苦しげな――慙愧。後悔?
「……ワシは、おまえたちに何も話してこなかった」
「ジジイ……?」
怪訝な表情を隠さぬリューグを見つめ、アグラバインはつづける。
「おまえの云うとおりだ。嘘で真実を塗り固め、近づけさせぬように気づかぬように……ワシはそれを話すことで、おまえたちがワシを見る目が変わるのを、恐れていたのかもしれん」
振り返りたくすらない、過去に触れたくはないと。
思い出さずに平穏に歩んでいけるものならばと。
あるいは思っていた。
それがたとえ、このこどもたちの歩みを目隠しすることになっても――このようなことにならなければ、きっとそれは続いていたのだろう。
けれど。
こうして話すべきときがきたのだと感じるということは。
……人はいつか真実に辿り着く、そういうことなのだろう。きっと。
アグラバインの表情に、それ以上、何も云えなかった。
結局そのまま、アメルたちをつれてまた戻ってくることを約束し、リューグは村をあとにした。
去り際、村のはずれにある、自分たちの両親の墓に一度だけ手を合わせた。
直後はともかくそれなりに成長してからは、あまり行くこともなくなっていた場所だった。
こんなことになってから改めて様子を見に行く息子を、両親はどう思っているのやら。
静かに墓前に膝をついて手をあわせていると、いろいろと告げる事柄が大量にあるコトに我ながら驚いた。
――本当に、いろいろあってるけどさ――そう、リューグは切り出した。
だいじょうぶ。俺も兄貴も、アメルも元気でやってる。
それからっていう奴がいて、俺が記憶喪失にしちまったんだけど、本人いたって能天気に笑ってるんだ。
黒の旅団って奴に狙われたりアメルの祖母さんの村がなかったり……
いろいろあってるけど、一応、俺たちはだいじょうぶだから。
の奴がよく云うんだ、このことば。
「だいじょうぶ」って。
でもあれ、自分に云い聞かせてるみたいな感じもたまにする。笑ってるけどやっぱり不安なんだろうな。
責任とるとかそういうわけじゃないけど、あいつのことはきっちり面倒みてやりてえ。
あたしはペットか。
とかなんとか、遠い地で遠い目になった誰かがいたかもしれない。
そうしてリューグは再び、森を抜けて旅の空に戻った。
アメルにこのことを急いで報せてやりたくて、つい、真っ直ぐに進める、大平原を突っ切っていく街道のほうを選んでいた。
行きの道中、結局黒の旅団には一度として遭遇せずにすんだ、その安心もあったかもしれない。
ルウの家にいるかファナンにいるかは迷うところだったが、どちらにしても途中までは同じ道だ。
分かれ道についてから考えてみりゃいいか、と。そう判断して、青空の下をひたすら歩く。
結局、アグラバインと逢ったところで強くなるための答えは見つからず、昔から気になっていたコトも解決はしていない、それでも。
アグラバインが無事でいて、アメルの心を救ってやれるのだと思うと――気が楽になった。少しだけ。
それに――別れの際に、アグラバインが告げたことばが、それを手伝っている。
『強くなろうとする者は、何のために強くなろうとするのかそれを常に心においておくことだ。それが果たして正しいかどうか、常に己に問いかけることだ』
アグラバインは自分を強くなどないと云っていたが、このようなコトを云えるのだから、充分強いのだと思う。
実際、そのことばのおかげで、リューグは自分の心に圧し掛かっていた重みが、幾分か和らいだような感じがしていた。
何のために。
アメルのために。
守るために。
……今はまだ、それでいいと思った。
それ以外の理由を、まだ自分は見つけきれていないから、それでいいと思った。
守るために。
強くなる。
倒すためでなく殺すためでなく。
大事な家族を守るために、強くなる。
胸には今も、黒い感情が巣食う。憎しみも怒りも、この先けして、消えることはないだろう。
それならそれでいい。それに飲み込まれることにだけはなるまい。いっそ踏み台に。糧にこそ、してみせよう。
改めて、強く思った。
そう。今はまだ、それだけでいい。
また何かが動くときがあれば、そのときに何かが見つかるというなら――
リン、と涼しげな音をたてて、荷袋に結わえていた銀のペンダントが揺れた。
それに意識を引き戻されて、リューグはふと、荷袋に手をやりペンダントを指先でつかむ。
「、どうしてっかな……」
本来の持ち主である少女を思い出して、それがことばになった。
早く顔を見たい、と不意に思う。
今も笑っているだろうか。だいじょうぶ、といつものことばで皆を元気づけていたりするんだろうか。
考えるためにひとりになったのに、今は、さっさと逢いたいと思う気持ちが出てきているコトに。自分で自分をおかしく思う。
日の光を反射して、きらきらと輝くのペンダントを見ているうちに、その気持ちはいや増していく。
より足を速めようと、リューグは荷を背負いなおした。
――刹那。
殺気。
「ッ!?」
ガカァッ!
