目を開ける。
「……」
どれくらい眠っていたのか考えてみたけど、はっきりしない。
ただ、縁側に団子状態になったときにはまだ東の下方の位置だった太陽が、中天付近に移動しているコトを考えれば、少なくとも数時間は眠っていたんだろう。
普段の寝相の悪さの暴露大会だとでも云いたいのか、バルレルとレシィはすでにそのへんに転がって行っていた。
ハサハはおとなしく寝ているが、頭がすでにの膝からずり落ちている。
で、当のはで、レオルドの背中によりかかっていたはずなのに、縁側の床に大の字になっている始末。
心地よさそうに目を閉じている彼らを起こさないように、そっと上身を持ち上げる。
うーん、と大きく伸び。
さすがに夜の睡眠にはかなわないものの、何時間かでも寝るとそれなりに疲れも落ちるものだ。
トライドラからこっち、歩き詰めだったのだからそれも当然かもしれないけど。
……なんたってこの家の前で『ただいま』とか云い合ってたの、夜明け直後だったしね……
久々に、真正面からお日様の恵みを受けたような気分。
トリスやマグナたちは、もう金の派閥に行ってしまったのだろうか。
他の人たちはまだ休んでいるのかもしれない、家がしんしんとした静寂に覆われているのが判る。
シャムロックはともかく、ミニスとトリスとマグナが疲れきった顔で歩いている様子がふと浮かんで、思わず笑ってしまった。
ああ、でも本当に静か。耳をすませば、遠く、ファナンの喧騒さえ聞こえてきそうだ。
帰ってくる途中も思ったのだけど、先日よりも賑やかなファナン。
もうすぐ、年に一度のお祭りがあるからなんだと、モーリンが説明してくれた。
そして実際、賑やかな街の声が潮風に乗って流れてくる。
しばらくそれに耳を傾けていると、なにやらドコかで聞いたような声が飛び込んできて首を傾げた。
「…………ん?」
しかもそれは、けっこう近くから聞こえてくるような。
でもって、の名前を呼んでいるような。
「、っ!」
ドコだろう? きょろきょろとあたりを見渡して、
「あ。」
垣根からぴょこっと覗いている、青い髪の毛とその間から生えてる耳に気がついた。
「ユエル! ――っと……」
回りのちびっこたちを起こしてしまってはまずいと、あわてて口を押さえる。
それをおかしそうに見ているのは、先日この街で一緒に逃げ回った思い出を持つ、メイトルパの獣人――ユエルだった。
そぉっと縁側から離れたは、垣根を越えてモーリンの家の前の道に出た。
待ち構えていたユエルが、待ってましたとばかり、がばっと抱きついてくる。
ちびっこに懐かれる日だのう。
などと思いながら、すりよってくるユエルの頭をよしよしと撫でてやった。前よりも埃っぽさがなくなってて、髪にうっすらつやもあって、ちゃんと食べさせてもらってるんだなと思う。
あの優しそうなおじさんとおばさんを信じていないワケではなかったけれど、盗っ人だったということをネタにいじめられてないか、それを少し心配していたためだ。
「元気だった?」
「うん! ユエル、お店のお手伝いして、それでご飯を食べさせてもらってるんだ、あとみんな親切にしてくれるしっ! この間なんかね、ユエル、お店にインネンつけてきた悪いヤツをこらしめたんだよ!」
打てば響く彼女の返事。
因縁をつけた悪いやつというのは、おそらく海賊の残党だろうか。
モーリンと一緒に一網打尽にしたと思ったのだけど、悪いやつというのはどこからともなくわいてくるものだ。
「そうなんだ。偉いね、ユエル」
「えへへっ」
誉めてあげると、とたんにご機嫌そうに笑う。
「でも、よくあたしたちがココにいるの判ったね?」
帰って来たのは朝方だったし、その時間、祭りの準備真っ最中と云えどもあんまり通りに人はいなかったわけで。
もしも途中でユエルがこちらを見かけていたなら、後になって訪ねてくるようなコトはせずにその場で飛びついてきたんじゃないかと。
のことばに、ユエルははっと目を見開いて。
「そうだ! ユエル、たちに用事を預かってきたんだ!」
「用事?」
「うん。シオンって人知ってる? お蕎麦屋さんなんだけど」
「シオン――蕎麦屋の大将さん?」
と、おうむ返しに疑問符などついたが、ええ、知ってます。ってかあのお蕎麦の味は忘れようっても忘れられません。
頷いたを見て、ほっとした顔をつくるユエル。第一段階突破という感じかもしれない。
