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第13夜 弐
lll それはたしかにそこにある lll



 ケイナと交代して、湯浴みのためにロッカとも別れて歩いている途中の月を見て。ちょっとだけ足を止め、願った。
 どうか、みんなで幸せになれますようにと。
「……おねえちゃん……どうしたの?」
「ん? ちょっとお祈りをしてみましたー」
「何てお祈りしたの?」
 一緒に湯浴みしていたトリスとハサハの問いに、にっこり笑って答えた。
「みんなでね、幸せになるんだ、って」
、それはお祈りというか決意表明……」
 あははは、とトリスが笑う。つられてか、クスクスとハサハも笑う。
「決意表明ならそれでもいいやい、絶対幸せになってやるー!」
 ええ、ええ、ここで宣言しちゃいますとも!
 拳突き上げてそう云ったら、よけいにふたりが笑い出した。
 ちょっとどころか部屋に戻ることさえ忘れ、ひとしきり、その場を賑わせていると、どうやら次に湯浴みの順番らしいレシィとバルレルコンビがやってくる。
「あ、ご主人様。楽しそうですねー」
「なんだ、バカみたいな笑い声聞こえると思ったら、テメエらかよ」
 どうでもいいけど、ちびっこ護衛獣が3人揃うとやけに空気がほのぼのしくなるのは気のせいかなあ。
 云ったらバルレルあたりにどつかれそうなので、黙っていたけど。
 いたけど。
 むに。
「はひひやはるー!!!!!!」
「バカみたいな笑い声なんて云ったのはこのお口かー」
 むにむにむにむに。
 さすがにさっきの発言は聞き逃すワケにいかなくて、召喚主たるトリスが見ているとゆーのに、暴行に及んでしまいました。
 ちらりと横目で見たけれど、笑って見てくれてるから良いというコトだろうと勝手に解釈。
 と、意外に。
「だっ、ダメですよさん、あんまりバルレル君いじめちゃー!」
 ちょっとだけ身体を震わせながら、レシィが止めに入ってきた。珍しいなと思っていたら、
「バルレル君、あとで何するか判りませんよぅっ!?」
「あはははははは、そういうイミか」
「ちょっとバルレル? あんた人が見てない時にレシィに何してるわけ?」
 は笑って、トリスはバルレルを睨みつける。
「はひもひへへぇっ!」
 そう云ったあと、バルレルがぎろっとレシィを睨んだのは、幸いにしか見えなかったけれど。いや、だから。
 よけいに口を引っ張る手に力が入ったのも、当然といえば当然か。
「いへへっつっへんはろっ!!」
 何か気分が異常にノってしまって、手をいつ放そうかと考えていたところ、くいくいとハサハが袖を引っ張ってきた。だもので、それをきっかけに、バルレルを解放する。
 バルレルとレシィの問題に関しては、トリスにお任せだ。
 小首を傾げて見上げてくるハサハのかわいさに心揺らぎつつ、何か云いたそうな彼女のことばを待ってみる。
 引っ込み思案で口数の少ないハサハは、云うタイミングを逃すとそのまま黙ってしまうことが多いから、彼女が話そうとしているときはじっと待つのが暗黙のルールだ。
「…………おねえちゃん」
 ゆっくりとゆっくりと、ハサハは喋る。ことばのひとつひとつを大切にしているみたいに。
「……幸せな道を……歩けるといいね」
 そうしてゆっくりと、ハサハは笑った。
 つられるように、も、口元がほころぶ。
 それを見て、ハサハがまた、嬉しそうに笑った。そっと、の耳元に顔を寄せる。
「くろい、ひとたちも……いっしょに……ね」
「ハサハちゃん……」
 驚いて、妖狐の少女を見ると、胸元に掲げている水晶も一緒に視界に入った。淡く優しく輝いている、真球の結晶。
 そして、
「ハサハ……判るの。おねえちゃん……空っぽだけど、その気持ちはとても大事なものなの……だから、なくさないでね……?」
 もっと。びっくりした。だけど。
「……うん」
 ココロにふぅわりと、暖かいものが広がったから……も、笑って頷いた。


 それから。
 まだ騒いでいたバルレルとレシィ、トリスをなだめて部屋に戻り、残ってくれていたケイナと交代した。
 アメルは顔色こそ悪いものの穏やかに眠っていたし、もうだいじょうぶだろうとひと安心。
 明日の朝は早起きして見に来てくれるというケイナに礼を云って、ベッドにもぐりこんだ。そっと、アメルの髪をなでてやると、なんとなく、彼女の寝顔が落ち着いたものになる。

 それから。

 …………夢を見た気がする。
 遠く優しく懐かしい、だけど哀しみに染まった夢を。


  ごめん ね

 嘆く声、銀の音を、遠い夢に聴いた気がした――




 目が覚めたときには、目じりに涙が溜まっていた。まるで夢の残滓のように。

「……アメル、おはよう」
 ちょうどやってきたケイナを招き入れて、どうやら目を覚ましたらしいアメルにことばをかける。
 返事がないのは、予想していた。
「……」
 だけど、その代わり、もぞもぞと動く気配。
「気分は……ご飯、もってこようか? 食べられる?」
「……いえ、いいです」
、あなた朝食すませてらっしゃい。私たちの分持ってきてくれる?」
「ケイナさん、あたし……」
「ダメよ。辛いだろうけど、食事はちゃんととらないと……気持ちだけじゃなく身体まで弱ってしまうわ」
「……いえ、そうじゃなくて……はい」

 毛布を頭までかぶったまま、それでもうなずいたアメル。少しだけ顔を覗かせた、彼女とぱっちり目があった。
 やっぱりまだ、まなざしに残る不安は色濃い。
 けれど。
 ――にこり。
 かすかだけれど。ほんとうに、ほんとうにかすかだけれど、アメルはたしかに微笑んだ。

 アメルの声。自分を呼ぶ声。
 それに惹かれるように、一度扉の方へ向かった身体を、ベッドの脇に戻した。
 毛布のなかから、ゆっくりと伸ばされるアメルの手が、力はないけれど。でも確実に、の手を握る。……感じるぬくもり。
「一緒に、いてくれてありがとう」
「え?」
「……が隣にいてくれたから……」
「え? え?」
 判らないならいいの、とアメルは笑う。
 とりあえず、事情は飲み込めないまでも、彼女がもうだいじょうぶだろうとは、思えた。それに大きな安心を覚え、そっと笑い返すと、は部屋を後にし、
「……良かった」
 すぐに歩き出すことはせず、扉に背を押し付けて、ようやくそのひとことが、唇からこぼれたのだった。


 ケイナが不思議そうにこちらを見ているのに気がついて、アメルは扉から視線を戻した。
 昨日までの、暗い気持ちが嘘のように、どうしてか、今とてもすっきりしている。

 ……判ってる。その理由。
 うまくことばに出来ないし、当然説明なんか出来ないけれど。
「あたし、だいじょうぶです……」
 つぶやいたアメルのことばに、ケイナの表情が、微笑に変わる。
 もう少し寝ていなさいね、となでてくれる手を素直に受け止めて、そっと身体の力を抜いた。

 覚えているのはゆうべの記憶、夢うつつの記憶。
 が祈ってくれていた夢、それから――今のケイナと同じように、あたたかく、触れてくれたおぼろげな記憶。

 …………だいじょうぶ。
 リューグだけじゃない。ロッカだけじゃない。みんな、みんな。
 こんなにも、あたしの――ううん、お互いのコト。思ってくれる人たちがいる。

 あたたかい手が、そこにある。
 ともに歩く人が、ここにいる。


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