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第11夜 伍
lll お蕎麦を求めたその先は lll



 わりと距離があると思っていたファナンへは、覚えてしまえば片道1時間ほどで辿り着ける程度の道のりだった。
 スルゼン砦のときには街道に正直に歩いていたせいで、遠回りになってしまっていたらしい。
 道を外れて真っ直ぐまっすぐ突っ切ってしまうほうが早いんじゃないかとルウに教えられ、そのとおりにたちは進み。
 そうして、思っていたよりずいぶん早くファナンに辿り着いたコトに『らっきー!』と大喜びしている真っ最中である。

「いやーもう、こんなことなら地図に頼らないで最初からまっすぐ森に行ってればよかったねー」
「だいたいあれはネスが、安全の面からも街道から外れないほうがいいって云うからだよな」
「昔っからネスはそうなのよ。冒険心ってものがないんだから」
「ご主人様〜……そんなふうに云っちゃネスティさんの立場が……」
「ケッ、云わせとけ云わせとけ! どうせ本人の前で云えねぇもんだから、ここで云ってんだろ。へたれたニンゲンだぜ」
「…………(困ったように首を傾げている)」
「主殿、アマリ大声デ騒グト周囲ノ人々ニ迷惑デハナイカト……」
「まあいいんだけどさ、さっさと用事を済ませて帰らないと。昼前に森に入るんだろ?」

 以上、ファナン買出し部隊の会話である。

 とりあえず買出し自体はとっとと終わって、じゃあさっさと帰ろうということになったのだけれど。
 くん、と。
 マグナが、漂ってくるいい匂いに鼻をひくつかせたのが最初。
「……シオンの大将の蕎麦のにおいだー」
 にへっと笑うマグナの表情に、ふとあたりを見渡してみれば、間違いない。
 つい先日、レシィと一緒に歩いた一角。もう少し歩けば、噂のお蕎麦屋さんという場所にたちは立っていた。
 かなり美味しかったなぁ……お蕎麦……
 食べ物の味にあまりこだわりはしないけど、その蕎麦は、格別というにふさわしい。
 それに、ふと感じるなつかしい感覚も、蕎麦に惹かれる原因。
「こらこらこら、ダメだよ。道草食ってる暇なんかあるのかい?」
 呆れた調子でモーリンが云うけれど、ふんわりと風に乗って漂ってくる蕎麦のにおいが……
 はちらりとマグナを見た。
 マグナはちらりとトリスを見た。
 トリスがちらりとを見た。
「我慢できませんーっ」
「あっ、こら!!」
 ばたばたばたばた。
 それなりの荷物を抱えているのに、いきなり走り出した3人を見てモーリンはあっけにとられたようだった、が。
「あのお子様ども……」
 しょうがないなぁ、という笑みを浮かべると、同じようにあっけにとられていた護衛獣たちを促して、彼らのあとを追った。
 そんな彼らの目の前に、ひとつの看板が立ちふさがるのはすぐあとのこと。

 『準備中』

 到着した一行に、容赦なくブリザードが吹きつけた。
 寒ッ。
 吹き荒れる北風が、いやおうにも空しさを強調してくれる。
「……準備中じゃしょうがないねぇ」
 あはははは、と、追いついたモーリンが豪快に、どこか乾いた調子で笑った。
 意気込んで辿り着いた分落胆も大きいたちは、返答すら出来ないでへたりこんでいる。
 ないと判るとよけいに惜しくなるのが、人の性。
 このまま立ってても、いやへたりこんでても、無駄なのは判っているのだけど、どうしても動けないでいる――と。
 店の暖簾が、内側からめくられた。

「おや、マグナ君トリスさん。さんにモーリンさんもおいでですか」

「大将!」

 仕込みの最中、休憩でもしようとしたのか。
 着物にちらほらと蕎麦粉をまぶしたシオンが、例の笑顔を浮かべて店から出てきたのである。
 そうして彼らの様子を見てすぐに事情を察したのか、ちょっと申し訳なさそうな表情になり、
「すみませんね、昼からのためにまだ仕込み中なんですよ」
 と、改めて看板を示してみせた。
「あはは、いいんだよ。どうせ買出しが終わったらすぐに戻らないといけないんだからね」
 モーリンが笑って答えて、とマグナとトリスは「むぅ」と3人揃ってふてくされる。
「おやおや……お忙しいようですね」
「え? あはは、まぁそれなりに」
 まさか事情を説明するわけにはいかず、笑ってごまかすを、やっぱり笑って見ているシオン。

「あなた方も」、
 一度ことばを切り、彼は、一行を順繰りに眺めた。最終的に視線をで留めると、にこりと笑む。
「色々と複雑な事情がおありのようですが……あまり無茶をしてはいけませんよ」
 命あっての物種ですからね。

