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【喰い破るもの】

- 訪れた理由 -



 ……時間を少し遡ろう。

 たちが武器の手入れをはじめるより、まだ少し前からだ。


 ていよくスバルを遊びに出して待ち受けていた鬼姫に、学校での愛息の様子を告げて和やかな時間を過ごしたふたりは、やはりミスミに引き止められて同席していたキュウマに、島の異変を告げた。
 都合上ミスミも聞くことになったが、彼女はキュウマの主であり、郷のまとめ役だ。外すほうが失礼というもの。
 当然、遊びに出したスバルのことをミスミは心配したけれど、レックスたちの見た現場、そしてやフレイズ、ヤッファの検証した現場から考えるに、まだユクレスや風雷の郷へ向けた移動はしていないと思われた。今日の護人会議のあとでも間に合うだろう、と話し合っていたところに、ヤッファが参上。
 もちろん、護人会議の招集である。
 さらにもちろん、めんどうくさそうであった。
 だが、そんなことも云ってられまい。
 たまたまそこにいたレックスたちに、あんたたちの見たことも話してくれとヤッファは要請し、そうしてふたりは、護人会議の外部参加者として集いの泉に移動した。

 発端は、そこからだ。
 会議自体は滞りなく終わった。原因を見つけるまで警戒を強める、また、皆には混乱が起きないように話しておき、解決するまでは危険だと感じるような場所には行かぬよう注意してもらう……と、まあ、昨夜船の一同が決めたのと同じようなことが決定され、解散の運びとなったのだ。
 当然、ふたりも船に戻ろうとした。

「ちょっといいか?」
 ――それを、ヤッファが止めたのだ。

 昼日中に集落から出るのは、やはり辛いのだろう。
 いつかの夜、可憐な少女の姿を見せた白い鎧は、こちらを振り返ることなく心なし急ぎ足で遠ざかっていく。
 も同じことを知っているとは知らないふたりは、まだ、ファリエルのことを誰にも話していない。ただ、ちょっと、やっぱり今でも信じ難いなあ、なんて思って見送って、足を踏み出したとこだった。
「はい?」
 振り返ったふたりの目に、何やら苦い顔をしているヤッファが映る。
 ……珍しい。いつもなら、「あー疲れたー」とか云って、それこそさくさくユクレス村に戻っていくのに。
 そんな疑問も込められたレックスとアティの視線を受けたヤッファは、「ん」と尻尾を一度ぱたつかせ、

「あんたらが持ってる、剣のことなんだがな」

 ――なんて、唐突に口にした。

 どきん、と、心臓が高鳴った。
 ときめきではないし、きらめきでもない。これはどきどき。しかも、冷や汗が伴うどきどきだ。
 別に後ろめたいことなんてないはずなのに、どうしてだろう。
 何故か、ヤッファの表情と口調に、不安をあおられる。
 ふたりの心中に気づいているのかいないのか――ヤッファは、数度口を開いて閉じてを繰り返した後、やっと、それを口にした。
「あれな。あまり使わねえほうがいい気がするんだよ」
「……どうして、ですか?」
 たしかに、常識を外れた剣だけど。
 それでも、これがあったからこそ子供たちが助けられて、島に来てからも窮地を何度か切り抜けられて……
 知らず胸元に手を組んだアティの問いかけに、ヤッファは、やはり歯切れの悪い口調で応じた。

「根拠なんてねえ、ただの勘だ。だが、呪い師フバースとして、あれは喚んじゃならねえって感じがするんだ」

「――確実に示せる根拠のないことは、口にするものじゃないと思うわよ?」

「アルディラさん……?」
 立ち去ろうとしたところ、声を聞いて留まったのだろうか。通路に近い位置でラトリクスの護人が振り返っていた。
「アルディラ、おまえ――」
 ヤッファの視線に、険がこもる。
 だが、彼女は肩を軽くすくめることでそれをいなした。
 やわらかい茶色の髪にふちどられたアルディラの表情は、何故だか、少し不安定。
「……だから、私は、根拠を見つけたいの……」
「あ?」
 それだけ――実に意味不明なそれだけを告げて踵を返した彼女に、ヤッファが拍子の抜けた声をあげた。
 が、アルディラはもう振り返らない。
 降り注ぐ陽光に髪を僅か輝かせ、その姿は真っ直ぐに森の中へと消えていった。
「なんだ、あいつ」
 後頭部に手をやって、ヤッファがごちる。
 気分的には、レックスもアティも同じようなものだ。
「……ま、とにかくだ。いい気分がしねえってのは本当なんでな。出来るなら、あまり不安にさせんでくれや」
「え……と」
 意図と本意を掴みづらい、そんな表情でアティが少々ためらいを見せたが、
「はい」
 その隣で、レックスがそう云って頷いた。
「レックス?」
「ただの勘って云えば、それまでだけどさ。見過ごせるものでもないだろうし……」
 怪訝な姉のことばに、弟は苦笑いで応じる。
 そんなふたりを見て、ヤッファも、
「そうか。そうしてくれりゃ、余計な心配もしねえで楽だな」
 と、肩の荷がおりたような顔で破顔する。
 そうして、ふたりはヤッファと並んで泉を後にし、ユクレス村へ戻る彼と別れて森へと足を踏み入れた。

