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第19夜 壱
lll 哀しい嘘 -1- lll



 ばたばたばたばたばたばたばた。
 ファナンの街に、慌しい足音が響いていた。

ッ! そっちいたかい!?」
「いなかった! ミニスの方は……」

! モーリン! こっちよ!!」

「「判った!!」」

 ばたばたばたばたばたばた…………


 走りながら、ふとは、予定と現実の狂いを思う。
 当初の予定では、この時間はレルム村へ向かうための買い出しのはずだったのだ。
 だのに何故か、含め数人は、ファナンの街を身ひとつで駆け回っている。
 別に追いかけっこをしているわけではない。いや、ある意味追いかけっこかもしれないけれど、あの子はたちから逃げているわけではないのだ。
 追いかけているのは、とミニスとモーリン。
 追いかけられているのは、ユエル。
 ただし、彼女を追いかけているのはたちだけではなく、ユエルの召喚主と名乗る男だった。

 いや、最初は単純に、挨拶をしていこうと思ったのだ。
 買出しのために一緒にいた、モーリンとミニスを誘って、ファナンを出る挨拶を、ユエルにしていこうかなと思ったのだ、ただ単に。そのときは。
 それを証明するように、はじめはごくごく平和に、目的にかなったやりとりが繰り広げられていた。
 ――その光景が壊されたのは、ユエルの召喚主だという男が、店を訪ねてやってきたとき。
 驚いたことに、男を視界に入れるや否や、ユエルは全身の毛を逆立てて、とんでもない速さで逃げ出した。
 そしてそれ以上に、男がユエルのその行動を予測していたらしかったことにもたちは驚いた。
 なにせユエルが逃げ出したとたん、どこからともなく現れた手の者らしい黒装束の男たちが、彼女を追っていったのだから。
 ――怪しいこと、このうえない。
 奴等より先にユエルを見つけて保護しなければ、と、誰かが云いだすより先に、たちもまた、走り出していた。



「ユエルッ!」

 物陰に座り込んでいる、見慣れた後ろ姿に声をかけると、少し離れたの位置からもはっきり判るほど大きく、ユエルの身体が震えた。
 それでも、声を聞いて判ってくれたのだろう。
 彼女はゆっくりと、こちらを振り返る。泣き出しそうな顔で。
「…………」
 真っ先に視界に入ったらしいの名を呼んで、ふらふらと、すがりつくようにしてやってきた。
 伸ばされた手をとろうとしたけれど、それはどうしてか、ユエル自身の意思で止められる。
 だけど。
 ぐっと腕を伸ばし、止まっていたユエルの手をとって引き寄せた。
「……何があったの?」
 に抱きしめられる恰好になったユエルに、ミニスがそっと問いかける。
「あの男、あんたの召喚主だって云ってたけど……」
「違うッ!」
 モーリンのつぶやきは、叫びともとれる激しい声で遮られる。
 目を吊り上げて、だけど泣き出しそうなユエルを見て、たちは、それ以上何も云えなくなった。
 それから、ふと、3人で目を交わす。

 あの男たちより先にユエルを見つけられたのはよかったけれど。ここに留まっていたままじゃ、いずれ見つけられる。
 だから、その前にとりあえずこの場を離れよう、モーリンの家に行って、みんなに相談しよう。

