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第12夜 伍
lll 聞けなかったことば lll



 バラバラになるメリットについて。
 少人数に分かれて、小回りが利くのと同時に、追いかけてくる相手の目を分散させるためでもある。
 ではデメリットについて。
 少人数に分かれた以上総合的な戦闘力は低下する。

 よって。

「逃ガすモノカァァァ! 忌々シき、召喚師ドモ……調律者の一族メェ!!!」

 分散する前と同じくらいの数の敵に追いつかれた以上、苦戦どころか結構ヤバイ。
「チッ! 行くぞ……ってこら!!」
 再び走り出そうとしたバルレルが、苛々を通り越して怒りさえも覚えた声で、立ち尽くしている人物を揺する。
「死にてぇのか! オイ!!」
 けれど。
 揺さぶられているマグナの方は、それにすら気づいていないのか。
 呆然と。悪魔たちの方を見たままで。

 つぶやいた。


「…………調律者…………?」


 ――因果を律する…… ……なるほど……
 ――……これがゲイル――
 ――蜜月のときは……

 ――後悔など――

 途切れ途切れに、マグナの脳裏でことばが踊る。
 それはまるで、風に舞う草のような記憶の欠片。

 ……ことば……記憶?

 俺は何処かで聞いたことがある? その名前を。そのことばを。
 俺は知っている? そのことばを。その記憶を。

 ――俺は――

「マグナ!!」
「ッ!?」

 ギィン! バチィィッッ!!

 闇に舞う、その断片に引きずり込まれた意識を現実に引き戻したのは。声。の。
 それから響いた、金属のぶつかる音。

!?」


「…………どひー。」

 口からこぼれるのは緊迫感まったくなしのセリフだが、これでも結構驚いているのだ。
 悪魔が迫っているというのに動こうとしないマグナ。そんな彼の前に出るように、とっさに身体が動いた。
 腰の剣を抜いて――そうして。
 パチ、パチと。
 腕から剣に渡ってまとわりついているのは、いつか屍人の蠢く砦でも見た、あの光。

 ……うわーいしまったやっちゃったー。しかもふたりが見てる前でー。

 棒読みチックにそう思うが、この間も今も、そうしようと思わずに発動してしまったのだからしょうがない。
 それに、光のおかげで悪魔の攻撃を弾き飛ばせたのだから、まぁ、幸運といえば幸運かもしれない。
 だが。
 目の前の一匹を防いだところで、さらに後方から迫ってきているほかの悪魔たちの足が止まるわけも――ない。
 我に返ったらしいマグナがあわてて剣を抜くけれど。バルレルが、痛みを堪えて槍を構えるけれど。
 3人、対、大勢。
 結末は目に見えていた。

 その、とき。
 交差した剣に加えられる力が、急になくなった。
「うわたっ!?」
 ぐらつきかけた身体を、やっとのことで転倒阻止。慌てて体勢を立て直して、攻撃を仕掛けられる覚悟もして、は顔を上げる。

「……?」
 燃え滾る、憎悪の色は。相変わらず、森を満たしていたけれど。
 どうしてだろう。今、と対峙している悪魔の瞳は。その感情の名前は。
 何が――そんなに哀しいのだろう?
 かすかに、悪魔が口を開いた。かすかな、ことばがそこからこぼれる。
「……ほノオ……」
 ことばがつむがれる。

「鏡像ハ……すデニ壊サレたノカ……」
「……へ?」
「……束縛ノ鎖ハ、マタおまえニ投げラレルトイうノカ……?」

「……はい?」

 も、もしかしてこの悪魔さんもあたしのことご存知なんでしょーか?
 っていうか鏡像って何束縛って何、今のあたしのどこが縛り付けられていると仰るんでしょーか?
 束縛束縛緊縛自縛。ちっがーう。

 こないだギブソンさんが見せてくれたパラ・ダリオとかゆーやつは仕掛けられたくないけど、いやいやきっと絶対違うだろうし……

 顔にたくさんの疑問符を貼り付けたまま、ことばの意味を問おうと、が唇を持ち上げた、刹那。
 ふわり、身体が浮いた。
「どわー!?」
 妙にひんやりして硬質な感触が、服を通り越して肌を刺激する。
 腰を抱えられているため、そのままでは目に入るのは地面のみだったが、悪魔の目の前から連れ去られているのは理解できた。
 そして声が聞こえた。
 マグナのものでもバルレルのものでもない、云うならば、それはレオルドの声に似ていた。

「しーるどヲ展開スル。耐衝撃ノ準備ヲ……我ガ主人ノ召喚術ガ発動シマス!」

 そのことばと同時に、何かの力場がつくられたのを感じた。
「…………真っ赤な機械兵士…………」
 地面に丁寧に置かれたの目に入ったのは、まず、真紅。
 駆け寄るマグナとバルレルに、だいじょうぶだよと笑ってみせて、視線を転じる。
 機械兵士の肩の上に少年が座っていた。バルレルと同じくらいの背丈の少年。
 手に持っているのはサモナイト石。――その色が象徴するは、機界ロレイラル。
「機界の探求者、エルジン・ノイラームが指令する! 速やかに実行せよッ!」
 サモナイト石が淡く輝きだす。それの意味するトコロはたったひとつ、ただひとつ。

 ――召喚術が発動する。

「待っ……!!」
「いっけぇーっ!!!!」

 制止の声は間に合わない。
 の掠れた声では、間に合っても届かなかったろう。

 ――間に合わないのだ。
 ――まだ聞いてないのに。
 ことばの意味を。
 悪魔の発した、ことばの意味を。
 悪魔が向けてきた、憐憫にも似た視線の意味を。
 まだあたしは訊いてないのに――!

