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第15夜 壱
lll 一夜が明けてまた旅の空 lll



 そうして、今日も今日とて旅の空。
 お日様さんさん、風もそよそよと気持ち良い、昨日も通った道のりを、再びてくてく辿りながら、一路西へと彼らは向かっていた。
 一行のなかでは比較的前方を歩いているの後ろから、気遣わしげなフォルテの声と、かなりやせ我慢入ってるんじゃないかと思ってしまうシャムロックのやりとりが時折聞こえる。
「おい、あんまり無理すんじゃねーぞ?」
「私なら大丈夫です、フォルテさ……ん」
 アメルの力とモーリンのストラで頑張ってもらったものの、とうとう完治はさせられなかった。
 あまり連続して他者からの回復を行うと、今度は本来持っている治癒力に影響があるとのことで、それ以上は出来なかったせいもあるけれど。
 幸い、数日休んでいれば大丈夫なほどには、シャムロックは回復したのだから。
 だから、大人しく、寝ていてくれれば良かったものを、と。今になってもまだ思ってしまったり。
 けれど仕方ないことなのだろう。
 これから向かう先を考えれば、何のためにそこに行くのかを考えれば。
 ふと、その、『これから向かう場所』のことを考える。
 向かう場所――目指す先はトライドラだ。ローウェン砦とスルゼン砦、それにギエン砦を含めた三つの砦の総括。そこにいるという領主へ、ふたつの砦の陥落を、早急に告げるため。
 それにはどうしても、騎士という身分のシャムロックの存在が必要だった。

 それから、今朝のやりとりを思い出した。
 事態はたしかに深刻極まりないくせに、思い返すとかなり笑える、朝の出来事。



 怪我人に響くといけないというコトで、朝食が済んだ後、誰からともなく家の外に出てそこらに座っていた。
 アメルとモーリンは、シャムロックの様子を診に行っているからこの場にはいない。
 フォルテもついていこうとしていたけれど、傷の手当てに関してはあまり役に立てないだろうと自粛したのか、ここに残っている。
 何をするでもなく、一同、ぼうっとして風景を眺めていた。

「ん?」
 木々の葉っぱに隠れがちな空を見上げていると、横から自分を呼ぶ声。
 視線を落とせば、声の主――ネスティが、すぐ目の前に立っていた。

「…………おはよぉ、ネスティ!」
「おはよう、
「……ネスティさん、笑顔が怖いですよ?」

 ひきつりながら片手をあげて、まずは元気に朝の挨拶。朝食のときは席が離れていたせいもあって、やりそこねていたことだし。
 ってか。逃走劇のどさくさにまぎれて、すっかり忘れちゃってましたネ。
 『説教はあとだ』と。
 昨日魔獣をなんとか退けたときのネスティのそのことばを、今ごろになってようやく思い出した。
 というか、そういうのは普通当日中にやりませんか?
 翌日になって相手が忘れてるのが丸判りでしょうに、それでも実行しにくるんですか? 男に二言はなしってことですか?
 ……勘弁してください。切実に。
 とかなんとか一生懸命念じてみても、ネスティにしてみればそんな得体の知れない念波、意に介するつもりすらないようだ。
「僕の云いたいことは判るな?」
 無情に告げられる、切り出しのひとこと。
「みんなの許可もとらずにトリスの護衛獣くんかっぱらって、敵の親玉に向かって突っ込んで行く無謀な真似に対するお説教」
 ネスティと真正面から視線を合わせるのがどことなく恐ろしく、目がお魚になりつつ回答する。
 完璧な答えだと思ったのだが、意に反して、ネスティは呆れたようなため息をついてみせてくれた。
「……たしかに説教もあるが……」
「あるが?」
 他に何があるとゆーのだ。
 そんな疑問がでっかく顔に張り付いていたのだろう。に視線を落としたネスティは、二度目のため息をつく。
 別に辛気臭いものではないからいいようなものの、こんなポンポンため息連発されると気が滅入りそうになるんですけど。
 とか云ったら、さらに怒り上昇させてしまいそうなので、飲み込んだ。
 代わりに、ネスティのことばを待って沈黙する。
 世間話などしていた他の人たちも、こちらに聞き耳を立てているらしく、ふっと静寂が訪れた。
 そうして、やっと、ネスティが口を開いた。

「あまり、心配をかけるなと云いたいんだ。僕は」
「…………へ?」

 バルレルを無断賃借したコトじゃなく、一歩間違えばみんなを危険にさらす行動をとったコトでなく?

