TOP


第18夜 四
lll 祭りの夜 -4- lll



「……」

 この声は。
 なんだか聞き覚えのある、懐かしい、だけどこんなトコロで聞くものではないよーな。
 そんな不安を覚えながら――それでもうれしさのほうが大きい自分に呆れながら、見やった先には、彼がいた。
「イオス……さん」
 明々と街を照らす灯りに、金の髪がうっすらと輝いている。初めて見る、ラフな恰好。だが見間違えようはずもない。
 ファナンに攻め込もうとしているデグレア特務部隊・黒の旅団の部隊長さんが、を見つめて立っていた。
 ばれやしないのかと、周りをあわてて見渡すけれど、考えてみれば誰もイオスの顔など知らない。知ってるのはたち一行くらいだから、彼らに逢わなければ良いだけの話だということに気がついた。
 ……いや、はもう、今遭遇してしまっているワケだけれど。
 どうしたもんかと戸惑うものの、イオスはにっこり、笑みを向けてくる。
「久しぶりだね」
「あ……はい」
 ローウェン砦でお互いの姿を認めていたから、実際そんなに間は空いていないのだけど。ことばを交わすのは、大平原以来だろうか。
 なんとなく不安をぬぐえないを見て、イオスの笑みが軽い苦笑に変わる。
「今日は何もしないよ」
「……え?」
「ファナンの人間にとっては最後の祭りだからね。それくらいは……それに、こちらも進軍の準備が整っていないから、しばらくは、まだ何もない。僕も、今はファナンの周辺を偵察しているだけだ」
 ちょっと引っかかることばではあったけれど、とりあえず、安堵。
 今日の豊漁祭が、いきなり中断になるようなコトはないし、しばらくは戦いになる心配もないと云うことだから。
 あとは――勝てばいい。
 そのときに、自分たちが、勝てばいい。
 それはとても難しいコトだと知っているけれど、それでも今、素直な気持ちでイオスに笑いかけれるようになるには、充分なものだった。
「……えーと、改めて。お久しぶりです、イオスさん」
「イオスでいいよ」
「じゃあ、イオス」
 呼び方を訂正されて、それに頷く。
 それから、ちょっと気になっていた彼の恰好は何かと問うてみた。
 いや、任務で偵察に来たにしては、そこらの一般人と混ざっても全然違和感ない恰好だし。人目を避けるためと云えば聞こえはいいかもしれないけど、美人さんだから街のお姉さまたちは見逃さないだろうし?
 すると、イオスは柔和な笑みに少しだけ、戸惑いを混ぜたようだった。

「軍人軍人した格好をして、祭りに混ざるわけにはいかないだろう? ……それに、もしかしたら君に逢えるかと思ってたし……」
「……は?」

 なまじ元が色白なものだから、イオスの頬に朱が散っているのがよく判る。
 ぽけらっとことばを返したに向けて、彼の手が伸ばされた。
「おいで」
「――」
 ちょっと迷って。まぁいいかと思ってその手をとった。

 一応イオスがお忍びだから、あまり人気のない場所を目指して歩いた。喧騒から外れた街の部分は、遠くから聞こえる賑やかさもあいまって、いつもよりも静かに思える。
 人込みから抜ける間、はぐれないようにと肩を抱いてくれていたイオスだけど、こうして誰もいない場所にきてもそのまま。
 いやしかし。この人自覚してるのかな。通りすがりのお姉さんたちが、熱い視線を送っていたのを。
 改めて、その美人っぷりに感嘆して見上げるを、イオスが疑問符まぶした顔で見返す。
 ごまかすように笑ってみせると、彼もにっこり笑った。
 ……つくづく美人だ。生まれる性別間違ってないかこの人?
「えーと。元気だった?」
「ああ、それなりに。は?」
「元気だよ。いろいろあったけど」
 お互いドコで何をしていたかとは云わない。云ったら最後、自分たちの立場を思い知らされそうで、自然と避けていた。
「あ、そうだ。君にあげたいものがあるんだ」
 しばらくは、どちらともなく黙っていたけれど。ふと、何かを思い出したようにイオスが云った。
「え? 何かくれるの?」
 声が上ずる。現金なやつである。
「ああ……店の親父にひっかかってね。挑戦させられた種目で貰ったんだけど……君が喜びそうだから」
「ドコ? ドコ? 今持ってる??」
「残念ながら」
「えー? じゃあいつ渡すの?」
「最低でも明日には見れるよ」
 笑いながら、「実はさっき君たちの住んでいる道場の前に置いてきたんだ」と、イオス。
「……何かだけでも教えて」
 それでも諦めきれず、腕にしがみついて見上げた。自覚ありでぶりっ子状態おねだりなどしてみたり。……腕の鳥肌は見なかったことにして。
 しょうがないな、と微笑みながら、イオスは、の耳元に顔を寄せて小さな声で、
「銀細工の髪留め」
「わぁ」
 いかにも女物のそれをイオスが持って、なんとなく途方に暮れている感じの図が浮かんでしまったのを見透かしたのか、軽く頭をこづかれる。
「何を考えた?」
「何もない何もないないない」
「顔が笑ってるぞ」
「へへ」
 それは、ひどく穏やかな。ひどく懐かしいような。いつかどこかでこんなふうに、過ごした記憶を持っているような。
 そんな感覚を覚えながら、一生懸命イオスに対して「笑ってないよ」と弁解してみせた。
 だけど何かが足りない。
 そして、それを自分は判ってる。
 きっとこんなふうにしているとイオスを、優しく見ていただろう赤紫の髪の男性が――ココにはいない。そのコトが、心にぽっかり穴を空けたようだった。


