返答次第ではそのまま、突っ込んでさえ行きそうな様相ではあるが、全員が黙ってキュラーの解を待った。
鬼と変じた彼らを元に戻せるようならば――
それならば、命だけはと。それは傲慢な考えだったのか。
どちらにしても、叶わない願いではあったが。
そうして返される、鬼神使いのことば。
「クククッ、お戯れを……そんなことができるとお思いですか?」
「どういうこったい!?」
「鬼につかれた者は時と共に、その魂を食われていく……」
再度の問いかけに、わざわざ親切に説明してくれても、ありがたくもなんともない。覆しようのない現実を突きつけられて感じるものは、きっと、絶望――
「もはや、その男は領主の抜け殻なのですよ。元に戻すことなど絶対に不可能なのです!」
……ほら。
それ以外の何を、今のことばに感じろというのだ。
「そんな……」
愕然としたアメルの声が、全員の気持ちを代弁していた。
どうしようもないその事実に、シャムロックがまた自失してはいないかと、ふと目を動かす。
「ならば、せめて……」
幸い、心配したようなコトにはなっていなかった。
大剣を正眼に構え、空気さえも染め変えるような怒りをまだ、全身にたたえたままの、トライドラの騎士。
「貴様だけは! このような非道をした貴様だけは倒す!!」
その宣言と同時に、シャムロックが地を蹴った。
同時に。
――キィン、リィンと。音が鳴る。
バァン!
「ぐっ……!?」
予想もしなかった場所からの魔力の一撃。シャムロックは倒れ込みこそしなかったものの、その場に足を止めていた。
後に続こうとしていた一同も、思わず動きを止める。
それはまるで、先刻のキュラーのように。存在を、気配さえも感じさせずに、現れたのは。
「いつまで遊んでいるつもりだ、キュラーよ」
「ガレアノ!」
レナードのことばには、それほどの驚きは含まれていなかった。
スルゼン砦での一幕のあと、死体が見つからなかったのだから、あるいは、と思っていたのもまた事実だったから。
だけど、こういうトコロばっかり予想通りに事態が動いても何がうれしいもんか。
「生きていたの……?」
トリスのつぶやきに、ガレアノはたちの方を一瞥し、だがそれだけで何の反応をするでもなく。すぐにキュラーに向き直る。
「ルヴァイドのヤツがお呼びだ」
「……!」
改めて、黒の旅団との関係を裏付けるその発言に、また、驚愕がこぼれる。
ビーニャと云い、ガレアノと云い、このキュラーと云い……桁外れの力を扱う召喚師たちを、デグレアは擁しているという、予想はすでに事実になった。
動けないでいる一同を見もせずに、ガレアノとキュラーの会話は続く。
「さっさと戻らねば、あの御方に迷惑がかかる。こやつらの始末などいつでもできるさ。カカカカ……」
「なるほど、今は貴公とワタクシが忠実な兵士へと造り替えた、トライドラの者たちを連れていくことが先決でしょうな」
「……なっ……」
たしかにキュラーは告げた。トライドラの人々は鬼へと変じたと。
だが。
それはトライドラという国を滅ぼすためだけでなく、自分たちの側の兵士として手駒にするためだったと――そうだというのか。
「カカカカッ!」
喉を鳴らして笑う、屍人使い。
「鬼と屍人からなる、悪夢の軍隊をなァ!?」
「テメエらァァァっ!!」
心から愉快に思っている風のガレアノの笑いがはじけた瞬間。真っ先に感情を爆発させたフォルテが、屍人使いと鬼神使いへ向かう!
