準備万端、お天気良好。
今回はフォルテの知り合いに逢いに行くだけなのだし、周辺の黒の旅団の偵察はファミィさんが追い払ってくれてるし。
道中野盗の類に出くわさない限り、平和な旅になるだろうと、誰もが信じて疑わずにいた。
心配されていたアメルやネスティも、いつもどおりに戻っていたし。
ケイナとフォルテの夫婦(?)漫才も相変わらず好調だった。
それを見て、カイナがちょっと心をいためる一幕もあったけど。
「私の知っているケイナねえさまは、巫女として己を高めることを第一にしていて……必要以上に男の人を近づけないような御方だったんです」
なのに……
ぽつりと漏らされたそのひとことに、全員が、今まさにフォルテをどついているケイナに視線を集中させる。
「……記憶喪失ってのは性格まで変えちまうもんなのかね?」
紫煙をくゆらしつつ、レナード。
さりげなく、彼からは風上になる場所を歩いていたなぞ、そのことばにぴくりと反応する始末。
いや、だって。
もし今のあたしの性格が、記憶なくす前と180度違ってるトカだったら、記憶戻ったときに混ざって混乱したりしちゃうかも?
「でもさ、全員が全員そうってワケでもないだろ?」
ちらりと、そんなに目を移して、これはマグナのセリフ。
「えっと。さんもケイナさんも、きっと記憶が戻って性格ちょっと違ってても、良い人のままですよ」
にこにこ、レシィがあとをつづける。
ありがとうマグナ。ありがとうレシィ。ナイスフォロー。
と、が思わず手のひら握りしめていると、視界の端に、妙に意地悪げに笑うバルレルの姿が映った。
「でもって記憶が戻ったら、代わりにオレたちのことを忘れちまってめでたしめでたし……と」
「バルレルっ!!」
いくらなんでも聞き逃せなかったのか、トリスが厳しい声でバルレルを呼ぶ。
それは、もケイナも、同時に抱えていた不安。
だが、前を行くケイナに目をやると、彼女は幸い、こちらの会話は聞こえていなかったらしい。ただ、トリスの大声に何事かと振り返っていただけ。
過去の記憶を取り戻す、その代わりに、記憶をなくしていた間のことを忘れてしまう。
よくあるコトだと、何かの本で読んだ。
冗談じゃない。
忘れたりするものか。
記憶がないせいでイロイロ不安だったりしたコトは多いけれど、今までの気持ちは全部、自分にとって大事なモノだと、胸を張って云えるから。
「ンだよ、ありえねぇ話じゃねぇだろうが」
ふと。トリスの勢いに気圧されたのか、あわてて避難したバルレルが、小声でつぶやいているのが聞こえた。
だから、ちょっと歩く方向を変えて、彼の横に並ぶ。
「だいじょうぶ」
「あ?」
「ぜぇったいに。忘れないもん。こんな大事な気持ち、忘れたりしないよ。ケイナさんだってきっと同じ」
「ケッ、そうかよ」
自信満々に云い放ったのことばに対するバルレルの返事は、やっぱり憎まれ口だったけれど。
……仏頂面の口の端が、ちょっとだけ緩んでるのは気のせいじゃないよね?
それに気を良くして、バルレルの手をとってみる。
驚いてこちらを見上げるバルレルに、にっこり笑ってみせて。握った手に力をこめた。
振りほどかれないかどうか、実はちょっとだけ不安ではあったけど。
「……ガキ」
珍しく、たったひとことだけを返して、バルレルは、手をそのままに預けてくれた。
それから、森の外には初めて出たらしいルウが、初めて見る外の世界に感激していたり。
ドコまでも広がる草原や地平線、それから、木々に遮られずに視界を覆う蒼穹。
「も、そんなふうに思った?」
道端の花さえ、立ち止まって眺めながら、ルウが問う。
ついつい遅れがちになってしまい、あわてて走って一行に追いつくコトがもう何度あったか。
それでも目を奪われてしまうのだろう。日の光を、その恩恵を、あますことなく浴びている世界の姿は、ルウにとって未知の光景なのかもしれない。
せっつくバルレルの手は放してやって、代わりに、ルウと一緒に花を見ているハサハの横に並んだは、ルウの問いに首を傾げた。
「あたしも?」
「うん。記憶がなくって初めて見た世界は、どんなだった?」
初めて見た世界――
そういえば、と思う。
初めて目にするという条件では、あのときの自分とルウは、似ているのかもしれない。
だけど……
「……おねえちゃん? 何かおかしいの……?」
不意に笑いをこぼしたを、今度はハサハが首を傾げて見上げてきた。
「ルウの質問、何かおかしかった!?」
「あ、ううん、違うの」
田舎者だと思ったと考えたのだろうか、妙にあわてているルウがかわいい。
「ルウは、強いなって思ったの」
あのとき自分はどうしてた?
見たコトのない世界、見たコトのない村、見たコトのない人たち。
今のルウみたいに、すべてを楽しんでいられた?
――答えは否。
どれだけ切羽詰った顔をしてたのか、どれだけ不安に怯えていたのか、もうそんな記憶もおぼろげだけど。
……改めて、感謝。
放り出されてもしょうがなかったのに、迎え入れてくれたアメル、リューグ、ロッカ。それからアグラお爺さんに。
ありがとう。
おかげで、こんなに大切な気持ちを抱ける人たちに、逢うコトが出来た。
不意の褒めコトバに、ルウがしばらくきょとんとして。それから、かぁっと赤面した。
「もう! なんでってそんなに天然で嬉しいコト云えるの!?」
「天然って……」
それは褒められているのか突っ込まれているのか微妙なトコロですな……
だけど、自分の思ったことはきっちり伝えたい。
そろそろ歩きださないとみんなに置いていかれそうだったから、とりあえずルウの手を引いて立たせながら、答える。
「だって、ずっと森の中にひとりで暮らして――寂しかったと思うけど、でもルウ、笑ってるから。初めて見る世界に、怖がってないから。だから」
だから強いなと思う。
そう云うと、ルウはやっぱりきょとんとして、――笑った。
「寂しくなんかなかったよ? ペコたちもいたし、何より、あそこはルウの……アフラーンの故郷だからね」
だけどね?
「今こうしてみんなと一緒にいちゃうと……いつかあの森にひとりで戻るかもしれないって思うと、ちょっと寂しいな」
知ってしまったから。
大勢の人と笑いあえる心地よさを知ってしまったから。
触れ合える近さにいつでも在る手。自分から離れていくコトは、出来なくはないだろうけど、……したくない。
「……そうだね」
うなずいて、ルウの手を握りなおす。
反対側の手には、ふたりを待っていてくれたハサハの手を繋いで。
「おーい!! いい加減にこないと置いていっちまうよ!!」
「あっ!」
「うわ! 急ごう!」
かなり距離を置いた場所から叫ぶモーリンの声に、顔を見合わせて走り出した。
手を伸ばしてくれる人がいる、手を伸ばせば応えてくれる。
一度、知ってしまったこの暖かい気持ちを、自分から振りほどくコトは、――出来るかもしれないけど、きっと出来ない。したくないね。
そうしてそのときまではまだ、穏やかな道中だったのだ。
――それが覆されるのは、そこへ、辿り着いてからのこと。