 ……思い出す。何年か前にもこうやって一度だけ。イオスと彼女と、そしてもうひとりが、こうしてこの場にいたことを。
 まだ聖王国と旧王国が、それなりの小康状態を保っていた頃に、この祭りのコトを知ったが、我侭を通してやってきたのだ。
 保護者役でついていったルヴァイドとイオスを、あちこちあちこち振り回し、散々疲れさせてくれたけど。この子の笑顔で元気になった自分たちは、けっこう親馬鹿なのかもしれなかった。
 ……何を今さらという気もするが。
 親馬鹿――?
 ふと。その単語にひっかかるものを覚えて、イオスはに気づかれない程度に首を傾げた。
 ルヴァイドのアレはほぼそうだったと思えるが、じゃあ自分はどうなのか。父親代わりのつもりはないし、かといって兄役と云うにも微妙な位置に立っていた気がする。
 まだ記憶をなくす前、は自分にどんなふうに接してただろう?
 同じ軍の先輩後輩とか名目上は云っていたけれど。ほとんど同輩。たまに甘えてきたりしていたというコトは、多少は兄扱いされていたんだろうか。
 だけど自分は、やっぱり兄という枠に納めるにはちょっと不釣合いな気持ちでいたんじゃなかったろうか。……ここ最近のごたごたで、意図しておしこめていたものは。

「何? イオス」
 呼べば応える彼女の声は、だけど、以前とはたしかに違う響きでイオスの名をつむぐ。
 見慣れたデグレアの服で、姿形が変わったわけではなく、以前のままの外見で。
 ――まるであの頃に戻ったように。
 だけど、自分の気持ちはあの頃とは少し違う。おさめきれない部分が、自覚以上に肥大している。
 なんなのだろう。この気持ちは。
 ずっとあのままでいたら、おそらく増すことなどなかったかもしれない、胸の奥に小さくくすぶっていた炎にも似た、それは。
 なんなのだろう――?


「!」

 考えにふけっているイオスの邪魔をするのは悪いと思ったけれど、それどころじゃない事態に気づいては立ち上がった。
 はっとした顔でこちらを見るイオスの腕を、ぐいっと引っ張り、小走りに角をひとつ曲がって身をひそめる。
「――ったく、あんたはなんでそう――」
「いいじゃねーか、たまには……ほれ、シャムロックだってあんなに楽しそうに笑ってただろ?」
「あれは下戸の笑い上戸って云うのよ! まったく……どこに走って行っちゃったんだか……あとで回収に行きなさいね!!」
 げしっ。ほぶっ。
 殴る音とうめく音が、微妙にずれて聞こえた。
 そのまま、ケイナとフォルテは通じてるのか通じてないのか微妙な会話を繰り返しながら、たちの隠れている角の前を通り過ぎていく。
 完全に姿が見えなくなってから、はふぅっと息をついた。
「……危なかった」
 いくら酔っているとは云え、フォルテもケイナも冒険者としてそれなりの経験を積んでいるし、何よりふたりにとって、イオスは当座の敵だ。
 両方好きなとしては、出来ればそうとしか出来ないときにしか、ぶつかってほしくはないのである。
「……すまないな」
 小さく謝ってくるイオスに、「ううん」と笑ってみせた。
 それから、気にしないでと付け加える。これくらいどうってコトはないから。
 だけどイオスはため息をついて、
「……僕はそろそろ退散するとしようか。あんまり連れていると、君の仲間も心配するだろうしな」
「今日はだいじょうぶだと思うけどね。お祭り終わるまでにモーリンの家に帰れば」
 それでも、優しいあの人たちはきっと、少しだけでも心配してしまうだろう。こんなことで、楽しい夜に、余計な神経使わせたくはない。
 立ち位置を変えて、イオスと向かい合う。
 この場所からは遠い街の喧騒が、さらに遠くなったような感覚。

