一行は、もくもくと食事を済ませていた。
横になっているアメルの面倒を見ているのはケイナだから、彼女だけはここにいない。
……当然だけど、食事の場の空気が重い。
「アメルの具合はどうでした?」
沈黙を打開しようとしたのか、それは判らないけど、ロッカが話しかけてきた。
「……だいじょうぶだと思うよ」
さっきのアメルを思い出しながら答える。
笑ってくれた。無理矢理かもしれないけれど、アメルは笑ってくれたのだ。
だけど、そんなコトまだ誰も知らないから、のことばだけでは、まだ雰囲気は払拭しきれてない感がある。
「ねえねえ」
こちらは、積極的にこの雰囲気をどうにかしたいのだろう。
ミニスが、やけに明るい声で。
隣で事情を飲み込めないまでも、どうしたものかという顔で食事を進めていたエルジンに話しかけている。
「エルゴの守護者って、やっぱり、あの、エルゴの守護者なの?」
そういえば、と思い出す。
結局あのあと、なし崩しに帰ってきてへたりこんで、
気になっていた単語だったのに、今の今まで忘れていた。
「あたしも訊きたいな……」
アメルには申し訳ないけれど、疑問に思ったコトを放っておくのも好きじゃない。
話に乗ってくる人間が出たコトに、ミニスの顔も明るくなる。
ちょっとだけ、部屋の空気が和んだ。
先に食事を終えていたカイナが、エルジン、エスガルドと顔を見合わせて、一同を見渡す。
ふと漂う、静謐な空気に呑まれるように。は食事を続けていた手を止めて、話を聴く体勢に入った。皆も同じように。
「エルゴとは、すなわち世界の意志。そしてエルゴの守護者とは、そのエルゴによって選ばれ、加護を受けた存在なのです」
……エルゴ?
そもそも、そこからして、には聞き覚えのない単語なのだが。
どうも訊ける感じではないので、とりあえず後回し。
「僕たちはそれぞれの加護を受けた世界のエルゴの代理人となって、この世界が異世界の力により混乱することのないよう見張ってるんだ」
「サプレスとシルターン、メイトルパにロレイラル?」
確認するようにつぶやいたの横で、ルウがこくりとうなずく。
それから小声で、
「エルゴの王の伝説よ……遠い昔、その4つの世界のエルゴが彼に力を貸してくれて、リィンバウムに平和が訪れたの」
遠い昔、訪れた平和って……リィンバウムは戦争でもしてたんですか?
と、阿呆なコトを訊きかけて、あわてて記憶をひっくり返す。
そういえば、ルウが、悪魔や鬼たちに狙われていたと云っていたから、たぶんそのことなんだろう。
「で、そのときエルゴは自分の力をリィンバウムに残してくれたんだ。この世界を守る結界の要としてさ」
それに加えてマグナが補足。
「その守護者が、あの人たちってわけみたい」
これはトリス。
兄妹とルウの説明に、ようやく合点はいった。いったけど、
「ふたりとも、どうして知ってるの?」
特にマグナなぞ、昨日は一緒に首を傾げた仲間であるとゆーのに。
首を傾げてそう問えば、
「「ネスティに教えてもらった」」
「うわ。ずるい」
声を揃えた抜け駆け報告に、思わず涙するだった。
「そうなのです」
にっこりと、カイナがマグナとトリスの話に同意を表す。
「そうして私たちは、いざ事あらば災いの原因を探り、それを取り除くお役目を担っているのですよ」
「……ふぅん……」
気のない返事になってしまったけれど、これでも充分驚いている。
いや、逆にスケールが大きすぎて、驚きの域を越えてしまったと云った方がいいのかもしれない。
頭の中で、今耳にした単語がぐるぐる回る。
エルゴ。世界の意志。
エルゴ。その守護者。
……守り、護る。そのための存在。
りん、
――縛られたままで、永遠に、変わる事なく。魂が輪廻にある限り、貴方はそのままなのですね。
――どうして……そう笑っていられるのです。それは名誉でもなんでもない。捕らわれていることに変わりないのでしょうに……!
――気にくわねぇんだよ! だからブチ壊してやろうってんだろ!!
――テメエ一人を縛りつけてる上に安穏としてやがる世界に、テメエは何を思ってるっていうんだよ!!
