「ああいう男なんだよ、あいつは!」
もはや隠れているという自覚さえ失うほどに感情が激したか、フォルテが叫ぶ。
「部下を駒として見られない男なんだ……騎士に向かないほどに優しすぎんだよッ!」
「フォルテ! 待ちなさい!」
走り出そうとしたフォルテを、ケイナが必死で引き止める。
力でかなうわけもなく、引きずられかけた彼女を手伝おうと、マグナたちもフォルテに飛びかかった。
「ふたりを囲む軍勢を見ろ!! 決闘に邪魔が入るのを見逃すほど甘くはないぞ!!」
ネスティの厳しい叱咤が飛ぶが、フォルテの足はなお、前に進もうとしていた。
「だからって、見捨てろってのかよ!!」
「フォルテ!」
激昂したフォルテの叫びに重なって発されたのは、ケイナの張り上げた声。
「あの人は殺させたりなんかしないわ」
ぐきっ、と。フォルテの顔を自分の方に向けさせて。強く、けれどとても優しい目で。声で。
「絶対にしない。相棒の友達なら、私にとっても友達だもの」
「ケイナ、おまえ……」
「……ねえさま」
そのことばに、フォルテの身体からようやく力が抜けた。
けれどまだ、納得出来ない色を見せているところへ、カザミネが畳み込むように告げる。
「こちらがどう思おうと、あの立ち合いは、今は尋常のものでござる。そこに割って入るのは、シャムロック殿に汚名を着せることになりはすまいか?」
正論だった。
今度こそフォルテも動きを止める。
「決着がついたとき、そのときに卑怯なことをしようっていうなら、俺たちも動く。だから、今は、フォルテ。こらえてくれ」
「……くそぉ!!」
吐き捨てるようなフォルテのことば。
目の前で、今、大事な友の死闘が繰り広げられているというのに、手出し出来ないことの悔しさ。
「あいつだけをあんな目に合わせて……じっとしてろっていうのかよッ……!!」
血を吐くような、押し殺した、重い、つぶやきだった。
犠牲になるのが自分ひとりで良いのなら。
シャムロックはおそらく、そう考え、黒騎士の提案に応じたのだろう。
いずれにしても避けられぬ敗北。せめて部下の命までは無残に散らせたくはないと。
「フォルテさん……」
自分ひとりががまんすることで、村のためになるのなら。
かつてはそう思っていたからこそ、アメルもまた、今のシャムロックの気持ちが判る。
だから。
激しているフォルテに、それを見ているしか出来ない身内の歯がゆさがどれほどのものか、思い知らされたような気がした。
ロッカもリューグも。アグラバインも。
……今のフォルテほどではなくとも、村のためにそれまでの生活を犠牲にすることを強いられたアメルに対して、似たような気持ちを抱いていたのだろうか。
「見上げた人物だ。しかし、それだけに哀れすぎる」
淡々とカザミネがつぶやく。平坦なその口調に、わずかににじむ憐憫。
そう、なのかな。
自分がひとりで犠牲になるコトですむのなら、それで大切な人たちを幸せにしてやれるかもしれないなら――
「傲慢」
ぼそり、つぶやいたのことばが、耳につき刺さる。
こんなに強い口調で、が何かを云うのは初めてだった。
すぐ隣の、焦げ茶色した髪の少女を見る。髪と同じ色の瞳の奥にあるのは。怒り? それとも?
