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第13夜 壱
lll 約束は、指きり lll



 たとえば、気持ちがとてもとても、落ち込んでしまっても。
 ずっとそのままの、わけはないから。
 だいじょうぶ。
 そう、心のなかで繰り返す。
 だいじょうぶ。

 曇っていようが雨が降ろうが、あげくに大嵐に見舞われようが。
 だいじょうぶ。
 いつか晴れる日がくるコトを、誰もがきっと、知っている。



 禁忌の森から、なしくずしに脱出してルウの家に戻った後、殆ど惰性で食事等済ませて。
 全員疲れきった様子で、部屋から一歩も出ようとはしていないなか。
 は、眠っているアメルの横で、ロッカと向かい合っていた。

 ……こないだは弟で今度は兄(二度目)か……

 とか考えて思考を紛らせてみようとするが、心に重石のように残っている、今日の記憶は薄らがない。
 思い出すのはアメルの顔。
 表情もなく、何を見ているのか判らず、だけれど唯一の救いは、涙を流せていたということ。
 ココロが壊れてしまうようなコトには、なっていなかったということ。
 ……見ているこちらが、痛くてたまらなくなる表情だったけれど。

 もういいです、と、アメルは云った。

 これ以上、危険を冒して村を捜すことはない、と。
 自分の我侭に、みんなを巻き込むわけにはいかない、と。


「……我侭なんでしょうか。自分の祖母を捜したいと云う気持ちが」

 同じようにそのことばを思い出していたのか、ロッカがつぶやいた。
「そんなコトないよ。あたしだって、自分のコト思い出したいと思うし、それを、我侭って考えたコトない……」
 そのことで迷惑をかけてしまえば申し訳ないと思うけれど、もしかしたら自分勝手かもしれないけれど、それを求めるのは当然と思う。
「この子は優しすぎるんですね……いつもいつも、相手のコトばかり考えすぎてしまう」
「……うん」
 アメルを起こさないように、小声の会話。
 もう少ししたら、ケイナと交代するのだけど、その間までは傍にいてやりたかった。
 ロッカとふたりきりとゆーのも、それはそれで緊張するものなのだが。

 いや、なんたってロッカには黒の旅団総司令官さんに笑いかけたあたしの姿を見られてますし?

 実は冷や汗が背中を伝っている感覚が消えないだったけれど、ロッカはそれどころじゃないのだろう。
 大事な家族がこんな状態だというのに、何も出来ない。そんな自分を、もてあましているように見える。
「こうなったら、リューグに期待するしかないですね……」
 飛び出していった弟の名前を出して、ロッカがうつむいた。
 その様子が、なんとなく。
 村が見つからなかった落胆以上のコトを含んでいるように、からは感じられた。
「どうしたの?」
 だから、つい、問うてしまったのだけど。

「いつも」、

「え?」
「いつもこうだったな、と思って」
 怪訝な顔になったを、けれど見ようともせずに、淡々と返されることば。
 いつも落ち着いた人だと思っていたけど、今日は落ち着いているというより、元気がない。

「リューグの奴、何かあると真っ先に飛び出して……僕がおかげで尻拭いさせられたことも少なくなかったんですけど」

「あはは、お兄さんの辛いトコですか?」
 笑いが乾いたものになったのは、この際しょうがないとしておこう。
 ロッカも気にしていないみたいだし、というか、ちゃんとの声が聞こえてるのかも怪しいし。
「だけど」
 かすかにこぼれるため息の音。

「あいつを待ってる間、いつも思ってたんです。どうして僕が行かなかったんだろうと」
 どうして、そうすれば良いと判っていても行動に踏み切れないんだろうと。
「……今も思ってます」


 ――今。
 こんなこと、に話してどうなるわけでもない。
 むしろただの愚痴なのだから、聞かされる彼女の方が迷惑だ。
 判ってるけど。
 悔しい。
 アグラバインを捜してひとり旅立った、リューグが今、こうして此処にいるだけの自分より、よほどアメルのために動けていると思うから。
 大切な妹のために、何も出来ない自分と違って。
 ……悔しい。
 考えるコトは意外と同じ。意外と似てる。
 なのに、リューグの方がいつも素早く行動して。残された自分は、いつもこうして結果待ち。いったいいつから、逆転したんだっけ。
 不甲斐ない。
 視界の隅に入るのは、焦燥したアメルの寝顔。それにさえ、責められているようだ。
 椅子の背に向けて座ったまま、なお深くうつむいて、頭を背もたれに押し付ける。
 だから、が席を立ったのが見えなかった。
 その腕が、自分の頭にまわされるまで、気づかなかった。