抜き身のままぶらさげていた大剣を、腰だめに構えて接近する。
あと数歩で、彼の間合いに届く。
その刹那。
それまでこちらを見もしなかったキュラーとガレアノが、改めてたちの方を振り返った。
同時に、何らかの力場が彼らの周囲に生まれる。
「待っ……!!」
何をするつもりか察したネスティが、妨害しようというのか、自身も魔力を集中させる素振りを見せるけれど。それより早く、
「クククッ、またいずれお目にかかりましょう」
「カーッカッカッカ!!」
……彼らは、消えた。
現れたときと同じように、忽然と。溶け消えた。
倒れている兵士たちのうち、明らかに絶命している者以外の数人も、同時にその場から姿を消す。
『連れて行った』のは明らかだった。
「……ちくしょう……」
ガツッ! と。行く手のなくなった大剣を、力任せに床につきたててフォルテがうめく。
「ちくしょう……っ!!!」
誰も何も云えなかった。フォルテにも、それから、立ち尽くしているシャムロックにも。
云えるコトはない。かけるべきことばも見つからない。
何をしあぐねて、重い沈黙が、残された彼らの上に舞い下りる。
――けれど。
「しゃむ、ろク、よ……」
ひきつった、ひび割れた。だけど、それはたしかに人間の声。
「領主様!!」
最初に反応したのは、今ここにいる自分たちの中で、いちばんその声に馴染みを持っているだろう、シャムロックだった。
満身創痍のリゴールを、あのふたりはすでに役に立たないとみなしたのだろうか。
ほうぼうに倒れ伏している、兵士であったものたちのなかから、領主――かろうじて、人の心の残っていたらしいリゴールが、身を起こしていたのだ。
「すマ……ぬ……。わシわ、ワしは……」
「しっかりなさいませ! リゴール様っ!!」
駆け寄ったシャムロックが、領主を助け起こす。
けれど、リゴールの身体はまるで瘧のときのように細かい震えを繰り返している。外に出ようとする何かを、必死で抑えこんでいるのがにでさえも見てとれる。
信じたくなかった。
さっきあれだけ偉そうに、シャムロックに向かって怒鳴りつけておいて、このていたらくはと思うけど。……信じたくなかった。
……もう、あの人は……
「あの人、もうどうにもならないの!?」
悲鳴のようなケイナの問いに、カイナが首を振っている。――横に。
「もう……手遅れです。ここまで鬼に侵蝕されてしまっていては、命を絶つより他に、この方を鬼のくびきから解放する方法はないのです……!」
もう、あの人は。
シルターンの鬼神に通じているカイナのことばに、今度こその絶望を覚える。
……信じたくない。
だけど目の前のこれは現実であり、すでに起こったことの結末であり……そうだと、いうのなら。それでも。
――りん、
どこか遠くで響く、銀の音色。
そうだ。それでも。
「…………!?」
シャムロックと領主の方へ足を踏み出したを見て、驚いた何人かが声をあげた。
その声は遠い。
いつかの夜を思い出す。感覚は――また、薄皮一枚現実を突き抜けた場所にあった。
世界を包む魔力を感じるコトの出来る、魂の流れさえも読み取ることが出来そうな、そこは不思議な空間。
驚いた表情のシャムロックに、うっすらと微笑んでみせる。うまく笑みをつくれたかどうかさえ、自身としてはあやふやだったけれど。
そして手を伸ばす。
いつかの夜と同じように。サモナイト石に手をかざしたあのときと同じように。
「祈らせて」
他の誰にも聞こえずに、おそらくは今、目を見張ったリゴールにだけ、それは届いたのだろうと思えた。
その証だとでも云うように。細かい震えを刻むリゴールの手が、真っすぐに、こちらに向けて伸ばされる。は、両手でそれを包み込んだ。
鈍鉄色の、ごつごつした、すでに人間のモノとは思えないリゴールの手。けれど不思議と、嫌悪感やそれに類する感情がわくことはなかった。
だから祈らせて。
祈りをここに。あなたへと。
あなたの魂が、鬼から解放されるように。また、輪廻の流れに戻ることが出来るように。向かうべき先を、見失わないように。
って、これじゃあたし、まるでアメルじゃないか。
とかなんとか考えてしまうのは、あの夜よりも心に余裕があるせいなのか、なんなのか。
でも、断言できることはある。
これは癒しの力じゃない。これは許しの力じゃない。そもそも力というものでさえない。
あたしは、この人をこの人のままで、救ってやるコトは出来ない。
だからせめて。その肉体から魂が解放されるとき、鬼からの侵蝕と、傷を、すべて流し去って逝くことが出来るように。……祈るだけだ。往くべき道はまだ消えていないと。