――それでも、わたしは……
「…………」
……なんか今、今朝の夢だか音だかを思い出したような……
えーと……
…………ダメだ。思い出せない。
思い出せない夢のことは置いておいて。ふと、思いついて尋ねてみる。
「ねえ、リィンバウムにもエルゴってあるの?」
「ありますよ」
「あはは、やっぱり? リィンバウムにだけエルゴがなかったら仲間はずれかと思っちゃった」
「ンなこと考えんのテメエだけだよ」
バルレルが、呆れたように笑う。
ふんわりと、場の空気がやっと、いつもの雰囲気に戻った。
うん、これが良い。
ヤなコトあっても、それにばかり気持ちを捕らわれていたままじゃ、きっと前には進めないね。
「その守護者の君たちが、何故こんなところに?」
こんなところって何よ、と、森の住人であるルウがむくれているけれど、あえて無視してネスティが問うていた。
てゆーかネスティさんもーちょっと女の子、というか地元の人の気持ちを考えましょうね。
問いに答えたのはエルジン。
「悪魔の動向を調べにきてたんだよ。最近、あちこちで悪魔が関わったような事件が急に増えてさ。こうして調査してるわけ」
「その一環として、こちらの森を訪れたのです……そうしたら」
「まさに悪魔と交戦中の、俺たちに出くわしたってわけか」
ことばを続けたフォルテに、軽くカイナが頷いていた。
伝説だ、伝説だと騒がれている割に、今目の前で話している『エルゴの守護者』たちは、自分たちとなんら変わるトコロはなかった。
そのコトにちょっとだけ、親近感を覚える。
……親近感。うん、そうだよ。それだけ。
何かにつけて懐かしい感覚炸裂中だからと云って、こういう人たちにまで、それ感じてどうするよ、あたし……
「それにしても、そんなに悪魔がホイホイ出てきてるの?」
怪訝な表情のルウが、また質問を放つ。
この際だ、聞けるコトは全部訊いてしまえとばかりの勢い。
まぁ、エルゴの守護者というからには、一般人よりそういう事情には詳しいだろうということもあるのだろうが。
「数よりも、悪魔がそう易々と人間の前に姿を現すようになっているのが問題だということじゃないのか?」
これにはエルジンたちでなく、ネスティが回答した。というより、推測だろうけど。
そうして、それに同意の頷きが返ってくる。
「イカニモ。ハグレ悪魔トシテモ、元々ソウ目ニサレルコトハナカッタ」
「それが最近、急に目撃例が増えてるんだ。変だと思うでしょ?」
エルジンとエスガルドのことばに、一同うなずいた。
そこに、カイナが補足するように、「推測ですが」と切り出す。
「今からひとつ前の季節の巡りに、霊界サプレスの魔力がリィンバウムに向けて大量に流れ込む事件があったのです……おそらくは、それがきっかけで悪魔たちが力をつけたのではないかと思うのですが……」
見た目どおりに、おっとりと、発されたことば。
それから。
ひとつ、ふたつ。
間を置いて。
「それは……もしかして、『無色の派閥の乱』じゃないのか!?」
驚きを隠せないネスティの声が響いた。
……すみません、なんですかそれ。
事情を飲み込めない顔の。それから、レナードやモーリン、護衛獣たち。
どうやらそこで納得できたのは、蒼の派閥出身であるメンバーだけのようだった。
不思議なのは、フォルテがあまり驚いた様子を見せていないこと。
冒険者だから、そういう公にならなかった話なんかにも通じていたりするんだろうか。
カザミネも落ち着いたものだけれど、この人はもともとそういう感じだし。スルゼン砦で男のロマンをフォルテと語り合っておられた記憶も、ないではないけども。
「俺も、それなら知ってる。派閥から盗まれた『魅魔の宝玉』を使って、魔王を喚ぼうとしたんだろ?」
「……魔王って」
マグナのことばに、思わず天を仰ぐ。と、事情を初めて聞いた他一同。
話がますます大きくなってますな。
「そうだ。そしてその奪還を命じられたのがミモザ先輩にギブソン先輩だったんだ」
「ミモザさんとギブソンさんをご存知なのですか!?」
ネスティのことばで、今度は逆に、カイナたちが驚いた顔になる。
「カイナおねえちゃん、この人たち、蒼の派閥の召喚師なんだよ。だから……」
「そ、そうなのですか……世の中は意外と狭いものなのですね」
意外なところで発見した接点。
「先輩たちを知ってるんですか?」
カイナと同じコトを、今度はトリスが問いかける。
うん、と、エルジンが頷いた。
「そのときの事件で、一緒に戦った仲間なんだよ。エスガルドも、カイナおねえちゃんも、ギブソンさんにミモザさん、それにそこのカザミネさんもね」
ね、カザミネさん。
「いかにも」
「それに、他にもたくさんの人……じゃないひとも含めて、みんなが戦ったんだよ。そして、君たちが知っているとおり、乱は終結したんだ」
にっこり笑うエルジンに、「そうでござったな」カザミネが口元をわずかにゆるめて頷いた。
「そ、そうなんだ……!?」
今度はカザミネに、全員の視線が集中する。
なるほど魔王降臨の事件さえもくぐり抜けてきたというのなら、今の落ち着き具合も、ファナンで見せた『大砲の弾ぶった切り』とかいう人間離れした技も納得できる。いや、してしまえ。
――そしてふと、いつかギブソンが話してくれたことを思い出した。
信頼というものは、交わし続けてきた言葉の中から、自然に生まれてくるのだと。
それは時として、それは圧倒的な力でさえもはねのける強さとなるのだと。