 目を丸くしたを見て、ネスティは云った。
「……君はバカか?」
「うっ……!?」
 トリスやマグナに対するネスティの必殺技が、とうとう自分の頭上にまで及んだコトにショックを隠せない
 頭上に金ダライの落ちた音が、見ていた全員の耳にまで届いたような気さえする。
「前から云おうと思っていたが、君は一人で突っ走りすぎるぞ。トリスもマグナもそうだが、君の場合はそれ以上だ」
「何でそこで俺たちを引き合いに出すんだよっ!?」
 をかばおうというのか、後ろからがばりと抱きついてきたマグナが、ネスティに抗議の声をあげた。が。
「ほう」
 にやり。
 そんな擬音がぴったりな笑顔を、ネスティが顔に貼り付ける。
 真正面からそれを見る羽目になってしまったマグナが、冷や汗たらして後ずさる。当然、腕を回されたままのも後ずさる。
 そんなふたりに向けて、ネスティがひとこと。
「フォルテたちと出逢ったときの、盗賊団に関するいざこざを忘れたと?」
「うっ……!」
 さっきののうめきとまったく同じものを発して、マグナは撃沈された。
 いったい何があったのやら、とトリスの方に目を向けてみるが、困った顔で笑い返して、そのあと彼女の目もお魚になる。

 ……何したんだろう、この兄妹……

 目の前のお説教よりもそっちの方が気になったが、ネスティはそれ以上、そのことについて話すつもりは皆無らしかった。
「とにかく、なんでも一人で片付けようとするそのクセをどうにかしろ。……危なっかしくてしょうがない」
 長い長いお説教を覚悟していたのだけれど、最終的に、告げられたのはたったそれだけだった。
 別の意味でぽかんとして見上げたネスティの顔は、逆光でよく判らなかったけど、なんとなく自分の発言に照れているようにさえ見える。
「……心配してくれてるの?」
 だからして、としては、嬉しくてそう訊いたのに、
「君はバカか?」
 再びさっくり返されて、今度は金ダライの代わりに槍が刺さる擬音。
「だから、そう云っているんだろうが。人の話を聞いていたのか、君は」
「聞いてましたよう」
 絶対これはバカだと思われてるな……返答しつつ、すでに諦めの境地に達してみたり。
 落ち込みまくりのを見て、さすがにネスティもこれ以上追求するのはやめてくれるつもりなのか、最後に特大のため息をひとつつく。
 それから、

「……もう少し、周りを頼ってみてもいいと思うぞ。……僕は」

「――――」

 吃驚した。
 だって、としては、けっこう周りに頼っていると自負……というのは少し違うかもしれないけれど、とにかく、そう思ってた。
 記憶がないコトとか、これからのコトとか、何かしら不安になったら誰かの傍に行くし。護衛獣カルテットには、暇なときに遊ばせてもらってるし。
 そんな諸々が、口をついて出ようとした。
 だけど。
 ネスティはほんとうに、こちらのことを心配してくれている。
 はっきりそれを察したとしては、それ以外に対応が出来なかったのである。
「……うん……判った」
 殊勝にうなずいてみせるを見て、ようやく、ネスティが表情を和らげる。