 光と音が炸裂し、のことばは半ばから、それにかき消されていた。
 静寂の戻った森の、立ち込める煙のなか一帯には、もう、悪魔たちの姿さえ見られない。
「……すごい……」
 マグナが呆然とつぶやく。
 彼ら3人でようやっと、あれだけの岩石を落とし込んだというのに、今の少年はたったひとりで、すべての悪魔たちを消し去ってしまっていたのだから。
 そう。悪魔たちは消えた。
 に何かを告げようとしていたあの悪魔も。
 ……答えは、もう、もらえない。
 少年を非難するわけにはいかないことくらい、だって承知していたけれど。あの状況なら誰だって、が危ないと思うだろうし。
 ……だけど。
 この手に握りかけた答えを、失った感覚は、すぐには消えない。
「エスガルドは残った敵をお願い。ココは僕が引き受けるから」
「了解シタ」
 少年のことばに答え、エスガルドと呼ばれた赤い機械兵士は、そのまま、たちが走ってきた方向へ進んでいった。
 ほどなくして、奥から迫ってきていた濃密な気配が、ひとつ、またひとつ。消えていくのを感じる。
「君は……?」
 今の召喚術に心底驚嘆したらしいマグナが、少年に問いかける。
 おかげさまで、先ほどの出していた光のことは忘れてくれたらしい。さすがわんこ。いや失礼。
 出していた、ではなく、出している、なのだけど。実はまだ。
 マグナの質問に、少年はにこやかに答えている。
「僕? 僕はエルジン。エルジン・ノイラーム。前はお兄さんと同じ、蒼の派閥の召喚師だったんだよ」
「エルジンか。助かったよ、ありがとう。俺はマグナ」
「どういたしまして」
 蒼の派閥同士だったということで、なにやら話も弾んでいるし。
 この分なら、光について追求されなくてもいいかなー、などとが安堵のため息をついたとき。
「……オイ」
 座り込んでいたの傍に、バルレルが来ていた。ここでもたもたしてる間に、随分血が失われたのだろうか……ひどく消耗している様子。
「貸せ」
 ぐい、と。
 無事な方の手でもって、バルレルが、まだ光のまといついているの腕をとった。
 何をする気かと黙って見ていると、握られている部分から、光が徐々に薄らいでいく。まるで吸い込まれていくようだと思った。
 そうして光をすべて取り込んだあと、彼はおもむろに、リプシーと誓約されているサモナイト石を取り出す。
「……バルレルくん、魔力……?」
「こい、小精霊。ココにある全魔力を代償にオレのキズ完治させやがれ」
 乱暴な詠唱に応え、ふわり、ほのかな光。そして、リプシーが姿を現した。
 治癒を促す光の粒が、バルレルの傷口に降り注ぐ。彼の傷を考えれば、いつものリプシーの光では完治させれるほどではないのだけれど、今回は違っていた。
 光の粒がいつもより大きい。いつもより強く輝いている。
 またたき数度の間に、バルレルの顔色が元に戻る。リプシーを送還する頃には、腕をぐるぐるまわして調子を確かめられるほどにまでなっていた。

 ……あの光は、魔力だとでもいうのだろうか?


「……」
 きょとんとしているを、バルレルは、苦々しげに見た。
 そして、大きなため息をつく。
「テメエだったのかよ……」
 どうりで、ニンゲンのクセに、違うニオイがしたと思ったのだ。
 初対面のときから、何かしら、感じていたものの正体を。おぼろげにだけれどようやく掴んだ。
 同時に。
 アイツがどうして、このオンナに執着するような素振りを見せていたのかも――理解できた。
 ……そりゃあそうだよなぁ、目の前にいりゃあ求めて当然だよなぁ……

 ――テメエはそれでいいのか? 縛られたままで、永遠にその環を繰り返す気かよ?
 ――個人的には良くないですけど、抜け出す手段を見つけきれないのが正直なところです……それに……