もしもそれが、この人たちと一緒に戦ったのだという、魔王の事件を指しているのだとしたら。
……うらやましいなと思った。
エルジンたちの、お互いを見る目には、とても信頼し合っている色が見えるから。
自分たちが、信頼出来てない関係だと云うのではない。
何度も、命さえ危ない局面に当たったし、そのたびに力をあわせて切り抜けてきた。
――だけど。
自分は本当に、この人たちに信じてもらえるだけのものを持っているのかと。たまに思わずにいられない。
なくした記憶。
知らない過去。
黒の旅団への思慕と、今ともにいる彼らへの親愛。
全部取り戻したそのときに、真正面からこの人たちにも彼らにも、向かい合えるのかと。不安に思わずにはいられない。
「? どうしたの?」
「なに?」
どうしたのだろうとこちらを見た、ルウには笑って答えるコトが出来たけど。
ダメダメ。今は、そーゆーコト考えてる場合じゃないでしょ自分。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
うん、だいじょーぶさ。
そうこうするうち、それはだんだん如実になった。
カイナやエルジンたちのコトも判って、しばらく、ほのぼのとした空気が流れ出してはいたけれど、みんなどことなく、そわそわしているというか、落ち着かないというか。
当然出てこなければならないその話題に、触れたくないのがありありと判る。
その気持ちは判るのだけど、こうしていても何か進展するワケもないのであって。
結局。
「これからどうする?」
とうとう口火を切ったに、一同の視線が集まった。ちょっと緊張。
初対面苦手癖はどうやら沈静化していっているようだけど、こういうのはやはり苦手だった。
戸惑っているのやら困惑しているのやら、助かったといった感じのものやら。多種多様。
そんななか、どちらかというとほっとした顔をしていたロッカが、の方を見て、少しだけ笑う。それから表情を改めて、云った。
「アメルももう、お祖母さんの村をこの森で捜すのは諦めてしまったようですし……これに関しては、リューグがおじいさんを見つけてくれるのを待つしかないのかもしれません」
ついこの間ひとりで出て行った、双子の弟。
今ごろ、もうゼラムの近くまで行っているんだろうか。
ロッカの意見に、殆どの人間は賛成らしい。声に出しては誰も云わないけれど、なんとなく同意の空気が流れ出す。
だけど。ふと、モーリンが頬杖をついて口を開く。
「だけどその間、ただ黙ってじっとしているっていうのも、あたいは嫌だけどねぇ」
「おう、じゃあちと、俺の用事につき合ってくれないか?」
「「「え?」」」
ここぞとばかり、唐突に身を乗り出してきたフォルテに、また、全員の視線が一気に移動する。
と違って慣れているのか、さして動揺もしないフォルテはやはり謎な人物だ。
「ほれ、スルゼンの事件があったろ? あれのことを、ちとトライドラに報告しないとなと思ってな」
「……たしかに……あの事件を見ているのは、結局僕たちだけということになるか……」
ネスティが考え込む。
云われるまでもない。
あの砦の人々は、全員が屍人となってしまっていた。アメルの光で、大地に帰れはしたけれど。
今では、レナードとパッフェルだけが唯一の生き残り。
パッフェルに関しては、の場合、少々どころでなく素っ頓狂な目に遭わされた記憶の方が大きいが。
……本気で命の心配したぞ、あたしは。
「そうね、あの召喚師のコトを報告するだけでも良いかもしれないわね」
真っ先に、ミニスが頷いた。
さすが金の派閥の議長の娘というか。
そういうところの判断は、幼いながらたしかなものだ。
感情が混じると、とたんに収拾つかなくなるあたり、まだまだこどもなのだと思わせられるけども、そんなの差し引いてもなお、えらいなぁ、と思ってしまう。
そのの視線に気づいたミニスが、ふとこちらを見た。
「何?」
「なんでもないよ」
ほのぼの、と返す。
「でも、トライドラって結構遠いんじゃなかった?」
「トリス、よく知ってるね」
「こないだネスに散々叩きこまれたのよー。もう、あのときはきつかったー、慰めてー」
ぎゅぅ。
「あぁ、俺も一緒に苦しんだんだぞ、兄ちゃんをのけ者にするなよー。、俺もー」
ぎゅぅ。
「あんたら……」
だけど、人のぬくもりは嫌いじゃない。
触れてもらえると安心する。
だからして、トリスとマグナが抱きついてくるのを、ついそのまま受け入れていただけれど、
「ふたりとも。さんが困ってるでしょう?」
べりべり。
てっきりネスティあたりが『迷惑をかけるんじゃない』とか引き剥がしにくるかと思っていたら、行動に出たのはロッカだった。
しかも、マグナの扱いが何気にひど……あぁ、こら、人様を投げるんじゃない。
でも声には出さない。ロッカの笑顔がちと怖い。
一応助けようとしてくれていたのか、手を伸ばしかけていたネスティが固まっているのが見えた。
それを笑って見ていたフォルテが、「ちっちっち」と指を振る。
「トライドラまで行く気はねーよ。その手前にある、ローウェン砦まででいい」
「そりゃまた、どうしてだい?」
「砦にはな、俺の知り合いがいるんだ。そいつに話せば、トライドラまで報告が届くって寸法さ」
「知り合い? トライドラの?」
フォルテの顔の広さに、改めて感心させられる。
ただの旅の剣士だと思っていたのだが、そういう砦なんかに知り合いがいるあたり、なんだか最近謎の人と化してないか?
