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第12夜 弐
lll 喚びかける音。応える声。 lll



 一方こちらは、ルヴァイドたちのいる場所から少し離れた位置にある、ビーニャの居している天幕である。
 総指揮官の天幕を辞したレイムは、その足で自分の部下の所へ赴いていたのだ。
「ねぇ、レイム様? アレってただの嫌がらせでしょ?」
 魔獣に魔獣を食わせるという、かなり普通の感性ではないことをやらせながら、ビーニャが主に問うている。
 対してレイムもあっさりと、
「ええ、そうですよ」
 ときたものだ。
「所詮今の議会は我々の手足ですからね。告発してもただの喜劇です」
「じゃあ、どうしてあんなふうにたきつけたりしたんですかぁ? 本気でちゃん殺すつもりでかかっていったらどうなさるんです? キャハハハ……うーん笑えない」
 唇を尖らせて、ぶつぶつ云っているビーニャの姿は、会話を聞かないで本性も知らないならかわいいものだが。
「ちょっとね。彼らを追い詰めてみたくなりまして」
 それを(魔獣含めて)微笑ましげに眺めながら、レイムが再度答えた。
 ぽろん……と、時折爪弾かれる竪琴の音が、あまり広くはない天幕に吸い込まれていく。
 色々と含みのある解答に、ビーニャは何かを察したらしく、それ以上の追求を止める。
 代わりに、
「ねぇねぇレイム様ァ。もう一個質問してもいい?」
「はい、なんでしょうか?」
 共食いしていた二匹の魔獣のうち片方が、相手の首を食いちぎった。
「どうしてちゃんを連れ戻さないの? ルヴァイドちゃんたちのトコにおいといて目隠ししといたほうが、まだ安全だと思うんですけどォ?」
 問いに、レイムは微笑む。
 先程ルヴァイドやイオスに向けた薄ら寒いものではなく。
 ふわりと。とても幸せなものを感じているように。
 レイムは微笑む。
「どの道……彼女は世界に対して目隠しをされている状態でした。今は、その上からもうひとつ目隠しをされている状態ですね」
 手元に置いておくことは簡単。
 やろうと思えば今からでもそう出来る。
 けれど。
「新たにまといついた目隠しはともかく、最初からの目隠しは、さん自身の力で取り外さないといけません……そのために、丁度良いからと云ったところでしょうかね。答えとするなら」

 現に、いつぞやの夜はぎりぎりにまで近づいていた。
 大平原のあたりを中心にほとばしった魔力。
 調律者の魔力の影に隠れて目立たなかった、『本来の』ちから。

「うぅん……判るような判らないようなぁ……」
 頭を悩ませているビーニャを見て、レイムはまた、笑った。

 何も知らない。貴方はまだ、世界のことも自分のことも、何も知らない。
 ……遠い遠い昔の物語も、今の貴方はまだ、知らない。

 それでもいつか、あなたはそれを知るでしょう。思い出すでしょう。
 手放そうとして、だけどしまいこんだそれを、いつか――そう。それはきっと、遠くない明日に。
 それを思い出したとき、それでも貴方は、笑ってくださいますか?




 真実に近づいているのか、遠ざかっているのか。
 動かない場所にあるそれを見たくなくて、遠回りしているのか。気持ちだけはそれを求めながら。
 そうして、ひとつの真実の眠る場所が、今、たちの目の前に鎮座していた。


