メイメイは上機嫌だった。
「ふんふふん、ふ〜ん♪」
手に持っているのはお気に入りの酒の入ったお猪口。
先日占いを頼みに来た吟遊詩人が、代金にとおいていったものだ。
占いの内容が恋愛関係、おまけに相手のことを思っているのだろうか、話している間かなりうっとりした顔をされつづけていたコトに、さしものメイメイもちょっぴり退いたけど、
「でも、お客様は神様だしね〜♪ にゃは♪」
こーんな上物のお酒をくれるんだからぁ、多少のアレなコトには目をつぶってあげるのが、人情ってものよねェ♪
あんたの人生は酒しかないのか。
「……それに、まんざら知らない仲でもないしねぇ……」
直接の知り合いというわけではない。
じかに、ことばを、そう多く交わしていたわけでもない。
だけど自分は彼を知っているし、彼もまた自分を知っている。
――あの子を間において、自分たちは、互い、互いを知っていた。
今はもう手元にはない、本来の持ち主に返したペンダント。あれはもともと、彼が……今は吟遊詩人を名乗っているあの男が、あの子に渡したものだ。
そして、あの子と最後に逢ったとき、あの子自身から自分が預かったものだ。
もう不要だから、と。
枷を解くその代わりに、自分はきっとすべてを忘れてしまうからと。
やっぱり変わらずに、穏やかに笑ってそう云って。
そうしてすべてを封じて、この世界を拠点としてまわりつづける、輪廻からも外れていってしまったのに。
……そうと知った時は驚いた。
そしてこの世界にいるというのに、まだくびきに囚われていないというコトに驚いた。
鏡像があるときならまだしも、ある日鏡像は壊されてしまっていたから――どうするつもりなのだろうと思いながら、それから季節ひとめぐりの間、静観していたとゆーのに。
つい先日、泣きじゃくっているあの子を見て、もっともっと驚いてしまった。
だって予言は自分の十八番だったのに――いや、もう、遠いいつかに手放さなくてよかった、とつくづく思った。ただ、その頃、もう手放してもいいかな、と考えてたのは本当だけど。
「それにしても」
思考を切り替えて、メイメイはちょっぴり苦笑。
「まっさか、邪魔しまくってたとはねぇ……万全期すまでだろうけど。執念? なーんて云ったらどつかれるか」
すべてを封じて、行ってしまったあの子。
封じたものを取り戻さない限り、再び囚われるコトはないのだろう。
だけど彼の望みは、あの子がすべてを取り戻すコトのはずだ。でも取り戻せば、あの子は再び囚われる。
それを為させないために……何をするつもり?
「あら?」
ふと。お猪口をテーブルに置いて、メイメイは宙を見る。
――りん、
涼しげな銀の鳴る音が、聴こえたような気がした。
それはあの子のためだけに作られた銀細工の音。あの子の心があの子のままである限り、それは輝きを失わない。
いつも、いつでも、いつまでも。
たとえどんなに離れていても。
そうしてその輝きは、時として――
それはいつかも見たちから。
それはいつかの夜を思い出させる。
「な……なんだっ!?」
リューグが覚悟を決めた瞬間、それは突如として出現した。
まるで彼を守ろうとでもしているかのように。どこまでも優しく、けれど苛烈な光。
風に揺られて澄んだ音を立てていた、のペンダントがその源だった。
「貴様……ッ、何をした!?」
「知らねえよ!!」
律儀に答えてはみたものの、周囲はすべて光の奔流に飲まれ、間近で刃を交えようとしていたはずのイオスの姿さえ、もはや見えなかった。
声で位置を悟られるかもしれないと思って、わずかに立ち位置をずらす。
ドスッ!