「……さん?」

「だいじょうぶ」

 顔を上げようとするロッカの頭を、ちょっと無理に押さえ込んだ。
 意図を察したのか、すぐにロッカは力を抜く。
「だいじょうぶ、ですか?」
 少しひび割れた、くぐもった声。
「うん。だってね」
 片手をずらして、ロッカの背をなでてやる。
 思ったより広いその背中に、あぁ男の人なんだなぁ、と、埒もない実感を抱いた。
「だってリューグは、ロッカがいるから飛び出せるんだと思う」
「……?」
「自分がいなくても、ちゃんと、アメルのコト守ってやれる片割れがいるって判ってるから、後ろはロッカがフォローしてくれるって信じてるから、奔放に動けるんだよ」
「そう……でしょうか」
 こくり、うなずいた。身体が接しているから、その動きはすぐにロッカに伝わる。
「同じコト出来ないからって、気にしなくてもいいし、そんな必要もないと思う。リューグは自分に出来るコトだと思ったから、そうしたんだよ。ロッカも、ロッカにしか出来ないコトがあるよ」
 アメルのコト。
 同じくらい大切に思ってるって、双子はお互い判ってる。きっと。
 だから片方がいなくても、片方が残っていれば不安はない。
 後ろをフォローしてくれる存在がいるというだけで、どこまでも行ける。
 きっと、リューグは。口に出しては云わないけど、ちゃんとロッカをアメルと同じくらい大切にしてる。……兄弟として、信頼してる。

 実際、ロッカは考えてから動くけど、リューグは動いてから考えるっぽいし。超絶に個人的見解として。

 まあ要するにだ。
 彼らは彼らとして釣り合いがとれてる関係だな、と、にしてみれば思えるわけなのである。

「だからね、だいじょうぶ」

 胸を張って、自分にしか出来ないことをやろう。
 人がやってるのと同じようにする必要なんてきっとない。
 何が出来ないと悔しがる前に、何が出来るかと捜してみよう。

「だいたい、これでリューグとロッカがセットでアグラお爺さん捜しに出たら、アメルが寂しがってしょーがないでしょ?」
 家族なんだから。


 きっと、何気なしにそう云ったんだろう、のことば。
 それは、ふと覚醒した聴覚へ、ちょうど、届いてた。
「……」
 まだ気だるさを覚える身体を、アメルは少し強張らせる。
 家族。そのことば。
 ロッカは頷いてくれるのだろうか――それがどうしてか、怖かった。だから、再び襲いかかろうとする睡魔に抵抗した。
 祖母の住む村はなかったから。お爺さんのことを、気持ちを、信じているけれど。逢えると信じた肉親に逢えなかった衝撃は、大きかったのだ。
 リューグとロッカとは兄弟みたいに育ってきたけど、血のつながりがないことを、どこかで気にしていたのは本当。

 だから。
「そうですね。大事な妹、悲しませちゃいけませんよね」

 涙が出るかと、刹那、思った。

「……さんは?」
「勿論」
 自信たっぷりに、返されるのことば。
「血のつながりとか、家族とか、そういう分類できないけど。世間一般で普通に云う友達以上には、あたし、今一緒にいるみんなのコト、大事だもん」
 ロッカもでしょ? と続けられる、ことば。
「ええ」

 ――涙が。出るかと思った。

 毛布に深くもぐりこもうと身じろぎすると、とロッカが、揃ってこちらを見る気配。
 起こしてしまったかとあわてているのが判って、ふと、表情が緩んでいるのに気がつく。
 じっとしているうちに、今度は、起こさずにすんだと安心しているのが伝わってきたから、ふきださないようにするのに苦心したけれど。

 おやすみなさい。心のなかだけでつぶやいた。
 ありがとう。
 そしてアメルはもう一度、今度は凪いだ気持ちと一緒に、伸ばされる睡魔の腕に身を委ねた。


「……」

 アメルを起こしてしまったかと、固まったまま、しばらくじっと見ていたものの、どっこい、彼女が起きてくる様子はなかった。眠りが浅くなってただけなんだろう。
 ほう、と息をついて。それから、まだロッカにまわしていた腕を、あわてて放した。
 ……のだけど。
「ロッカ?」
 いつの間にまわされたのか、ロッカの腕が、逆にの身体にまわされている。
「もしもーし?」
 ちょいちょいと頭をつついてみるけど、反応なし。
 ……わざとやってるなこの人……
 本気になって引き剥がそうと、肩に手をおいて力を入れた――と、同時。素早く腕を解いたロッカが、今度は肩の手の方をつかんで。
 やっと、顔を上げて。笑みを見せてくれて。
 それはいいのだ。
 それはいいのだけど。なんか笑みに黒いものが混じってるように見えるのは気のせいでしょうかってかむしろ気のせいであっ……

 ちゅ。

 …………………………は?

