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【再び girl meets boy】

- 夕暮れの親愛 -



「その調子だと、心配しなくてもよかったみたいね」
様、お疲れ様です」

「あ、アルディラさん。クノン」
「ぷいっぷー」
 もしかして、そこで待っててくれたのだろうか。
 メディカルルームの入り口に佇んで声をかけてきたのは、アルディラと、その腕に抱かれたプニムだった。
 クノンは、アルディラの一歩斜め後ろにいたけれど、彼女に促されて前に出た。
「ご覧になられたかと思いますが、改めて説明いたします。体調において問題は殆どありませんが、本人の言によると、ここ最近の記憶が失われているそうなのです」
「うん、それは聞いた。……ラトリクスには、そういうの治すものってないのかな?」
 半ばダメ元でそう問うと、アルディラは苦笑し、クノンは僅かに首を傾げる。
「期待に添えなくて悪いんだけど、私たちには、人の微妙な感情の揺らぎを理解することが出来難いの。体調の面倒は見れたけど、その先どうしてよいのか見当がつかなくて……だから、知り合いだって云ってたあなたを呼んだのよ」
「……そうだったんですか」
「でも、その甲斐はあったわ。結構話し込んでいたようじゃない?」
「あ、はい。――うん、友達になりました。むしろレベルアップしてますよ」
「そう。良かったわ」
 微笑むアルディラの腕から、ぴょい、とプニムが飛び下りた。
 今まで我慢してたんだぞとばかり、なんだか急いでる感じでの身体を駆け上り、頭に鎮座する。
「ぷーぅい」
 やっと古巣に帰れました、てな感じでため息ついて、プニムはぺったりと頭に密着。もはや帽子になりそうなほど。……日よけの役には立たないけどな。
「あ、そうだ」
 それで、イスラとの約束を思い出した。
 リペアセンターを出て、中央管理施設のほうへ歩きながら、はクノンにお伺いをたててみる。
「クノン、イスラの体調ってどうなのかな。明日もお見舞いに来てだいじょうぶそう?」
 問われたクノンはというと、小さく頷いて曰く、
「はい。身体的にはほぼ平常に戻っているはずです。まだ様子は見なければなりませんが、その程度でしたら不都合はないかと」
「そっか。じゃあ、明日もまた来るからよろしくね」
「かしこまりました」
 そうクノンが応じたときには、一行すでに中央管理施設の出口に辿り着いていた。
 島を歩けば視界を覆う木々は、ここでは遥か壁の向こう。そこへ沈もうとしている夕陽が、連なる建物をあでやかに染め上げている。
 ……きれいだと思う。
 あの光景に出くわしてから、きらいになるかと思ったけれど、相変わらず夕陽はきれいだった。光そのものも、照らされる何もかも。
 何もかもを分け隔てなく、赤く優しく包み込む時間帯。
「それじゃあ――」
 もう少ししたら黄昏時、そしたらすぐに夜になる。つらつらと思いながら、は、見送るためにわざわざついてきてくれたアルディラたちへ、礼を云うため向き直ろうとした。
 そのときだ、

ー!」

「あら、レックスたちね」

 ようやく授業が終わったのだろうか、朝持っていった荷物――教科書や教鞭といった授業道具の入った袋――を抱えたレックスとアティが、中央管理施設目掛けて走ってきたのである。
 またメディカルルームを開けないといけないかしら、と、アルディラが苦笑する。が、それは杞憂だったらしい。
「やっぱり、まだここにいたんだ。迎えに来たけど、もう帰るとこ……で、間違いないんだよな?」
 走ってきたレックスが、開口一番そう云ったから。
「なあに? お目当ては病人じゃなくて、だったの?」
 実にからかう意図満点な笑みを浮かべるアルディラを、クノンが何やら不思議なものを見るような――といっても、彼女は基本的に無表情だからがそう感じただけなのだけど――まなざしで、見上げている。
 対してレックスはというと、アルディラが科白に含ませたものなんか、ちっとも気づいてないようで。
「ああ。学校からそう遠くもないからさ、まだいるならって思って迎えに来たんだ」
「……呆れた。がもう戻ってたら、どうするつもりだったの?」
 そのとおり。
 もし、がさっさと話を切り上げて帰ってたら、レックスの心遣いはまるっきり無駄になるところだったのだ。
 なんとなくネスティの『君はバカか』を思わせるアルディラのそれに、だけどもレックス、ちっとも動じず笑ってる。それを後押しするように、アティが云った。
「そのときは、夕陽でも見ながらのんびり帰ってたと思いますよ。――今日のは、特にきれいですし」
 と、なんだか見当外れのような、そうでないような科白とともに、にっこり笑ってまでみせる。
 けど。
 は、そのことばの後半が気になった。
「レックスさんとアティさん……夕陽、好きなんですか?」
「ん? ――うん、好きだよ」
「はい。きれいですよね。も好きだとうれしいんですけど」
 おずおずとした問いかけに、何のてらいもない微笑みが返る。
 ……そっか。
 夕陽、好きなんだ。
 いつか真っ赤に染まった光景が、ちらりと脳裏をよぎったけれど。すぐにそれを打ち消して、も「大好きです」と笑ってみせた。


