「あああぁぁぁぁ――――――――!!!!!!」
あー、あー、あー、ぁー、ぁー、ぁ……
未だに修理継続中の船内に、少女の絶叫が響き渡った。
すぐ目の前に立ち会ってしまったスカーレルが、耳を押さえてうずくまる。
室内にいた数人が、なんだなんだと扉を開けて顔を出した。
その目の前を、一陣の風が通り過ぎる。
残像は、赤。
赤い髪といえば、この船には三人ほど該当者がいる。
まず、赤い髪に白い服がアティ。
次に、赤い髪に赤い服がレックスである。
そうして、最後に赤い髪に黒い服を好んで着る少女の名前は、というと。
「……スカーレル。、どしたの」
「わ……わかんないわよ……ッ」
ぁー、ぁー、と。
今だ少女の声が残滓となって木霊する耳から手を放したスカーレルは、どうにかこうにか、ソノラの問いに答えることに成功した。
「ほら、島に流れ着いたあと、あの子の着てた服脱がしたでしょう。潮くささがやっと抜けたから、一応しまっておこうと思ってたたんでたのよ」
「性別によらず家庭的なんですね、スカーレルさん……」
「お黙り。――そしたら、ポケットからぐしゃぐしゃのメモが出てきたわけ。折りたたんであったみたいだし、中を見てもまずいかしらって思ってそのままに渡したんだけど」
「そうしたら、唐突に叫んで走っていった……と?」
「はいヤード正解」
あー、まだ鼓膜がひりひりするわ。
ぼやきながら、スカーレルは、今や一行の物置と化している船倉のほうへと歩いていく。たぶん、そこに服をしまおうとしてたんだろう。
他の面々は不思議そうに顔を見合わせたものの、答えは出ないということは判りきっている。三々五々、それぞれの室内や行こうとしてた場所へ身を翻した。
「……ぷー」
ただ、一匹。
の頭上から放り出され、おいてかれたプニムが、さみしそーに北風に吹かれていたのであった。
彼はしばらく佇んでいたものの、「ぷ」と一声鳴くと、力のない足取りでどこぞへと歩き去っていき。そうして再び、船内には静寂が戻ったのである。
「御用改めであるイスラ・レディンヌ―――――――――!!!」
「ぶッ」
ずぱああぁぁぁぁぁッ! と。
常の比にならぬ勢いで個室の扉を開け放ち、叫んだは、イスラの吹き出した紅茶を頭から浴びるという惨事をすんでのところで回避した。
「あああああ危ないなあ! 吹きだすなら吹きだすって断ってよ!!」
「げほげほげほげほげほげほげほげほッ」
「まあいいから来る! ほれ来るやれ来るとっとと来る!!」
「げほ……ッ、な、何、なんなの今叫んだの」
「イスラの名前に決まってるでしょ!? いや、家名? そんなのどうでもいいから、ほら、さっさと着替えて出かける準備する!!」
何か検査をした直後だったのだろうか。
真っ白い、清潔な寝間着を着ているイスラの胸元を、は、ただただ衝動に任せて思いっきりはだけた。
なんかペンダントが揺れてるが、とりあえず無視。追いはぎじゃないんだし。
「―――――――!!? あ、あの、!?」
「いいから脱ぐ! んで着替える!!」
「……様。それを世間では『よいではないかごっこ』と称するというのは本当ですか」
つい数十秒前、目の前を突っ切った赤い突風がであったと気づいたクノンが、『間違いだらけのシルターン見聞録』と書かれた本を胸に抱いてやってきた。
「違う! これは『おやめくださいお代官様ごっこ』!」
「判りました。記憶いたします」
「記憶しなくていいからッ!!」
何故か必死に叫ぶイスラを差し置いて、クノンは真面目に頷いた。
「ありがとうございました、様。イスラ様、お出かけになられるのでしたら、お帰りの際はアルディラ様に声をおかけください。私は少々出かける用事がございますので」