 そう、ユエルに云おうと口を開きかけたとき。

「あんな……あんなうそつき、ユエルの主人なんかじゃないよっ……!!」

 血を吐くようにして、ユエルがそう叫んでいた。

 そうしてその直後、
「ずいぶんと手間をかけさせてくれたものだな、道具の分際で」
 ざわりとした不快感をもたらすような、妙に粘着質な感じの男の声。
 第一印象がそんなものだったから、振り返るとき、かなり嫌そうな顔になった自覚がにはあった。
 あえて、直そうとは思わなかったけど。
 印象からして比べるのもおこがましいくらいだが、シオン大将と同じように細い目。だけど感じは随分違う。あちらが引き込まれるように穏やかな気もちにさせてくれるのに対して、目の前の男からは嫌味なものしか感じない。
 襟を立てたコートを着て、変な形になでつけた髪。
 周囲にいるのは、さきほどたちに先んじてユエルを追いかけた、黒装束の男たちだ。
 そのコトがしっかり証明しているし、何より、急にユエルが逃げ出したからろくに見もしなかったけれど、ついさっき見たばかりの人間の顔まで忘れるほど、の記憶力は低下しちゃいない。
 もともとしっかりしているミニスもモーリンも当然、険しい表情で男を見ている。

「それは私の持ち物だ。返してもらおうか」

「何が持ち物よッ!?」


 男のことばに答えたのはミニスだった。
 びっくりした顔でこちらを見てくるたちをちらっと見たけれど、意識は目の前の男からそらさない。
 こんな奴。
 ユエルを召喚した以上、召喚主だってコトなのかもしれないけど。
 こんな奴。
 視界におさめた瞬間に逃げ出したユエル。
 そうして、ユエルを持ち物だと云い切るこの男。
 こんな奴。
 同じ召喚師だなんて思いたくない。
 首から下げたペンダントが、低くうなっているのを感じた。
 うん、そうだよね。シルヴァーナ。
 あなたも怒るわよね。
 こんな奴にユエルを……友達を、渡すわけにはいかないわよね。

「……一応訊こうか。アンタ、何者だい?」

 とユエルとミニス、三人を後ろにかばうように前に出て、モーリンが問うた。
 穏やかにすませる気などないことは、彼女の背中から感じる強い気配が証明している。
 だけど男はモーリンの問いには応えず、すっ、とユエルに向けて手を伸ばした。
「おまえに道具としての役目を放棄されては困るのだよ。ギルドの幹部の方々もお怒りでな。さあ! 戻って仕事を続けるぞ!!」
「ヤだっ!」
 声も視線も仕草も。
 自分の全部で男を拒絶して、ユエルは叫ぶ。

「おまえ、またユエルに人殺しさせる気なんだ!」

 ――仕事と。
 男ののたまった、行為を。

「あいつは悪い奴だから殺していいって……その方が世のためになるからって……みんなウソばっかりじゃないかッ!! ユエル、もう、そんなのイヤだッ!!」

「……なっ……」


 ことばを失ったの横で、ミニスが血の気を失っていた。モーリンの背中が震えて、動揺していることを教えてくれた。
 周囲が、世界が。――凍りつくような感覚だった。
「なにを……」
 何をさせた。この子に。
 リィンバウムの常識すら教えずに、嘘で塗り固めたものを真実だと思い込ませて。
 召喚獣にどう接するかは、召喚したその者次第――召喚獣がこの世界でどう生きていけるかも、召喚したその者次第だというのに。
 よりにもよって。
 何も知らない、異世界の友に。
「……何を……なんてコトを!」
 自分でも信じられないほどに、低い声だった。強い怒りがこもっているのを、どこか他人事のように感じる。
 それにユエルはびくりとしたけど、の気持ちがドコにあるか判っているのか、よけいにきつくしがみついてきた。
 ぎゅぅっと。
 きつくきつくの服をつかんでいるユエルの手は、あまりにも力をこめすぎたせいか、真っ白になっている。
 それは、知らず自分のしてきた罪を、これ以上はと拒否しているコトを、なによりも雄弁に教えてくれた。

