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第19夜 弐
lll 哀しい嘘 -2- lll



 思考が完全に止まっていたのは、おそらくほんの十数秒。
 だけどの感覚としては、まるで数時間もそのままだったように、身体が硬く強張っていた。

「大丈夫かい!? 今治してやるから……!!」
 真っ先に我に返ったモーリンが、ユエルに傷を負わされたおばさんをストラで治療すべく、駆け寄っていく。
「あんたら邪魔よっ!!」
 その横からモーリンにかかろうとした黒装束の男たちの間に、は飛び込んだ。
 お願い。
 ちらりとユエルに目をやった。
 おばさんに一撃を加えたあと、ユエルは身動きしない。
 同じように、男も動かないでいる。
 召喚術を使うまでもないと思っているせいか、あくまでもユエルにたちの始末をつけさせるつもりか。
 ……恐らく後者だろう。
 それとも、召喚獣を意のままに操るというコトは相当の集中力を要するのだろうか。それならばいい。
 だけどそうでないのなら。
 ユエル。
 お願いだから、動かないで。お願いだから――!
 一見して闇の世界の住人だと判る黒装束の男たちは、けれど、それなりの訓練を積んでいるはずだろうに、でもなんとかあしらえる程度だった。
 それを不思議に思うのはたしかだが、追究してられるほどに余裕を持てる相手でもない。
 むしろ、男達の方が、一心に剣を振るう――女一人をもてあます事態に驚いているようだった。

 記憶がなくても、この身体は覚えてる。
 に自覚はなくとも、四肢が反応する。
 非戦闘員といえど、軍属は軍属。デグレアで暮らしていたときも、何度か――どこぞの差し向けた暗殺者と相対したことだってある。
 それは、まだ、思い出せない記憶のひとつ。
 それでも、それは、今のをつくったひとつ。
 こんなときばかりは、動いてくれる自分の身体に超絶感謝だ。

 ……だけど。
「ユエル! こないで!」
 男が何事かつぶやき、再びユエルが動きを見せた。
 黒装束たちはともかく、彼女とは戦えない。戦えるわけない。
 後ろでストラに集中しているモーリン、召喚術を使おうとしているミニスのために、大きな動きは出来ない。
 殺気もあらわに向かってくる黒装束たちを大きく体勢を崩すことなく、なんとかさばけているのはたしかだけど。でもこれが限界だ。
 それにユエルの動きは黒装束たちのように、訓練された画一さを持っていない。
 予想外のイレギュラーな動きが入る。
 そして、現状でそれに対処しようというなら、自身がその覚悟を決めなければ、とてもそれは叶わない。それが判った。
 判って。だから、
「ユエル!!」
 届いてほしいと名を呼んだ。
 けれど、ユエルは強く地面を蹴り、の方へ向かってきた。おばさんの血で紅く染まったままの牙と爪をむきだしにして――

 パァン!

「フウッ!?」

 空気の破裂するような音が、突如響いた。
 ユエルの走りこもうとした一歩手前の地面、の前でもあるそこに、弾丸が跳ね返って転がる。
 不意のコトにユエルは大きく飛びのき、警戒するように銃弾の飛んできた方向に目を向けた。
 反対に、は、その方向に佇む誰かを見ようとはしなかった。
 なんとなく、それが誰だか判ったからだ。
「今です!」
 まだ付き合いは浅いけど、それなりに訊き慣れた声を合図に、は地面を蹴る。
 一瞬だけ動きを止めた黒装束のうち、ふたりを狙って突っ込んだ。
 首の後ろに――遠慮も手加減もなしの――手刀を当て、気絶させる。
「こちらの不届き者どもは私にお任せくださいな」
「パッフェルさん!」
 銃を腰のホルスターにおさめ、隠し持った短剣を抜き放ったパッフェルが軽やかに屋根から飛び降りて、の横に並んだ。
 いきなりの出現にびっくりしたらしいミニスのことばに、彼女は余裕綽々に微笑んでみせる。
「ほんとにもう、驚きましたよ」
 穏やかな笑みには、驚きの欠片も見当たらない。

「ケーキ配達中に通りかかったら、なんだか見覚えのある方々相手に、こんなコトに首突っ込んでらっしゃるんですから」
「パッフェルさん……今日出発するのにバイトやってたの?」

 状況も忘れて思わず突っ込んだに、パッフェルは、笑みを朗らかなものにしてみせた。
「ええ、それはもちろん!」
 即答だ。これぞアルバイターのあるべき姿なのか。
 いや、だがしかし、それにしても、銃持ちでケーキ配達というのはどうなのだろう。治安的に。
「ちなみに、放り出してきたケーキの損害は、あの外道召喚師からせしめさせていただく予定です」
「……」
 笑顔で云わないでください。

 とは云え、力強い助っ人参戦のおかげでずいぶんと楽になったのは事実だ。
 暗殺者をやっていたと公言しただけあって、パッフェルは手慣れた調子でおそらく同業者の黒装束たちを、ばたばたとなぎ倒している。
 おかげでの方も多少手が空くわけで。
 余裕が出来るわけで。
 そうなれば。
「ミニス!」
 振り返って名を呼べば、金の派閥の少女は心得たとばかりに頷いてみせてくれた。

