そうして、どれくらいの距離を駆け抜けたのだろう。
走ったといっても、シャムロックを支えながらだから、速度としては歩みと云えるほどのものか、知れないけれど。
鳴り響いていた爆音も小さくなり、消え。もう振り返っても、砦の影形すら見えなくなったところで、全員ようやく息をついた。
「ここまでくれば、もうだいじょうぶだろう」
奴らも、追ってくる様子はないようだしな。
そのネスティのことばに、どどっと緊張が解けた。皆、次々に地面にへたりこむ。
本来なら、早くファナンのあたりまで逃げ切ってしまえるのがいちばんなのだけれど、さすがに体力も気力も限界。休息を求めていた。
そうして、それが一番顕著なのは、やはり。
何も云わなかったけれど、全員が、フォルテの肩につかまったシャムロックを見た。
「アメル、すまないけど、シャムロックさんの傷を診てやってくれないか?」
トリスにバルレル、ルウも、必要なら手を貸してやってくれ。
「はい、マグナさん」
「うん」
「へいへい……」
「判ったわ」
マグナのことばに、それぞれが返事を返し、傍の木に寄りかかるように下ろされたシャムロックの傍に歩いていく。
アメルは聖女としての力があるし、トリスもバルレルもリプシー持ち。ルウにいたってはプラーマなんていう高レベルの回復術所有。
身体の怪我の方は、これで心配はないだろうけど……
発される回復の光を見ていたの耳に、ミニスのことばが飛び込んでくる。応じるカイナのことばも。
「それにしても何なの? あのビーニャって奴。あんなに召喚術を乱発出来るなんて信じられない……」
「ええ……あれだけの数の魔獣を使役できる力、とても尋常のものではありません」
はことばこそ発さなかったけれど、意見はミニスやカイナと同じだった。
このなかで、おそらくいちばん召喚術に長けているだろうネスティだって、あんな芸当は出来まい。
いつかファナンで出逢った海賊の親玉だって、あれこっきりで魔力はすでに疲弊していたとあとで聞いた。
それに、とシャムロックを弾き飛ばした衝撃も。
ミニスとカイナのことばに、いつの間にか全員が耳を傾けていた。そのなかで、ネスティがひとり頷いてみせる。
「間違いないな……」
全員がなんだろうという顔をしたけれど、レナードが同意を示す。
「だろうな。俺様もたぶん、おまえさんと同じことを考えてるぜ」
「ああ。あのビーニャという召喚師、スルゼン砦を壊滅させたガレアノの同類に違いない」
「そういうこった、な」
ガレアノ?
聞いた覚えのあるような、ないような単語に、つい首を傾げる。
「ガレアノって、キミたちが戦ったって云ってた、屍人を操る召喚師のコト?」
「ルウ。もうシャムロックさんはいいの?」
「うん、命に心配はないよ。ルウやトリスたちが先に回復をかけたの。あとは任せてって、アメルが」
そのことばに頷いて、それから、思い出す。
ちょっとしか見なかったし、名前だって一度くらいしか聞いてない気がするけれど――
ガレアノ。スルゼン砦で屍人を操り、トリスたちと相対していたという、召喚師だ。
が納得している横で、マグナが、さっきのネスティの発言に驚いた顔を見せていた。
「そんなバカなっ! いくらなんでも飛躍しすぎじゃないか!?」
「……僕だってそう思う」
マグナの大声に、ちょっとだけ顔をしかめながらネスティが応じる。
「だが、そう考えれば、屍人使いがスルゼン砦を滅ぼした理由が説明出来るんだ」
スルゼン砦とローウェン砦。それは、三砦都市トライドラの擁する、みっつの砦のうちのふたつ。
トライドラは聖王国を守る盾。
聖王国を攻めようとしているのはデグレア。
そのために動いているのは――
「あの二人を繋ぐ共通項は、たぶん……」
「黒の旅団の一員、ですか」
レナードのことばに続けて、ロッカがつぶやいた。
たしかに自分たちは見ている。ビーニャがルヴァイドに呼びかけていた姿を。あれを見て無関係だと思うほうが、むしろおかしいのだろうが。
「あんな強い力を持った奴がいたなんて……」
ビーニャの召喚術、ガレアノの屍人使いとしての力を思い出したのか、トリスが身震いしていた。
その肩を抱いてやりながら、マグナがなお、ことばをつむごうとしたとき、
「シャムロック!?」
たちからちょっと離れた場所で、アメルの看病を受けるシャムロックを見ていた、フォルテの叫びが響いてきた。
見れば、気を失ったのか、身体の力が抜けてしまっているシャムロックの姿。
近寄っていったカザミネが、取り乱した様子のフォルテを見て、首を縦に振る。
「この御仁の傷には、心配要らぬ。これまでの疲れで気を失っただけであろう」
「でも……」
その横から、心配そうなアメル。
「でも、肉体以上にこの人の心は傷ついてました……それが、心配です……」
さもありなん。
騎士としての誓いを破られ、守るべき砦を落とされ、自分についてきてくれていた部下たちさえも、失ったシャムロック。
彼の心は、いったい、どれほどの傷を受けたのか。
身体の傷は治せるけれど、精神のほうはどうしようもない。
「とにかく、ちゃんとした場所で休ませないと……」
「ファナンより、ルウの家が近いわ。急ぎましょう」
再び、フォルテがシャムロックを背負い、一行は一時の休息を終え、また歩きだす。
もう誰も追ってくる気配はないせいか、その歩みは無理のない足取りで。
元気な者たちは、多少の雑談に気をまぎらせるだけの余裕を持ち直してはいたけれど。
誰もが、実感していた。
デグレアが、聖王国に向けてその牙をむき出しにしたこと。――戦争が始まろうとしているということを。
戦争。大きなことば。
もし始まれば、たくさんの人たちの命が失われるだろう行為。
――何のために?
