さっきまでフレイズがいたところに、今は少女が浮かんでいた。彼女が、声をかけた本人だろう。
生身の人間ではない。フレイズ以上に、それがよく判る姿だった。
宙に浮かんでいるのは同じだが、存在が、さっき薄れかけてた彼の髪と同じほどに稀薄。背後を透かすほどではないのだけれど、風もないのにたなびいている衣服の裾や、かわいらしくお団子にまとめられた銀色の髪の端々が、透明な印象を与えていた。
加えて、彼女の周囲の燐光。
羽がないのに浮遊している事実。
「……えぇと……どちらの幽霊さんですか?」
ひとつの事象に思い至ってそう問うと、彼女は、さきほどのと同じように目をぱちくりとまたたかせた。
ちょっと慌てたように自分を指さし、
「え? あれ? 私ですよ、私」
……いっちょ時代と世界を間違えば、某オレオレ詐欺かと思われそうである。
が、はそんなもの知らないし、当然のように目の前の少女に対しても心当たりなんぞない。疑問符がばしばし増えていくのを自覚しつつ、
「どこの私さんでしょう……?」
と、もう一度問いかけた。
ところ。
少女の表情が、一変。
「…………あ!!」
顔を真っ赤にして(幽霊でも出来るんだ、と妙な感心してしまった)、手のひらで口元を覆って、少女、硬直。
それから、ぱっとに手を伸ばした。
「え?」
「こっちこっち、こっちに来て下さい」
なんなんだ、いったい。
見知らぬ相手についていくのはどうかと思ったけど、目の前の彼女からは敵意やごまかしは感じない。それに、狭間の領域で自由に動いてるのだから、住民にとって敵対するものってのではないはずだ。
続行中のマネマネショーをちらりと一瞥、そろそろフィナーレかなと見当をつけて、は立ち上がった。
少女は、ショーから死角になってる水晶の陰にをつれてきて向かい合う。
「ごめんなさい、私ったらいつものくせで……この間も先生たちを驚かせちゃったのに」
「先生って……」
申し訳なさそうな少女のことばから、馴染んだ単語を拾って、は肩の力を抜いた。
この島でそう呼ばれる人は、ふたりしかいないからだ。
「えっと、つまり、ですね」
少女は、のつぶやきを戸惑いからだと思ったらしい。
あわてて両手を広げ、顎に指を添えて俯いたの注意を、自分の方にひきつける。
そして。
ぱ、と、少女を中心にして、光がまたたいたかと思うと。
「…………こういう、ことなんです」
かわいらしい幽霊少女の姿は、一瞬にして、鈴の転がるような可憐な声でおしゃべりになる冥界の騎士とすげ変わっていた。
「ファ「しーッ!」
べちこッ!
小手をはめたままのファルゼンの手が、勢いよく、叫ぼうとしたの口をふさいだ。
痛い。これは痛い。何しろ金属の直撃だ。
鼻つぶれてないだろうな。っていうか脳震盪起こすぞ。
「〜〜〜〜〜〜ッ」
「あっ、ご、ごめんなさい……!」
顔をおさえてしゃがみこんだを見て、ファルゼンが口元に拳持ってって大慌て。
さっきの少女姿でならかわいいが、鎧がそれやってると、すっげぇシュールな気分になれる。
鼻血が出なかったことを心底感謝しつつ、ちょっとふらふらしてる頭でどうにかこうにか平衡感覚を保ちながらが立ち上がるころには、またしても鎧はどこかに消えていた。
当然、目の前には少女の姿があるのだが……
「……もしかして」
自分で目の当たりにしながらも、信じられない気持ちの方が強い。それでもは、おずおずと少女に問いかけた。
「ファルゼンさんの中の人ですか」
「はい」
人ではありませんが、と、寂しそうに笑って少女は答えた。
「鎧は、昼間に活動するときに、魔力の消耗を抑えるためのものなんです。今日は、その、休息の帰りで周りに誰もいなかったから、……つい、気分が良くなっちゃって」
「そりゃ判りますけど……そんな恥ずかしがらなくたって」
「あ。そうじゃないんです、違います」
鎧を着てなきゃ外を歩けないなんて、すっごい恥ずかしがり屋で内気さんなんだなあ、などというの感想を、少女はすぐさま否定した。
それまで見せてた年相応、照れてはにかんでるような笑顔は消え、視線を足元に落として彼女は告げる。