「ロックマテリアル!!」

 さすがに前回の騒動のように、大きな術(未遂だったけど)を使うわけにはいかない。発動するのは、対個人用の初級召喚術。
 目標は、ユエルを操る男、ただひとり。
 攻撃するのが目的じゃない。彼の精神集中を乱して、ユエルの意識を解放するほうが先決だ。
 ミニスの放った召喚術は狙いあやまたず、男の頭上に人の頭ほどの岩石を出現させる。
 だけど、

「ユエル!?」


 青い髪した獣人の少女は、ちらりとそちらを目にするやいなや、男のもとへと疾走していた。
 まさか、と、驚愕。
 あそこまで操られているなんて、想像できなかった自分たちに非があったのかもしれない。
 に向かっていた足を止めてまで、ユエルは男のところへ引き返す。
 にやりと笑った男の表情。あの子を犠牲にして、自分の身を守らせるつもりだとでもいうのか。
 間に合わない。
 必死で、止めようと試みるけれど無駄だった。それは召喚師であるミニス自身がよく知っている。発動した召喚術を止める方法はない!
「ユエル!」
!?」
 そこに響く。あの子の名を呼ぶ、の声。
 出現した岩石自体を制御出来ないかと必死になりながら目をやれば、男を突き飛ばしたユエルに追いすがり、かばうように抱きしめたの姿。

 ガツッ、と、鈍い音が響いた。


 その直後に、頭の右側にひどい衝撃を感じてはさらにうずくまる。
 ぬらりと垂れて顔にしたたっているのは、たぶん、血。

「……いっ……たぁ……」

 ズキンズキンズキン。

 衝撃を感じた場所から拡がる痛みはだんだん大きくなって。感覚全体がそれに支配されるような。
 とはいえ、直接当たったわけではなく、側頭部をかすっていったのだろうから、この程度ですんでくれたんだろう。
 あれがまともに頭に当たってたら、今ごろ昇天、輪廻の流れにさようならだ。
 痛みをこらえてうずくまっているうちに、ふと、違和感に気がついた。
 操られているはずの、今はたちを敵だと認識しているはずの、ユエルが身動きひとつしないで、の腕のなかにおさまったままだった。
「…………」
「ユエル!? 正気に戻ったの!?」
 弱々しいささやきに驚いて、痛みも忘れて身を起こす。けど。
「あいたたた」
 そんなコトくらいで吹っ飛んでくれるような、やわな痛みではなかった。
 おまけに急に身体を持ち上げたものだから、軽い立ちくらみまで覚えてしまう始末。あ、しゃがんでるからしゃがみくらみ?
 阿呆な発想への呆れも含め、思わず頭をおさえたの手に、そっと、ユエルの手が添えられた。
 青い瞳が、今にも泣き出しそうにを見ている。映っているのは、顔の一部を真っ赤に染めたの姿だ。ユエルの瞳を覗きこんで判明した自分の姿に、
「グロッ」
 と、思わず口走ってしまった。まぁ自分のコトだからいいんだけど。
 だが、それを聞いたユエルが、ぐっ、と表情を歪ませる。
「ごめん……ごめんね……ユエルのせいで……っ!!」
「ううん、平気。だいじょうぶ。ユエルのせいじゃないから」
 と、告げて。
 その、コトの張本人である、あの男はどうしたんだと視線を巡らせる。
 さっきのアレで気を失っているなりしてくれていれば、あるいは、と思ったのだけど――現実は、そうそううまいこといかない。

 視界の端で、立て襟コートの男が身を起こすのが見えた。
 びくり。
 同時に、腕の中のユエルの身体が大きく震えた。

「やっ……ヤだよぉ……! ユエル、もう誰も傷つけたくないよ……ッ!!」


 爪も。牙も。
 人を殺して真紅に染まる。
 罪に染まる。

 ……もうイヤだ……!!


「ユエル! ……あんたしつこいわよ! いい加減観念なさいよッ!!」
 ミニスがこれ以上ないほど、怒りを露にした表情で叫んだ。
 もまた。肩を抱いて、自身を縛ろうとする鎖に必死に抗しているユエルを抱きしめたまま、なおも彼女を操ろうとしている、外道召喚師に怒りをこめた視線を向ける。
 けれど、
「ふんッ! 道具は持ち主の云うことだけを聞いていればいいのだ!」
 男は己の優位を信じているのか、そうやって高飛車に鼻を鳴らす。
「……さぁ、ユエル。今度はこいつらを一人残らず殺してしまえ!!」
「ヤだ……ヤだぁぁぁッ!!」
 堰をきったように大粒の涙を流し、ユエルが頭を大きく振る。
 だけど召喚主としてのくびきが彼女を縛り付ける力のほうが、はるか、はるかに強くて。
 また、だんだんと、青かった瞳が、紅く染まっていく。
 ――何も出来ないのか、あたしは。
 そんなふうに自分を責める声が、の内側から嵐のように巻き起こる。何も出来ないのかと。
 それでも、ユエルの手を放すわけにいかないと。彼女を抱きしめる以外に何も出来ないけど、ならばそれは譲るわけにはいかないと。
 ガタガタと震えだした、ユエルの身体に腕をまわした。
 刹那。

「……イヤ……ユエル、またおかしく……っ、ナ……!!」
「ユエル……!」

 まだ頭を抱えたまま。まだ投げられる鎖に抗しようと必死になったまま。
 ユエルの、弱々しい声がの耳に届く。
 反射的に名を呼んだ、その直後。
 ――思わず、彼女の声を聞く場所にいたことを、後悔しそうになった。

……ユエルを殺シて……ッ!!」


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