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第13夜 伍
lll 全力疾走逃走劇 lll



 ところで、噂のは何をしているかというと。

 ダダダダダダダダダダダダダダダダダッ

「なんでこーなってるのかなぁっ!?」
「ごめんね……ユエルが全部悪いんだ……」

「待てー!! 食料泥棒どもー!!!」

 …………追いかけられていた。

 買出しをすませて旅立っていったエルジンとエスガルドと別れ、ちょっと道場を見てくるというモーリンと、下町にある一軒の店の前で待ち合わせていたまでは良かった。
 座っていたトコロを不意に後ろから引っ張られて転倒しかけたけれど、犯人は、なんとユエル。だからして、再会を喜ぶ気持ちの方が大きく、これも良かった。
 だけど。
 お互いの近況でも報告しようと、口を開きかけた刹那。
 目の前の店から、打ち水でもしようとしたのか、水の入ったバケツを持って出てきたご主人が『食料泥棒!!』とユエルを指差して叫んだのは――良くないだろう、あからさまに。

 反射的に逃げ出したユエルを追いかけて走り出してしまったため、まで仲間だと思われたらしい。
 だからと云ってこのまま逃げ切れる自信はないし、万一逃げきってしまえば今後ファナンに入りづらくなるコト必須。
 どうしようかと迷ったときだった。

「ちょいと待ちな!!」

「あ!?」
「きゃぅっ!」

 横手の路地から滑り出してきたのは、待ち合わせしていたはずのモーリンだった。
 数歩たたらを踏んだものの、なんとか止まったを尻目に、モーリンはユエルを押さえ込む。ナイスフットワーク。
「モーリン!」
 さすが地元人同士。馴染みの顔を見つけて、追いついてきた人々も止まる。
 彼らに捕まえたユエルをまず見せて、それから呆れた調子で、モーリンはを見た。
「……何してんだい?」
「追いかけられてました」
「モーリン、そいつらは食料泥棒なんだよ!」
「そうだ! この間からずっと、うちは被害にあってんだ!!」
 素直に答えるの後ろの人々のなかから、声があがる。乗じて、全員がそうだそうだと騒ぎ出した。
 けれど、それを片手をあげて黙らせるモーリン。
 姐御の貫禄があるというかなんというか。
「こっちの子は知らないけどね」、と、首根っこひっつかんだままのユエルを軽く持ち上げてみせる。
 それからを指差して、
「この子はあたいの連れだよ。そんなコトする人間じゃない」
 だいいち、久々にファナンに帰ってきたばっかりなのに、泥棒する暇なんてあるものか。
「なら、なんでそいつと一緒に逃げてたんだ!?」
 納得行かないらしいひとりが叫ぶ。
「そいつを、あたいも訊こうと思ったんだよ……もしかしなくても、知り合いなのかい?」
 ことばの終わりは、に向けてだった。だから、こくりと頷く。
 それから、まだモーリンの腕で宙にぶら下げられたままの、ユエルに目を移した。
 泣き出しそうな彼女と視線がぶつかったけれど、正直泣きたいのはこっちのほう。
「ユエル……聖王都で、あたしたち云ったよね? ものをもらうにはお金が要るんだよって」
「覚えてるよっ、ユエルちゃんと覚えてたもんっ!!」
 つい非難するような口調になってしまったのことばのせいか、とうとうユエルの瞳に大粒の涙が浮かび上がる。
 だけど、強い調子でそう反論したあと、耳を伏せて俯いて。
「……だけど、お金、ドコにもなかったんだもん……あちこち捜したのに、なかったんだもん……!」
「…………!」
「そんなしてるうちに、おなかすいて、どうしようもなくって、だから、ユエルっ……!?」

「……ごめん」

 モーリンからユエルを受け取って、抱きしめる。
 より小さい背丈の、震えている……こんな云い方は好きじゃないけど。はぐれ召喚獣の、子。

 ――この子は、お金がどんなものかも知らなかったんだ。

 記憶がなくても日常生活に支障がない程度の知識を、幸いにも、は持っていた。
 だからか。ユエルがどこまでこの世界について知っているのか……どこまで知らなかったのか、思ってやれなかったのは。
 当然知っているはずだと思って、確認さえもしなかった。
 自分の方がよほど無知。考えなし。

 教えてあげれば良かったと思うけど、もう遅い。
「ユエル。ごめん」
 そこまで考えが至らなかった自分を責める以外に、何が出来るというのだろう?
 ユエルのことばに、きつく目を閉じてユエルを抱きしめるの姿に、街の人々も何も云えなくなっていた。
「……ま、まあ……それならしょうがない、よなぁ」
「そうねぇ……知らなかったですまされることじゃないけど……」
「でも……しょうが、ないわよね」
 ざわざわ、ざわざわ。
「だけど、このままじゃあ、また同じコトをしかねないな」
 ひときわはっきりと聞こえたそのことばに、とユエルは同時に身をすくめた。
 力の抜けていたはずのユエルが、ぎゅぅっとにしがみついて、頭を押し付ける。首を横に振る。無言の恐怖。
 それを吹き飛ばすような明るい声がしたのは、そのすぐあと。

「じゃあ、うちにくるといいじゃないか」

 不意の優しいことばに、ぱっと顔を上げて見れば。髪を結い上げた、いかにも働き盛りの女将さんっぽい人。
 ことばの意味が咄嗟につかめないでいるたちに、軽く笑いかけてみせる。
「食べ物を分けてあげる。寝る場所もうちに決めればいいよ」
 ただし、その代わりにうちの店の手伝いをしてもらうけどね?

 ことばが出なかった。
 ただただ、嬉しくて。自分のことのように、嬉しくて。
 自然笑顔になって、まだ呆然としているユエルを見る。
 の表情に驚いたのか、ますます目を丸くしている彼女を、さっきとは別の意味で抱きしめた。
「ユエル。もう、盗んだりしなくていいんだよっ!」
「え!?」
「あの人たちがね、ユエルがお店の手伝いをしてくれたら、その代わりにご飯や寝る場所をくれるって!」
 のことばにうなずく、先程の女性。
 ユエルの表情が変わる。
 すとんとの腕から抜けて、その女性を見て、それから、モーリンを見た。
「……ほんとに?」
「ああ、そうだよ」
 まだ半信半疑のふうだったユエルが、うなずいた女将さんのことばに、今度こそ表情を輝かせた。

「…………ありがとうっ!!」



「ファナンの人たちって、ほんとうに親切だね」
 ユエルとの別れは名残惜しかったけど、まだ行くべきところがあるからと自分を納得させ、再びルウの家へ戻りながら、は上機嫌でモーリンに話しかける。
 地元を褒められればやはり嬉しいのか、モーリンもにこにこ顔。
「ああ。ちょっと気が短いのもいるけどね。みんないい奴ばっかりだよ」
 そう云って、ふと。に向けられる視線。
「何?」
「いや、あんたもなかなかトラブルに出くわしやすい体質なんだなと思ってさ」
「なにそれっ!?」
 思いっきり心外なことばに反論したものの、モーリンはくすくす笑ってる。おまけに、むぅ、とむくれたを見て、さらに笑う始末。
 別にバカにされているわけじゃないのは判っていたから、それ以上ムキになるのもなんだかなと思って、空を見上げた。
 とたん飛び込んでくるのは、目を射抜くような、どこまでも澄み渡る蒼穹。

 久々に晴れた気持ちにふさわしい、良い天気だった。

 ――こんな、一時の安堵も、気持ちも。
 このあと、ローウェン砦に待ちうける嵐の前の静けさだと、このとき誰に予想出来たろう。


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