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第14夜 六
lll 暴走の果て lll



 逡巡は刹那、恐らくは数秒も経たないくらい。だけどそれが明暗を分ける。
 迷ったの瞳を覗いたビーニャが、笑みを刻む。これまででいちばん深い笑みを。だけどとても優しい笑みを。
「……だからアンタは甘いのよッ!」

 ドオン!

「あっ!?」

 ネスティたちのような、召喚を行うための動作も、何かの力を放つ、溜めさえも見せずに。
 ビーニャの身体から強い衝撃が発され、それがを吹き飛ばす。
 ふわりと身体が宙に舞った。
「だああぁぁぁっ、死ぬってこれ――――っ!!」
 いつぞや投網で連れ去れたときの感覚を思い出して絶叫。
 重力の法則は、あのときも今回も、きっちりしっかり働いてくれる。おまけに今回はクッション付の荷馬車なんてないっ!

「……死なせるワケないじゃなーい」
 の飛ばされた方向を見て、ビーニャはつぶやいた。
 ちらりと舌を出す。
 だって……計算済み。

 どさっ

「…………え?」

 正直に云ってしまえば、昇天の覚悟さえも決めていたけれど。
 うまく下に回りこんでいたシャムロックが、を横抱きに受け止めていた。
 その周囲に、落ちてくるポイントを計りかねたのか、同じように受け止める体勢でいる数名。
「……あら?」
 すとんと地面に下ろしてもらって見渡せば。
「魔獣は?」
「君があいつにかかっていったおかげで、魔獣たちの気がそれた。その機に一斉攻撃したんだよ」
 丁寧に、ネスティが解説してくれた。
 たしかに周囲には、魔獣たちが所狭しと転がっている。
 生き残っている数匹も、これ以上戦えるだけの力が残っていないのか、召喚主であるビーニャの処へ戻ろうとしていた。
「君のおかげで状況は覆せたが……」
 ちらり、ネスティがを見た。
 ……なんとなく、彼、とっても怒っているような気がします。出来れば気のせいであってほしいんですけど。
 と、必死に念じたのだが効果はないようで、
「云いたいことは多々あるが……とりあえず、それはあとだ」
 やっぱり怒ってるし。

「あーあ! つまんないなァ、こんなに簡単に倒されちゃうなんてさァ」
「!?」

 てっきりそのまま、魔獣たちは送還されるものだろうと、誰もが思っていた予想は、ものの見事に覆される。
 不機嫌そうに、自分の元に戻ってくる魔獣たちを眺めていたビーニャが、不意にそれらに向けて力を揮っていた。
「アンタたち、弱すぎ! このっ! このォッ!」
「ギャフッ! ギャフゥゥゥン!!」
「ちょっ……! そのコたち、あなたが召喚したんでしょっ!?」
 苦悶に哭く魔獣たちの姿を見て、信じられないといった顔でミニスが叫んだ。
 いや、この場にいる皆、召喚獣に対する虐待に呆然としている。
 召喚師にとって、召喚獣は力を得るためだけのものじゃない。
 たしかにそれもあるけれど、でも。意志を通わせ、手をとって、共に在れば、それだけの存在なんかじゃない。
 異界の友に対してのビーニャの行動は、この場の全員の怒りを再び呼び起こすには充分すぎた。
 だけど、ビーニャは笑う。
「そーだよォ? アタシが喚んだの。だから、アタシがなにしたって自由でしょォ……」
 ――キャハハハハッ!
「むちゃくちゃだわ! あのコ、召喚獣を遊び道具としか思ってないの!?」
 彼らは知っている。
 召喚術はただの力ではない。ただの道具ではない。
 それぞれの派閥で、それぞれの環境で、彼らはそのことを学んだ。そして、護衛獣として傍にいてくれる子たちからも、学んだ。
 心を持つ以上、ひとつの個人。ひとつの命。
 けっして、召喚したからと上位にたって接する存在じゃない。願い、そして応えられて通じ合うべき相手。
 けれど、今目の前にいる、あいつは。
「……違う」
「マグナ?」
「自分以外の全部が、あいつにとってはおもちゃなのよっ!」
「……トリス」
 ついさっきまで、命の奪い合いをしていた、メイトルパの魔獣。召喚獣。
 だけどいまや、哀れさえ誘う、今の姿。
 それを、心底――楽しそうに、虐待を繰り返すビーニャの姿。

