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第14夜 弐
lll 黒と白の騎士 lll



 嫌な予感というのなら、がたった今抱いているそれを、もしかしたら云ったのかもしれない。
 だけど、実際のトコロ『嫌な予感がした』という過去形である以上、それはある程度のこじつけにもとれる感情だ。
 それはたぶんに後悔や、現在の状況への否定を含んでいる。

 そう――は実にたった今。目の前で起こっている光景を、思いっきり脳みそから否定してしまいたかったり、した。
 不可能なコト、ではあるけど。


 眼前に広がるは、荒涼とした岩山。それに囲まれた、ひとつの砦。ローウェンと名を持つ、三砦都市トライドラの砦のひとつ。
 穏やかな街道を、歩いて歩いて、歩き抜いて。
 ようやく辿り着いた、フォルテの知り合いがいるというその場所は、

「攻撃されてる……!?」

 いやというほど見覚えのある黒い鎧の集団から、完全に包囲されていた。 それらが何者かなど――確認するまでもない。ローウェン砦を攻めているのは、黒の旅団。デグレアの軍団だ。
「ちょいと……こりゃ、どういうコトだい?」
 さすがに予想外の出来事に、全員しばし呆然。
 そのなかで、真っ先に我に返ったモーリンが、フォルテに問いかけた。……返事はなかったけれど。
「フォルテ!?」
「待ちなさいよっ!」
 その代わりというように、一行、何も云わずに走り出したフォルテを追いかける。
 とことんまで息を殺し気配を伏せて、岩山を迂回。トライドラ軍からもデグレア軍からも死角になる砦の陰に、身を潜めた。
 場所が場所なだけに、剣戟の音も召喚術の発動音もはっきりと聞こえる。
 ――断末魔の叫びさえも。

 つい、視線が、ある人物を捜して彷徨ってしまう。
 戦局を見極めようとしている一同のなか、きょろきょろと目だけで戦場を眺めて……
 ……いた。
 あの夜リューグにはじかれた兜は、処分してしまったのだろうか? 赤紫のゆるやかな髪をさらしたままのルヴァイドを見つける。
 それから、傍に控える黒い機械兵士……ゼルフィルド。
 同じく傍らに立つ、金髪の槍使い。イオス。

 御三家、揃い踏みっすか。

 ココで突っ込んでいくのもある意味作戦かもしれないが、敵方はこれまでのような少人数の部隊ではなく軍隊だ。
 はっきり云って無茶以前に無謀、もとい自殺行為。
 どうしたものかと思いつつ、結局、状況を眺めるしかないのが正直なところだった。
「……フォルテ」
 ふと、彼のことが気になって、視線を転じる。
 飛び出したくてしょうがないのを、必死に押さえ込んでいる様子が伺えた。
 けれど、今出て行けば彼だけでなく、ココにいる全員の身が危なくなる、だろう。
 けれど――それでも。と。歯噛みしているフォルテの気持ちは、全員に伝播している。

 ……見ているしか、ないのだろうか。何か出来ないのだろうか。

「シャムロック……!」

 おそらく、知り合いの名前なのだろう。低い声で、フォルテがつぶやいた。
 彼の視線を追った先、砦のひときわ高い位置……戦局をはっきり見渡せる場所に、他の兵士たちとは違う、白い鎧をまとった男性が立っていた。
 伝令らしい兵士がひとり、彼の傍にやってきて告げる。
 首を横に振るのが見えた。


 胸によぎるのは、諦めにも似た感情。
 明言してはならないことだが、この戦いは明らかに、自分たち――トライドラ側の負けだった。
「そうか……大絶壁を繋ぐ橋は、やはり奪われてしまったか」
 悔しげな部下をなだめるように。自分の感情を抑えて、ことさら冷静にそう云った。
「無念です……まさか敵の一隊が、すでに国境を越えて布陣していたなんて!」
 そのことばに、ちらりと、戦場の一角を見る。
 すでに砦の外に出ていた兵士たちは全滅し、残るは砦内にいる自分たちのみ。
 そうして彼らをその状況に追い込んだのは、目視できる距離に立っている、黒い鎧の――おそらくはあれが敵の将。
「私の油断だった。皆には、すまないことをしてしまった」
 橋向こうから向かってくるデグレアの大軍に抗している最中の不意打ち。奇襲。
 戦の常套だと、予想していたはずなのに、とっさに出来たことは可能な限りの兵たちを集め、砦に戻ることだけだった。
 シャムロックのことばに、部下は、だからこそ砦を死守できたのだと云っているが。
 ……何が出来るものだろう。
 選べる道はふたつだった。

 降伏か、死か。



 ――ルヴァイドが動いた。

 イオス、ゼルフィルドと何かを話していたと思うと、身を翻して門の前に向かう。
 奇妙な、かりそめの静寂が舞い下りた。
「……降伏勧告、か?」
 ネスティがつぶやく。
 状況から考えれば、橋を占拠し、なお砦を囲んでいるデグレアの方が明らかに有利。
 勝ち戦を一旦止めてまで提案するコトと云えば、ひとつしかあるまい。

 果たしてそのとおり――


「敵将に告げる! 我はデグレア特務部隊、黒の旅団が総指揮官ルヴァイドなり! 貴殿に同じ騎士として提案したきことがある!!」

 イオスやゼルフィルドには軍の被害を強調したが。
 実際そう考えたのも事実だが。
 出来ることなら、無用の血を流したくないというのは、将にあるまじき考えだろうか。
 しかし将として、自分を信じている部下を失うことはかなりの痛みを伴うものだ。それが騎士としての道理を知る者ならなおさら。
 そういう部分では、将というものは、どこかが同じなのだろうと考える。
 ……今、もしもがここにいたなら、きっと。甘い考えだとイオスやゼルフィルドに諭されながらだけれど、きっと。
 だいじょうぶ。
 そう云って、賛成します、と、笑う姿が容易に想像出来た。
 まさか本人が今この場に来ているなど、ルヴァイドには見通せない事実だけれど。
 それでもどうしてか、あの子の笑顔を思いだす。

