突然踊り出た人影、予想もしなかった赤い髪の少女に驚愕したのは、キュウマだけではない。
たぶん、彼よりずっと、自分たちのほうが驚いた。
……船にいる予定だったのに、どうしてこんなとこにいるのって。
……どうして、俺たちが(わたしたちが)どうしようもないときに限って、守るみたいに出てきてくれるのって。
……どうして。
あなたはここにいるのって――――
内側から溢れ出そうとしていた衝動を、内側から響き渡っていた声を。
抑えようとしていたのは、理性とか意地とかそんなもの。
そんなものが、その一瞬、驚愕に占められた。
「あ」
……タガが飛ぶって、きっとこういうこと。
「う、あ――ああぁぁぁぁッ!?」
溢れ出る。
零れだす。
とめどなく溢れる強い衝動が、光になって彼らを包んだ。
普段は内側にたゆたってるそれが、全身に染み渡って彼らを変貌させる。
右手が、一際熱い。
からみつく碧の光。
前にばさりと落ちてきた、真っ白な髪。
――すべてを継承せよ……!
吼え猛る獣が、内側にいる。
獣に喰らい尽くされる。
剣に喰らい尽くされる。
自分の熱より遥かに強い高熱に、この身も心も塗り変えられる――
「ッ!! そのバカを押さえとけッ!!」
刹那。
やわらかな手のひらが背中に押し当てられた。
内側からの奔流が、それで、嘘のように引いていった……
……フェードアウトはほんの数秒。すぐに意識は浮上した。
まといつく残滓を振り切るように持ち上げた上体に、さっきまでからみついてた白はなかった。あわてて一房つかんで目の前に。……見慣れた赤。
ほっとした。
そして、すぐに視線を転じる。
隣でうずくまってたレックスは、彼女より早く起き上がっていた。弟の視線を追って、アティもまた、そちらを振り返る。
「…………! ヤッファさんも……!?」
ほんの数秒前までその場にはいなかったふたりの乱入者の姿を認め、できたことは、力の抜けた身体をどうにか支えたまま、その名を呼ばわることだけだった。
じくじく疼く右腕を抱え、アティは地面に腰を落としたまま。
レックスもまた、片膝を立てた体勢から、立ち上がれずにいる。
それほどに強引で、そして強大な鳴動だった。さきほどの、声。それに伴って溢れ出した奔流は。
……そんなふたりをかばうように。赤い髪の少女が、キュウマとの間に立ちはだかっていた。
空は――赤くない。
大地は――塗れてない。
だのに。
「……どうして……」
どうして、それは。
あのときの、背中に。
つぶやいた声が、聞こえたのだろう。
震えだしたアティの肩を、レックスが掴んで引き寄せる。
同時に、目の前の赤い髪がたなびいた。ゆっくりと、がこちらを振り返る。
……細められる、翠の双眸。
ぺちっ、と。
実に間の抜けた、後頭部を叩く音がした。
「すいません、覗き見してましたっ」
……語尾にはたしかに、ぷりてぃなハートマークがくっついてた。
突然の乱入に固まっていたキュウマの硬直が、それで解けたらしい。
レックスとアティの斜め前で、怒りも露に彼を睨みつけていたヤッファが、実に気の抜けたため息をついてる。
んでそのレックスたちは、張り詰めてた気がめいっぱいたわんだらしく、がたがたと地面に崩れ落ちてた。
うむ、間抜けは世間の潤滑剤。
「……ぷぃ〜……」
意味なく胸張るの足元では、プニムが裏拳をきめていた。誰に? そりゃ、の足にだ。
「ヤッファ殿……殿まで、何故こちらに?」
「白々しいぞ、てめえ。……何を考えてる、なんでこいつらをここに連れてきた!」
わずかに口元を歪めたキュウマの問いに、ヤッファが怒声で応じた。立ち上がり、より一歩抜きん出てキュウマに迫る。
レックスたちについてはに任せるか、もう心配ないってところだろう。
もしキュウマが実力行使に出たら、と。そう考えて、は柄にかけてた手を離す。……油断は出来ないが。
「知れたこと」
嘲笑も露なキュウマの答え。
「彼らの力で、遺跡を復活させようとしただけですよ」
「それがどういうことなのか判ってんのか!? 一歩間違えりゃ、またこの島が……!!」
普段のやる気なさげな様子は、どこ行ったのか。
心底怒りを感じているらしいヤッファの怒鳴り声にも、だけどキュウマは全然動じてない。
あまつさえ、実に挑発的な口調で云いきった。
「すべて承知の上でやっている――と云ったら?」