 そうして常以上に微笑ましい姿を見せていたレックスたちだったが、ふと笑みを消したが怪訝な表情で、
「そういえば学校帰りですよね。ナップくんたちは?」
 と問いかけた。
 云われてみればそのとおり、レックスとアティは学校の授業で用いたらしい教材を持ってはいるけれど、その生徒の姿がない。同じところに帰るのだから、一緒に迎えに来ても不思議ではないはずなのに。
 まさか子供たちだけで帰したのだろうか、と、少々非難めいた感情と一緒に予想を立てたアルディラだったが、直後、またしても首を傾げる羽目になった。
 なんとなれば、ふたりは彼女の予想どおりのことを口にしたのである。――朗らかに。
「ええ」
「ああ」
 と。
「……先生? 保護監督も仕事ですよ?」
 こちらはアルディラと似たような気持ちなのだろう、ちょっとばかり笑みをひきつらせて、がつっこんだ。
「いや。最初は一旦みんなを送ってから、迎えにこようって思ってたんだよ」
「そしたらですね、ナップくんたら『スバルとパナシェはオレたちが送っていくから、先生たちは迎えに行ってこいよ』って云ってくれたんです!」
 それを聞いたら、もう、反対する理由なんてないじゃないですか、と、頬に両手を添えて、アティが身悶える。
 きゃあきゃあ、と、思いっきり実年齢未満に見られそうなその仕草に、アルディラなぞ、少々はしゃぎすぎじゃないのかしら、と呆れてしまったのだが。
「――そっかあ」
 対するは、そう、実に嬉しそうに応じたのだ。
「ナップくんたちも、自分たちだけで森歩きが出来るようになってたんですね」
「そう、そうなんだよ!」
 的を射ていたらしいその科白に、ばっ、とレックスが両腕を広げた。よほど勢い余ったらしく、身を乗り出してに迫る。
「昨日剣を合わせてみたんだけどさ、上達が目に見えるんだ。ぐんぐん伸びてるのがよく判るから嬉しくて、つい力が入っちゃったくらいなんだよ」
「そうなんです!」
 その背中から、にょきっ、と白いキノコが生えて、これまたに大接近。押された形になったレックスが、「うわわ」と踏ん張っていたりする。
「召喚術もすごいんですよ。魔力の絶対量はまだしょうがないですけど、失敗が全然ってくらいないんです。わたしたちの説明をどんどん吸収してくれるから、教え甲斐がありすぎなんですっ」
「そ、そうですか」
 さすがに少々のけぞり気味に答えるを見て、クノンがぼそりとつぶやいた。
「……あれでは、様が転倒なさいますね」
「そう思うのなら、助けに入る?」
「いいえ」
 アルディラの提案に、だがクノンは首を横に振った。
「こんな言葉が、わたしのデータベースにはありますから。『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ』」
「…………恋人ではないでしょう、彼らは」
 どこからそんなもの仕入れたのかしら、と妙な部分に感心しながら、アルディラはツッコミ部分を即座に特定、実行に移す。
 さすがは融機人、といったところか。違うだろうが。
 突っ込まれたクノンも冷静に、
「そうですね。では、恋人ほどに親密である、と訂正いたします。私は人間の恋愛を理解出来ませんが」
 表情を変えぬまま、クノンはさらなるツッコミネタをアルディラに提供した。
 少々迷ったものの、アルディラは、知識の高みを求める融機人としての行動を優先することにしたのであった。
「……じゃあ、何故、恋人ほどと判るの?」
 答えるクノンは、やはり淡々としていた。
「プニムが、大きなハートマークを作っています。あれは恋愛の象徴だと認識しておりますが」
「え……?」
 クノンの示したのは、迫るレックスとアティ、押されて後ずさる、その頭上に鎮座したままのメイトルパの召喚獣。
 青ぷにボディのかの生き物は、何やらすっごく楽しそうに、耳とも腕ともつかぬ例のアレで、クノンの科白どおり“ハートマーク”を表現していたのだ。
「……なるほど」
 思わず唸ったアルディラであった。
 の連れなのだから、と納得してしまいそうな自分が怖いが、それにしてもあのプニム、実に芸達者である。
「けど、クノン。あれは恋愛ではなくて、おそらく家族愛や友愛の類だと思うわよ」
「――家族愛ですか。了解しました、記憶いたします」
 クノンがリライト防止付加、データプロテクト完了、と小さくつぶやいていた気がしたが、アルディラはそれを聞かなかったことにした。
 なんだか、このままだと会話がごろごろ脱線していくような気がしたのだ。
 それこそ、今繰り広げられているレックスたちのやりとりのように。
 ちらりと視線を転じた先では、まだがレックスたちに迫られている。
「そういえば、、覚えてますか?」
「な……何をでしょう?」
「ほら。船でさ。“もう一回先生って呼んで”って云ったら“おあずけです”って逃げちゃったときの」
「……覚えてますけど」
 それが今、こうやって迫ってくるのと何の関係が?
 の疑問はアルディラの疑問でもある。それ以上に、何かを期待しているようなレックスたちの表情の理由がわからない。
 “先生”なら、たった今、が呼んでいたように記憶しているのだが。
 そんな二方向からの疑問など素知らぬ顔で、家庭教師ふたりはにっこにこ笑ってる。
「いろいろあったけど、無事に“先生”って呼んでもらえるようになりました」
「だからさ、
 一拍置いて。
 彼らは本当に成人なのかとアルディラが耳を疑うようなことを、レックスとアティは口走った。