 優しく微笑みながら云われた、そのことばに。
 何もかも判っていますよ、と暗に告げられたような気がした。
 それは、に限らずのことだったようで。見れば、他の皆も同じ感想をシオンのことばに抱いているような、表情。
「うん、判ってます」
 トリスやマグナ、モーリン。それに護衛獣の彼らと一度視線を交わして。
 さっきまで浮かべていたあやふやな笑みを消して、はシオンに向き直る。
「あたしたちは戦ってます……それは死ぬ可能性に自分から飛び込んでいくようなもので、出来ればしなくてすむほうがいいと思うけど」
 そう、ほんとうなら戦わないで済むなら、それに越したことはないと思う。
 ことばを交わして判り合える道があるというのなら、それを選びたいと思う。
 だけど。
「そうすることでしか守れないものがあるんです」
 数度相対した、黒の旅団を思い出す。
 武力を以ってことを成そうとする相手には、武力を行使して応じるしかないというのは短絡、だけど。
 それ以外の手段を見出せない以上、出来ることがそれだけだとしか思えない以上は。

「……そうですね」

 にっこりと。
 先ほどまでの、何かを含んだ笑みを綺麗さっぱり消し去って、シオンがもう一度微笑んだ。
「やれやれ、お客さんに説教をご馳走してしまうとは、私もそろそろ年ですかねぇ」
 肩をほぐす仕草をする大将に、おそらく全員が、こうツッコミたかったことだろう。

 ――その外見で年だとか云わないでください。


 シオンの大将から、餞別だと蕎麦饅頭を買出しの人数分、ハサハだけはおあげをもらって、行儀悪くぱくつきながら、一行は再びファナンの街を歩く。
 寄り道するつもりはなく、実際、北にある街の門のほうを目指して歩いていたのだけは、声高に主張したい。
 主張したいが――
 まあ、こういうときに限って知り合いと逢ってしまうのは、ある意味不変のお約束というものだろうか。
「おにいさん!?」
 世間話をしながら歩いているたちの横から、声がした。
 振り返れば、乳白色の髪をした、なんだか高価そうな服を着ている少年の姿。
 …………誰だろう。
 少なくともに見覚えはなかったが、マグナが少年に反応した。
「エクス!」
「兄さん、知り合いなの?」
 トリスも、彼のことは初耳らしい。
 少年に向けて、ぶんぶんと手を振り回すマグナの裾を引っ張って、質問。
 ちなみに反対側の裾にはハサハがしがみついている。すでに見慣れた光景だ。
「ゼラムにいたときに、ちょっと顔見知りになったんだよ。な?」
 『な?』は、すでにこちらの目の前まで歩いてきた少年に向けて。それを受けて、エクスというらしい彼は、にっこりと笑う。
「はい。お城のあたりで話し相手になってもらいました。でもびっくりしたなあ」
「なにが?」
「おにいさんも、ここに来てたなんて。てっきりゼラムの人だとばっかり思ってたのに」
「あぁいやそれがそのいろいろあってさ」

 棒読みですマグナさんついでに視線がお魚です。

 けれど、エクスは幸い、それ以上ここにいる理由を追及するつもりはないようだった。単にマグナの反応が面白いのか、口に手を当ててくすくす笑っている。
 いいところの子供らしく、そういう仕草も上品だ。
「あ、他の人たちには初めましてだよね。僕はエクスといいます」
 笑いをおさめて自己紹介してくる少年に、たちも簡単に名乗りを返す。
「そういえば、エクスはなんでここに?」
 ゼラムのお坊ちゃまである、というのは勝手な予想だが、ともあれ彼がここにいる理由が判らず、マグナが問うと。きょとん、とエクスの目が丸くなる。
 それから、「やだなぁ」と、破顔してみせた。

「お祭りを見にきたに決まってるじゃない」
「おまつり?」

 初めて耳にするそれに、今度はたちが目を丸くしていると、そこはさすが地元の強み、モーリンが笑いながら説明してくれた。
「年に一度の豊漁祭だよ。たくさんの店やパレード、花火なんかで街中とても賑やかになるんだ」
 そしてエクスがにこにこ笑いながら、

「そう。だからボク、毎年この季節にはファナンの別荘まで遊びにくるんだ」

「「「――別荘ッ!?」」」

 なんてうらやましい、いや贅沢な! という周囲の思惑に気づかないのか、もとい別荘で驚かれる理由が判らないのか、エクスの顔にまた疑問符が張り付いた。

「……なんか今、自分たちがすごく貧乏に思えてきた……」
「実際そうじゃねーか」
「考えるな、考えたらおしまいだぞ!」
「……お兄ちゃん……」
「この時点でなんかもう、ダメだよね……」
「ご主人さまぁ……」

「どうしたの?」
「あ、……なんでもないよ。あははははははっ」

 トリスさん声が笑ってません。

 理由のない敗北感に打ちひしがれた一行を、エクスは不思議そうに眺めていたけれど、不意に、笑みを深くして口を開く。
「でも、いいなぁ。お友達と一緒に旅をしてるんでしょう?」
「う、うん。そうだよ」
 そうだね。友達。
 最初のうちこそ成り行きで一緒に行動していたようなものだけど、今じゃとても大事な人たち。
 誰かひとりが欠けても嫌なのだと、強く思う。
 ……できればあの人たちとも、そういう風に一緒にいたいんだけどなぁ……
 ルヴァイドとイオス、それにゼルフィルドを思い出して、ふと気持ちが沈んでしまった。
 戦いたくない気持ちも、理由を知らない思慕も、まだ自分の中にあるし、それが小さくなるコトはないだろうと思えるし。
 そして、消したくもない。
 ならば、頑張ろう。

 そう。頑張るんだ。
 幸せになろう。
 絶対、みんなで、幸せになりたい。


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