「……そうやって」

 ぎり、と。の頭上で、歯を噛みしめる音。
 シャムロックの目に、再び、激情が戻っていた。
「そうやって……私の部下を殺したときも、お前は笑っていたというのか!?」
 傍にいた全員が、一瞬身体を震わせたほどの怒声。
「……当然でしょ?」
 ビーニャが振り返った。その表情はやっぱり、笑っていて。心から楽しいのだと、全身で主張していて。
「だって、楽しいんだもん」
 それ以外の何も、理由ではないのだと。
 にっこりにっこり――寒気の走る笑顔をたたえ、ビーニャの答えが返される。
 そうしてそれは、シャムロックの感情を爆発させるに充分すぎるほどの起爆剤だった。

「おのれェェェェッ!!」

「シャムロックさん!!」

 止める間もなく、シャムロックが走り出す。大剣を構え、一直線にビーニャに向かっていく。
「おっとっと!」
 怒りに目の眩んだ剣は、けれど、軽々と避けられる。
 勢いのまま通り過ぎかけ、すぐさまシャムロックは身体を反転させて第二撃に転じようとした。それは、通常ならば、意図どおりに成る行為だったかもしれない。
 けれど今、目の前にいるのは、数え切れないほどの魔獣を召喚し、あまつさえ動作も見せずになんらかの衝撃をに向けて放った相手。

 再び突進してくるシャムロックの姿を見てなお、ビーニャは余裕たっぷりだった。
「ふーん、そっかァ。アタシみたいな子供に本気で剣を振るうんだ、アンタは……?」
 眼前にいるのは感情に流される、どこまでも愚かなニンゲン。
 愚かではない――いや、愚かだけれど自分の望むニンゲンは、一人しかいない。
 そして、今向かってくる相手はそのニンゲンじゃない。
 ならば容赦はしない。するつもりもない。
 ――もういい。どうせこの状況では、どさくさにまぎれての聖女奪回は不可能だ。だったら、身のうちの破壊衝動だけでも満足させる。
 だからビーニャは笑う。これから壊す相手への、唯一の手向けに。