 さくさく。下草を踏みしだいて、進むこと――ほんの十数秒。

「あれ?」

 前方に人影を発見し、手でひさしをつくったのはレックスだった。
「キュウマさん、どうしたんですか?」
 その人影に、アティが呼びかける。
 ここから風雷の郷に戻るなら、ふたりの歩いていく方向とは少し違う道を行かなければならない。だのに彼がここにいるということは、レックスたちを待っていたということに他ならないのだろうが――
 きょとんと立ち止まったふたりに、キュウマが近寄る。木漏れ日と枝葉の作る影が複雑に絡み合い、その表情は見通しづらかった。
 ――さく、さく。
 彼にしては珍しい、下草を踏みしだく音が止まる。ふたりの目の前に立ったキュウマは、うっすらと口の端を持ち上げていた。
「待ち伏せしてしまったようで、申し訳ありません。ですが、是非おふたりに見ておいていただきたいものがあるのです」
「……見てほしいもの?」
「それって、今じゃないとダメですか?」
 出来ればみんなに、今の結論を伝えてから……そう云いかけたアティのことばを、キュウマは早口に遮る。
「ええ。是非、今からご一緒していただきたいのです。それに先ほどの結論でしたら、貴方がたが昨夜相談されていたことと同じ、そう仰っていたではありませんか」
 ならば、さしあたってそう急がれる必要はないのではないかと。
 いつになく硬いキュウマのことばに、レックスとアティは顔を見合わせた。
 船のみんなを心配させたくはないが、引く様子も見せずにいるキュウマの頼みも断りづらい。
「……時間はかかりますか?」
「いいえ。そう長くは。遅くとも、日が中天にかかるまでには終わります」
「そうですか。それじゃあ……」
 ゲンジじいさんに捕まらないようにね、と笑ってたソノラ。
 捕まって勉強してくるのもいいんじゃない、と茶化してた生徒たち。
 通知表を作るのもテです! と、手遅れなことを云って親指立てた
 昼食までには戻って下さいね、と微笑んだヤード。
 船を出がけにそう見送ってくれた人たちを思い浮かべて、ふたりは、こくりと頷いた。

 ――そうして、ふたりはキュウマに案内されるまま足を進め……この場所へ、やってきたのである。



 シノビは気配を殺すのに長けている。それと同じくらい、周囲の気配に敏感だ。
 だから、は正直云って、すぐさま発見されると覚悟した。ついでに、立入禁止場所に近づくとは何事だ、そう怒られる覚悟もした。
 ……だが。
 現実は、予想をきれいに裏切ってくれた。
 気づいてて無視してるのか、それとも、本当に気づいてないのか。
 キュウマは、ただ前方を。木々の向こうの遺跡を見据えて、足を進めていた。
 もうすぐ、の隠れる茂みに差し掛かろうというとき、少し迷った。このまま出て行って挨拶し怒られるか、隠れてやり過ごすか。
 けれどその結論を出す前に、レックスが口を開いていた。
「キュウマさん――」
「なんですか?」
 よどみなく進めていた足を止め、キュウマはレックスたちを振り返る。
 のいる茂みからは、距離にしてほんの十数歩。立入禁止場所にいるうえに、このままじゃ盗み聞きですか。ルヴァイド様ごめんなさい、はますます悪い娘になってます。
「あの。ここってたしか、立入禁止ではなかったですか?」
 落ち着きなく辺りを見回して、アティがそう問いかけた。
「ええ」
 が、キュウマはしごくあっさり頷く。罪悪感など欠片もないのだと云いたげに。
「既に誰かから聞かれたかと思いますが――あれに見える遺跡は、かつてこの島にいた召喚師たちが、実験のために造りあげた施設です」
「あ、はい。アルディラさんから聞きました。……護人でも立ち入り禁止なんですよね?」
「――ええ」
 もう一度、頷いて。
 キュウマは、身体ごとレックスたちに向き直った。おかげで、からは背中しか見えず。今、彼がどんな表情をしてるのか見てとれない。
 今まで聞いたことのないキュウマの声音だから、ちょっと気になるけれど。
 ……むう。
 のこのこ出て行くのも気まずいし、やり過ごしてしまおうか。
「何故立入禁止かは、お聞きになりましたか」
 キュウマの話は続いてる。
 レックスが、ちょっと自信なさげに応じた。
「亡霊やはぐれが、残っているから……?」
「そうですね。ですが、一番の理由は、あの遺跡がまだ活動を完全に停止していないからなのですよ」

 ……なんだって?