 ルウの住む辺りから、それなりの距離を歩いた先にある『禁忌の森』。
 その前に、たちはいる。
「……なんつーか」
「ヤな雰囲気」
 いやー、散々だいじょうぶって云いまくってきましたけど、これはちょーっと後悔気味ですよお客さん?
 森の外観は、それまで歩いてきたトコロと殆ど変わらない。
 鬱蒼と茂った木々に、生えまくった下草に、薄暗い闇。
 それでもまだ途中までは、そんなに感じなかった違和感を、ついさっきからびしばしびしばしと感じていた。
「うぅ、気分悪い…………」
 魔力が高い分、感応力も敏感で影響を受けやすいのか、ミニスなどすでにダウン気味だった。
 ロッカにしがみついて、足取りもおぼつかないながら頑張っているけれど、限界に近そうだ。
「だいじょうぶ? ミニスちゃん」
「……ミニス、で良いって云ってるでしょ、
 心配しているのに、全然違うコトを云われて苦笑する。
 前言撤回。この調子ならあまり心配もないだろう。
 やせ我慢が得意そうで意地っ張りなミニスだけど、自分の体力に配分するくらいには経験を積んでいるのだし。
「それにしても、だだっ広そうだねぇ…………」
 額に手をかざし、遠くを見るような素振りをしてモーリンが云った。
 たしかに、見渡す限り森、森、森。
 空さえも生い茂る葉に隠れて見えず、よけいに距離感を失わせられているコトに間違いはないけれど、それを差し引いたとしても村が数個入るくらいの広さはあるんじゃないだろうか。
「で、どうやって探すんだい?」
 さすがに山火事引き起こしそうで遠慮しているのか、今日は紫煙なしのレナードが問う。なんとなく口寂しそうだ。
「森の外周を廻ってみるつもり。結界の内側には人間は入れないから、もし村があるなら、そのあたりだけだと思うし」
「無難だな。下手に結界とやらに近づかなきゃ、面倒も起きんだろ」
「じゃあ、手分けして動きましょうか。幸いはぐれの類もいないようだし……」
 トリスのことばに、はちょっと首を傾げる。
 はぐれというかそもそも、この森にはあまり生き物のいる感じがしないのだけど――
 告げるべきかどうか迷ったけれど、結局黙っていることにする。
 よけいなコトを云って、要らない不安を呼び寄せる必要はないだろう。
「何人かで固まって移動することにしませんか? 悪魔もですが、これだけ広いと迷う可能性もありますし」
「そうだな、用心しとくにこしたコトはないもんな」
 ロッカとマグナのことばに、全員が頷いて。

「じゃ、俺と行く」
「あたしと行くから」
 真っ先にの腕をとったトリスとマグナ。
 だが、人様の頭上で火花を散らす兄妹の間から、はあっさりすり抜けた。
「はい、兄妹で頑張っていってらっしゃーい」
「えー!? 一緒に来てくれないの!?」
「やかまし。たまには派閥兄弟でつるんでなさい」
 傍にいたネスティの腕を引っ張って、兄妹に放って寄越す。
「お、おい……」
 戸惑った様子のネスティも、この際無視。ついでに笑顔。目が笑ってない自覚アリ。
「がんばれ。」
「「「…………はい…………」」」
「じゃあ、さんは誰と行くんですか?」
 右側にミニス、左側にアメルを連れて行くことになったロッカが訊いてくる。
 問いに答えるより先に、の口をついて出たのは、
「その場の流れとは云え……両手に花?」
「ちがいます。」
 一文字一文字間をおいて、つまり、強調するような区切りつきで、ロッカが珍しく半眼つくってツッコんだ。
「あはは」
 呆れた表情になったアメルとミニスの視線からも逃げるように、とりあえず残りの誰かの組に入れてもらおうと、視線を転じたときだった。
 視界の端、ロッカの隣に立っていたアメルが、不意に目を見張る。

「――アメル?」
 そして――音。

 キィィィィィン……

 出所の判らない音が、周囲に響きだしていた。生き物の声ではない。生き物の出せる声の範囲を越えているように思われる音。

 リィィィィン……キィィィン……

 鈴の鳴るような、きれいな。けれど耳に、頭に、突き抜けるような音。それが不快感。
「……何? これ」
 ミニスが顔をしかめて耳をふさいだ。
 けれど、それは何の効果もないらしい。だんだん高くなってくるその音に、彼女は不快な表情を隠せないでいる。
 音の聞こえ出した瞬間、反射的に耳を覆ったも、それは同じだった。
「どうしたんです?」
 けれどそんななか、ロッカだけは何が起こったのか判らないといった感じで、立ち尽くしているアメルと、耳を押さえているミニス、を見比べて怪訝な顔。
「ロッカ、これ聞こえないの?」

 リィィン……キィン……ィィィィン……

「……ええ、全然……何か聞こえるんですか?」
 聞こえる人間が限定されてでもいるというのだろうか。
 他の人たちはどうかと見ると、マグナ、トリス、ネスティは聞こえるらしく、耳のあたりに手を当ててきょろきょろしている。
 彼らの傍にいた護衛獣たちもまた、何かを感じているのだろう、落ち着かない様子に見えた。
 そしてフォルテは聞こえないようだ、耳を押さえているケイナを不思議そうに見ていた。
 カザミネ、モーリン、レナードはやはりロッカやフォルテと同じらしく、何が起こったのかとこちらを見ているだけ。