それとも旅なんかしてると、自然に顔が広くなるモノなんだろうか。
「じゃあ、とりあえず、そういうことでいいのかな……?」
この場にいない、ケイナとアメルのことが気になったけれど、そう口にしたのことばに、全員が頷いた。
「じゃあ、アメルには様子見のついでに話してきます。ケイナさんにも」
「おう、頼むぜ」
ロッカの提案にフォルテが頷き、他の面々はそれを見送る。
そして、がふと視線を転じると、ネスティが、どことなく安堵したような表情をしているのが見えた。
「ネスティ?」
「なんだ?」
「……なんでもない」
これ以上禁忌の森に関わらずにすむから、だろうか? 気にはなったけれど、追求しても嫌なコトを思い出させるだけのような気がして、はことばを濁す。
それを見たネスティは、きょとんとの方を見ていたけれど、ふっ、と表情を和ませた。
「おかしな奴だな」
「……悪かったですね」
禁忌の森に関ってから、おかしいのはネスティの方でしょーが。とは、心のなかでだけ。
やっぱり、笑ってる人を不機嫌にさせるコトはしたくない。
だからむくれたふりをして、そう返す。
が、それを見たネスティが、くつくつ笑い出すものだから、ふりが本気になりかけ――
「……『ケイナ』?」
る、それより一瞬早く。
ふと、カイナが口を開いてつぶやいた。
穏やかな彼女の声に、の気分も切り替わる。単純だとか云うなかれ。
だが改めて見てみると、怪訝な顔……と、いうよりも、何かがひっかかっているというか、なんというか。
「どうしたの?」
「あの、今、ケイナと仰いました?」
ロッカの云ったことばのなかから、ひとつの単語を提示される。
別にココで首を横に振っても何の意味もないので、はこくりと頷いた。
カイナの質問が聞こえた他の皆も、同じように首を上下させる。
「あの、その方はもしかして……」
そうカイナが云いかけたとき。
足音。だんだんと近づいてくる、ぱたぱたと、ひとり分の足音。
誰だろうと考えて――該当者は3人、確率は3分の1。
ドアが開く。
「アメル、もうだいじょうぶそうだからこっちに来させてもらったわ。ロッカもいるしね」
ひょっこり顔を覗かせて、そう云ったのはケイナだった。
開口一番告げられたそのことばに、今度こそ、ほっとした雰囲気が流れる。
だけどそれも刹那。
「ねえさま!!」
「「「「え?」」」」
今度はカイナの叫びに、一同別の意味で困惑のことばが漏れたのだった。
あっけにとられた全員の視線をものともせず、カイナは、その物腰から想像できないほどあわてた様子で、ガタリと椅子を鳴らして席を立つ。
ぽかんとしているケイナのすぐ目の前に駆け寄って、その両手をつかんだ。
心なし、というか明らかに目を潤ませて、
「やっぱり……! 私です姉さま! 妹のカイナですっ!!」
「え? えぇ!?」
いきなりの爆弾発言。しかも昨日出逢ったばかりの少女にそういうコトを云われ、ケイナも目を白黒させている。
そしてそれ以上に目をまわしているのは云わずと知れた、たちだった。
いやまぁ、たしかに今ふたり並べてよく見てみれば、服装とか似てるし。
顔つきなんかも似ている部分があると思えなくもないし。
っていうか結構そっくりさんだけど。たしかに姉妹って云われたら、誰も反論しないと思うけど。
でもケイナって記憶喪失で、っていうかそれは関係ないけどカイナはエルゴの守護者で…………
思考ぐるぐるぐる。
「…………どゆこと?」
完全にお手上げ、といった顔でつぶやいたフォルテのことばが、全員分の気持ちを代弁していたといっても過言ではなかったかもしれない。