とイスラの修羅場をものともしない淡々とした声音で告げて、再度一礼すると、クノンはすぐに身を翻した。
何の用事なんだろうか。手には、『間違いだらけの(略)』以外に、ちっちゃな器具が入ってるっぽい小箱を下げている。
「はーい。じゃあまたねクノンー」
そんな彼女に朗らかに手を振り、
「さて」
と、はイスラを振り返る。
ちょっぴり据わった碧の双眸に、イスラ、半ば涙ぐんで叫んだ。
「わ、判った! 着替えるから外に出ててよお願いだからッ!!」
……おまえさんは乙女か。
半分脱がせかけられた寝間着を、必死こいて胸の前でかきあわせながら壁際に後退する姿を見て、は、膝からメディカルルームの床に崩れ落ちた。
だがまあ、それで波が引くかといえばそうでもない。
着替えて外出の準備をしたイスラの腕を引っ張って、中央管理施設にいるアルディラに連れ出しのご挨拶。数分前の赤い疾風がだったのだと、アルディラ、その時点で気づいたらしい。
私のサーチ能力もまだまだね、なんて、悔しそうに云っていた。
だがまあ、外出自体を止める気はないようだ。何か訴えるようなイスラの涙目をきれいに黙殺し、彼女は、微笑みながらふたりを送り出してくれた。
そうしてラトリクスを抜け、森に入り、木々の生え方が林立というより密集してるといえそうな場所を抜け、もはや目の前には岩場やら崖やらしかないというところまでやってきて、
「……よし。ここまでくればおっけえ」
つぶやいて立ち止まったを、イスラが、心底安堵したような表情で見下ろした。
「どうしたの、。何かあった?」
「あったもあった、大有り! よろこんでイスラ!!」
「な……何?」
彼女の興奮の原因が自分にある、と察し、イスラの顔色が心なし悪化。
一筋流れる冷や汗を、は、彼の名誉のために見なかったことにした。
その代わりとばかり、懐を探って“それ”を取り出す。潮水のせいか放置のせいか、黄ばんじゃったぐしゃぐしゃの――元々は真っ白だったと思われる、一枚の紙だった。
破かないよう慎重にそれを開いて、は、イスラの目の前にそれを突きつける。
「これ!」
元は何か書いてあったのだが、潮水に浸かったせいで、インクがどろどろに流れてしまっているようだ。けれど、かろうじて読める箇所がある。
訝しげに紙を覗き込んだイスラが、はっ、と身体を強張らせた。
実は、スカーレルからそれを受け取ったが、叫ぶ前に硬直したのと同じ箇所である。
どろどろに流れたインクが、かろうじて文字を形成している部分――そこには、“イスラ・レディンヌ”と、どうにかこうにか頭をひねって悩ませて空中三回転ほどして目をまわしたあとなら読めそうな字の残骸が、それでも他に比べればマシな状態で残っていたのだ。
「ね! これイスラの家名だよね!?」
宿を借りた翌日、ひとりの部屋でメモを読んだときのことを思い出し、は万歳したい気持ちだった。
そう。
こないだ、アズリアの名乗りを聞いて、何かが引っかかると思っていたのだ。
スカーレルからこれを受け取って、それでようやく思い出した。
「…………そ……そうなのか、な……」
実に複雑怪奇な表情で、イスラは食い入るようにメモを見つめている。
それが記憶喪失ゆえの混乱なのだと勝手に解釈したは、それでは、と大きく息を吸い込んだ。
「御用改めであるアズリア・レディンヌ――――――――!!!!!」
……蛇足だが、補足。
この岩場、いつぞたちがアズリア率いる帝国軍と戦った、いわくつきの場所であった。
何故か地面に崩れ落ちたイスラをほったらかし、待つことしばし。
「……人の名前を堂々と間違えてくれるバカがいると思ったら……おまえか」
何故か口元をひきつらせたアズリアが、力の抜けた足取りで、横手の森から出てきてくださったのでありました。