったらすみません、もう訊きませんから」
「いや、いいんだ。……本当に記憶がないんだな」
 応えるアズリアの笑みは、苦い。
 けれども、彼女はすぐに気を取り直すと、のほうへと向き直った。
「……身勝手な話なのは判っているが……この子はしばらく、おまえたちのところに置いてやっていてくれないか?」
 こちらで引き取りたいのは山々だが、軍に置いておけば戦いの傍にいることになる。あまり、そういった刺激は与えないほうがいいと思うのだ。
 そう告げるアズリアの双眸には、目をまんまるくしたが映っていた。
「はい?」
 いいのか、打倒相手の傍においといて。
「人質にしたらどーすんです」
「おまえは、そういうことをする人間ではなかろう? それに、私はレックスたちを知っている」
 彼らがそのような手段を厭う人柄だということを、彼女は、以上によく理解している――言外のそれに、反対する理由はない。
 アズリアほどじゃなくても、だって、伊達にレックスたちの傍にいたわけじゃないのだから。
「あくまで剣を渡さないというのなら力ずくになるが、一度敗北すれば素直にそれを認める奴らだ。我々とて、他の、戦えぬ者たちにまで手を出すつもりはない。私たちの倒すべき相手は、あくまでも剣を奪った海賊一味と、それに肩入れする不届き者なのだから」
 真っ直ぐにこちらを見て語るアズリアを見て、は胸が透く思いだった。
 なんて気持ちのいい人なんだろう。
 その潔さ、志の貴さ。
 どこかルヴァイドを思い出させる頑固さも、これと決めた道を直進しようとする意志の強固さも。
 うん。この人は、自然にかっこいいんだなあ。
「……だが問題は、あのバカどもだ」
 の表情を見て、何を思ったのだろう。
 きりっとした笑みを浮かべていたアズリアは、またしても、苦々しい思いを孕んだ顔つきになった。
「バカども?」
「ああ」
 応える声さえ、苛立たしげ。
「奴らのことだ……“話し合えば解決出来る”などと甘っちょろい理想を語り、笑って、物事を曖昧に終わらせようとするんだろうな」
 ことばだけでは通じぬ何かも、確かにあるというのに。
 知らずに動いたのだろう彼女の手は、剣の柄に触れていた。
 だが、それが、今戦線を開くためのものでないことを、はちゃんと判っている。
 ついでに、今のアズリアの台詞で“バカども”が誰なのかも判ってしまった。
「あー……あたしの仮姉さんと仮兄さんですね」
 アティとレックス。
 あのふたりなら、ことここにおいてもまず話し合いから入ろうとするんだろうな、って。うん、簡単に予想できてしまう。
 そうだ、と、アズリアは頷いた。
「話し合いですべてが解決するというのなら、人の世に軍隊など生まれなかったはずだ。そうは思わないか?」
 同意を求められ、一瞬迷う。
 何しろ自分も軍人だ。物事を戦いで解決してきた、当の本人だ。
 が、それでも、ルヴァイドやイオス、そしてゼルフィルドと過ごす優しい日々をこそ大事にしたいと思っていたのも事実。
 迷った挙句、もまた、アズリアに問いかけることにした。
「それを云われると頷くしかないですけど……戦わずに済むなら、って思うのも本当じゃないですか?」
「そうだ」
 意外にも、アズリアは頷く。
「だが」、続いたのは否定。「判り合えぬなら一方的に判らせる、そのために力をふるう輩がいるのも事実だ。説得したいなら、たとえ力を揮っても生き延びねばならないのに。……それを判っているくせに、奴らは判らぬ振りをする。力では何も生まれないと、理想だけを口にして――――」
 徐々に熱のこもってきた自分に気づいたのだろうか、アズリアは、はっと口を閉ざすと、気まずそうに視線を逸らした。
「すまない。つまらない話をしたな」
「……いいえ」
 かぶりを振るを見て、彼女は僅かに目を細めた。
「話を戻そう。イスラのことだが……「ぷー」……ッ!?」
 細めた目が、またたく間に見開かれる。
 なんでってそりゃ、
「プニム!?」
 いったいいつの間にやってきたのか。
 の隣にちょこんと佇む青い物体の鳴き声に、驚愕を覚えたせいであろう。だってびっくりしたさ。
 イスラなんて、驚きすぎて背中側に手ぇついちゃってるし。

 自分が原因であるその場一同の驚きを、だが、当のプニムだけが意に介してない。
「ぷ?」
 と首を傾げて、とアズリアを交互に見てる。
「あ」
 それで。
 は、あわててプニムを手元に引き寄せた。
「内緒! これ内緒だから!! でもけっしてアズリアさんと卑怯なこと打ち合わせてたんじゃないからね!?」
「……おまえ……云うにことかいて……」
「内緒話は、してたけどね……」
 頭を抱えたアズリアと、遠い目のイスラをさておいて、は、じっとプニムを見つめる。
 脅迫、もとい、誠意をこめて。
「ぷっ」
 返ってきたジェスチャーは、“合点承知”。
「ありがとー!」
 感極まって抱きしめたら、むぎゅう、とカエルがつぶれるよーな呻き声。
「あ、ごめんごめん」
「ぷぅ、ぷ」
 ちょっぴり文句(たぶん)を云ったのち、プニムは、耳に丸めて持ってた紙の筒をに渡した。
 今抱きしめたせいで、ちょっとしわになっちゃってるが、あのメモほどじゃない。
 郵便配達人のようだ、と埒もないことを思って、はそれを開いた。
「えー……なになに……?」

“ジルコーダが、まだ廃坑に生き残っていたようです。
 クノンがそこに一人で行ってしまいました。
 私たちは今から向かいますから、も、近くにいたら来て下さい。

   ―――アティ”

 ざっ、と目を通すや否や。
 一拍の間を置いて、は立ち上がった。
「ど……どうした?」
 目を丸くしたアズリアが、つられて立ち上がりながら問いかける。同じくつられたのか、イスラも身を起こしていた。
 そんなふたりを振り返り、は一息に要点だけ告げる。
「ここで姉弟の語らいしててください、あたしはちょっと蟻んコ退治に行ってきます。終わったらアズリアさんは帰ってもいいけど、イスラは道判らないだろうから、あたしが迎えにくるまでここに待機してるように! 行こうプニム!!」
 ふたりが頷くのを、は、身を翻すのと同時に確認した。
 横目でちらりと見たアズリアとイスラの表情は、なんだかおかしくなるくらい似てた――とっぴなの行動に、度肝を抜かれたっていう共通の感情もあるんだろうが。
「ぷっ!」
 一声鳴いて、プニムが、走り出したの隣に並んだ。
 が、がんばって、と。
 呆気にとられながらも声援を送ってくれたイスラに、手だけ軽く振って応じたは、そのまま、振り返らずに森のなかに突っ込んだのである。


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