 具現であった、弱くも強い存在を思い出す。

 ――それに、結局わたしは――

 気に入らない弱い存在。気に入らない強い意志。気に入らなかった――その在り様。


 そしては困惑する。
 原因は、不機嫌なカオで凝視してくるバルレルの視線。
 ……あたし何かしましたか?
 耐え切れなくなって、救いを求めて目をさまよわせるけれど、マグナはエルジンと話していて気づいてくれないし。
 気づけ気づけ気づけ気づいてくださいお願いだから!
 必死に念じていたのが届いたのか、マグナがふとの方を向いた。ばっちり視線が交錯する。
、平気?」
「あはははは、なんとか」
 駆け寄ってくるマグナと入れ違いに、バルレルも腕を放してくれた。「ケッ」とか云いながら、不機嫌な表情はそのままだけど、ちょっとだけ和らいでいたのが見てとれる。
 それに、ほう、と安堵。
お姉さんって云うの? 僕はエルジン。よろしく!」
「あ、うん。助けてくれてありがとっ」
 遅くなってしまったけれど、マグナと同じようにこちらに向かってくるエルジンに、ぺこりと頭を下げた。
 そして、不意に感じる。
 森の奥――走ってきたあの方向が、また、何かの膜に包まれたことを。
 マグナもそれを感じたのか、不思議そうな表情をしている。バルレルの表情は、背を向けているので見えないけれど。
 にっこり、エルジンがそちらに目を向けて笑った。
「どうやら結界、上手く修復できたみたいだね……カイナおねえちゃーん!! おつかれさまー!!!」
 こちらにやってくる、人影に向けて、大きく手を振っている。
 茂みをかき分けて現れたのは、先ほどの赤い機械兵士と――それから、三つあみの少女。服の感じが、なんとなくケイナに似ているような印象を受ける。
「お待たせしました。なんとか、最悪の事態は避けられ……あら、エルジンくん、そちらの方々は?」
「あ、俺はマグナと云います。こっちは妹の護衛獣のバルレル」
「あたしはです」
 さっきまでの深刻な事態はどこへやら、妙にほのぼのとした調子で、彼らは自己紹介を交わす。
 カイナと呼ばれた女性は、マグナのことばを聞いて、ちょっと首をかしげた。
「妹さん……というと、マグナさんと似た服を着た、短い髪の……?」
「そうです! 逢ったんですか!?」
「ええ、あちらで悪魔たちと交戦していらっしゃったので、ちょっとお手伝いをしてまいりました」
「結界ハ張リ直シ、外ニ出テイタ悪魔タチハスベテ殲滅シタ。モウ心配ハナイ」
 ばらばらに逃げた仲間たちの安否も、今のことばで確認できる。どうやら、無事ではいるらしい。
「それにしても、カイナさん一人で結界を張り直したんですか?」
「え? ええ、そうですよ」
 エルジンの魔力も相当なものだったが、このカイナの魔力もすごいのだろう。
 あの悪魔たちを封じ込めておけるだけの結界を、たった一人でつくりだしたのだから。
 さぞやスゴイ召喚師なんでしょうね、と、マグナが笑って云うと、カイナもおかしそうに微笑んで、答える。

「これでも、そちらのおふたりと同じくエルゴの守護者を任じられておりますから……それくらいは」

「「エルゴの守護者?」」

 何だそれは。

 ――りん、

 遠く響く銀の音は、今ここにはない。
 説明を求めてマグナに視線を転じると、どうやら彼の方も初耳らしく、怪訝な顔が返答代わり。
 では、とバルレルに目をやるけれど、なんだか云いたくなさそうで、ふいっと横を向いてしまった。
 そのやりとりがおかしいのか、カイナがくすくすと笑って、ことばを足してくれた。
「のちほど、私の方から説明させていただきます」
 けれどその前に――
「その前に?」
 ことばにしての答えはなく、ただ、ある方向を示される。 

「おぉーい!! 無事かーっっ!?」
 木々に邪魔されて姿は見えないけれど、聞きなれた声がこちらに届く。
「フォルテだっ!」

「お仲間の方に、無事を教えてあげるのが、一番ですね」

 そう、カイナは微笑んで告げてくれたけれど。
 実際そのことばに、も口元がほころんだのだけど。

 ロッカに手を引かれてやってくる、アメルの姿を認めた瞬間、そんな気持ちは吹き飛んでしまった。


 ふらふらと歩いてくるアメルに、特に怪我はなかった。だけど。
 だけど何よりも、心が衝撃を受けているのは、誰の目から見ても明らかだった。
 普段なら茶化すバルレルも黙っている。集まってきた皆も、何を云っていいのか迷って、結局口を閉ざさざるを得ない。
 ……実感があった。痛いほど。
 禁忌なのだ、この森は。たしかに。
 大量の悪魔たちと、彼らが叩きつけてきた燃え滾る憎悪。
 真実なのだ、伝説は。
 ここは……人間が入り込んではいけない場所だ。
 人間が、いるはずのない――いてはいけない場所だ。
「……アメル」
 乾ききった唇を舐めて、無理矢理湿らせてから口を開く。
 地面に落としていた視線を持ち上げて、アメルがに目を移した。
 衝撃が大きすぎたのか、その目には何の感情も浮かんでいなかったけれど。の姿に焦点があった瞬間、見る間に大粒の涙が溜まる。
「……ッ」
「アメル?」
 ぎゅぅ、と。抱きついてくる。
 の背中に腕を回して、胸に頭を押し付けて。強く、強く安心を求めるように。
 ただ、すがりついてくる。

「……もう、いいです……」

 もう――いい。
 静まり返ったその場に、か細いアメルのその声が、やけに大きく響いた。


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