それは合図といえたろう。
これから起こる惨劇の。
そして、ここより始まる多くの歩みの。
「何!?」
真っ先に目を覚ましたのはケイナだった。それから間をおかずにトリスとバルレルも。
4人は顔を見合わせて、急ぎ支度を整えただけで部屋を出る。
「何があったんだ!?」
同時に、向かい側の部屋からネスティが姿を現した。
「判らないわ、大きな音が聞こえたけど……!」
答えるケイナの向こうは窓。
それを見て、ははっと目を驚愕に見開いた。
だがそれを告げる前に、入り口から、一足先に外に出ていたらしいフォルテが、あわてて飛び込んできた。
そして叫ぶ。
「おい! 村が……村が大変なことになってるぞ!?」
外に出た瞬間、鼻をつく嫌なにおい。
木々が燃える――家が燃える――すべてを燃やしつくさんとする、赤い狂気の炎。
視界を覆う煙。
その端々からかろうじて見える、黒の鎧を着込んだ兵士たち。
「……ッ!!」
それを見た瞬間、トリスがマグナにしがみつく。
――死体。
あきらかに斬られたのだとわかる、背中に大きな傷を負って死んだ人間が、見渡せる限りあちらこちらに無造作に、転がっていた。
それでも、気丈に彼女は叫ぶ。
心配する気持ちが恐怖を克服したのだと、には判った。
「アメルは!? アグラおじいさんたちは無事なの!?」
「行こう!」
すぐにマグナがうなずいて、トリスの手を引き、走り出す。
一寸遅れて、バルレルとハサハが彼らについていく。
それからフォルテ、ケイナ、、ネスティの順で。
昼間、賑やかに並んでいた長蛇の列の終着点――そここそがすなわち、聖女の暮らすつつましやかな聖殿。
火はもはや村中を駆け巡り、その聖殿さえも飲み込もうとしていた。
そうして、その建物の前にアメルはいた――黒い兵士に腕をつかまれて。
震える身体は抑えようもなく、瞳は恐怖に濡れていたけれど、それでも。
「あなたたちがやったの……?」
「……」
問いに兵士は応えない。
代わりに、逆にアメルに問いかける。
それは問いと云うよりも確認、確信に近いもの。
「おまえが聖女か?」
「質問に答えて!!」
返らなかった答えに怒りを覚え、アメルは再び叫ぶ。
けれど、まるで、兵士のまとう黒い鎧が、炎や熱風と同じように、彼女の声さえも弾き返しているような。
「……この娘を連行しろ」
「いやあぁ!!!」
少女と、鍛えられた兵士の力は比べるべくもない。
アメルの身体を、兵士が本格的に捕らえようとした、そのとき。
「ちゃんすぱいらるはいき――――っく!!!」
どげしぃぃぃっっ!!
間一髪追いすがったがこの光景を発見し、兵士にスクリューキックをかましたのである。
ポイントは足首のひねりです!
んなこたどーでもええ。
場外のユカイなやりとりを余所に、不意の衝撃で兵士はアメルの手を放し、その場に崩れ落ちる。
「!」
涙を浮かべて、に駆け寄るアメル。
「アメル! さん!!」
少し遅れて、トリスたちが到着した。
ぜえはあと息を切らしながら、フォルテがに云う。
「は……早いな……俺たちを追い越して行っちまいやがって……」
「でも、それでなんとか出来たわけだし!」
まだ事態は改善されたわけではないが、差し迫っての危機は回避された。
体勢を崩した兵士の動向に気を配りながら、は笑ってみせた。
――と、やはり蹴り一発ではダメージが少なかったか、予想通り兵士が起き上がる。
「っ!?」
「ま、待て!?」
だがおかしなことに彼らの方を見た瞬間、まるでためらうように動きを止めた。間をおかず方向転換すると、そのまま走って行ってしまう。
「……何?」
すわ戦闘かと、構えていた弓をひとまず下ろし、ケイナが怪訝な顔をした。
そうして同じように、怪訝な顔をする。
けれど彼女は、ケイナたちとはまた別の理由からその表情を見せていた。
なんだろう?