「私……あの姿でないと、みんなと一緒にいられないんです」
「……は?」
「理由は、訊かないでください。フレイズは、承知の上ですから。……失礼なのは判ってます、だけど、私……」
「あ、あー、うん、ちょっと待って。判りました、訊きません」
今にも泣き出しそうにまなじりを下げる少女を見、これはやばいとは慌てた。
が、肩に添えようとした手は、すかっと少女をすり抜ける。
「……」
ちょっと呆気にとられてその手を見た少女に、
「事情があるんですよね? だったら訊きません」
そう云って――ちょっとだけ、迷って。
「あたしも……この島のひとたちに、ううん、この世界の誰にも云ってないけど、裏事情みたいなものがありますから。それを差し置いて、あなたの事情を問い詰めるなんてことは、しません」
「え……それって、いつかフレイズの云ってた?」
「悪魔どうのこうのでしょ? ……はい。人生、いろいろあるもんですよね」
ぽかん、と瞠目してる少女に、は力なく笑ってみせた。
そうして数秒後、少女が「……あはっ」と、笑い声をあげた。
「さんも、秘密持ちなんですか」
私たち、一緒ですね。
何か重荷の落ちたような少女の笑みに、も、ほっと息をつく。
一緒ですね、と応じるより先に、少女がふわりと腕をまわしてきた。体温も重みもないけれど、何故か暖かみを感じる仕草に、思わず動作を止める。
肩口で揺れる、銀色の髪。ふわふわとたなびく、紫のリボン。
もしも彼女が生身であれば、くすぐったくともさぞ心地好かったろう、と、ありえぬことを夢想した。
「――私の名前、ファリエルです」
「ファリエルさん?」
はい。
腕を解いてを覗き込み、ファリエルはにっこり微笑んだ。
「この姿で逢うときは、そう呼んでください。……それじゃあ、フレイズが待ってますから、今日はそろそろ」
そう云って数歩後退し、ファリエルはファルゼンとして一礼。そのまま踵を返して歩き出した。
口の横に手を当てて、去ってゆく背中に声をかける。
「そのうち、また遊びに来ますね!」
ファルゼンは、これといって反応を示さなかったけれど。その鎧の肩で小さく手を振るファリエルが見えた、そんな気がした。
双子水晶のステージに戻ると、マネマネショーは終わっていた。
さすがに疲れた様子で腰かけて、プニムに労わられていたイスラが、歩いてくるを見つけて手を上げる。
「どこ行ってたの?」
ちょっと咎めるようなその口ぶりに、
「逢引」
と、さらりと答えてみた。
とたんに、イスラの視線に険がこもる。
「あの天使?」
今からでも白い手袋投げつけに行きそうなその剣幕に、逆にが呆気にとられた。
「冗談だよ。座りっぱなしで疲れたから、ちょっとそのへん歩いてきただけ」
てゆーか、フレイズさんはファルゼンさんが戻る時間だから、って、人を置いてさっさと祠に帰りました。そう付け加えて、やっとイスラの表情が和らいだ。
おどかさないでよ、そうごちて立ち上がる彼に、ちょっとお伺い。
「それより、身体はだいじょうぶ? ショーで疲れてない?」
問われたイスラは、自分の身体を見下ろして、
「……疲れはしたけど、動けないってほどじゃないかな。あのひとも考えてくれたみたいで、運動っていうより身体をほぐしてる感じだった」
それはそれは。
マネマネ師匠の配慮に、思わず感嘆。
こないだもタケシー通訳してくれたしフレイズ呼んでくれたし、もしかして結構気配りのひとだったりするんだろうか。
問題は、おちゃらけが表に出すぎてそれがあんまり浮き彫りにされてないってくらいで。……フレイズに見せてやれば、きっと株取り戻せるだろうに。
「って、その師匠は……?」
「さあ? ショーが終わったあと、ご褒美くれて“じゃあな”ってどこかに行っちゃった」
師匠らしいと云うか、なんというか。
がいなくなってることに何もつっこまないあたり、大物だというか。
生ぬるい笑みになりつつ、もうひとつ質問。
「そっか。それで、ご褒美って?」
「……これ」
懐にしまってたらしいそれを取り出すイスラの表情は、何故だか微妙だった。
