聖王国の守りの盾であるトライドラは落ちた。
次に狙われると予想されるのは、聖王国における物流の要。港街ファナン。
一行はこの事実をファナンへ報告するべく、来た道を戻っていた。
戦争という大きな事態に対して、自分たちに果たして何が出来るのか判らなかったけれど、金の派閥の議長、ファミィ・マーンに報告して注意を喚起することくらいは出来る。
それにマグナやトリスをはじめとする召喚師たちや、フォルテたちのような剣士は戦いのときにも役に立てるだろう。
カイナにいたってはエルゴの守護者だし、ロッカも自警団長だけあって武器の扱いは慣れてるし、アメルは聖女で癒せる。
……あれ?
戦いのときに役に立たなそうなのって、もしかしてあたしだけ?
リューグはそんなコトないって云いそうだが。
いや、ほら、いつぞやグーで殴ったコトは、けっこう話に出されてからかわれた記憶もあるし。
などと思考は気楽な部分もあったが、昼間の戦闘で疲れきった身体を無理矢理ひきずって歩いているせいか、歩みは遅かった。
休む間もなくトライドラを出発したあげく、夜さえ歩き通しの強行軍をするつもりはさすがにない。
誰かが野営を云いだして、一同それに従った。
見張りは交代で、寝れる人間はとっとと寝る。
当たり前のことだが、寝れるうちに寝ておかないと後悔するということを、この旅の間につくづく学んだりもしていただった。
が。
疲れすぎていると逆に目が冴えてしまうというのもまた、当たり前……というか、よくあるコトではあるものだ。
見張り当番決定のジャンケンでは勝ちをおさめたものの、睡魔が襲ってこないのを理由に、本日一番目の見張りに立候補までしてしまった。
さすがに呆れられるかと思っていたら、現在組んでいる見張り当番の相方も同じような理由で一番目を希望していたのが、意外――の、はずなのに当然と思えるのも変な話だ。
パチパチ、薪の爆ぜる音を聞きながら、膝を抱えて座りこんだまま。は、じっと炎を眺める。
人見知りは随分克服された気もするけれど、今日の相手にはさすがに、気軽に話しかけられないような感じがしたのだ。
全員が寝静まってから、かれこれ小一時間、こんな調子だったりする。
……沈黙は嫌いじゃないから、別にいいけど。
いいけど……
けど……
……
さすがに耐え切れなくなってしまって顔を上げれば、いいタイミングでこちらに視線を向けたらしいシャムロックと、ばっちり目があった。
「……」
うわあい。
途方に暮れたは、当り障りのない話題を振ろうと思考を急回転させる。だが、それまでぼんやりしていた脳みそが、ついてこれるわけもない。
「……い、いい月ですね」
「今日は曇っているけれど……」
そういうときはつっこまないでサラリと流すのが年長者の務めってもんでしょシャムロックさん。
思わず半眼になって睨んだを見て、シャムロックが、わずかにだけれど口の端を緩める。
トライドラからこっち、ほとんど無表情だった彼にようやく動きが出たコトに、ついさっきのボケも忘れて、もちょっとだけ表情がほころぶのを感じた。
静寂が、さっきよりも心地よいものに変わったのが判った。
「ありがとう」
そうして、それとほぼ同時に発されるシャムロックのことば。思いもしなかったセリフに、きょとんとして彼を見つめなおすと、
「君のおかげで、私は鬼にならずにすんだのかもしれない」
それが今日のトライドラでの自失の件を云っているのだと、ようやく思い至る。
だけど、としてはやっぱり、そうなのかなあ、と首をかしげてしまう。
あのときのこの人はたしかに危うかったけれど、でも、本当に鬼になってしまうことはなかったんじゃないかと思う。
自分が何をせずとも、そのときは、きっとフォルテがそうしてた。
それに、リゴールの魂を解放するために、自分の仕える主君を手にかける決意の出来たこの人ならだいじょうぶだったんじゃないかと。
っていうか、一国の騎士様を怒鳴りつけるなんてえらく礼儀知らずな真似をしたもんだ、あたし。
いや、領主との謁見の間で武器を抜き放ったときから、全員とっくにか。うん一蓮托生。
「君の喝で、目が覚めたようなものだからね」
失礼千万なことばっかりやらかしている自己嫌悪に陥りかけたの耳に、シャムロックの声が届く。
そういえば、こうゆっくりした状態でこの人の声を聞くのは、初めてじゃないだろうか。
落ち着きを持った、安心感を与えてくれる声。カリスマというよりは、安心と安定をもって部下を統率する人だ。
「……それはただのきっかけですよ」
無言で首を傾げる動作をして見せるシャムロックに、同じようにゆっくりと話しかける。
「あたしが何かしなくても、きっとシャムロックさん立ち向かっていけたと思います」
「だが――」
「あたしのはきっかけです、ただの」
それに、
「あんまりあたしのおかげだおかげだって云ってると、図に乗りますよ?」
なおも何かを云いたそうなシャムロックのことばを遮って、にんまり笑ってみせる。
そうしたら、トライドラの騎士様はたぶん珍しい表情なのかもしれない、目を丸くして、それから破顔した。そういえば今ごろ気づいたけれど、口調が随分と気安いものになっている。
ちょっとは信用してくれている、と思ってもいいんだろうか。
「不思議な子だね、君は」
「おかしな奴だとは云われますが」
まだ、心のなかに、あの光景は残ってる。
鬼と化して襲いかかってきた人たちも、鈍鉄色のリゴールの手の感触も。
だけどこうして笑いあえるほどには、彼も自分たちも、元気になっていると信じたい。
そうして安心したせいだろうか。それまで遠ざかっていた睡魔が、見張りもこれからというときに限って襲ってきた。
目をしきりにこすりだしたを見て、シャムロックは笑って、そして云う。
「眠って構わないよ。見張りなら、私ひとりで充分だから」
「でも」
ぐいぐい、こぶしで目をこすって、はかぶりを振った。
「見張り志願までしておいて眠っちゃったら、起きた後みんなに何云われるか!」
「……別に何も云われないと思うよ」
つっこむシャムロックの声は、聞き分けのないこどもをなだめるような、優しいものだった。そして、同じく優しい手つきで頭をなでられたのが、の抵抗の限界だったかもしれない。
頭をなでられるのは好きだし安心できるけど、こういうときばっかりは、自分のその体質を恨みたくなる。
だけどやっぱり、そうしてもらうと、なんとなくなくしてしまった遠いコトに手が届きそうな優しい気持ちがわいてしまうのも事実。
……動物がなでてもらうっていうのは、こんな気持ちかもしれない。
「おやすみ」
ぽん、ぽん。
優しく肩を叩かれる。
寄りかかってもいいんだよ、と云われた気がした。傍に来ていたシャムロックは、ことばにしては何も云わなかったけど。
気のせいかもしれなかったが、なんとなくぬくもりが欲しくて、それに甘えてしまうことにする。
「おやすみなさーい……」
眠気から間延びした声ながらも、とにもかくにも就寝の挨拶だけはきっちりし、は身体の重心をシャムロックに傾けると、そのまま目を閉じた。
たとえどんな絶望の淵に立たされても。
たとえどんな苦境に落とされても。
その意志がある限り、人間はまた、歩き始めるコトがきっと出来る。
悪夢のような一日の終わり、そう実感できたことだけが、もしかしたら救いと云えば云えた――かもしれない。
心に戦争への覚悟を定めようと苦心しながら、一路ファナンへ戻る彼らの道のり、その最初の夜のことだった。