 ふと。
 この音が聞こえる人間の共通事項に、気づいた。
 召喚師だ。
 とアメル以外、音を耳にしている全員が、召喚師。
 これで、とアメルに聞こえていなかったら、結界に反応しているのかもしれないと説明がついたかもしれない。
 いや、アメルに聞こえているのはまだ、不思議ではないけれど。
 何せ召喚術ではないけれど、癒しの力っていう特技があるのだから。
 でも。召喚術の素養まったくなしのはずのにまで、それが聞こえるのはどういうことなのか。

「霊的な共鳴現象ってヤツだ……」
 いつの間にか傍に来ていたバルレルが、油断なく周囲を見渡しながら告げる。
「共鳴現象?」
 何が何と共鳴しているというのだろうか。
 少なくとも音の原因のひとつは判ったが、何をしてこの音が出ているのか、それは判らないまま。
 ……共鳴? 共に……? 呼応する?
 喚ばれる……応じる?

 喚ぶは――声。
 応えるは、意志。

 リィィィィィィィィン……キィィィィ……リィィィィィィィィィィン……

 音がおさまるのを待つつもりで、動かないでいたけれど、もはやその判断は意味をなさない。
 ますます、ますます、音の響きは大きくなっていく。
 しまいには、頭のなかで音がぐるぐるぐるぐる響き渡り、はとうとう立っていられなくなった。
 その横で、はっとしたようなバルレルの声。
「おい! コイツは、ガキにゃかなりキツイぞ!」
「……頭、痛い、われちゃいそう……!」
「ミニス!」
 くずおれたミニスを、すんでのところでロッカが支える。
「ひとまずこの場は離れるべきだ、行くぞ!」
 ネスティのことばに、全員が、もと来た方向に身を転じた。いや、転じようとした。

 ひとり――ただひとりを、除いて。

「アメル!?」

 この鳴り響く音の聞こえる者のなか、ひとり、不快感を感じていない様子だったアメル。
 彼女だけが、その場から、動こうとしなかった。
 いや、それどころか、

「……呼んでいる」

「え?」
 ぽつり、つぶやく聖女のことばに、全員の足が止まる。
 何を云いだしたのかと。この音に意志が感じられるとでも云うのかと。

「この森……呼びかけてる……」
 誰に?
「……あたしに」
 何故。
「呼びかけてくれた……だから思い出せる……?」
 何、を。

 共鳴。呼応。
 聴覚を支配する、音の嵐の中、何故かアメルの声だけははっきりと、の耳に届いていた。
 共鳴。呼びかけ。……応じる?

 求める手。
 応じる手。

 リィィ……ィィィン……リィン……キィィィィィィィン……ィィ……


 ああ、これは。
 呼ぶ声だ。
 不意にアメルは悟った。これは声。呼びかけの声。
 思い出せと。己を思い出せと。知っているはずだと。
「あたしは……」
 それは呼ぶ声だった。
 思い出せと。知っているはずだと。
「あたしは、この森を知ってる……?」
 口にした刹那。
「――!」
 身体のなかから、力が溢れ出す。聖女の力のような、それよりももっと大きな力のような。
 制御できない――ちから。
 その力が――溢れる。

 そして彼らはそれを感じた。

 ハサハが。普段の消極的な姿をかなぐり捨てて。
「おねえちゃん、だめッ……!!」
 バルレルが。切羽詰った声で。
「テメエらっ……そのオンナを止めろォっ!!」
 レシィが。泣き出しそうな声で。
「それ以上結界を刺激しちゃダメですぅっ!!!」
 レオルドが――どこまでも冷静に。
「スサマジイ負荷ヲ計測……結界ノ耐久力ニ限界ガ見ラレマス……!」

 叫んだ。

「アメルだめっ!! そんな力の掛け方じゃ壊れるだけだ――――!!」

 が。

 叫んでそして、凝然とする。
「……え」
 ――何故。
 頭をめぐりだしたのは、まずその二文字。
 何故。それを感じ取れた? 何故。それを知ることが出来た?
 何故結界が壊れると、あたしは感じ取ることが出来た!?
 何故。他の結界の解き方を知っているようなことを。あたしは、躊躇いもせず口にした!?

 発したことばは取り戻せない。それが意識してのものであれ、意識しないままのものであれ。
 けれど、幸い――とも云えないが、が叫んだ瞬間、それが起こった。
 だから、そのことばを追求できるような余裕は、直後、誰にもなくなってしまっていた。

 音が止む。
 急激に始まった音は、急激になりを潜めた。
 そして次の瞬間。

 ――パアアァァァン……!

 強いて云うなら、何かの断末魔にも似た、最後の響き。
 それは、砕け散る音。


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