あの兵士を、あたし、どこかで見たような……
「アメル! 無事か!!」
そこに、ロッカとリューグがやってきた。
兄弟の姿を認めて、アメルはそちらに走る。
「ロッカ、リューグ!! 村の人たちは!? みんなちゃんと逃げられたの!?」
「……」
答えは――無言でうつむくふたりの姿。
「あいつら、一人残らず殺しやがった。女も子供も、病人でさえもッ!」
「……嘘……でしょ……」
ことばにならない声で、アメルがつぶやく。
重苦しい沈黙が一同を覆った。
そのとき。
「こんな少人数に手間取っていたとはな……」
重々しい声とともに、炎を分けて人影が現れる。
黒い甲冑に身を包み、同じく黒い兜をつけた兵士――おそらくは今回襲ってきた兵士たちの総指揮だと容易に想像させる出で立ち。
けれど、声音に少し戸惑いが混じっているのをは察した。
それはも、同じような戸惑いを感じていたからかもしれない。
知って、いる?
あたしは。この声を知ってる……?
顔までも覆う兜のせいで、声がくぐもってしまってよく判らなかった。
だけど確かに感じる、懐かしいもの。
それは間違いなく、目の前の黒騎士から感じとれるもの。
――たしかにルヴァイドは戸惑っていた。
兵士から報告を受けたときには信じられなかったが、こうしてこの場に立って自らの目で確認するにいたっては、認めざるを得なかった。
――。
おまえはここで、何をしている……?
ほんの数日前だ。この子と別れたのは。
は確かに、聖女をデグレアに渡すを是としないために、彼らの元を離れた。
けれど、それは一時のことであったはずだ。
――なのに。
今、目の前で。
かすかな恐怖と、明確な敵意を持ってルヴァイドを見据える少女の視線。
そこには彼を慕っていたの感情は、なかった。
強いて云うならかすかな戸惑いがその瞳に映っているのは、読み取れたけれど。それに何の意味がある?
……けれど。
対象がそこに在る以上、何よりも優先すべきは任務の遂行だった。
今もどこで、あの女召喚師の魔獣が目を光らせているか知れない。
故にルヴァイドは告げる。
困惑も戸惑いもすべてをその兜の奥にひた隠し。
「聖女を渡してもらおうか」
「っ、ざけんな! 誰がおまえらなんかにアメルを渡すかよ!!」
間髪おかずにリューグが吼える。
それはここにいる者全員の声だった。
各々が、硬質な音を響かせて武器を構える。
「ならば、力ずくで奪うまでだ!」
その甲冑と体躯からは想像できない勢いで、ルヴァイドが迫った。
ガギィィィィン!
鋼と鋼のぶつかりあう音。
振り下ろされたルヴァイドの斧を、最前にいたリューグが受け止める。
「ぐっ……!」
「リューグ!!」
ロッカとアメルが同時に叫ぶ。
炎のせいだけでなく、リューグの額に汗がにじんでいた。
全身の力で大剣を押し返そうとするが、かなわない。逆に、少しでも気を抜けばこちらが真っ二つだ。
「この俺に戦いを挑むか、無謀を知れ!」
「ぐああぁっ!」
「リューグ!」
吹き飛ばされたリューグをかばうように、ロッカがその前に立ちふさがった。
「だめ――!!」
ロッカごとリューグを貫こうと、疾るルヴァイドの動きが――刹那、止まる。
の叫びに。
「うおおおおおおおおお!!!」
「何!?」
その隙をついて、どこからとなく飛び出してきたアグラバインが、斧を振りかぶってルヴァイドに迫った。
いきなりの襲撃と衝撃に、ルヴァイドもひるむ。
「爺さん!」
「お爺さん!?」
「ここはわしたちに任せろ! 逃げるんじゃ、アメル!!」
「でもそれじゃ、お爺さんたちが!!」
アグラバインのことばに、応じられないアメルの叫び。
けれど。
「必ず迎えに行くから……だから! 先に行っててくれ」
体勢を立て直しながら、ロッカが云う。
「アメル! 逃げるぞ!!」
マグナがアメルの手を引っ張った。
それでもなお、アメルの足は進まない。
「でも、あたし、お爺さんたちを残して逃げるなんて出来ないっ!!」
「アメル! ロッカやリューグやお爺さんは、貴女のために戦ってるのよ!?」
貴女がここで逃げなかったら、彼らの気持ちはどうなるの!!