「じゃあ。……またね」
「ああ」

 いつかの夜も痛感していた。『また』逢うときは、敵になる。

「ルヴァイドさんとゼルフィルドによろしく。あたしは元気です、って」
「ああ、伝えておくよ」

 だけど、それでも。
 敵同士。

 そっと、服の上から、胸元に下げているペンダントを確かめた。
 だいじょうぶ。
 もう何度も繰り返してきた。そしてまた繰り返す、このことば。
 だいじょうぶ――

 ふ、とイオスが微笑った。
「君の仲間がうらやましいな」
「え?」
「うらやましいよ。ずっと昔から、君のことばは聞く者に強さをくれたから。今それを聞ける、君の仲間がうらやましい」
「……イオス?」
 初めて見る表情のような気がした。
 初めて見る、彼の弱さに思えた。
「……本当に」
 うらやましい。つぶやくイオスに、
 云うよ。
 そう、唇が動きかけた。
 云うよ。あたしは。あなたがそう望むなら、いくらだって何度だって、繰り返すよ。だって、あたしは昔、あなたたちにそうしていたのかもしれないんでしょう?
 けれど、
「――じゃあ、『また』」
 がことばを形づくる前に、イオスはくるりと身をひるがえし、歩いていってしまった。
 すぐに走れば、遠ざかるその背に追いつけたのかもしれなかった。
 けれど、はただ、イオスの姿が見えなくなるまでそこに立ち尽くすしか出来ずにいた。


 それはどこまでも、自分の勝手な思いだけど。
 それはどこまでも、誰かの気持ちを無視しているけど。
 聖女を得るために動くたび、苦しそうな表情の増えてきたルヴァイドを、イオスは知っている。
 ならば。けれど。
 せめてあの方の手を、の血で濡らすことだけはさせたくない。
 だからといって、他の兵士たちになど言語道断。
 ならば。もう。
 いっそ自分がと思っていたその矢先、またあの子に逢えたのは。この気持ちを強くするためか弱くするためか。
「……判っていたことだろう」
 誰に届くでもないそのことばは、イオスひとりの耳にしか入らない。
 判っていたことだろう。声にせぬまま繰り返す。
 ありえないコトだと判っていても、思わずにはいられない。
 がデグレアにいた頃ののまま、アメルを連れ、ひたすら逃亡していればまだ、秘密裏に連絡をとって事態を手に握れたかもしれない。
 けれどそれは、ありえないもしもだ。
 ――今。
 あきらかに敵対している位置に立つ彼女を越えて聖女を手にするには、その覚悟さえも、しておかなければならない。
 予測は辛い。けれど予測せぬまま心の準備なきままそんなことになれば、たぶん、自分は壊れる。きっと。
 ――だいじょうぶ。
 そうしようとするこの気持ちを、そうされる彼女のことばを糧に強くしようなど。一瞬でも考えていた自分が。それの欠片とはいえもらしてしまった自分が。
 ひどく醜く思えた。
「……
 つぶやくのはあの子の名。

 君のことばが欲しい。君の笑顔が欲しい。

 ――本当は。傷つけるためでなく、君を守るため強くなるために。君のことばが欲しいのに。



 ファナンを出て、イオスは大平原を目指す。その先に存在する、偵察兵たちの駐屯地を。
 街周辺の偵察を強化するよう、告げるためにだ。
 彼らが動くだろうことを、に出逢った時点で予測出来た。ならばそれに対応するのは、当然のこと。
「……」
 それはどこまでも、自分の気持ちさえ裏切る道だと。そんなの、判っている。判ってはいるけれど。

 昏い考えに陥りかけた――その刹那。

 ドォン……!

「あれは……」

 イオスの耳に、ファナンのほうから音が聞こえた。その正体を予測して振り返った彼の目に、予想どおりのものが映る。
 闇を切り裂くように……いや、夜空を鮮やかに彩る、大輪の火の花。
「――――」
 あの下に、あの子がいる。
 歩む道を違えて、それでも前に向かって歩いていく、自分の……自分たちの大切な女の子がいる。
 鮮やかな光の下で。
 今も、笑っているのだろうか。いつか自分たちに見せた笑顔で――


←第18夜 参  - TOP -  第18夜 四→