「……ユエル」
「なに?」
とリューグの視線の意味を知らないユエルは、にこにこと返事してくる。
どうしようと思いながらも、もう、後戻りは出来ない。手を伸ばしてそれを示した。
「……それ……もしかして、ゼラムにいたときに拾ったりした……?」
「!!」
「っと、待ちな」
反射的に身体の向きを変えて駆け出そうとしたユエルの進行方向に、素早くリューグが回り込む。
「あ……」
逃げられない。小刻みに身体を震わせるユエルを、後ろからそっと包み込んだ。
「怒ったりしないから、お願い、教えて」
安心させるように、とんとん、と、軽くたたいてやる。
「このペンダントがそうなら、そのなかには、あたしの友達の大事な友達が、いるコトになるの」
「……嘘」、
ぽつり、零れるユエルの声。
「じゃ、ない……?」
「うん。嘘じゃない。ペンダントを一生懸命に捜してる、あたしのともだちがいるの」
どれだけミニスが必死か知っている。
どれだけミニスが心配しているか知っている。
どれだけ、ミニスが泣いたか――知っている。
だから。
大切な存在と離れているのが、どれだけ心に負担をかけるかくらい、にだって想像できる。
根拠さえもあやふやな、ルヴァイドたちへ感じる感情と反対の自分の行動に胸が痛くなったコトは、両手使っても数え切れない。
判るとは云わない。だけど自分のそれと照らし合わせて推測することは出来る。
それがどんなに辛いコトか、自分はきっと知っているような気がするから。
だから教えて。
「……の云うとおりだよ……」
ぽつりとユエルがつぶやく。力のない声で。
「ゼラムにいたときに、拾ったの。最初はきれいだと思って……だけど」
かすかに金属の音をさせ、ユエルがペンダントをかざした。
太陽の光を反射して、若草に輝くサモナイト石。
「こうするとね、この石の向こうにメイトルパが見えるんだ」
そのことばに、ユエルと同じようにしてサモナイト石を覗いてみる。
刹那。
この港町ではありえない、草原の風を。空気を。蒼穹を。――見た、ような感覚。
そうして感じる……猛き翼を打ち鳴らす、勇猛な、心優しい存在を。
そうしてその存在の、ミニスへの思いを。
間違いない、と確信した。
「……」
「?」
石に触れるを、ユエルがきょとんと見上げた。リューグが、そっと首を振って彼女を制する。
そんな、ほんのわずかな間。その間に、その感覚は風のように訪れて去った。
――君の名前を教えてくれる?
その風に乗せるようにして、問うた。
――あたしはきっと、君のともだちを知ってるよ。
そうして、返る答え。
「……シルヴァーナ?」
ペンダントの――その向こうの存在の名を、はつぶやく。
応えるように、若草の石は輝きを増した。
「……ユエル…………」
故郷につうじるものを奪ってしまうのは判っていた。
それをすることで、ユエルのメイトルパへの気持ちを悲しませてしまうのは判っていた。
――だけど、本来、ミニスと共にあるべきペンダント。シルヴァーナ。
「ユエル、お願いしてもいい?」
彼女と目線を合わせて、正面から覗きこんだ。
の云いたいコトを察したユエルは、ちょっと寂しそうにしたけれど。それでも、ゆっくりと笑ってくれる。
「判った……」
「ありがとう、ユエル」
本当は謝りたいなと思ったのだけれど、それは、ちょっと違うような気がした。だから、口にしたのは御礼のことば。
「ううん――うん、ユエル平気だよ。今はファナンの人たちと一緒だから、前みたいに独りじゃないから」
だからきっと平気。
メイトルパに帰れなくても、ここに暖かい居場所を見つけるコト出来たから。
今度こそ、にっこりとユエルは笑った。
「……ありがとう」
ぎゅぅっ、と。そんな彼女を抱きしめる。
くすぐったいよとユエルが笑いながらむずがるから、おもしろくなってしばらくの間、そのままでいた。
ふと。
なにやらほっとした様子でこちらを見ているリューグの表情に気がついて、は顔をあげる。
「どしたの?」
「いや、これでひとつ心配のタネがなくなったんだなと思ってな」
自覚のないセリフに、の方が苦笑してしまう。
「何云ってるの。あなたは自分の身を心配するべきです」
「……なんでだよ?」
しごく怪訝な顔になったリューグを笑ってやりすごし、立ち上がる。
もうちょっとつっこみたそうだった彼も、がこれ以上は答えないと判ったのだろう。少し離れた処で待っていると、ゆっくりと追いついてきた。
それから、今度は3人で足を並べて歩きだす。
本日ふたつめの嵐が、モーリンの家に戻った時に巻き起こるのはあっさり予想がついた。
しかも局地的に集中して最低ふたつは発生するだろうということも。
それは、無事にモーリン宅に辿り着いたのと同時だった。
ちょうど表に出てきたところだったアメルが、まず、目を大きく見開いて固まった。
気まずそうに、「よぉ」と片手を上げてみせるリューグから視線をそらさずに、しばらくそうしていたかと思うと、急に身をひるがえし、家の中に駆け込んでいった。
「?」
「……」
リューグとユエルが首をかしげ、が生ぬるい笑みになった、その直後。
バタバタバタバタバタバタバタ!!!