「――!!」
「……行けえぇっ!!」
アグラバインの猛攻をかいくぐって迫るルヴァイドから離すため、リューグがアメルを突き飛ばす。
「あっ……!」
たたらを踏んだアメルの手を、マグナがつかんで走り出す。
「ロッカ! リューグ!! お爺さああぁぁん!!!」
最後に一度、アメルが振り返ったのが最後。
すぐに彼らの姿は、炎と煙の向こうに見えなくなった。
数十メートルだった。
あの場所からほんの数十メートル離れた場所。
一行の最後尾をついていっていただったが、ふ、とその場に足を止めた。
それに気づいたトリスが、皆を呼び止めて駆け戻る。
「さん?」
「行って」
緊迫した声で告げるを見て、察したらしいフォルテとケイナが武器を構えた。
ネスティもサモナイト石に手を触れ、召喚の準備をする。
けれどの声が、それを止めた。
「行って、いいから」
「?」
「だいじょうぶ、殺意は感じないから――だから、行って」
「だが、君一人に任せるわけには……!」
「だいじょうぶ」
心配する一同に向かって、は微笑んだ。
記憶もなく。炎に囲まれ煙に包まれ。それでもなお、凛、と、そこに立っては笑んだ。
「きっと、だいじょうぶ。だから、先に行って」
あとで追いつくから。
それに信頼を感じてくれたのかは判らないが、それでも、みんな走り出す。
以外は。
そうしては、改めて気配を感じたほうを振り返った。
「……」
戸惑いながら、右手に槍を下げて出てきたのは、金髪の青年。
炎に照らされて赤く染まった姿をさらしながら、彼は、不思議とこちらを攻撃する意志を見せない。
どうして、そんなことが判るのか、とか。
何故殺気や敵意を感じることが出来るのか、とか。
そんなことは、今のにはどうでもよかった。
ただ、自分を拾ってくれたあの人たちを、無事に逃がしてあげたかった。
だからひとり、此処に残ったのだけど。
が彼らに告げた、殺意を感じないというのは、嘘ではない。
その証拠に――彼女の名をつぶやいた青年は、戸惑いを隠そうともせず、攻撃も仕掛けず、立ち尽くす。
それはそうだろう。
つい数日前まで笑いあっていた少女が今、自分の目の前に仮想敵として居る。
ルヴァイドではないが、兵士からの報告を聞いたときは何の見間違いだと思った。
けれど、この目で見て、すぐに判った。
。
姿の似ている第三者でもない。
たちの悪い冗談でもない。
――。
聖女を守ろうとして、イオスたちを敵とみなして。はそこに居た。
「あなたは……」
自分の名前を呼ばれたことに、は驚いた。
今のにとっては、自己を証明するためのたったひとつの手段である。名前。
それを、この人は知っている?
「あなたは、あたしを知ってるの?」
だから問う。
はを求めて、金髪の槍使いへと問いかけた。
そのことばに、イオスはぴくりと肩を震わせる。
警戒心の混じったの声を、まさか自分に向けられることになろうとは、いつ想像しただろうか。
けれど今、これが現実だった。
感覚を澄ませて、周囲の気配をイオスは探る。
ビーニャが放っていったはずの魔獣は、すでに炎に巻かれたか逃げ出したか――彼らの周囲には少なくとも、その気配はなかった。
それから、返答を求めて立ち尽くす、少女に向けて。
「ああ。知っている」
告げる。
手を――に向けて差し伸べる。
「おいで」
「……」
迷うのは当然。
けれど、また、自分を知りたいのも当然。
「あたしは」
手を半分ほど伸ばしたところで止めて、は青年に告げる。
「あたしは、彼らの所に戻るって云った。きっと追いつくって云った」
それは約束。守るべき宣言。
「……それを達成するジャマ、しないなら」
そんな保証、どこにあるというのか。
問われてもきっと、答えられなかっただろうけど。
「――行っても、いいよ」
真っ直ぐに、目の前の青年を見つめては答えた。
エゴと云うなら云えばいい。
この惨状の張本人である、この相手に身柄を任せることに抵抗を感じないわけじゃないけれど。
許せないと思う、黒い気持ちは確かに根付いていたけれど。
それでもあたしはあたしを望む。望まずには居られない。
ケイナさんのように、あたしはまだ、強く在れない――