そしてそれはこの場にいる全員が、きっと同じことを思ってる。
ふと……リゴールの震えが止まった。瞳も、まとう空気もどことなく、凪いだものになる。
「……さん、下がってください」
大きな手が、の肩に触れた。
それがきっかけ。意識と世界を隔てていた薄皮が、軽い衝撃とともに霧散する。
目を上げれば、こちらを静かに見下ろしているシャムロックの姿。さっきまでと違い、それは充分に現実だと認識出来るものだった。
「……ありがとうございます」
たった一言そう告げて、シャムロックはリゴールに向き直る。
右手に携えた大剣を見て、は彼の意図を悟った。
「それしかねーよな……シャムロック」
おまえがケジメをつけるしか――
沈痛なフォルテの声。そういえば、彼もトライドラで剣を習ったと云っていたから。もしかしたら、領主とは顔見知りであったのかもしれない。
同情以上の感情を、今の声からは感じ取れた。
皆が見守る中。チャキ、と硬質な音をたて、シャムロックが大剣を構える。
「リゴール様……お許しください」
主君を手にかけるという、その心に反する行動は、彼にどれだけの負担を強いているのか。
シャムロックはそれ以上何も口にしないけれど、推し量ることは出来る。
それでもなお、それをなそうというシャムロックの心の強さに、泣きたくなるほどの何かを覚えた。
「しゃむ、ロ……そレ、ニ、……ヨ……。感謝……する……ぞ……っ」
最後に聞こえたのは、リゴールのことば。
気を遣ってくれているのか、ケイナがそっとの腕を引いたのを、なんとか笑顔つくって辞退する。
目をそらすまいと誓った、の視線の先で。静かに、剣が振り下ろされた。
その光景を、きっと忘れないと思う。
スルゼン砦でアメルの光に照らされた屍人たちと同じように、鬼に憑かれたトライドラの人々は、リゴールの絶命と共に、その身を砂と変えた。
そうして、肉体はリィンバウムに還るコトすら出来ない、彼らの魂が器を離れる。
「……判る?」
「ええ……」
きっと、今同じものを見ているだろうアメルに、声をかけた。
自分たちの周りを囲むように、暖かく輝く無数の光。それは、倒れていた人々と、それから領主を合わせた数に等しい。
その光景を、きっと忘れないと思う。
聖女であるアメルに救いを感じているのか、淡いひかりは蛍のように彼女の周りを飛び交っていた。
彼女にまとわる光がまるで、天使の羽のような彩り。
どうして自分にそんなモノが見えるのか判らないけれど、素直にキレイだと思えた。
しばらく、そうして光を見ていた。
やがて一つ、また一つ、界の狭間に溶けるために消えて行くまで、最後のひとつが姿を消すまで、ずっと見ていた。
ケイナやカイナも、とアメルと同じようにしていたからきっと、彼女たちにも見えていたんだろう。あえて確認はしなかったけれど。
どうか、魂が解放されて新たな輪廻に還れるように。祈らせて。
道はいつでも、望むあなたたちの前にある。
実はそのあと、どこをどうとおって城を抜け、街に出てきたのかよく覚えていない。
行く途中は周りの風景にきょろきょろしっぱなしだったし、出てきた今は今でほとんど放心状態だった。
はっきりと足が地につく感覚が戻ってきたのは、最初にシャムロックと待ち合わせていた噴水のあたりでのことだ。
のそんな状態に気がついていたらしいロッカが、心配そうにこちらを見ていたコトに、ごめんねと笑ってみせて、もうだいじょうぶだよ、と付け加えた。
小さな声でそう云った。
未だ黙ったままで前を歩いている、シャムロックにちょっと気兼ねしていたのかもしれない。
軽い沈黙に包まれたままの一行のこの状態も、みんな、とそう変わらない気持ちだからなのだろうか。
そんなコトを思いながら、とうとう街の門のところまで来てしまった。
すでに、鬼と変えられた人たちは連れて行かれてしまったのか、人っ子ひとりいない街を抜けた。
そのまま歩いて行くかと思いきや、くるりとシャムロックが振り返る。
何を思っているのだろうか、じっと王城を、街を、それまで自分の守ってきた場所を見つめているシャムロック。
「……今、このときより、私はこの剣にかけて誓います」
どれほどそうしていたのか――彼がことばを発するまではおそらく、数分となかったろうけど、感覚的にはそれはとても長い時間だったように思えた。
「トライドラ最後の騎士として、私は、デグレアと戦い続けると……!」
誰も何も云わなかった。
ことばにしなくてもきっと、みんな判っていた。同じ気持ちだった。