「本人はそれで良くても、周りの人たちはどうするの。その人のことを本当に思ってる人たちが、その人を犠牲にして成り立つ幸せの上で、笑えるわけがないじゃない」
そのことばに。視線を転じる。
ふたりの騎士の戦いを、息を呑んで眺めている、トライドラとデグレアの兵士たち。
祈っている姿さえ、見えた。
悔しそうに、身体を震わせている者もいた。
願っている。彼らの信頼する彼らの将が、勝利することを、あんなにも望んでいる。それはきっと、軍の勝利のためだけではないはずだと……思えた。
ロッカを見た。
今はここにはいない、彼の双子の弟のことも、透かして見えるような気がして。
「…………」
にこり、笑って。ロッカはアメルの肩をなでてくれる。
そう……覚えていたはずなのに。あの炎の夜、自分だけを逃がすために黒騎士に向かっていった家族を見て、どれだけ哀しかったか歯がゆかったか。
「あたし……」
謝ろうと。何に対して謝ればいいのか判らなかったけれど。衝動が口をつく。
けれど、それと同時に発されたのことばが、アメルの声をかき消した。
「……だけど……そうしなきゃ進めない道もあるんだね」
「やりきれねぇな……」
一転して、泣きだしそうな表情のの頭を、レナードがぐしゃりとかき乱し、撫でてやっている。
どうしてこうなってしまうんだろう。
どちらもきっと、大事なものを守りたいだけのはずなのに。
それは誇りであり命であり―― それがぶつかってしまったときに、力でしか解決出来ないというのは。
……なんて不器用な生き物なんだろう、人間は……
もう何度感じたのだろう。黒騎士への既視感。いつかどこかで見た光景。
だけど、琴線を刺激してはくれるくせに、肝心な場所へちっとも辿り着いてくれないもどかしさ。
判らないコトは放り出すと決めたはずなのに、このまま、思考に沈んでみたくなる。……無駄なコトだと判っていても、つい。
ぶるっと首を振った。思考を振り払った。
見届けるために。
この決着が、どうか死によってものでないように。犠牲などこれ以上出ないように。祈りながら。
繰り返される、剣戟の音。
ルヴァイドの剣が唸りを立てて振り下ろされれば、シャムロックの剣がそれを受け流す。
互いに細かい傷こそあれ、技量は拮抗しているように見えた。
わずかにシャムロックが押されてはいるものの、気迫は両者等しい。それが差を埋めている。
長丁場になるだろう、と、誰もが確信していた。
痛いほどの静寂のなか、響くのは、ふたりの騎士の立ち合いの音のみ……
そのはずだったのだけど。
突然に、それを感じた。
――キィン……リィン……――
これは記憶に埋もれた音ではない。つい最近――しかも、あの場所で感じた音。
かすかに、かすかに……だけどだんだん大きくなっていく?
もしやと思って、先日同じ音を感じていた面々に視線を移すが、決闘に注目しているせいで聞こえていないのか。それとも、まだ小さくて自覚にいたらないのか。
先日体験した、禁忌の森の記憶が蘇る。
音が破裂したと同時に、大量の悪魔たちとまみえる羽目になったあの日の記憶。
まさか、こんなトコロに悪魔がいるとは思えないけれど、この音は、なんとなく。不快感。
「ね、トリス」
傍にいた、トリスの腕を引っ張って。
「? どうかしたの?」
「あのね、何か、音――」
「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁっ!!」
人の出せる声というものの範疇を越えた、断末魔の叫びが響いたのはそのときだった。
風向きが変わる。
それに乗ってやってくる、むせかえるような血の匂い。
「な、何ッ!?」
「う……あぁ……」
がさっ、と、砦の周囲に植わえてあった茂みをかき分ける気配がして、ローウェン砦の兵だろうひとりが、たちの傍にやってきていた。
それだけなら、まだ、ましだった。
それだけなら、驚きも、そうたいしたものではなかったかもしれないのに。
濃密な血の匂い。
引きちぎられた鎧、衣服、それから肉体。
ぼたぼた、ぼたぼた。とめどなく溢れる血は、またたく間にこちらの足元までも広がりくる。
「しっかり……しっかりしてください!?」
目を見張ったアメルが、真っ先に兵士に駆け寄った。
けれど、彼女の手が伸ばされるより早く、兵士はその場に崩れ落ちる。
それでもなお。目は、心はあの場所へ。ふたりの騎士が戦っているあの場所へ。もがいて、もがいて――
「シャ……ロックさ、ま……バケモノ……っ、とりで……みな……死……」
ぱたり……糸が切れたように伏した。
アメルを制して、カザミネが兵士の傍らに膝をつく。
「……これは……獣に食いちぎられたような……?」
「そうよ。間違いないわ」
意外に、ルウが豪胆にもカザミネの隣に並び、彼の推量を後押ししてみせる。
……獣?
一様に、皆、首を傾げた。
兵の歩いてきたあとが、真っ赤に染まっている。見渡せば、血痕は砦の中からこちらに続いていた。
「……あ……」
レシィが、口元を押さえて後ずさる。
「だいじょうぶ? 見たくないなら見ないほうがいいよ」
それが、ショックからくるものなのだと思ったから、はそう云ったのだけど。
ぶるぶる、レシィは首を横に振った。
震える身体を無理矢理に押さえつける、ぎゅぅっと、伸ばされたの腕にしがみつく。
だけど云わなくてはならないのだ、と、己を叱咤するかのように、彼は大きく息を吸い、
「魔獣です……! メイトルパの――」
――キィィィィィン……リィィィィィン………!
吐き出されたレシィのことばを遮るように、あの音が瞬時に膨らんだ。