心の奥が求めてる。あたしがあたしであるために、なくした記憶を取り戻すことを、望んでる。
そうしなければ、きっとあたしは進めない。
「……おいで」
もう一度、イオスがを促した。
それからあまり間をおくことなく、ふたつの人影が炎の中に姿を消していく――
その夜彼らは、これまで生きてきて初めて、襲撃者に怯えて過ごす。
フォルテとケイナに動揺はあまり見られなかったが、トリスやマグナ、アメルの不安は大きいものだった。
ハサハが心配そうに、マグナに寄り添っている。
ネスティも表面上は落ち着いているが、時折、悲痛な表情で自分たちの逃げてきたほうを振り返っていた。
ゼラムまで真っ直ぐに逃げられれば良かったのだが、慣れぬ夜道を歩き続けることは危険だった。
もう追っ手もこないだろうと、フォルテが告げたのがきっかけ。
それでもなるべく目立たない場所に野営を張って、夜を過ごすことにしたのである。
「やれやれ……」
勤めて平静を装って、ネスティは口を開いた。
「この様子では、いつになったらファナンへたどり着けるのやら……」
「おいおいネスティ、この状況でそれを云うか?」
ようやく寝静まった一行のなか、唯一起きていたフォルテがそれを聞きとがめて笑う。
「こんな状況だから、だよ。フォルテ」
「どういうことだよ、ネス?」
反対側の隣から、むくりとマグナが身を起こす。
弟弟子に苦笑して、ネスティはマグナの頭を押さえ込んだ。
「むぎゅ。」
とっさのことで突っ伏したマグナだったが、暴れたりしての抵抗はしない。
そんなことをしたら、やっと眠りついた他の人間たちが起きてしまう。
「今は余計なことを考えないで休んでおけ、マグナ。……トリスも」
起きていたのを気づかれて、トリスが小さく舌を出す。
「ねぇ、ネス」
それでも不安が、彼女の口を開かせる。
「だいじょうぶよね? アグラおじいさんも、ロッカもリューグも、さんも」
だいじょうぶ、よね?
ネスティはそれには応えなかった。
ただ黙って、マグナとトリスの布を直してやると、ぽんぽんと、優しく身体を叩いてやった。
今度こそ、身を寄せ合って眠った双子の寝息が聞こえ出してしばらく後。
やっぱりまだ起きていたフォルテが、聞き取れるかどうかの小さな声でネスティに呼びかける。
「……なぁネスティ」
「なんです?」
「あの嬢ちゃん……のことだが」
「ええ」
云うべきか云わざるべきか。
しばらく逡巡して、結局フォルテは云うことに決めた。
「たぶん、戦闘系の訓練をなにがしか積んでるぜ。記憶が無くても、経験は生きてるもんだ。……見りゃ判る。身体の動かし方に、余分な動作が殆どねえんだよ」
ありゃあプロって云っても過言じゃなさそうだ――
「……そうですか」
けれど記憶がない以上、それについて追求しようにもすべはない。
それに。
追求することも、もしかしたら、出来ないかもしれないのだ。
それは余りにも寒気を覚える考えで、改めて表層に浮き出させるものではないものだったが。
今さらながら、あの場で彼女ひとり残してきてしまったことを悔やむ。
けれど。
優しいながら、有無を云わせぬあの口調。
あの少女のどこに、あんなに強いものが潜んでいたというのか。
「ああいや、つまりだな」
黙ってしまったネスティを見て、フォルテもなにやら気まずくなったらしい。
「だから、あの嬢ちゃんは大丈夫だと俺は思うぜ。あの3人だって、引き際くらい心得てるだろうしな」
だからおまえさんも、心配しないでさっさと寝ておけよ。そう云って、大柄な剣士は、にっ、と相好を崩してみせた。
「だっ、誰が心配……!」
「しー」
「……」
立てられた指の意図は明白。
さすがにもう何も云わず、ネスティは頭まで布をかぶるとその場に身体を横たえる。
それを見届けて、フォルテもまた無言で焚き火のほうに向き直ると、野獣避けの火を絶やさないようにと数本の薪をくべた。
かすかに空が白んでいることに気づき、こりゃああまり眠らせてやれねぇなぁ、と埒もないことを考えながら。
夜明けは近い。
彼らの道はまだ遠い。
けれども彼らは歩み出した。
進むべき先も、辿り着くべき場所もまだ、欠片さえ見えないままに。