 しばらく待っていると、砦の上で人が動く。
 ルヴァイドからよく見える位置に、おそらくは砦の隊長だろう、白い鎧の騎士が姿を見せた。


「貴殿が、この砦の長か?」
「いかにも! トライドラ騎士団所属ローウェン砦守備隊長シャムロックだ!」
「シャムロック殿よ。すでに我がデグレアとトライドラを結ぶ唯一の橋は占領した。大絶壁の向こうで待つ本隊も、我らの合図で一斉にこちらへ進軍を開始するだろう」
 熾烈な現実を突き付けられて、シャムロックの表情が硬くなる。
「もはやその砦にこもることなど無意味。三砦都市の守りはすでに崩れ去ったのだ! 降伏を認めよう。武器を捨てて、その砦を渡してはくれぬか?」
 降伏すれば命は助かる。
 だが、それは騎士としての誇りと引き換えだ。
 それを寛恕するような男ならば、あの乱戦の中真っ先に、本軍につき進む代わり、砦を守るため軍を翻すという決断を下せたろうか。
 否。
 そうして予想どおりに、回答は否定的なもの。
「提案の意は理解した。しかし、それはできぬ相談というものだ」
 騎士としての誇り。
 国から託された全権。
 それを捨て去ってまで命にしがみつくことを、良しとしない道理。
「トライドラは聖王国を守護する盾だ。それが死戦になろうと、戦を放棄などできん!」
 けれど、大勢の兵士を預かる身として、それは苦痛を伴う選択でもある。それをすれば、自分のみならず、彼らの命までをも失わせることにつながる。
「そのために貴下の兵士をことごとく殺すか? シャムロック!?」
「……くッ……!」
「とはいえ」、
 呼吸をひとつ。
「貴殿の決意、騎士として当然の道理。俺の本題はここからだ」
 そこに訴えれば間違いなく、彼は応じる。 
 ルヴァイドは、そう確信していた。そしてそれは、自分にとっても望むべき展開である。

「貴殿と俺の一騎打ちによって、この戦を決したい!」

 負ける気はしない。つもりもない。
 相手がそうであるように、自分とて、殺させなどしたくない部下たちがいるのだから。
 そうして、それは他人の命を預かる者ならば、等しく通じる気持ちなのだから。

 ならば。
 己ひとりの命で、部下たちの血を流させずに済むのなら。
 以前も同じようなことがあった。まだ、が自分のもとで笑っていたとき。
 泣きだしそうな顔で、それでも笑って。見送ってくれていた光景。まだ薄らいでいない、近く遠い過去の映像。
 ――それが後押しになる。

「騎士の名において誓う。勝敗のいかんに関わることなく、砦の兵士に危害は加えぬと!」

 返答はいかに――!


 堂々とつむがれるルヴァイドのことばは、少し離れた場所にいるたちの処までよく聞こえた。
 これで血が流れずに済む、と、とアメルは顔を見合わせる。
 彼女たちだけでなく、他の何人か――トリスやマグナ、レシィ、ルウなんかもほっとした顔。
 けれど、そんな彼らに水を差すようなネスティの声が、同時に発される。
「あれは嘘だ……奴らのやり口を考えれば、約束を守るはずがあるものか……」
 決め付けるようなその云い方に、正直カチンときた。
「でも、湿原のトキにはあの黒騎士は約束を守ったよ?」
 だから、まるで代弁してくれるようなミニスのことばが、とても嬉しい。
「たしかにそうですが……僕らの村を焼き討ちにしたこともある。今回もそうとは限りませんよ?」
 けれどもまた、ロッカのことばに気持ちが沈む。
 覚えている。 
 あの炎の夜、むせるほどの煙、人の燃えるにおい。いくら年月を積み重ねても、薄らぎはすれど消えるコトはないだろう記憶。
 少し顔色の悪くなったアメルの肩をさりげなく支えてやりながら、モーリンがフォルテの方を向く。
「あんたの友達は、そのへんが判らないような男じゃないんだろ?」
 こくり、フォルテはうなずいた。
 うなずいた――が。
「……そうだ。あいつは判ってる。けどな」
 先程から握り締められたままのフォルテの手のひらは、血の気さえ失っている。
「判っていたとしても――」
「あっ!?」
 ケイナが砦の方を指差す。
 視線をフォルテから放して、そちらを見やると。
 ルヴァイドの待つ門の前に、たった今。シャムロックが姿を見せたところだった。

 ふたりの騎士は向かい合う。手に、各々の大剣を携えて。
「……部下の命の保証、偽りはないだろうな?」
「俺も兵を率いる将だ。貴殿の意を踏みにじるつもりはない」
 白き騎士の問いかけに黒き騎士が応じる。
 その返答を受け、そうして。

「ならばお相手しよう」

 シャムロックが深くうなずき、そう告げた。

 同時に、互いは剣を構え向かい合う。少々開きすぎとも見えるその距離は、おそらくは間合いを測るため。
「トライドラ騎士の剣技。しかとその目に刻みつけられよ!!」
「存分に楽しめることを願うぞ!!」
 同時に、彼らは地を蹴った。
 一気に間合いが詰められる。
 金属同士のぶつかりあう音が響き、次の瞬間には立ち位置を入れ替え、再び彼らは対峙した。
 今の一瞬。互いに、侮れぬ相手と悟ったのか、容易に攻撃に移ろうとしない。

 始まってしまった。この場の明暗を分ける、互いの将による一騎打ちが。


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