「その人が、ユエルに教えてくれたの。たちがこの家に帰ってきてるよって」
……シオンが店をかまえているあたりは、地理的にも門からここまでの間に通るはずはないし通った記憶もないのだけど……どうやって自分たちが帰ってきたのを知っているのかあの人は。
どことなく得体の知れない何かを蕎麦屋の店主に感じていたためか、納得してしまいそうな自分がちょっと怖くなっただった。
でも、あんな美味しい蕎麦を作れる人に悪人はいないだろう。偏見だけど。
「えっと、それで用事って?」
そうして、そもそものユエルの発言を思い出し、尋ねると、
「たちのなかの誰でもいいから、連れてきてくださいって云われたんだよ。だから、ユエル、ココに来たの。でも、家が静かでどうしようかなって思ってたら、が縁側にいるのが見えたから」
「シオンの大将が、あたしたちに用事?」
「うん、急いでるみたいだったよ。行こう、!」
「ちょっ、ちょっとちょっと!?」
すでにが行くコトが決定事項になっているらしいユエルが手を引っ張るのを、あわてて止めた。
どうしたんだろうと見上げてくる彼女に、ちょっと書置きしてくるからと断って部屋に戻る。
護衛獣たちを起こさないように注意して縁側を乗り越え、机の上の紙に『ちょっとシオンの大将のお店まで行ってきます』と一筆したためる。風で飛ばないよう、重しを乗せて固定。
シオンの大将のコトはアメルとレシィが知っているから、他のみんなにも説明は行くと見越してのこと。
そうしておいて、改めてユエルのトコロに戻る。
「お待たせっ! 行こうか」
「うんっ!」
ユエルにのばした手は、しごく嬉しそうに握ってくる彼女の手に応えられた。
さて、本日ひとつめの嵐に遭遇しましょう。
ファナンの大通りを突っ切って、裏路地に近い位置にある、シオンの蕎麦屋――『あかなべ』へ。
店は、相変わらずの繁盛ぶりだった。午前中だというのにお客さんが列を作っているほど。
邪魔しちゃいけないし、どうしようかとしばらく見ていると、どうやら昼からの客のために仕込みをはじめるらしく、シオンが店の外に『準備中』の看板を立てる。
わらわらと客の列が散り、人気のなくなった場所に立っているとユエルを見つけた蕎麦屋の店主は、にっこりと笑いかけてくれた。
「ありがとうございます、ユエルさん。さんを連れてきてくれたんですね」
「うん! にいちばん最初に逢ったから!」
「こんにちは、シオンの大将。おひさしぶりです」
最後に逢ったのは、たしか、禁忌の森に向かう前だったと記憶している。
あれから森で悪魔に逢ったりローウェン砦に向かったりトライドラに行っていたりしたから……日数的にはそんなにないのだけど、やっぱり日々の濃度が高いせいか、ずいぶんと久しぶりに思えてしまう。
「はい、こんにちは。いきなり呼びつけてしまってすみません」
「いいえ、急ぎのご用事だそうですけど……?」
「ええ。――と、その前に」
シオンはがさごそと懐をさぐり、なにやら小ぶりの袋を取り出してユエルの手に乗せてやる。
「お遣いありがとう。あとでゆっくり食べてください」
「ううん、こんなのでいいならいくらでも! じゃあ、ユエルお店の方に戻るから、また後でねっ!」
片手にお菓子の袋を握って、ぶんぶんと元気良く振り回しながら走っていくユエルを、シオンと並んで微笑ましい気分で見送った。
「さて、ちょっとこちらに来ていただけますか?」
ユエルの姿が完全に見えなくなってすぐ、シオンがを手招いた。
いそいそとついていった先は、店の裏手。
そこには、簡素なつくりの小屋があった。おそらく、シオンはそこで寝泊りしているのだろう。
ガラガラ、と音を立ててシオンは引き戸を開け、後ろに立っていたに奥を示してみせる。
「あの方に見覚えはありませんか?」
見えたのは、外と同じように小ぢんまりした部屋。その中央には、まだ日も高いというのに布団が敷いてあった。
こんもりと盛り上がった掛け布団は、誰かが寝ているのだと見ているに教えてくれる。ただ、こちらに足を向けているせいか、いまいち顔が見えなかった。
ひとこと断って、部屋の中に足を踏み入れる。
ちらりと赤い色が視界に入り、どきっと心臓が大きく跳ねた。
まさかまさかと思いながら、顔の見える場所に移動する。
「――――」
どきんと大きく、心臓が跳ね上がった。
「リューグ!」