 さてそうなると、後ろから抱きついていたマグナとしてはそれがおもしろくない。
 腕の中でちっちゃくうなずいてみせるの横顔と、それに向けられるネスティの顔。
 っていうかは気づいてないからいいようなもののネスのこれってば、俺たち以外に対してのものとしちゃ破格だぞ!?
 むぅっとして、を抱いている腕に力をこめてネスティを睨む。
 もっとも相手の方からすれば、マグナの視線は『をいじめるな』としか見えていないらしく、故にさらりと流してくれてるし。
「……マグナ?」
 ちょっと苦しいんだけど?
「あっ!? ご、ごめん!!」 
 困ったように笑いながら見上げてくるに謝って、腕の力を抜いた。だけど、つくった輪っかは外さない。
 トリスが、なんだか楽しそうに笑いながら不肖の兄を眺めている。
 ……俺って、にどう思われてるのかなあ。
 ふと気になって、腕の中の子を見下ろしてみるけれど。きょとんとして目があったあとは、にっこり笑ってくれるもんだから、ついこっちまでにっこりしてしまう。
「まぁ……いっか」
「何が?」
「なんでもなーい」
 の質問にはそう答えて、お日様の香りのする髪に頬を押し付けた。
 うん、まぁ、いっか。今は俺たちと一緒にいてくれるだけで充分、嬉しいし。
 今みたいに笑ってくれるだけで、ほんとうに、嬉しい。
 ずぅっと昔にこの胸に生まれた黒い気持ちが、と一緒だとちょっとずつ薄れていきそうな感じ。
 そしてふと、思い出す。――こんな気持ちが生まれたのはいつだったのか、思い出してしまった。

 それは、遠い遠い、幼いころ。
 大嫌いだから、笑ってたころだ。
 そう。いつも笑ってた。大嫌いだって判らせたくはなかったから。
 そして、大好きな妹に心配かけたくなくて、笑ってた。
 大好きな妹と、それから自分と。あの頃は世界にふたりしかいなかったのに。それを、引き離した派閥。
 たまたま街の片隅で見つけたサモナイト石に、手を触れただけの自分たち。
 それがはじまりだった。彼らを連行した蒼の派閥は、散々な取調べを行なった。
 傷つけた人たちに対する慙愧の念はたしかに抱いたけど、何も知らなかったコトに違いはないのに。
 トリスは覚えてない。
 兄と引き離されて、たくさんの大人たちに囲まれて、厳しい声で長い長い時間詰問されて、疲れ果てて倒れてしまったことを覚えてない。
 ラウル師範のところに引き取られるまで、閉じ込められてた場所を出るまで、トリスは感情ってものをなくしてしまってた。人形みたいだった。大好きな妹。
 哀しくて許せなくて――そしてふと気づいたら、黒い気持ちが自分のなかにあったのだ。
 トリスがまた笑うようになってから、それ以上大きくなるコトはなかったけど、小さくなったりするコトもなかった。
 そうして、一緒に見聞の旅に出れると知ったときは、ほんとうにほんとうに、嬉しかった。
 だけど、結局派閥のなかで動いているような息苦しさがあるねって、ふたりで話したコトもある。
 ネスは好き。ラウル師範も好き。トリスは大好き。
 ……正直、彼ら以外はどうでもよかったなんて云ったら、トリスにさえ怒られそうだ。アメルには、不思議な懐かしさを覚えてたのもたしかだけど。
 それでもいいけど。だって、自分の代わりに、トリスはたくさんの人を好きになる。たくさん、笑ってる。
 だから、それでいいって思ってた。
 でも。
「マグナ、ほんとうにどうしたの?」
 声が聞こえる。を見る。
 自分に向けて笑ってくれてる。トリスの笑顔を見てるときと同じように安心するけど、何か違う、の笑った顔が好き。
「なんでもないって」
 くすくす笑って、また、髪に顔を押し付けた。
 じんわりと心が温かくなって……こういうのを、幸せっていうのかな。
 黒い気持ちが消えるコトはないだろうけど、気にしないようになれるかな。……なりたいな。
 また、これからも、今みたいに笑えるようにいたい。
 そう思えるようになったのは、たぶんのおかげだ。


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