手のひらに乗せて差し出された物体を見、の笑みも生ぬるさから微妙な煩悶を含んだものになる。
「…………何。この、バッテンに円を架けて生クリームでデコレーションした挙句に幾何学模様を塗ったくったようなのは」
「魔よけ、だって」
「魔よけ?」
それを見つめるイスラの表情は、実に複雑。
「“病み上がりで身体が弱ってるから、いらん奴にとり憑かれんように”だって。年季の入った特別レア物だって」
なんだか、それを渡すときの師匠の顔が、目に浮かぶようだ。
胸を反らして片腕腰に当てて、こう、“汝に下賜しよう、光栄に思えー”みたいな、だけど全然偉そうじゃない感じ。
ひとつ断って、はそれを手にとってみた。
「……あ」
ひんやりとした冷たさを持つ金属のような、ほんのりとした温かさを持つ石のような、不思議な手触り。見た目のお茶目さなんて打ち消す、じわりと心に染みる何かの波。出所は間違いなく、手のひらのそれ。
なつかしい。
あたたかい。
レア物だっていうのは、本当なんだろう。誰がつくったのか知らないけど、これを持つ者への守護の意志が伝わってくる。
なんでこんな簡単にそれが判るのか――自問して気づいた。白い焔をとおすときに似てる。在りのままにあれ、世界が在るままにあれ、その魂、在りしままの在り様であれ。
……彼女。白い焔の最初の使い手。
彼女が、幾度転生を繰り返してもその力を失わなかったのは、世界との契約もあるのだろう。だが、一番の理由というのは、彼女が彼女で在り続けたからではないだろうか。
魂だって無限じゃない。だから、限り在る生を終えたら輪廻で少し休むのだ。
それをせず、幾たびも幾たびも死んで生まれて戦いつづけた彼女の魂。磨り減って壊れてもしょうがなかったのに、それでも、彼女のままであった彼女だからこそ――焔は、世界は、力を貸してくれてたのだ。
……ああ、そっか。
いつかのバルレルのことばが、不意に実感を伴った。
『オマエの魂が“”である以上、“”と世界に認識されてる状態で揮える力はタカが知れてるってこった』
そっか。そうだね。
あたしは“”で、“”じゃない。
あたしは今、あたし自身と世界に嘘をついてるから、世界は、呼びかけに応えづらいんだね。
……感謝しよう。
それでも応えてくれる世界に、あたしは、本当に感謝しよう……
「――――いまごろ」
「え?」
が思考にふけっている間、イスラも思考にふけっていたらしい。
ふと振ってきたつぶやきに、ぱっと顔をあげたら、何故だか泣き出しそうな表情で魔よけを見つめるイスラがいた。
「……イスラ?」
問いかけの一文字目より先に、彼はを見、そして微笑んだ。
「。これ、あげる」
「え?」
疑問符を発生させる間に、イスラが動く。
魔よけを持ったままのの手を持ち上げ、反対側の手をとって、魔よけを包むように重ねさせた。
「えー? でも、これ、師匠がイスラにくれたのに」
それを他人に渡すなんて、なんて勿体無く失礼なことをしやがりますか、あんたは。
返品しよう、と、おわん状になった手の、ふたのほうを持ち上げようとするけれど。がっしと抑えるイスラの手が、それを許してくれなかった。
眉根が寄るのを実感しつつ見上げると、イスラはゆっくり首を傾げて、
「……僕は、記憶がないけど、たぶん、こういうふうに自分で何かして他愛のないものをもらった感じって初めてだと思う」
他愛のなくないものならもらったことがあるんか。
口にしかけた疑問は、形にはならない。
イスラは記憶がないのだからして、それを訊いても明確な答えは返ってこないだろう。それに、こういう部分からこんぐらがった糸が解けることもあるし。ならば余計な刺激はしないほうがいいのかも。
「だから、君が貰ってくれるとすごく嬉しい。……友達に何かあげるのも、僕はきっと初めてなんだ」
嬉しそうに。
さっきの表情が夢のように、今は、本当に嬉しそうに微笑んで。
そんなこと、云われたら。
「……………………」
背中から。
白旗がにょきっと生えるのを、は、実感したのであった。