予想通り、突き込まれる槍。
「…………」
気配も息も殺し、あたりを伺う。
どこまでこの光が覆い尽くしているのか判らないが、他の兵たちが攻撃を仕掛けてこないところを見るに、あたり一帯はそうなっていると思って間違いない。
そしてそれは、リューグにとって好機だった。
目の前にいるのは黒の旅団。憎むべき敵、恨むべき相手。
だが、それよりもなによりも先に、自分にはやるべきことがある。
アメルを連れて戻ると、アグラバインに約束した。
それに、このペンダント。
返しに戻ると、に約束した。
慎重に身体を反転させる。あたり一面を覆う光が視界を奪っていたが、なんとなく導かれているような感じがした。
この光を発したペンダントの、持ち主のもとへ。
のところへ。
その感覚に従って、リューグは走る。
後ろを振り返ることすら、せずに。身体中の傷の痛みなど忘れて。ただひたすら、己の足を動かした。
……光がようやく薄れだしたのは、標的が走り去って、もはや姿も見えなくなったあと。
戸惑っている兵たちの隊列を整えさせ、イオスは舌打ちを止められずにいた。
ローウェン砦を陥落させたあと、再び自分たちに下された任務は、聖女奪回を完遂させることだった。
小隊に分かれ、ファナン周辺を見張っていれば必ず現れるだろうと思っていたのだが――いや、だが、というのは不適切か。実際、奴の姿をとらえたのだから。
……その顔を覚えている。
ゼラムで相対し、いつかの夜はルヴァイドに立ち向かっていっていた人物だ。
「……別行動でもしていたのか……?」
つぶやきは確信。
偵察兵から聞きだしたところでは、あの人物はゼラムの方からきたという。
そうして、たち――聖女をつれた一行とは、つい先日ローウェン砦でまみえたばかりだった。
だとすれば今回の戦いは、ほとんど骨折り損と云うことになる。
これから追いかけていくという手もあるにはあったが、おそらくこれ以上ファナンに近づくことは出来まい。
どうやって抱き込んだのかは知らないが、あの街周辺は、金の派閥の一団による警戒が強まっているのがその理由だった。
むやみに近づいて戦闘を引き起こし、部隊によけいな損害を与えたくはない。
――ならば。少し、考える。
このあたりがようやく、ファナンの警備を外れるギリギリの場所だったことを。そうして、相手の向かっている先は十中八九、そのファナンだろうということを。
しばしの時間を思考に費やしたあと、イオスは兵たちを振り返った。
「ファナンの周囲をこれまでどおり見張っておけ。聖女一行が出てきたら、すぐに本陣に連絡するんだ。いいな?」
「はっ!」
職務忠実な兵士たちの返事を聞いて、イオスは再び身をひるがえす。
「イオス隊長」
そのまま任務に就くと思っていた兵のひとりが、小走りに彼の所へやってきた。
「なんだ?」
「……殿がもしも向かってきたら、やはり……?」
その問いに、
「――――」
反射的に唇を引き結びながらも、ああ、と思う。
この兵士はと同時期に訓練を始めたせいか、彼女とけっこう仲が良かったひとりだ。
もっともはあの性格だから、嫌われてるということは――あったかもしれないが、少なくともそういうコトは見かけなかったように思う。
いや、そういうことを思い出している場合ではない。
「そうだな」
努めて感情を殺し、返答する。
「……隊長……」
複雑な顔を見せ、それでもその兵士はこくりとうなずいた。
聖女を得るためにと戦わなければいけないというのなら、それを行うまでだ。
自分たちは軍人であり、国に仕えるものであり――そうである以上、命じられた目的を妨害するものは排除せねばならない。
たとえそれが、個人としての自分の心に著しく負担を与える選択であったとしても……選べる道はこれしかない。
ひとつのものを得ようとするなら、ひとつのものを失う。
それが、世の理なのだ。
たとえそれが、この身を引き裂かれるほどの悔恨をもたらすと知っていても。
――。
名前を思う。存在を思う。
薄れかけていた彼女の笑顔は、ローウェン砦で再会してからまた明瞭になった。
「だいじょうぶ」……そう云って笑ってた。
。
君のくれたことばを抱いたまま、僕たちは君を屠るかもしれない。
それでも君の選ぶ道は。
僕たちの選ぶ道は。