山歩きにはそれなりに慣れているつもりだったが、さすがに数日ぶっ通しで歩くのは、さしものリューグにも、体力の限界なるものを知らしめてくれた。
ファナンの周辺の黒の旅団は金の派閥の議長とやらが追い払ってくれたらしいが、ゼラムに近づくにつれて不穏なものを感じ始めたのも、また事実。
たちと一緒にいたころならともかく、今、ひとりで旅団の兵たちに突っ込んで行く気にはさすがになれなかった。
ので、自然と足は人の寄り付かなさそうな険しい山道に向き、余計に歩みは遅くなっている。
いろいろと考えながらの旅だったから、そのせいもあったかもしれないけど。
――そう。散々、旅の合間に考えた。
その割には、答えがつかめていないのが腹が立つ。
強くなるために、自分に欠けている何か。
モーリンのことばはまだ、頭の片隅を支配している。
これまでに何度かはぐれ召喚獣や野獣、野盗に襲われて撃退してきたけれど、そのことにたいする苛々が増しただけ。
どうすれば強くなれる。
今の自分を否定するわけにはいかない。黒騎士たちへの怒りも憎しみも、消してしまうわけにいかない。あの炎の夜があったから、自分はそれまで以上に、強くならねばと決意した。
けれどそれをぶつけた稽古は、八つ当たりだとか云われる始末。
一人になって考えてみても、迷路の出口さえ見えやしない。ぐるぐる、思考は螺旋を描いて同じ場所。
どうすれば強くなれる。
どうすれば、アメルを守っていけるようになる。
アメルを守るために強くなりたいのに、怒りも憎しみも、いっそ強くなるための糧に変えてしまいたいのに。
――どうすれば。
考えているうちに、ふと見慣れた山のあたりにたどり着いていたことに気がついた。
ここまでくれば、あとはもう目をつぶっていても歩ける。
村が燃える前、このあたりはアグラバインが木を切り出しによく訪れていた場所だ。そして、自分も兄もその手伝いによく駆り出されていた。
それも、アメルの聖女としての力が発覚し、自警団の仕事に追われはじめるまでのことだったけれど。
「……?」
少しは周りを見渡す余裕が出来て、どこそこに切り株があるはずだ、などと考えながら歩いていたリューグだったけれど、ふと、首を傾げる。
直進しようとしていた足を方向転換して、少し離れた場所に鎮座している切り株に向かった。
目で確認し、それから指で切断面に触れてみる。
――ちょっとしつこいくらいに確かめてみて、それは事実なのだとようやく実感。
真新しい切り株。
あきらかに、ここ数日の間に斧が振るわれたのだと見てとれる。
そこまで考えて、リューグは走り出した。
もともと外界との接触は、あまりなかった村だ。
燃え尽き、聖女の奇蹟も失われた今、訪れる者などいようはずもない。
ましてやあんなふうに、手慣れた感じで切り倒された切り株を、通りすがりの旅人が作るはずもない。
ていうか、そんなはずがあったらあったで嫌だが。
だとすれば。
該当者はただひとり。
アグラバインを探すならばはじめに行くべきだろうと思った、それがこの場所。ここで見つけることが出来るかもしれないというのは、僥倖だった。その気持ちが足を速める。
手入れする人間もいない伸び放題の枝が、顔にかすめて小さな擦り傷を幾つもこさえてくれるが、そんなコトさえ気にならなかった。
ただ、走る。
走る。
そして見つけた。
「ジジイ……!!」
焼け落ちて、すでに原型さえ留めていない無数の家々に囲まれた、昔はこどもたちの遊ぶ村の広場だった場所。
そこに無数の墓が立てられている。そしてなお、墓は増えようとしていた。
材木を片手に、土を掘り返すための道具を持って、リューグの声に振り返ったひとりの男――アグラバインの手によって。
「リューグか……」
憎たらしいくらい落ち着いたそのことばに、自分でも意外なほどに安心しているのを自覚する。
「アメルとロッカはどうした?」
「無事だ。ついでにも、あのとき家に泊まってたやつらもな」
云いながら、つかつかとアグラバインの傍に歩み寄った。
彼の身体は、特に傷など負っているようには見えない。そりゃ、あれからもう何日も経っているのだから、負った傷が癒えていても不思議ではないのかもしれないが。
逆に云えば、最低でも数日で治るような傷しか負わなかったということだ。
あの黒騎士――ルヴァイド相手に。
間近で刃を交わしたコトもあるリューグだからこそ、それをなすためにどれだけの技量を有していなければならないか、判る。
双子の武器の師匠はたしかに、アグラバインであったが……改めて、何者だろうと思わずにはいられない。
けれど真っ先に訊くべきは、そんなことではなかった。
一行を離れ、こんなトコロまでやってきたのはこのためではないのだ。
ロッカであればもう少し持って回った云い方をしたかもしれないが、あいにくリューグはそういうことが苦手だった。
だから、単刀直入にそれを問う。
「なんで、アメルの祖母さんのことで嘘つきやがった?」
「……」
アグラバインは驚く様子さえ見せなかった。
その問いが放たれることをいつか覚悟していたような。強いて云うなら、それを発したのがアメルではなくリューグだったということに意外なものを感じたのかもしれない。
「……そうか」、
一拍を置いて、アグラバインはつぶやいた。
「あそこに行ったか……」
あの場所に。
その声音。
アグラバインは知っているのだと感じた。そのうえでアメルにあのようなコトを告げたのだと。
