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第1夜 参
lll 彼女は企む lll



 それは驚愕。
 もしかしたら、過去にレイムがこの地に封じられて以降、初めてかもしれない、心底の驚愕。
「うっそでしょぉ!?」
 窓の外――ぴたりと張り付いた、小さな小さな魔獣。その向こう――物理的にではない向こう側で、甲高い声が叫んでいた。
 静まりかえった村のなか、その魔獣は何匹も何匹も放たれ、あちこちに身を潜めていた。
 きたるべき時に、備えて。
 そのなかの一匹がアグラバイン家の窓に張り付いたのは、偶然だった。
 また、ビーニャが村の中を覗く際、その魔獣の目を通そうとしたのもまた、偶然だった。
 けれどその偶然が、彼女に驚きをもたらす。
 いつもの笑い声も忘れ、ビーニャはもう一度、その光景を覗き見た。

 賑やかな家だ。
 うるさくて、壊したくなるくらいに。
 大勢の人間たちが集まって、騒いでいる――その中心。

「なんでちゃんがこんなとこにいるわけー!?」

 もう一度、ビーニャは叫んだ。
 お気に入りの女の子が、これからまさに滅ぼそうとしている村で、楽しそうに笑っているのだ。
 これはいくら彼女といえども、驚かずにはいられまい。
 見間違いかと思っても、そんなことはない。
 暖炉の炎を照らして柔らかに輝く髪も、澄んだ黒い瞳も、その姿すべて、のものだった。
 魔獣の耳も用いて、ビーニャは彼らの会話をうかがう。
 すると、が記憶を失っているということに話が及んだ。
「ふゥん……?」
 得られる会話の断片を、丁寧に組み立てていく。
 が何かの用事でレルム村を訪れ、そうして事故で記憶を失ったらしいことが聞き取れる。
 事故ねェ、と、ビーニャは呆れた声でぼやいた。
 ちゃんらしいって云えば、らしいけど。なんでこんなときに、そーなっちゃうかなあ?
「――まあそれは、事故らせた奴をめっちゃくちゃに壊しちゃえば、アタシの気は晴れるからいいけどサァ?」

 リューグはこのとき、ただならぬ悪寒を覚えたらしい。

 それに、と、ビーニャは続けて思う。
 記憶がないならないで、またアタシたちのこと覚えさせちゃえばいいし?
 レイム様ならニンゲンの記憶取り戻すくらい、あっという間かもしれないし?
 口の端を吊り上げて、ビーニャは再び魔獣の目を使った。
 その向こうで、彼女は笑っている――楽しそうに。
 ビーニャたちの知らぬ人間たちに囲まれて、ビーニャたちに見せた笑顔で笑っていた。
「……なんか、すっごく、腹が立つんだけどォ……?」
 傍にいた魔獣が、怯えた様子を見せてビーニャから離れる。
 ぎゅちっ、とそれを魔力で潰し、ビーニャは笑った。
「――――」
 それから、ふっと目を閉じる。
 遥かデグレアにいるはずの、彼女の真の主にこのことを報告するために。
 それから、

 それから、ひとつのことに対する許可を得るために。

「レイム様は、聖女の奪回が最優先だから必要以上にコトは大きくしなくても良いって云ってたけどォ……」
 主の回答を待つ間、ビーニャは物騒な声で己の思惑を夜闇に溶かした。