と、すさまじい大音量の足音で家を揺るがしながら、そのとき家にいた全員が玄関口に殺到した。
それと同時に、後ろに気配を感じて振り返ったの目の前には。
ナイスタイミング! ――と、親指立ててやりたくなるほどいいタイミングで、金の派閥本部からモーリン家に帰ってきたらしい、トリスとマグナ、ミニスにシャムロック。
彼らもやっぱり目を丸くして、リューグを指差して口パクパク。
シャムロックだけは、何故みんながこうも驚いているのか判らない様子で、きょとんとしていた。面識がないのだから当然か。
それでも、髪の色が違うだけで瓜二つのロッカを見。それからの隣に立っているリューグを見。合点が行ったような行かないような微妙な表情をしたということは、その分だけは状況把握してくれたのだろうか。
そうして――しばらくは、全員が何も云えずにいたけれど。
これではいつまでたってもそのままのように思えたは、パン、と大きく一度だけ、手を打ち鳴らした。
「はいはいはいー、リューグさんのお帰りですー! 怒ってやる人もどついてやる人もみんなかかれー!!」
「何だそりゃッ!?」
冷や汗出しながら、のことばにリューグが抗議したときにはすでに遅し。
硬直から解けた一行が、どっとたちのまわりに群がってきたのだった。
「おかえり、リューグ! 無事だったんだな!」
「なんでにだけ云ってさっさと行っちゃうのよっ! あ、もしかして……」
「関係ねえだろ、そんなこと!!」
紫の髪の兄妹に、特に妹のセリフに怒鳴り返す。
「リューグ、覚悟は出来てるな?」
「こらこらこら、ロッカ、そんなトコで槍振り回したら周りにも被害が出るぞ。あとでやれ」
「そういう問題じゃないでしょう、フォルテ。まったくあんたは……」
相変わらずのロッカにちょっと退いた。
「ふーん、前よりいい目してるじゃないか。何かあったのかい?」
「あんたには関係ねえよ」
喧騒の中、いつぞやイライラを頂点に達させてくれたモーリンのことばに、にやりと笑って答えた。
ただちょっと、ふっきれただけ。だからってそれをわざわざ教えてやるつもりなどない。
「リューグ」
そんななか、静かにリューグの名を呼ぶ声。
ロッカと同じくらい長い間、ずっと傍で聞いていた声だった。
「アメル」
泣くかな、と、少しだけ不安だった。どうせなら怒ってくれるほうがいいかもしれないと思っていた。
だから。
にっこり笑っているアメルを見て、いい意味の意外なものを感じた。
すたすたすた、と。笑顔を保ったまま、アメルはリューグへと近寄ってくる。
ぱぁん。
乾いた音が、その場に響いた。
きっと赤くなってるだろう頬を抑えて、呆然としているリューグにちょっとだけ同情。
怒られることは予感していたかもしれないけれど、まさかひっぱたくとは思っていなかったに違いない。だって想像できなかった。
しかも、にっこり笑ったそのままでだ。
最後にリューグが見たアメルは、お祖母さんの家がないということにショックを受けていたころの、力ない風情だったから、驚きもなおさらなんだろう。
さすがに皆も驚いた様子で、それまでの喧騒がぴたりとやんだ。
不意に舞い下りた沈黙の中。口を開いたのは、アメル。
「今度から、もうこんなふうに黙って行ったりしないで」
「……ああ」
「ちゃんと云ってね?」
「ああ」
「じゃ、今云うことは?」
神妙な顔でうなずいていたリューグが、ちょっとだけ口元をほころばせる。
「……悪かったよ。ただいま」
「よろしい」
にっこりと。ようやくいつもの笑みでアメルが微笑んだ。
「ミニス」
アグラお爺さんが生きていたとの朗報に安堵している一同のなか、は、ちょいちょいとミニスを手招いた。
今までの騒ぎに呆然としていたユエルを、ずずっと彼女の前に押し出す。
「何?」
たしか初対面のはずだけど、警戒した様子もなく問うミニス。
むしろユエルのほうがどきまぎした様子で、しばらく迷っていたけれど、に促されてポケットに手を入れた。
そうして、取りだした手のひらには。
「あ――――っ!!」