領土拡大のために? 国の威信のために?
それはそれでいい、それは攻められる側からすれば理不尽極まりないけれど、納得は出来る。
だけど、何故、そのためにアメルを欲するのだろうか。人を癒す力で以って、戦場で傷ついた兵士の手当てでもさせるつもりか。
「…………んなあほな」
あまりに非効率的な発想に、自分で呆れては首を振る。
ルウの家の一室で今もシャムロックの看病をしてくれている、アメルとモーリンのもとに持って行こうとしていた夜食の乗った盆を、落とさないように持ち直した。
窓からこぼれてくる、月の光さえも今夜はなんだかうらめしい。
こんなに世界は明るいのに、こんなに世界は照らされているのに、自分たちを取り巻く状況は、まるで闇の中。
どこまでも続く、手探り状態。
……知らなければいけない。きっといけない。
アメルの狙われる理由。
その命令を下した、元老院議会の真意。
「……ん?」
今、我ながら覚えのない単語を脳裏に浮かべた気がして、また歩みを止めた。
早く持って行かないと冷めてしまうと判っているのだけれど、よぎった単語を思い出そうと、無駄な努力などしてみたり。
「……げ……げ…………?」
「ゲロ?」
「何云ってますか」
の進行方向から歩いてきたフォルテのことばに、思考を捨てて半眼を作って睨みつける。
いつもどおりのフォルテの様子に、内心ほっとしつつ。
「シャムロックさんは、どうしてます?」
「ああ。おかげでだいぶ持ち直してる。あとは本人次第だな」
それにしても、
「悪かったな、知り合いに逢いに行くだけのはずだったんだが、こんな大騒動に巻き込んじまって」
後ろ頭に手をやりながら、笑ってくるフォルテに笑い返す。
「ううん。ケイナさんも云ってたけど、フォルテさんの大事な友達のことだから、気にしてないです。あたしもみんなも、きっと」
「はは、俺、シャムロックには色々借りがあるもんでな……」
別に訊きはしなかったのだが、そうフォルテが云ってのけてくれるものだから、ちょっと気になる。
「借りって?」
「ふっふっふ……聞きたいか?」
「う、うん」
妙に楽しげなフォルテになんだなんだと思いつつ、だけどやっぱりいつもどおりのその仕草に安心する部分もあって、頷いた。
「修行時代の門限破りを星の数ほど手伝わせたってのを筆頭に……」
指折り数えて、フォルテが『借り』を並べ上げる。
「ムカつく先輩を闇討ちにする助っ人させたり、酒場で酔いつぶれた時に迎えに来させたり、ああ、そういえば家出してすぐの時も、あいつの部屋に転がりこんだっけか……」
……………………
「一生かかっても返せない借りですね」
「おおう、ひでぇ。そこまで云うか」
「云いますって」
笑いながら、手の中のお盆の存在を思いだした。
「あ、ごめんなさい、これアメルに持っていかないと。それじゃ」
「おう。おまえさんもアメルも早く寝ろよ? シャムロックの手当てはありがたいが、それで身体壊されたら、おまえらにまで借りが出来ちまわ」
「あはははは、それはさすがにフォルテさんとしては避けたい事態ですねー」
「まったくだぜ」
同意しないでください、と、笑いながら返し、今度こそ、はアメルのもとへ向かうべく歩きだした。
……だから、聞こえなかったのだ。聞こえなくて幸いだったのかも、しれないけど。
「……あの動きはなあ」
遠ざかるの背を見ながら、ううむ、とつむがれたフォルテのことば。
「やっぱり――相当訓練されてる、ってもんだな……」
つぶやく彼の脳裏に浮かぶのは、今日、ビーニャに突っ込んでいったの姿。
バルレルは護衛獣として、それなりの戦闘力を保有しているから不思議はないのだけれど、剣を握って戦うのもおぼつかなかったが、いくら日々稽古を繰り返していたからとは云え――ああも見事に不意をつき、ビーニャを押さえ込めたというのが、フォルテにとってはどうしても不思議だった。
そして、今も。
おそらく本人気づいていないだろうが、廊下を歩いて行く後ろ姿。足運びから身体の動きから、殆ど無駄のない動作。
自身の性格がかなり天然入ってるせいで、誰も気づかないだろうが、今、仮に彼が背後から剣を振りかぶったとしても、瞬時に反応されるだろうと思わせる。
思えば、レルム村を炎で染め上げられたあの夜に気づいたからこそ、フォルテはこうして、懸念を覚えているのだが――実は意外なことに、カザミネでさえ、それに気づいていない様子。
……けれど。
「まぁ、いいか」
記憶がない以上、問い詰めてもそれは無駄なコト。
そうして記憶が戻ったときに、本人が話してくれるならそれが一番いいのだ。
だからフォルテはそのまま身体を反転させて、自分の部屋へ向かう。すぐに睡魔に襲われることを、その前のちょっとした寝酒を、ひとときの楽しみに思いながら。
そう思っていたコトをに告げて、も周囲の人間さえも驚かせることができるのは。
まだ随分と――そう。随分と先の話。