振り返るいとますら惜しんで飛びのいた。
背負っていた斧を抜き放ち、今まで自分が立っていたところに目をやった。
矢がつき立っているのが見て取れる。しかも1本や2本ではない。あきらかにリューグを狙ったものだった。
「おい! イオス隊長に連絡に行け! あいつは聖女の一行にいた奴だ!!」
叫んでいるのは、黒い鎧に身を固めた兵士。
ざっと見て取れるだけで数人。
隠れているやもしれない可能性を含めれば、ざっと二桁軽く行きそうだ。
対して自分はひとりきり。
どう考えても、この場を突っ切ってしまうことは不可能に思えた。行きが安全だったからと油断した自分を心の中でののしりながら、それでも、着実にこちらを包囲しようと動く旅団の兵たちから少しでも離れようと動く。
二桁に一斉にかかられてはまず難しい。同時に相手できるのはせいぜい、3、4人。
ならばそのために有利な場所へ。
イオスをはじめとした、援軍を呼ばれる前に、抜け出すための穴をつくる!
――リン、
涼しげな音が、意図を決めたリューグの耳に届いた。
思い出すのは、連想するのは。その持ち主である少女。
「……そうだな」
絶体絶命の状況のなかだというのに、いつの間にか唇は笑みの形をつくっていた。
「だいじょうぶ、なんだよな?」
何をなくしても何がなくても。
おまえがそうして笑っていられるだけの強さを持っているコトを、俺は知ってる。
……だいじょうぶ。
「かかれっ!!」
「うおおおぉぉぉっ!!」
黒の旅団の兵士たちが一斉に距離を縮めにかかるのと、リューグが吼えながら彼らへ向かっていくのは、ほぼ同時だった。
最初の位置取りが功を奏したか、思惑どおり、一度に向かってくる旅団の兵の数は3人以下に抑えられた。
怖いのは遠距離をカバーする弓の攻撃だが、それは常に旅団の兵を壁にするように動くことで避けられる。
召喚術も同じようにしていれば、まず味方に被害が及ぶのを恐れて使ってくることはない。
接近戦に余裕が出たところで近距離の相手をひとり、盾代わりにひきつけておき。うまく立会いの場を移動しながら先に弓使いや召喚師を叩く。
実際そうして、10人ほどの兵をリューグは倒してのけていた。
そして、それは最初に自分を包囲しようとしていた全員の数に等しい。
初戦は見事に勝利。
どうやら偵察兵であったらしく、あまり直接戦闘には慣れていない者たちだったらしいことに、柄でもないが感謝さえしたほどだ。
……だが。
常に受身に回っての戦闘だったせいだろうか、時間がかかりすぎた。
荒い息をそのままに、リューグは振り返り、一点を見やる。
「……よォ」
金輪際再会などしたくなかった相手を目の前に、苦々しい顔で云った。
そんな失礼千万な挨拶を受けた相手もまた、リューグと同じような表情で云った。
「……聖女はどこだ?」
「知らねえな」
実際あの森で別れた後、彼らがどこかに動いていたのなら、それを自分が知るすべはない。
もっとも、森の調査に時間がかかって戸惑っているのなら、まだルウの家にいるだろうとは予想していた。
そうでなかったとしたら、あとはファナン。
今の自分たちの寄る辺など、しょせん片手で数えても余るくらいしかないのだから。
けれど、それを、親切めかして相手に教えてやる義理はない。
ましてや自分の家族が狙われているのなら、なおのことだ。
それは相手も予想していたらしく、リューグの返答と同時にスッと片手を上げた。
ざわり。
空気を大きく揺らがせて、彼のひきつれてきていた援軍が、殺気もあらわに各々構えを見せる。
ヤバイな、と思った。正直なところ。
けれど。
リューグの動きに呼応して、涼やかに鳴る銀細工のペンダントの音が。のコトバに聞こえて。だいじょうぶだよと云っているように聞こえて。
判ったよ。と、斧を握る手に力を入れた。
だいじょうぶ。俺はまだ動ける。
嫌気が差すまで、足掻いてやろうじゃねえか。
――りん、
銀細工が風に鳴る。