「「褒めて?」」
「…………」

 ……お待ちなさい貴方たち。
 の行動があと一歩遅ければ、アルディラは本当にそう横槍を入れていただろう。
 が、ふたりの発言に数秒硬直したところまでは同じだったが、その後のの反応は、アルディラとは趣を異にしていたのである。
 まん丸になった翠の瞳は、すぐにやわらかく細められた。
 所在無く胸元にあった手は、両方とも、ゆっくりと伸ばされた――レックスとアティに向けて。
 意図を察したふたりが、同時に頭を押し下げる。
 そうして少女の手のひらは、くしゃり、と、似通った色を持つ対面のふたりの髪の毛に触れ、やさしく往復を繰り返す。
「……よくできました」
 のことばを受け止める、彼らの表情こそが、見物だった。
 レックスとアティに対するアルディラの印象は、“いつも笑っている”といった感じのもの。他の護人、島の者、そうして海賊たちにしても、似たような返事が返ってくるだろう。
 今も、彼らは笑っている。
 だがその表情は、今までアルディラが目にしてきたどれとも違っていた。どれとも重ならなかった。

 ……この表情を、けれど、アルディラは知っている。

 長い時間を経てなお、彼女の記憶領域の一角を占めて鮮明な表情。
 基となる感情が違うのだからと差異を見つけようとしても、何故か、発見できなかった。
 ――――信頼、というのか。
 ――――愛情、というのか。
 あのひとが自分に向けてくれていたものとは、源が違う。それはたしか。
 けれども、見ているこちらの胸を締め上げる、それは同じ。
 ――――信頼、というのだ。
 ――――愛情、というのだ。
 譲れぬ絶対のひとつに対して向けられる、心を許しきった笑顔だ。

「…………ああ」

 喉にこみ上げる熱を吐き出すために、アルディラは大きく息をついた。
 パシン、と、どこかに亀裂が走る。
 世界を赤く照らす夕陽に染め上げられる、赤い髪の三人を目の前にして。
 アルディラのどこかが、小さく弾けた。
 ――――……ィラ
 どこからか、小さな小さな声がした。
 どこかで、誰かが祈っていた。


 ……惑わされないで
 ……見つけてくれ、間違わずに
 ……“僕”の声を、君ならけして、間違えたりはしないだろう?

 ……僕は、ここにいるから


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