「なんかすっごく、イライラしちゃうんだよねぇ……」



 バカな、と、見開かれる二対の目。慌しく点滅する、一対の眼光。
「いきなり何を云い出すんだ、ビーニャ!!」
「元老院議会の命令よー? 逆らう気? あんたたちにできるの? キャハハハッ!」
 夜半、作戦実行前。
 いきなりルヴァイドのテントを訪れたビーニャは告げた。
「ことここにきて、いきなりの命令変更だと……!? しかも村人を全員殺せと云うのか!」
「ソノヨウナコトヲシテ、何ノ意味ガアルトイウノダ?」
 イオスとゼルフィルドの詰問も、ビーニャにとってはそよぐ風ほどの感じでしかない。
 逆に悠然と目を細め、彼らの様子を見てほくそえむ。
 この分じゃ、ちゃんがこの村に居るのは気づいてないわよねェ。と。しかも記憶喪失など、確実に予想さえしていない。出来るわけもない。
 その笑みをどうとったのか。
 イオスが殺気もあらわに、片手に握っていた槍を構え直して威嚇する。
 だが、それはルヴァイドの制止により、しぶしぶながらも解かれた。
「説明してもらおうか。何故このような命令が出た」
「アンタたちに説明してやる義理はないわ。キャハハハハハハ!」
「ビーニャ!」
「なぁによ、えっらそーにぃ。元老院議会に逆らう気ー?」
 そうしてビーニャは切り札を持ち出す。
「父親の罪を贖うなんて、国のために尽くすなんて、よくそれで云ってられるわよねー?」
 ルヴァイドの表情が微妙に歪んだ。
 この場における勝利を、ビーニャは確信する。
 そうして、彼らに最後通牒を下した。
「アタシは今からデグレアに帰るけど、もう仕掛けはバッチリだからァ……アンタたちは、今アタシの云ったとおりにしとけばいいだけ。ラクショーじゃない、ネェ?」
「ふざけたことを……ッ!」
「云っとくけど、命令違反しようったって無駄よ?」
 露な怒気も、ビーニャにとってはそよ風ですらない。
「かわいい魔獣たちが、議会の代わりにアンタたちを見張ってるんだからね? キャハハハハッ」
 万が一があったら、間違いなく議会に報告が行くことを、よーく覚えておきなさいよォ?
 声も無くその場にあるルヴァイドたちを、勝ち誇ったように順々に眺めたビーニャは、そのまま、くるりと身を翻して天幕を去る。
 けれど、彼らに完全に背を向けた彼女のその顔から、笑みが消えた。
 怪訝な表情は、いまや隔されるものではない。しかし、それはもうテントの彼らから見えるものではなかった。
 そして、彼女は宣言どおりに魔獣を数匹放つ。
 仕掛けのためにではなく、監視のためだけに、それらはさらに村のあちこちへと散開していった。
 それを見届けて、いつもハイテンションな彼女には珍しく、ため息をもらすビーニャ。
 あーあ、と、至極残念そうな響きは、先刻受けた主よりの応答故だった。

「レイム様、何考えてるのよー。まだちゃんを連れて帰っちゃダメだ、なんて……」

 村を、ルヴァイドたちにめちゃくちゃに壊させてー。
 記憶のないちゃんに、あいつらを嫌わせてー。
 そこに颯爽と、まるで、アン○ンマンのように助けに現れるカッコイイレイム様!!
 を、想像してわくわくしたのになぁ――――

 するなや。

 同僚二人のどちらかがいたら、そうツッコんでいただろう。

 というか何故アン○ンマンか。
 あの白い顔をちぎって『私の顔をお食べなさい』というのか。

 ……だんだんえげつない話になってきたので、教育上カットいたします。


 静かな夜だった。
「――――」
 ぼんやりと、は窓の外を眺めている。
 同室のトリスとバルレル、ケイナはぐっすりと眠っているにもかかわらず、だ。
 木々に覆われてよく見えないが、月もすでに中天に差し掛かっているであろう時間。
 ちなみに、なんでバルレルとハサハが逆じゃないのかと問うたら、「護衛獣だから」としごくあっさりした答えだった。
 護衛獣についての認識をまた深めたである。
 ちょっと、一般的認識からは違うかもしれない。だが認識しちゃったもんはしょうがない。

 ――何故だか、彼女は眠れなかった。

 別に寝すぎたわけではないし、今日はいろいろあって疲れているのだから、逆にすぐ眠ってもおかしくないのに。
「……」
 胸が騒ぐ。
 ざわざわと、自分の奥で何かが警告を発していた。
 それは数年の時をかけて培った、軍人としての経験がそう告げているのだけれど、今のにそれを知るすべはない。
 ここにいるにとって、これは、ただの胸騒ぎ。そう、ただの。
 気にしないで、さっさとベッドに潜って眠ってしまえばいいのだ。
 そう、そこに寝ているみんなのように――そう思って、寝ている3人を改めて眺め……眉をひそめた。
「トリス……?」
 穏やかに眠っているとばかり思っていたトリスの寝顔が、いつの間にか様相を違えていた。
 眉をしかめて、苦しそうにシーツを握り締めている。
「……さん……」
 寝言だろうか。かすかな声。
 いけないとは思いながらも、つい耳を寄せてしまう。
「や……マグ……兄さ……連れてかないで」
 悲痛な――声。
 親と引き離される子供が、こんな声を出すのかもしれない。
 手を伸ばしても伸ばしても届かない、それでも諦めきれずに手を伸ばす……泣きながら、求めながら。
 けっして届かない、手を伸ばす――
「いや……」
「トリス……!」
 意を決したが、トリスを起こそうとその身体に手をかけた瞬間。

 ドオオォォォオォン!

「――ッ!?」

 爆音が、響いた。闇を、静寂を、人々の耳を貫いて。


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