「てめえ……ッ!」
ぎり、と歯を噛みしめる音がした。出所はヤッファ。
彼は一歩飛び下がると、ためらいもなく、腰に下げてた爪を模した刃のついてる小手に腕を通す。
それを見たキュウマは軽く眉を持ち上げて、同じく、帯びていた刀を抜き放った。
って、おい。
「おおおおおおぉぉぉぉッ!!」
咆哮とともに、ヤッファがキュウマに肉迫する。
だが、キュウマとて易々と接近を許さない。刀を大きく横薙ぎに振るい、ヤッファがたたらを踏んだ隙をついて、片手で何やら複雑な印のようなものを描いた。
「召鬼・爆炎!」
虚空に生まれる炎の生き物。それは、真っ直ぐ、ヤッファ目掛けて突っ込んで行く。
おいおい。
が、ヤッファは熱をものともせずに、拳でそれを叩き落とした。見れば、薄い水の膜が彼の腕を守るように存在してる。
あらかじめ、召喚術を唱えてたらしい。ローレライに似た水棲生物らしい影が、うっすらと消えていってた。
いや、だから。おいおいおい。
「やめて……やめてくださいッ!!」
急展開への放心から回復したのは、意外にもアティが一番だった。さっきの変身しかけで消耗した体力もある程度取り戻したのか、ちょっとふらつきながらもヤッファとキュウマの間に割り込もうと走り出す。
が。
アティが自分の横を通り過ぎようとした瞬間、は腕を水平に突き出していた。
「!」
非難を込めた彼女の声にも、首を横に振る。
うん、だからさ。
すぅっ、と。
大きく息を吸い込んで――
「気づけそこのあんぽんたんどもッ!!」
叫んだ。
それが合図。
足元のプニムが、耳を上に持ち上げた。特技岩石落とし。どっからか呼び出された岩が、爪と刀を打ち交わそうとしてた、ふたりの護人の間に落下する。
さすがにこれは受けるわけにもいかず、キュウマとヤッファはそれぞれ大きく後ろに飛び下がり、結果として間合いが開いて息つく暇が生まれた。
「何しやが……ッ!?」
「――これは――?」
ぎちぎち。
ぎちぎちぎちぎち。
ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち――――
ほんの僅か、昂ぶっていた感情が鎮まって。それで、彼らもようやくその音に気づいたらしい。
喚起の門のほうから響く、金属めいた軋み音。
そして、それが大きくなるのに比例して近づいてくる、濁った黄色の身体を持ったでかい虫の群れ。蟻に似てるな、大きさは段違いだけど。
「……」
「話し合い不可能だと思いますが。めっちゃ食べる気満々ぽいですよ」
アティに遅れること少々、立ち上がったレックスのことばに、努めて気軽にそう返す。
「いや。そうじゃなくって」
「それより前に、あれが何者なのかってことをですね」
のんきだなあってば。と苦笑するレックスに続いて、力の抜けた笑みを浮かべたアティのツッコミが入る。
が、赤髪三人に答えを持ってる者はいない。持っているのは別のひと。
刃を交えている間ではないと判断したのか、腕を下ろしたヤッファが苦々しい表情でつぶやいた。
「ちっ、よりにもよってこいつらが出るか……!」
「ご存知なんですか?」
会話してる間にも、でかい蟻もどきの群れは、徐々にこちらを包囲するように動いていた。
手遅れとは思うまい、気づくのがもう少し早かったとしても、包囲は完成していただろう。――何しろ、あれが本当に蟻の習性を持ってるのだとしたら、チームワーク抜群以心伝心百パーセントお尻からは餌の目印分泌物。だし。こういった手合いは、倒さないわけにはいかない。手加減したらこちらがやられる。
しょうがないな、と柄に再び手をかけると同時。アティの問いに答えるヤッファの声が、にも届いた。
「――ジルコーダ。メイトルパのことばでな、“喰い破る者”って奴だ……!」
ち、と大きく舌打ちし、ヤッファはキュウマを睨みつけた。
キュウマはというと、ついと視線を逸らし――それでも、刀を向けるはジルコーダたちのほうだ。あえて隙を見せるつもりはないらしい。
さきほどの確執は確執。割り切る潔さに少しだけ感嘆し、もまた、剣を抜き放つ。
「殲滅する気でいけッ! こいつらは、喰い尽くすことしか頭にないぞ!」
同じ地からの来訪者へ敵意も露に、ヤッファが最後の指示を出した。
一匹が、まず、それまでの緩慢な動きを捨てて動いた。
――ギシャアアアァァ!
