続いて訪れましたは狭間の領域。
瞑想の祠に挨拶に行ったら、今日もファルゼンはいなかった。
「こんにちは、フレイズさん。お話してましたっけ、こないだ砂浜に流れ着いてた遭難者の」
「……イスラです」
すっかり諦めきった顔で、イスラがぺこりと頭を下げる。
物の哀れを感じたのだろう、フレイズがそれを受けて苦笑い。
「この集落の護人であるファルゼン様の副官を務めています、フレイズです。よろしくお願いします」
「うむ、苦しゅうない」
「……背後の物体は無視してください」
「なんじゃとう? フレイズ、おまえそれが実の兄に向かって云う科白か?」
「精神生命体に血縁はいませんッ!!」
いつの間にやってきたのだろう。
フレイズの後ろに立ち、にこやかに微笑む黒髪の天使。その姿に、は見覚えがあった。
「あ! あのときの!」
「よう。この間はご苦労じゃったな。怪我を負ったと聞いたが、もういいのか?」
気さくに微笑むこの黒髪さん、先日子供たちと一緒に訪れたとき、泣き叫ぶタケシーの通訳をしてくれたひとだった。フレイズを呼んできてくれたのも彼だ。
あのあと、なんだかんだで礼も云わずに帰ってしまったことを、は今さらながらに思い出し、
「あのときは、どうもありがとうございました」
と、深々とこうべを垂れた。
「うんうん、どういたしまして。いい子じゃのう、子供は素直がいちばんじゃ」
「……いいですかさん。こんな大人になってはいけませんからね」
満足そうに応じる黒髪さんを指さし、フレイズが苦虫を噛み潰してるような顔で云い含める。
むぅっ、と、それを聞いた黒髪さんが眉根を寄せた。当たり前だ。
物腰柔らかが特長のフレイズなのに、今のはあんまりにも刺々しい。だってそう思う。
が、ここで雰囲気を悪化させるのは避けたい。
はあわてて足を踏み出し、今にも睨みあおうとしていた金と黒の天使の間に割って入った。
「あ、あの! まだお名前を聞いてなかったと思うんですが! あたしはって云います!」
「ん?」
目論見どおり、黒髪さんの視線がフレイズからに移動する。
が、てっきり自己紹介してくれると思った彼は、予想に反して首を傾げ、
「あれれ。名乗っておらんかったかな?」
拍子抜けした顔で、頬をかいたのである。
「……え?」
今度はが拍子抜け。
それから記憶の引出しをひっくり返してみるものの、この黒髪さんに逢ったのは、あのタケシー騒動が最初だ。あのときは、お互いちゃんと名乗る暇もなかった……と思う。黒髪さんも、タケシーの通訳してフレイズを呼びに行ったあとそのままだったし。
うーん、と頭を抱え込んだを見て、黒髪さんは「おお」と手を打った。
「そっかそっか、そうじゃった。この姿で逢うのは、あれが初めてじゃったの」
「……は?」
ぽかんと見上げるをよそに、黒髪さんは何やら口の端を持ち上げて一行を眺め。
「うん、そこの少年にしよう」
と、イスラに焦点を合わせてつぶやいたかと思うと。
次の瞬間。
まるで、映画のフィルムが切り替わったみたいに。
ちょっとだけ青みかかった真っ白い髪と、銀灰色の目、配色が逆転した服を着たイスラが、黒髪さんのいた場所に立っていた。
……
…………
「え」
イスラが、呆然と、色違いの己を指さした。
「……」
またか、と、フレイズが肩を落として顔をおさえた。
そうして、はというと。
各集落を巡ったあの日を思い出し。
色違いのアティに囲まれてパニクりまくっていた、レックスを思い出し。
それが、今の状態にぴったり符合するのだと気がつくと。
「マネマネ師しょ――――――――――――!?」
「ハッハッハッハッハ、ソノト――――リ!!」
失礼にも思いっきり指さして叫んだその名前に、色違いイスラ、もといマネマネ師匠は腰に手を当て仁王立ちし、かんらかんらと大笑い。
姿を変えると不都合が出るのか、声の質が少し変わってる。それで、声を聞いただけでは判らなかったのだ。というか、フレイズそっくりのこのひとが、まさか、あのお茶目なアティ真似っこさんとイコールだとは想像出来なかったし。
……いや、その前に。
さっきの黒髪さんでならともかく、今の姿じゃその大笑い、ちょっと似合ってないです、マネマネ師しょー……
その恰好はやめてください、と、衝撃が去ったあと要請したイスラに対するマネマネ師匠の返答は、「やめてほしけりゃワシにマネマネ勝負で勝ってみろ」だった。