 今ごろになってようやく判った。
 ユエルがリィンバウムの常識ともいえるものを何も知らなかった理由。

 ……人殺しの道具には、常識など必要ないと。そういう、ことか。

 ユエルを抱きしめる腕に、力をこめた。
 それが伝わったのか、それが強さになったのか、ユエルは、キッ、と男を睨んで声高に告げる。

「ユエルは、おまえのトコロになんか、絶対戻らないんだからッ!」
 そう告げた、刹那。

 不意に、足音がした。ばたばたと、こちらに駆け寄ってくる、複数の足音。
 角を曲がった姿を認め、来てはいけないと云おうとしたときにはすでに遅い。
「ユエル!?」
 お店の前でお客と談笑していたはずの、おじさんとおばさんだった。自分たちの預かり子を心配して、追いかけてきてくれたらしい。
 それは普段なら、いいことだろう――ありがたく嬉しいことだ。事実。
 だけど今は。このときは、どうして、こんなときに!
「あ……ッ!? きちゃダメっ!」
 ふたりの姿を認めたユエルが叫ぶけど、そのときにはもう、おじさんとおばさんは驚愕に目を見開いてその場に立ち尽くしていた。
 やモーリン、ミニスは地元だったりユエルの友人だったり、顔見知りなのだからともかくとしても。
 目の前には、彼女らに加えて、いかにも怪しげな黒装束の男たちに、それを率いているらしい人相の悪い男。
 平和に暮らしている以上は、まず係わり合いにならない種類の人間を見て、事態がつかめないでいるらしかった。
 そうして、間の悪いことに。
 今のユエルの叫びを聞いた男が、すべてとはいかないまでも事情を察したらしい。にぃ、と口元を吊り上げる。
 そして男は云った。

「ふっ……ちょうどいい! 抵抗するというのなら、その首輪に物を云わせるまでだ!!」

 宣言と同時、つむがれる――これは、何かの呪文?
 それに覚えがあるのだろうか、ユエルの瞳が驚愕に見開かれる。
 いや――これは驚愕の表情というよりは。
 むしろ。

「ユエルっ……?」

 聞かせちゃダメだ。不意に思った。
 彼女の耳をふさごうと、腕を広げたけれど、それより速く。
「あっ!?」
 腹に走る鈍い衝撃。
 突き飛ばされて転びかけたを、いつの間に傍にきたのか、モーリンが支えてくれる。
 だけど。
「ユエルはッ!?」

「ウウウウウゥゥゥゥゥゥ……」

 威嚇するような唸り声。
 それは、ユエルが発していた。そして、たちに向けられていた。
 そう、を突き飛ばしたのも、ユエルだったのだ。そのことに遅まきながらも気づいて、
「ユエル!?」
 同時に彼女の瞳を見たミニスが、驚いた声をあげる。
 声こそ出さなかったものの、だって似たような気持ちだった。
 紅く――赤く染まったユエルの瞳。それは狂気に支配された瞳だった。
 ……操られている……?
 まさかと思って、けれどミニスに目をやれば、
「――――」
 ことばにしての肯定ではないけれど、彼女の視線は雄弁に、の推測を後押ししてくれている。
 正気を失った唸り声とともに、ユエルがゆらりと身を起こす。おぼつかない足取りだけど、けれど、しっかりとその足で立ち上がった。
 低い唸り声を発しながらも、視線を向けただけでいるのは……男の命令を待っているつもりなのか。
「ユエル? どうしたんだい?」
 彼女の変調に気づいていないおばさんが、不思議そうにユエルに近づこうとする。
 ぴくり、と、ユエルがその声に反応した。
 男が、笑みを深くした。

「だめっ! おばさん、こないで!!」
「え?」
 が叫び、おばさんが足を止め。

「やれ、ユエル」
「――ガアアァァッ!!」
 男が命じ、ユエルが動いた。

 それはほんの数秒。しかも一秒や二秒あるかないかの、ほんとうに刹那の間のコトだった。

「きゃああぁぁッ!!」

 誰かの悲鳴。目の前のおばさんの悲鳴。横にいたミニスの悲鳴。

 ――鮮血が。
 視界を紅く染めた。

「ユエルっ!!」

 それでも。彼女の名を呼ぶ。そのコト以外にそのとき、何が出来たのだろう。


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