耳障りな甲高い鳴き声とともに、大きな顎でもって獲物を食いちぎろうと迫り来る。
位置どりの関係上、先陣を切る形になったキュウマがそれを迎え撃った。
風切り音も高く振るわれた一閃は、だが、表皮をこすったのみ。
「……くっ!?」
思いもしなかった装甲の硬さ。キュウマの表情に、動揺が生まれる。が、そこはさすがにシノビ。すぐさま距離を開け、さきほどと同じように何かの印を組み、
「召鬼・爆炎!」
生まれた炎は、今度こそ一匹のジルコーダを焼き尽くす。
「奴等に斬撃は効き難いぞ。召喚石は持ってきてるか?」
「いや。たぶん、これはだいじょうぶです」
最初の一匹を皮切りに、波状攻撃めいて次々と迫るジルコーダを爪で貫きつつヤッファが問う。
それに対してはというと、剣を示してかぶりを振り、レックスとアティは懐を探ったあと、どうしようか、と迷う素振りで柄に手をかけ同じ動作。この三人はまさかこんなことになるとは思ってなかったから、武器の携帯さえしてない可能性もあったのだ。それを考えれば上等なほう。
「なら、そこらに未誓約の石が転がってるから好きに使え」
見たとこアティのほうが召喚術には長けてるようだから、レックスは露払いしてればいい。
「じゃ、プニムもお手伝いね」
「ぷー!」
任せて、と握りこぶしなプニムにお願いして、は前線に踊り出た。
ジルコーダの攻撃は単純だが、厄介なのが頑丈すぎる表皮、それから、噛み付かれれば骨まで持っていかれそうな巨大な顎。動き自体は素早いとは称せない程度だが、数が多いのが困りどころだ。
救いなのは、興奮が伝播する性質なのか、はたまた不意打ちを狙うような頭がないのか、おそらくこの場に存在するジルコーダすべてが姿を見せていること。
これは気分的にずっと楽。目の前のそれらを、ただ打ち破っていけばいいから。
は無言で剣を振るう。
キュウマよりは非力であるはずの彼女の剣は、造作なくジルコーダを斬り伏せていった。不思議なことに、刀を弾くほどの強度を相手にしても、ろくに力を要しない。
倒すというの意志に感応して、強度を増してるようだ。
便利なんだかなんなんだか。つまり斬る気がないときって、鈍器にしかならないってことじゃないのか。
……やっぱ不便だな。
「ふっ――っ」
出来るだけ、後ろのアティやレックスにジルコーダたちの気が向かないように細心しながら……そんなことを思った。
だって、これは。こんなものは。
一歩間違えば、自分の能力を鍛えようって気持ちを萎えさせる魔力を持っている。
きっと。人のちからを易々と越えるものを、人は易々と手にしちゃいけないのだ――
……だから。今度、メイメイさんのお店に行こう。
「しまった……っ!?」
「!?」
斜め前方。
やはり黙々とジルコーダを相手どっていたヤッファが、こちらを振り返って叫んでいた。
自分の周囲と後方のみ気を払っていたは、振り返った彼の動作の意味を一瞬つかめず、反応が遅れる。
その一瞬の間に――ヤッファの脇をくぐりぬけたジルコーダは、の目の前にまで接近していた。
「く……ッ!」
後退する暇もない。不安定な体勢から繰り出した剣は、ジルコーダの前足を一本減らしただけ。
しかも、それで平衡を崩したは、尻から地面に倒れ込む。
「!」
それらを後方で見てたらしいレックスが、動揺も露に叫んだ。
「だいじょうぶ!」
だが、動きを止めた獲物を狙って開かれたジルコーダの顎は、白い閃光に貫かれた。どうせ一直線の攻撃、と、半ば勘で突き出したの右腕は、見事に効を奏したわけだ。
起き上がりしな、また一匹が襲ってきたが、それはキュウマの爆炎で焼き尽くされる。
一拍で攻め込まれる間合いに敵はいない、そう判断してはレックスたちを振り返る。
「レックス! あたしはいいから、アティをちゃんと守っ――――」
術を唱える間の召喚師は、精神集中の手間もあってか隙だらけだ。数人で囲むなら安全の保障はなされるが、今、アティの露払いをしてるのはレックスだけ。
加えて、手持ちの召喚石がないために新しい誓約を交わそうとしているのだ。集中の度合いは半端じゃないはず。
つまり、アティは自分で自分の身を守れる状態とは云い難い状態。
そんな理由から、は、レックスに“こっちは気にするな”という旨のことを伝えようと思ったのだけれど。
振り返った双眸に映ったのは、
「ぐあ、あぁぁッ!!」
今の一瞬。気を逸らした間に懐へ潜ったジルコーダから、腹を食い破られたレックスの姿。
「レックス!」
光を発しだしていたサモナイト石を放り出し、アティが叫ぶ。
間をおかず、ほとばしる鮮血。
ごっそりと持っていかれた腹部は、いっそシュールな感じにジルコーダのあぎとの形にくり抜かれてた。
傷を押さえようというのか、無意識に添えられるレックスの手のひらは、真っ赤だった。
……そう。
あの赤い日、骸から溢れる血を懸命に抑えてたときのように。
それを見て。
ぷつん、と。
一線が吹っ飛んだ。