ああ、イッツ・デジャヴュ。
無茶なことはさせんから、と、引っ張っていかれるイスラを放っておくわけにもいかず追いかけて、は何故かついてきたフレイズと一緒に、集まってきたペコやらポワソやらの遥か後方に陣取りつつ、マネマネショーの観客になっていた。
あのぽわぽわの群れに紛れるのも楽しかろうが、フレイズは集落のお偉いさんだ。彼らが緊張するといけませんし、という彼の案に従ったため、たちの存在を知っているのはステージの師匠とイスラくらい。が、彼らはこっちを見る暇などなかろう。他のぽわぽわ軍団は、ショーに夢中で後ろはちっとも気にしてないし。
蛇足だが、プニムだけはぽわぽわに混じってかなり前列。身体がゆらゆら楽しそうに揺れてるのを見るに、その表情は推して知るべし。
当のショーはというと、いつかアティやレックス、子供たち相手に展開してたノリの早いものではなくて、わりとスローペース。
イスラも、あれで案外度胸があるというか肝が据わってるというか。恥ずかしがって固まってしまうということもなく、苦笑いしつつではあるけれど、順調にマネマネ師匠の動きを追いかけている。
これなら心配ないかな、と安堵したのも束の間、隣でぐったりと膝を抱えて座り込んでる天使が、今度は心配の種。
「……フレイズさん?」
「…………申し訳ありません、本当に申し訳ありません」
普段澄ましてるフレイズだけど、今やその印象は影も形もない。
気力が根こそぎ減じてしまったらしくてぐったり、おまけになんだか目に涙が溜まってる。
だけども、としては彼に謝られる理由は別にないわけで。
「いや、あの、気にしないでください。師匠にはお世話になりましたし、イスラもそんな嫌がってはないですし」
「……そう仰っていただけると、気が楽になります」
「楽にしてください。ホント。髪の先がちょっと薄れてますよ?」
実体化する気力までなくなったんかい、と思いつつ云うと、フレイズは、それでようやく気を取り直したらしい。
「失礼」
前に落ちてた髪をかきあげて、ため息ひとつ。それで、髪の濃度も元に戻った。
「ところで……」
追い打ちをかけるかもしれないと思ったが、気になったことがあったので、ついでとばかりに訊いてみる。
「兄弟って、本当なんですか?」
「断じて違います」
コンマ以下の間もおかずに即答された。
それではあんまりだと思ったのか、フレイズは今の発言をフォローするかのように苦笑混じりの笑みを浮かべて付け加える。
「……サプレスでの縁ですよ。ご存知の通り我々は精神生命体ですから、親兄弟というものはありません。ですが、それでは生まれたばかりの者を保護する者がいない」
「そうですねえ」
「故に、悪魔のほうは知りませんが……天使や精霊は、生まれたときに傍にいた者がある程度まで面倒を見るというのが慣例なのです。…………私の場合、それが、彼だったというわけで…………」
「……よく、そんな真面目に育ちましたね」
マネマネ師匠が訊いたら、次のショーの餌食にされそうな感想だったが、幸い、ステージと観客席の喧騒に紛れて、の声はせいぜい隣のフレイズに届くだけ。
そうして、それに対するフレイズの答えはこれまた単純明快だった。
「反面教師としては非常に優秀です」
「……そうですか」
別に嫌っちゃいないんだろうが、なんだかなあ。遊び人の兄を持った弟って、こんな感じなのかもしんない。
ぶつくさ云いながらだけど、なんだかんだだけど、フレイズは師匠のことを“兄”と思ってはいるんじゃないだろうか。なんて、は思ってしまった。
「おっと」
ふと、何かを思い出したようにフレイズが立ち上がる。
「すみません、そろそろファルゼン様が戻ってこられる頃合いですので……」
祠に戻りたいのですが、と言外のそれに、こくりと応じた。
「はい。お騒がせしました、あたしたち、これが終わったら行きますね」
「ご健闘をお祈りします」
今のところ、まだミスをしてないイスラをちらりと見、フレイズは、観客たちの気を散らさないためにだろう、わずかばかり滞空した状態で滑るようにその場をあとにした。
ひらひらと手を振って、はそれを見送る。
さて、ショーはあとどれくらいで終わるんだろうか、と、そろそろお昼の合図をしそうなおなかをちょっと押さえたとき、
「あら、さんじゃありませんか」
「へ?」
聞き慣れぬ少女の声に、ぱちくりと目を丸くしたのである。