 さっきに増してさらりと告げたキュウマのことばに、は固まった。茂みの向こうで、レックスとアティが息を飲む気配がした。
 平然としてるのはキュウマだけ。
 護人たちには、きっと周知のことなのだろう。
 だからアルディラはああも念を押したんだし、キュウマは……なんでそんなとこにレックスたちを連れてくる?
 そしてプニム。あんたもだぞ。
 ぢと、と見下ろすと、プニムは明後日もとい茂みの向こうを食い入るように見つめてる。シカトかい。
 レックスとアティが衝撃を飲み込み終えたのを見計らい、キュウマはことばを続ける。
「おかしいと思いませんでしたか」
「何を……?」
「我ら護人が、召喚獣でありながら召喚術を行使出来るという事実を」
 ……別に、おかしくないけど。
 と、は心のなかでつぶやいた。
 使うことだけなら、本当に誰でも出来る。の知ってる異界の友人も、召喚術を用いる。
 だけど、と考え直した。今が、まだ十数年以上は昔の時代だってことを。まだ、この頃は、それほどこういった事実ってポピュラーじゃなかったんだろうか?
 考え込むの耳に、あ……、と。驚いてるレックスたちの声。
 どうして、と彼らが問うより先に、キュウマは答えを告げていた。
「学んだのですよ。あの施設には、そのための知識が豊富にありましたから」
「でも……島の他のひとたちは、召喚術は……」
「ええ。このことは、我ら護人だけが知る秘密。もし心無き者が悪用すれば、この島は再び戦いに巻き込まれる――そう判断してのことなのです」
「……そんな秘密を、わたしたちに話してもいいんですか?」
 おずおずとしたアティの問い。
 それに応じるキュウマの声は、やっぱり平然としていた。
「他の者に知られれば、罰されるでしょうね。何しろ、これは自分の独断ですから」
 …………ちょっと待て、シノビ。企みモードはシオンさん譲りか?
 またしても息を飲んだふたりを、キュウマはゆっくりと諭していた。
「ですが、自分は貴方がたを信用しても良いと思うのです。貴方がたはあれほどの剣を持ちながら、それを正しく使おうとしていますから」
 ――剣。
 魔剣のことだ。
 碧の賢帝シャルトス――無色の派閥の曰くつき、それだけでにとっては警戒モード移行モノなのだが、その強力さを云われれば頷くしかない。
 あの状態のふたりと剣を合わせたことはないけれど、召喚獣たちが恐れて退き、ギャレオをふっ飛ばし、おまけに四界の召喚術を労することなく使用可能。……反則もいいとこだ。正直、一人相手だって勝てるかどうかってとこだろう。
 人のことは云えないが。そう思ってみても、オプションの豊富さは確実にあちらのが上である。
「それに、貴方がたはこの世界の知識をもっています。それを用いれば、自分たちでは無理だったことを、可能にできるかもしれません」
 たとえば、この島から帰る方法など――
 目下一番の感心ごとを目の前に突きつけられ、一瞬でも心が動かないわけがない。
 事実、キュウマはレックスたちの表情を確認すると、再び身を翻した。
「では参りましょう。もう少し歩けば到着します」
「…………」
「…………」
 ふたりが着いてくることを確信したキュウマを見、レックスとアティは顔を見合わせ――結局、戸惑いを色濃く残したまま、それでもそのあとについて歩き出す。
 茂みに隠れたまま、はそれをやり過ごした。
 気づかれやしないかと思いもしたが、今度もやっぱり、三人のうち誰一人として盗聴者に気づかずその場を後にする。
 その背中が、木々の向こうに隠れだしかけたころ。ようやく、は息をついて立ち上がった。そしてつぶやく。
「……何しようってんだろ」
「ぷ」
「判ってる判ってる」
 腕のなかから心配そうに見上げるプニムの頭を、ぽんと叩いて地面におろす。
「じゃ、行こうか」
「……ぷ!」
 歩き出したの後を、プニムが小走りに追いかけ――道を知らないだろう彼女のためにか、すぐに追い抜いて前に出る。
 ふたりの進む少し前には、みっつの背中が見え隠れ。
 そしてその先には、まだ稼動してるとかいう実験施設が、威容を感じさせて佇んでいた。

 だってねえ。
 は、思う。
 だって、なーんか。変な予感がするんだもん。

 人目をはばかるようにレックスたちを連れてきたキュウマといい、そもそものきっかけになったと思われる剣の話といい。
 その他諸々の事情も合わせて、曰くありげな何かが軒を並べてるっていうこの状況――かつての経験が、これで何も起こらないはずがないだろう、と声高に告げる。
 故に、は足を進める。
 ……かすかに疼く右腕を、いぶかりながら。


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