 ……………………………………え?

「ろ、ロッカ……?」

 手に。軽く押し付けられたのってば。もしかしなくてもロッカの唇で?
 えーと……何だろうこれ。
 ロッカの手のなかにすっぽりおさまったままの、自分の手が正視出来なくなって、はあさってに視線を飛ばす。
 だけど、触れられた部分が熱を持ち出した。
 じんじんするというか、熱いというか。
 が呆然としているのがおかしいのか、とうとう、ロッカがくすくす笑い出した。アメルに気遣ってか、小さな小さな声で。
 今までの会話も、当然のように小声だったけど、それはまぁいいとして。
「えぇっと……今のは、何でございましょう?」
 なんだか無性にこっ恥ずかしい。そんな気持ちを無理矢理ごまかして訊いたら、ロッカがとうとう、うつむいてまで笑い出す。
「そ……そうでしたね。記憶喪失……でしたっけ」
 どうでもいいがそこまで笑われると、さしものでも少々傷ついてしまいそうだ。
 むくれていると、ようやく笑いをおさめたロッカが、
「じゃ、感謝の気持ちということで」
「『じゃ』って何」
「気にしないでください」
「いや気にな……――はい」

 だからロッカさんのその、なにやらたくらんでおられるよーな微笑みはちょっと怖いんですけどっ!

 あー。きっとこうやって、リューグも云いくるめられたりしてたんだろうなぁ。とかなんとか、奇妙な連帯感さえ抱いてしまった。

さん」
「はい?」
 握られたままの手は、相変わらず熱いまま。
 けれど、今ロッカの浮かべている笑みはとてもとても優しくて、それに促されるように、気負いなく答えることができた。
 そんなへ、笑顔のまま、ロッカが告げる。

「僕はあなたを信じます」

「…………え?」
 不意に告げられた一言に、目が丸くなる。
 怪訝な顔になったのことなど何のその、ロッカはそのまま続けた。

「大平原でのこと、覚えてるって前に話しましたよね」

 ぎくぎくーん。

 せっかく話に出なかったなぁと安堵してたのに、そこで出しますか。
 などと云ってしまえるわけもなく、にはもはや沈黙するしかすべはない。
「でも……信じたいんです」
 きゅ、と。の手を握る、ロッカの手のひらに、力がこもった。


 信じたい、というよりも。もう心は決めている。この人を信じようと。
 握り締めた手のひらから伝わる体温、それ以上に暖かい、この人の心。
 ほんとうに自分のことを思って、さっきのことばをくれたのが判ったから。それにとても、救われたように思えたから。
 ――黒騎士への憎しみは消えないけれど。
 にあんな顔で微笑まれるということだけは、評価してやっても良いとさえ思う。
 ――間違いなく、と黒騎士は何かの関係があるのだろうけど。
 それでもこうして自分たちを包み込んでくれるような、の心は本物だ。

 だから、今はそれを信じたい。
 記憶がなくても、その心には偽りはないと思うからこそ。
 ……怖いけれど。ほんとうは。
 この人の過去の在り様を、聴くときがきたらと思うと、それはとても怖いけれど。
 けれど。それでも。

 信じたいと、思ったのだ。

 見上げていると、が、表情を変える。怪訝なものから、ふと。泣きそうな、安堵したような。
「ありがと……」
 それでも泣かない。この人は。
 僕の前じゃ泣けませんか? そう、訊こうとしてやめる。あまりにも子供じみた質問だった。
「それは僕の方ですよ。不甲斐ない兄役ですみません、ありがとうございます」
 だから代わりに笑いかけた。
 笑ってください。どうか。
 春を思い出させてくれる、あなたの笑った顔が好きだから。
 そうして、ようやく、が笑った。
「……お互い様で」
「はい、そういうことで」


 それから。

 指切りをした。小さな約束。
 大平原でのコト。小さな小さな、内緒の約束。

 それから。


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