祖母の住むという森が、本来どのような場所であるか。
知っていて、何故。
アメルがどれだけ祖母との出逢いを頼りに進んだか、どれだけ血の繋がりのある家族というものを求めていたか。
自分たちを時折、うらやましそうに見ていたのを覚えている。
と出逢ってトリスたちと出逢って、そんなコトは最近なくなっていたのだけど。
アメルはアグラバインを慕っている。信じている。
だから、あんなにも動揺した。
祖母に逢えなかったということと同じくらい、もしかしたらそれ以上に。
彼女は彼女の信じている人物から虚言を弄されたということが、あんな動揺に繋がったのだと思うから。
「答えろ、ジジイ!!」
ことばで解が返らないというのなら、力に物を云わせても。
それが通じたのか、それとももともと話すつもりだったのか。
アグラバインはひとつ息をつくと、材木と工具を足元に置いてリューグに向き直った。
時がきたのかもしれん。
――そう、アグラバインの目は云っているように思えた。
何かの覚悟を決めたような、もともと抱いていた予感に従うときがきたのだとでも云いたげな。
「アメルをつれてこれるか、リューグ」
そのことばの意味するものは。
「俺に話す気はねぇってことか?」
「あの子より先におまえに話すつもりはない、ということだ」
初めからそう云え、と。文句を云うだけ云ってリューグは頷いた。
だけど。
「アメルだけじゃなくて、兄貴も――アイツら全員くるぞ。それでもいいのか?」
彼女は当然だし、とロッカもリューグの中では頭数に入っている。となれば、これまで共に旅をしてきた一行も連れてこなければ不義理というものだろう。
……自分だけでは出来なかった。
これまでの戦いから、アメルを守り抜くことは、たぶん。
その礼というわけでもないけれど、ついてこようというなら拒むつもりはなかったし、何よりアメルが反対するはずはないと思ったから。
問われたアグラバインは、軽く首を上下させる。
「あの子の出生に関ることだ。あの子が良しとするならば、問題なかろう」
「……そうだな」
出生に関る、という部分に少しひっかかるものを覚えた。突き詰めて問おうとは思わなかったけれど。
それは、完全な嘘ではなかったということだ、少なくとも。
少しだけ安堵を感じる。
目の前のこの相手が、ただアメルを欺く、それだけのために、あの森を祖母の住む村などと云ったわけではないのだと。
おそらくは、云うに云えぬ事情が――それでもいつかは明かさなければならない事情の一端を、そんな形で告げたのだろうと。
それならいいと思った。
それがわからないアメルじゃない。ならばその点においては、アメルの心はきっと救われる。
そうして、ひとつのコトがまずすっきりしたせいだろうか。
深くに沈みこませていたものが、また頭を覗かせてくる。
「……何か悩んでいるのか」
そういう部分ばかりよく人のコトを察してくれるアグラバインが、問いかけてくる。あまりのタイミングのよさに、いっそ訊いてしまおうかと思った。
ひとつは記憶。
幼い自分たちにとっては、あまりにも衝撃が大きくて、今も鮮明に覚えている……忘れられない紅い記憶。
「……俺たちの……」
俺たちの両親を殺したはぐれ悪魔は――
こどもだから気がついたのか、それは判らない。兄であるロッカは、そのことについてはあまり触れたがらないから、どう考えているのか確かめたこともない。
もう何年も前のことだから、思い違いをしているのかもしれない。
けれど。疑惑だけはいつまでもこの心に残っていた。
だけど。アグラバインから自分たちに話さないということは。
……アメルのコトと同じように、まだ、話すべきときではないと思っているのだとでもいうのだろうか。
「……」
黙ってこちらを見ているアグラバインに目を向けた。
戸惑いや困惑や、そんな感情はいっさい読み取れず、ただ静かにそこに立っているのは。自分たちの育ての親であり、武器の師匠でもある老人。
「……なんでもねぇ」
「そうか……」
結局、口からこぼれたのはただそれだけ。
訊きたくないのかもしれなかった。
どこかでそれはほんとうのことだと実感している反面、それを自分から明らかにはしたくないと思っている部分があるのも事実だったから。
だから、代わりにというわけではないけれど。
もうひとつ、心にひっかかっていたことを。
「ジジイ……アンタはどうやって強くなった?」
「うん?」
おそらくその問いは予想していなかったのだろう、アグラバインの表情も声も、怪訝なものに変わる。
「何かあったのか?」
「…………別に何もねぇけどよ」
目をそらして答えるリューグの様子は、本人気がついていないが、あからさまに何かあったんだと云っているようなものである。
それを追求しようとはしないで、アグラバインはリューグに告げた。
「おまえに何があったかは知らんがな……ワシは強くなどないさ」
「何云ってやがる!? テメエは……!」
昔から、ロッカとふたりがかりでも敵わなかった。先日は、黒騎士と相対しておいてなおピンピンしている。それを強さと云わずになんと云う。
今も。
威圧めいたものさえ感じさせるくせに、アグラバインの佇む様はどこまでも静か。
だが、手出しを許さぬ圧迫がある。隙というものが、見当たらない。
これを、強さと云わずになんと云う?
そう云おうとしたときだった。アグラバインの表情が変わる。