「でもダァメ! アタシ壊すのは大好きだけど壊されるのはヤなの。だからァ……」

 キィンと刹那、耳鳴りが復した。
「いけない!! そこから逃げてっ!!」
 ケイナとカイナが同時に叫ぶ。けれどそれは、間に合わない。

「アンタが壊れちゃいなァァァァッ!!」
「ぐあああああっ!?」

 先程、に加えられたものと同じ衝撃、けれど威力はその比ではなかった。
 放たれたのは、明らかに殺意を感じさせる力。
 見えないそれに弾き飛ばされたシャムロックの身体は、受身さえとれずに壁に叩きつけられる。
「シャムロックさん!!」
 ビーニャに注意しながら、全員がシャムロックのところに駆け寄る。
 フォルテが、意識も朦朧としている彼を、背にもたれかけさせて立ち上がった。
 こちらにも攻撃が加えられるかと、その覚悟はしていたのだが、それはこない。代わりに、
「キャハハハハハッ! アハハハッ! アーハッハッハ!!」
 ドォンドォンドォン!!!
 すべてを壊してしまおうというのか、それとも何か目的があるのか。無作為にあちこちに、攻撃系の召喚術を放ち続けるビーニャの姿がそこにはあった。
 心底、怖気が走った。
 だけど……殺せなかったのも事実だった。
 あのときためらわずに剣を振り下ろしていれば、もしかしたらと思うけれど、出来なかった。
 どうして。
 じっとビーニャを見ているを、バルレルがふと、含みのある視線で見上げて。それから、ぐいっと腕を引く。
「オイ、行くぞ!」
「え? えっ!?」
 いきなりの呼びかけに、咄嗟に反応できないでいたの腕を、反対側からレシィが引っ張る。
「今のうちに、砦から逃げてしまうんです! 敵も混乱してますからっ……!」
「え。う、うんっ!?」
 トリスの護衛獣たちに腕を引かれるまま、走り出したの耳に、声が届いた。
 しばらく聞かなかった声だ。最後に聞いたのは、そう。あの大平原だっけ。
「ビーニャ、やめろ! ルヴァイド様の命令に従うんだ!!」
 イオスの声。
 今更だが、やはり、ビーニャと黒の旅団はつながりがあったのだと思った。けれど、彼女に対するルヴァイドたちの対応は、先程からのものを見ても、とうてい好意的とは云えない。
 それはビーニャも同じコトらしい。
「やーだよーっ! だってェ、ルヴァイドちゃんって、とってもアマアマなんだもん。このまま一気にさァ、トライドラまで攻めちゃおっかな……うふふ、楽しそう」
「ビーニャ!!」
 声にますます怒りをにじませて、イオスが叫んでいる。
 その横で、ゼルフィルドがルヴァイドに向き直っていた。
 ふと、気づく。
 彼らの周りにも、さっきたちがいた場所と同じように、倒れている魔獣がいた。では、その意味するところは。
「我ガ将ヨ、コノ始末ハイカニ」
 ゼルフィルドの声に耳が反応して、の思考は打ちきられる。
 それからもうひとつ、気がついた。
 このまま走っていけば間違いなく、黒の旅団の横――ルヴァイドたちのすぐ傍を駆け抜けることになる。
 それに皆は気づいていないのか、それとも、こちらまで手を回す余裕がないと見切っているのか。問う暇もなく、判らないまま、も走るけれど。

 ちらり、と。ルヴァイドがを見た。
 丁度彼の方を見ていたと、視線があった。

 ――「行け」

 そう、云っているように思えた。
「……ルヴァイドさん」
 こぼれた、その人の名前は幸い、誰かの耳に届く前に、空に溶け消える。
 だけど届け。
 あなたにだけは、届け。
 ことばにならない気持ちの、欠片だけでもどうか、あなたに届いてください。

 だいじょうぶ。
 あたしはあなたを信じてる。

 だいじょうぶ。
 この惨状は、あなたの意志じゃないと。

 ――信じる。


 走り去って行こうとする彼らを、横目で眺めたその一瞬に、と視線がぶつかった。
 夜色の瞳に込められた、あの子の気持ちが真っ直ぐにルヴァイドに飛び込んでくる。すぐに視線は振り切られたけれど、あの子の残した気持ちはたしかに受け取れたのだと思う。
 だいじょうぶ。
 そう、云っていた。
 同じようにを見ていた、イオスとゼルフィルドを振り返る。
「個人の暴走で今後の作戦に支障を出すことはまかりならん。ゼルフィルド、イオス、あの小娘を止めろ。手荒にしても構わぬ!」
 未だ強力な召喚術を揮うビーニャを止めることが、今の自分たちに出来る、惨死を余儀なくされたトライドラの兵士たちへの唯一の手向け。
 その意を汲み取る者がおらずとも――いや、
「御意!」
「仰せのままに!」
 判ってほしい、汲み取ってほしい、その数人に通じていさえすれば。良いと思えるのは、果たして弱さというのだろうか。

 駆け出した、自分たちの心に届く声。
 いつもあの子が云っていたことば、いつもあの子に届けられた笑顔。

 だいじょうぶ。信じてる。
 いつもいつでも信じてる。

 君が、そうであるなら。


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