なんだなんだと一同の振り返った先には、目に星を輝かせて叫んだミニスの姿と、その目の前で彼女の剣幕にわてわてしているユエルの姿。
「それっ! 私のペンダントッ!? 貴方が見つけてくれたの!?」
「あ……あの、えっと」
嬉しくって嬉しくってしょうがない――そんなミニスの表情に、しどろもどろとことばを探したらしいユエルは、やがて、意を決したように話し出す。
「……ユエル、それ、ゼラムで見つけたんだ」
「――え?」
思いがけないことばに、ミニスは少しだけ、眉宇をひそめた。
彼女の変化には気づいていないのか、ユエルは途切れることなくことばを続けている。
「きれいだなって思って拾ったの、そしたらその石を覗いたときにメイトルパがその向こうに見えて、懐かしくって……落としたのがあなただって知らなかったけど、でも、落とし主捜そうとしなかったのっ! 一人で寂しかったから……ずっと一緒で、持ってられたらいいなってユエル思ったんだ!」
――ユエルは召喚獣。彼女の故郷はメイトルパ。
帰りたくても帰れない、遠い遠い自分の故郷。
その風を、空気を。感じさせてくれる、ペンダント。
手放せずにいた心を、半ば叫ぶように告げられて、ミニスの表情は硬くなる。
だってもしかしたら、もしユエルがこうしてたちと知り合っていなかったら、そのままずっと逢えない羽目になったかもしれなくて――
……だけど。
「……シルヴァーナ?」
俯いたユエルから視線を動かし、そっと、手の中の輝きに呼びかけてみる。
随分と久しぶりに聞いたような気がする、大切なともだちの声が応えた。
うん、そうだね。
頷いて、ユエルに向き直った。
「ユエルって云ったよね、あなた」
「う、うん」
怒られるかもしれない、そう思っているのが見て取れて。そんな心配要らないのに、と、自然に表情がほころんだ。
「見つけてくれてありがとう」
「だけどユエル……」
「でも、あなたは私のところに返しにきてくれたでしょ? それにシルヴァーナも良いよって云ってるから」
返してくれたからご機嫌、なんて現金かもしれないけどそれでいい。
もちろんユエルがペンダントを持っている間、自分だって寂しかったのは事実だけど。がいた。トリスやマグナや、みんながいたから。
誰だって一人ぼっちでいるときに、懐かしい何かに触れたなら、手放せなくなって当然だとミニスは思う。
それに、
「シルヴァーナも、あなたのおかげで寂しくならずにすんだって」
そう、大切なともだちは彼女に伝えてくれたから。
だから、それでいい。シルヴァーナはまた、ミニスのところに帰ってきたから。
……ね、シルヴァーナ。
淡く輝きを返すサモナイト石を、とても愛しいと思った。
緊張した表情だったユエルが、ほぉっと安堵の息をつく。
「よかったぁ……」
「でも、良いの? これを私に返したら、あなたが寂しくなったりしない?」
さっきの哀しい叫びを思い出して、問うた。ひとりぼっちの寂しさは、わかるとは云えないけど似たような経験なら自分だってしてきてた。
あの場所。
一気にふたりのともだちを手に入れたあの場所、あの街――サイジェントで。
ガゼルに叩かれたとき、どうしようもなく寂しくて哀しくて、自分のことを誰も判ってくれないんだって、自分はひとりきりなんだって――
だから、良かったら一緒に行かないかなって思ったのだけど。もうこんなに大所帯なんだから、あと一人くらい増えたって、今自分の周りにいる優しい人たちはきっと受け入れてくれるだろう。
……とりあえず真っ先に陥落するべきでなおかつ出来そうなのはとアメルよね。
などと策略を練っているミニスに、けれどユエルはにっこり笑う。
「ううん。ユエルは平気だよ! だって今はひとりじゃないもん!」
嘘じゃない笑み。大切な居場所を知ってる表情。そう思った。
「……うん。判ったわ。ありがとう、ユエル!」
「えへへ、どういたしまして!」
ちっちゃな友情が育まれているそのほのぼのとした一角の横では、リューグがとても手荒い歓迎をしつこく受けていたのだけど。